藤門 弘北海道通信バックナンバー

 藤門弘北海道通信 9月号

 ご無沙汰しておりますが、皆さんお元気でご活躍のことと思います。
 北海道は約束通り9月1日から秋になって、朝晩はどきっとするぐらい寒かったりします。
 久しぶりの通信ですが、相変わらずの農繁期なので今号は思うことのあれこれを「クラシファイ」(三行広告)風に申し述べさせてもらいます。北の辺境でファーマーが吠えている、とのご認識でまったく不満はありません。

<自然ウオッチ>

◆今年のハイライトはなんといっても裏山に営巣したオオタカで、6月下旬からは葉が茂って巣の様子は見えなくなった。しかし7月末になるとヒナが巣立ったようで、一家でピイピイとかしましい。お母さんのピイピイ教育の成果で、ヒナふたつは自立を始め、8月中旬には親離れ。

◆それからずっと幼鳥2羽を毎日眺めてきた。幼鳥だからぼんやりしていて、わが家の屋根や庭木にまでとまってしまう。これで大丈夫なんだろうか、ちゃんと餌(小鳥)を捕獲できるんだろうか、と心配したが、それでも次第にタカらしい姿になっていった。

◆9月に入ってすぐ、2羽の幼鳥が庭のすぐ上をゆったりと旋回して、ぼくはその凛々しい姿に拍手をしたのだが、どうやらこれが別れの挨拶だったらしい。2羽はこれ以降姿を見せなくなった。きっと南の方へ移ったのだろう。今年で3年目になるオオタカ観察であった。

◆春先にはおなじみの鳥が少なくて不安だったが、今年は種数よりも個体数が多い年だった。7月に入った頃から幼鳥がすごくいっぱいいて、時々迷ったチビが道路を歩いていたりする。犬たちはそういう幼鳥を捕まえるのを楽しみにしていて、散歩が大変だった。

◆ブルベリー園を営巣場所に選ぶ鳥が多くて困るのだが、今年はつみとり園にモズが巣を作り、6羽のヒナを育てた。それがなぜか急に1羽に減ったので、一瞬もしかしたらカッコウ?と思ったがどう見てもモズ子なので、ヘビかキツネの仕業だろう。

◆今年はどうも昆虫類が少ない年だったようだ。去年教わったゼフィルスを楽しみにしていたのだが、全然みられなかったし、ハチの類の少ない気がする。ブルベリー最後の頃にはスズメバチが多いのだが、今年は姿がない。

<ニュース・ウォッチ>

◆7月末の参議院選はおもしろかった。ひとまずめでたい民主勝利だが、さてこれからどうなるのか。安陪が辞めて福田が総理になる様相だけど、自民が息を吹き返す前に解散総選挙に追いこめるといいな。それで野党が勝つかどうか勝負どころだけど、勝利して新政権ができたとしても一抹の不安は残る。なにより、必ず巻き起こるであろう反動の嵐がこわい。

◆というような心配は、もしかしたらぼくたちが「政権交代」というものに慣れていないからかも知れない。欧米によくある2大政党制では、時々政権が交代しつつそれぞれに民意を反映する、というようなシステムになっているのだろう。もちろん一応そうなっている、ということでこれにも問題はあるのだろうけど、自民、民主で時々交代しながらやる、というのもありかな。

◆てなこというと、なんだか変に物わかりがよさそうでイヤなんだけど、ひとまず政権交代の実現に期待してみたい。民主党に過大な期待はないんだけど、少なくとも官僚とのやりとりで自民よりはましだろう。ずっと前の管厚生大臣みたいに。

◆結局、公明党がどこまで自民とつきあうか、にかかってるんだろう。公明、創価学会がどうしてこんなに長期に自民と一緒でいられるのか不思議でならない。むしろ民主と連携する方が自然だと思うんだけど、そろそろそういう時期なんじゃないのか。

◆「テロとの戦い」「国際貢献」なんてよく言うけど、あれって結局「イスラエルとそれを支持するアメリカ対アラブ世界との戦い」のことでしょ。極東の島国日本は両方と適当に仲良くするのが得策なのであって、これこそ「国益」というものだ。アメリカに追随してテロの対象になることを自ら選ぶ必要はないよね。

◆新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発事故は不気味だった。地震被害はたいしたことないのに、原発はすごい被害で放射能漏れまで起きている。ないはずの活断層が実はいっぱいあったりして、怖いなあ。ぼくの住む近くには北電泊原発があって、万一事故があったら大変だ。

◆原発には基本的に反対なのだが、では対案を出せ、と必ず反論される。自然エネルギーを、というとまた現実性がない、と反論されるのだが、この代替エネルギーについては全然研究されていないのだ。原子力予算は膨大なのに、クリーン・エネルギー研究はまったく無視されている、という事実。

◆最近温暖化防止の省エネがよく宣伝されるけど、まず日本中にあまねく分布して汚い町をますます汚くしている自動販売機を一掃したらどうだろう。それぞれに結構電気を使っているはずで、日本中合わせればそれだけで原発一基分ぐらいの電力を節約できるだろう。自動販売機一掃運動、誰か始めてくれないか。

◆話は飛ぶけど、町田康が布袋寅泰に殴られて警察に被害届けを提出、というニュースには驚いた。町田康ってそんな程度だったのか。殴った殴られたなんていうのは文士の間ではいくらでもあるし、ミュージシャンならもっと多いはず。学校で先生にいいつけるみたいな町田康は最低。

◆山口県で起きた母子殺害事件で当時少年だった被告の裁判が注目されている。被害者の夫はヒステリックに死刑を求め続け、マスコミもこれを支持する論調だ。安田義弘弁護士を始めとする弁護団はまるで悪者扱いだが、ぼくは死刑に反対する立場を堅持しようと思うし、マスコミ報道には否定的だ。

<スポーツ観戦>

◆相変わらず横浜ベイスターズを応援してるけど、前半にはやや希望が持てたが、このところはもう絶望的。快速160キロのクルーンまで打たれるようになって、一体どうしたらいいんだろう。いい選手をどんどん手放す球団運営に問題あり、と思ってる。

◆そんなベイスターズを応援にはるばる横浜までいってきた。久しぶりの横浜スタジアムはしかしよかったなあ。新しいドーム球場とは違って観客席とグランドが近いから、前の方の席に座ると本当に目の前でプレーが展開する。内野席にはネットがなくて、臨場感満点だった。この日は中日戦だったけど快勝しましたね。横浜のシューマイは少年時代の味がした。

◆ラグビーのワールドカップがいよいよ開幕。といっても参加国の中で日本はおそらく最下位だと思う。それはそれで仕方のないことなのに、無理矢理盛り上げようとする放送にはしらける。初戦の対オーストラリアは91対3というこれ以上ない、という負けっぷりだったが、「すごいタックルです!」「日本のディフェンスは本当にすごい!」みたいなことばかり叫んでいる。「ディフェンスがいいからトライは端ばかりだ」だって。

◆スポーツ中継のナショナリズムには本当に辟易するし、なるべく見ないようにするけど、ラグビーぐらい冷静にやってくれないかなあ。世界最弱だっていいじゃないの。中継の第一声が「日本の皆さん!共に闘いましょう!」の絶叫だから困る。「日本のみなさん魂を送って下さい!」なんて、まるで戦時中の一億火の玉みたいだ。

◆日本のラグビーは鎖国した方がいいかも知れない。国内でやってる分には結構おもしろいし、高校、大学、社会人の各リーグを楽しく観戦できる。国際試合になると必ず負けるし、その割にナショナリズム放送になるからいけないのだ。「ジャパン!ジャパン!」とくりかえすけど、監督もコーチも外人だし出場選手も主要ポジションは助っ人外人なんだから可笑しい。

◆いっそ全部お雇い外人でチームを作ればどうだろう。5人だ6人などと小さいことをいわずに全部外人の日本代表にしてしまう。各国の有力選手を金の力で思い切り集めて「ジャパン」にすれば、少なくとも予選は突破できるだろう。監督だけ日本人にして、「平尾ジャパン」とか「向井ジャパン」と勝手に呼べばいい。この外人チームを「ニッポン、チャチャチャ!」と応援する「国辱的ナショナリズム」のアイロニー。見たいなあ。

<読書その他>

◆春に目的地変更をしてしまったボルネオが再度浮上してきて、もう一度関連書を読み始めた。今回は大作がふたつもあって大変。そのひとつは息子から回ってきた『ドードーの歌』上下巻。合わせて900ページの大部で、テーマは「島の生物地理学」。話があちこちに飛ぶのでついて行くのに苦労するが、冒頭のあたりでマレー諸島とA.R.ウォーレスが出てくる。

◆ウォーレスはイギリスの生物学者ないしは標本商のような人で、バリ島のあたりにある「ウォーレス線」で名前を残している。北海道と本州の間にあるブラキストン線のような生物学的な境界線のことだ。ウォーレスはまた「ダーウィンに消された男」ともいわれている。進化論を独自の実践的な立場から考え、それを手紙で全部ダーウィンに提供した。追い越されそうなダーウィンは大急ぎで『種の起源』を書いたが、ウォーレスのことには一切触れなかった。ダーウィンはインチキだ、と『ドードーの歌』はいっている。

◆ダーウィンは上流階級の人だったが、ウオーレスは中産階級だった。ウォーレスの友人にベイツという人がいて、ふたりは最初アマゾンで動植物を集める。ベイツは「ベイツ型擬態」という名前を残しているが、ウォーレスは後にアジアに転じた。

◆そのウォーレスが書いたのが『マレー諸島』で、翻訳が出ている。これがまたすごくて、上下二段組で700ページ。この地方に長く滞在し、周辺を旅したウォーレスの記録だ。ボルネオ旅行のようなタイミングがないと読めない本だから、この機に読破してやろうと思っている。

◆ボルネオ旅行は10月の終わり頃に予定しているが、旅の相棒は小学館の宮川君。長年の友人だが彼の専門は蝶だ。ぼくは鳥で彼は蝶。専門は違うがなにしろ残された最後の熱帯雨林だ、鳥も蝶もきっといっぱいいるに違いない。そう勝手に決めて出かけることにした。

◆といっても今回はごく短い旅なので、「これはあくまで偵察旅行ね」ということにしている。オランウータンを始めとした熱帯の動植物鳥類昆虫は虫類の諸君にざっとご挨拶をして回り、次回に備えよう、という作戦。宮川君はなかなかの読書家でありインテリだから楽しいのだが、早くも「昆虫商の話なら『補虫網の円光』というのがありますね」などとまたひとつ課題図書を示すのであった。


 さてさて、夏の喧噪が一段落したわが農園であるが、これから冬に向かって仕事がいっぱいある。北ではこういう風に季節に追われるので周囲はいつもきちんと片づき、整然としているのだろう。季節の重心は圧倒的に冬にあって、だから暮らしの重心もそこに置かざるを得ない。夏の余勢をかってもうひと働きし、冬に備えよう。
 ブルベリー園の冬囲いが終わる10月末、赤道直下に出かけてオランウータン君と会おう。オランは人、ウータンは森のことらしい。一頭、二頭ではなく、一人、二人と数えるのだそうだ。


藤門弘北海道通信5月号

 年が明けたと思ったら2月3月とあっという間に過ぎていって、おいもう春だぜ、なんていってたら連休になってしまった。もしかしたら地球の自転が早まってるんじゃないかと思うぐらい毎日が早く過ぎていって、この分だともう来年あたりには80歳、数年後には百歳になるかもしれない。ああ恐ろしい。
 というわけで月日はどんどん過ぎていくんだけど、なにがあったのかちょっとだけ記録しておきたい。ものすごく暇な人がいたらつきあって下さい。

<アメリカの3月>

 3月は長い冬が一段落する季節であり、息抜きにちょっと旅行にいく月だと決めている。
 去年は次男とオーストラリアで野鳥見物をして、それが結構楽しかったので今年もその線で旅行をしようと思った。それぐらいのことに申し訳ないのだが、相談相手は動物写真家の島田忠さんで、彼の勧めてボルネオを今年の目的地と決めた。どこかにいくとなると関連本をまとめて読む習慣なので2月頃からボルネオ本をいっぱい読んだのだが、旅の相棒が長男有巣君に決まったあたりから目的地が移動し始めて、結局アメリカ西海岸になった。どうしてボルネオがロスアンジェルスになったのか、理由は今になるとよく分からない。
 熱帯のジャングルにわけいって珍獣珍鳥を観察する、という路線からサンタモニカビーチで美女を見物する方向へ転じたわけなので、どことなく後ろめたい気がしなくもなかったのだが、いざいってみればもうそんなことはすっかり忘れて久しぶりのロス滞在をすっかり楽しんだのであった。

 大きな車でゆらゆら走ろうと思ってリンカーンのタウンカーを予約したのに、それが用意されていなくて、高級な車がいいんだろう、それならこれよ、と日本の車を押しつけられることになり、最初からちょっとつまずいた。燃費の悪い古典的大型車に乗る、というのはちょっとしたしゃれなんだけど、アメリカ人には理解されない。
 そのかわりホテルはうまくいって、3部屋にキッチン付きというそのまま住んでもいいようなスペースを確保。おまけにこれがサンタモニカの中心地で、モールへも海へも歩いて5分という場所だ。
 という滞在先と車を用意して、ではなにをするかというと実は特にするべきこともない。今日はこっち、明日はあっち、という具合の物見遊山であり観光客でありお上りさんであるからもう実に天下太平で、勤勉に働く日本の皆さんには申し訳ないぐらいのものである。
 ひとつだけあった用事らしきものも、次に購入する車を下見する、という結構な用件であって、トヨタのディーラーを訪ねて新型のピックアップ・トラックを見せてもらった。しかしその成果はあって、やはりトヨタはやめることにした。新型タンドラは性能はともかく顔がブタなのである。
 あちらこちらへドライブしたのだが、驚いたのは車がやたらとクラクションを鳴らすことだ。初めてアメリカで車を運転したのはもう30年も前のことだが、そのマナーの良さにびっくりしたものだ。それがどうだ、いまやまるでアジアの国にいるようなクラクション、アメリカ社会も変化しているのだろう。ロスが車社会の典型的都市だということもあるかもしれない。

 サンタモニカのフィッシング・ピアで釣りをした。ずっと昔にひとりで毎日釣りをした場所で息子と糸を垂れるのにちょっとした感慨がある。釣れる魚にも見覚えがあり、ピアの下にいるペリカンも昔と同じ顔をしている。変わらないということはとてもいいことだとしみじみ思うのであった。

<選挙の4月>

 アメリカから帰るとすぐに選挙の準備が始まった。
 4年に一度の統一地方選だが、村会議員二期目の選挙だ。4年前に村議になってから初めての選挙だからこの間の仕事について村民の信任を問う大切な機会だ。そう思って緊張したのだが、なんのことはない議席以上の立候補届出がなくて、結局無投票当選ということになってしまった。
 後でいうのもなんだけど、実は選挙結果にかなり自信を持っていたから、この成り行きは正直とても残念だ。思い切り票をいっぱい集めて、さあどうだ!と議会に乗りこんでやろうと思っていたのに。
 無投票にはなったけど、選挙活動も当選祝いも型どおりにやった。「藤門弘後援会」があって、ここの幹事さんたちに連れられてあちこちに挨拶に回るのである。前回よりずっと好意的に迎えられ、激励されて大いに嬉しく思った。 
 当選祝いには後援会や近所の人たちがたくさんきてくれてありがたかった。4年前の目玉を再び白くしたダルマに目を入れたし、流儀どおりに万歳もして、まずはともかくめでたいお祝いである。奥さんたちがお赤飯を炊いてくれ、久しぶりに大宴会を楽しんだのであった。
 さてこれでまた村会議員、村のため、村民のために働かなくっちゃ、と決意を新たにしているところであーる(村議口調)。

 ところで今年の冬はとんでもなく暖冬だったのだが、3月頃からちょっと妙なことになって、案外に気温が低く、風もかなり冷たかった。そんなおかしな気候だったから、この調子なら4月には一気に春めくのだろうと思ってたら、案外そうでもなかった。
 ブルベリー園の仕事が選挙で遅れるかな、と心配していたらちょうどいい具合に選挙・農作業と連結できることになった。
 冬囲いを外し、剪定をし、さし木をし、これから肥料撒きを始めるところだ。雪が消えると仕事が次々あって日々大忙し、このまま秋までひとつながりのアウトドアライフですね。

<感想あれやこれや>

◆がんばれベイスターズ
 横浜を故郷とするので野球はベイスターズを応援しているのだが、どうしてか今年は強くてとうとう2位に浮上。なにかのはずみで一位という日もあったりでいささか不思議でもある。というのは、横浜はいい選手をどんどん放出してしまって、当然戦力は年々落ちているからだ。今年も多村を出してしまって、横浜高校出身のすごくいいバッターなのにもうぼくなんかすっかり怒ってしまったのだ。中日にいるウッズもどうして手放したのか分かんない。
 という不思議なベイスターズの意外な健闘を大いに楽しむ今日この頃。

◆変なCM、イヤなCM
 地上波ではベイスターズの中継はほとんどやらないから、試合の中継はCSテレビで見ることになる。というかぼくはもうCS以外は見ない習慣なんだけど、ちょっと困ったのはCMが同じものの繰り返しだということ。横浜戦の間中「ぶるぶる燃焼ベルト」のCMにずっとつきあわなくちゃならないのはちょっと苦痛。
 燃焼ベルトは我慢するとして、やだなーというのもいくつかあって、あの「公共広告機構」というのは一体なんだろう。わざとらしい公共マナーを正義ぶって広告しないでもらいたいなあ。
 それと新聞なんかにも時々出てる中年用の強壮剤のCM、変なあんちゃんの顔がアップのやつ。あれは誰なのかしら。もしかしたら人気のある俳優なのかもしれないけど、あれもいやだなー。
 すぐにやめてしまったけど、公共広告機構の飲酒運転はやめようCMはひどかった。子供とか奥さんとかが泣きながら飲酒運転で事故を起こした父親をなじるやつ。あれは歴史に残る最悪CMだと思う。同じようやつで、両親が子供に勉強しろーと叫ぶやつ。そうするな、ということなんだろうけど、これも最悪。
 
◆鳥が少ないけどどうしたんだろう
 5月の連休頃といえば一年で一番野鳥が多く見られる時期で、いつもわくわく暮らすのに、今年はちょっと様子が変だ。各野鳥を最初に見た日を記録しているんだけど、今年は本当にまだ少なくて、おおげさにいうと去年の半分ぐらいしか見てない気がする。
 村の自然観察会では毎年5月の最初に探鳥会をやる習慣なのだが、今年はどれぐらい鳥が見られるのか、ちょっと不安だ。
 そのかわり、冬の間にしっかり位置確認をしておいたオオタカの巣を日々観察していて、ここを利用する一組のオオタカと毎日顔を合わせている。ちょうどいま抱卵中なのだが、ヒナがかえる頃には木々の若葉で見えなくなりそうだ。

◆春の農作業
 ブルベリー園の肥料撒きあたりから始まってずっと農作業の毎日を送っている。ついでに家庭菜園もやっていて、ルバーブの移植、アスパラ苗の定植、各種ベリーの定植などに忙しい。
 こういう農作業の時もポッケには双眼鏡が入っていて、気配を感ずると突然上空のタカを見たりするのである。トラクターで畑を耕すとミミズなんかが地中から出てきて、それを狙って鳥たちもやってくる。セキレイに混ざってアカハラがいるな、と思っていたらこれがマミチャジナイだった。あわててトラクターを止めて、しっかりと観察をした。
 こういうことがあるから春の農作業は楽しいのである。

 
 

藤門 弘北海道通信07年1月号

 皆さんいかがお過ごしですか。
 本年も「北海道時々通信」をどうかよろしくお願いします。

<暖冬は嬉しくない>

 2007年最初の日、元旦の朝に寝不足の目をこすりながら玄関ドアを開けると、いきなり目の前に小型猛禽のハイタカがいて、あの爛々炯々とした鋭い目でこちらをにらんでいる。いきなりでびっくりしたが、玄関先のエサ台にくる鳥を狙ってのことらしい。元旦早々猛禽の凛々しい姿に出会うなんて、なんだかとてもめでたいような気がするし、きっと今年はいいことがあるぞ、なんて手前勝手に解釈してフヒフヒと喜びながら一年最初の犬散歩をしたのであった。
 
 それにしても雪が少ない。昨年12月以来ずっと暖冬で、正月も一応かっこうだけは積もっているものの、道路なんかもう夏と同じで雪用のタイヤをはいているのが申し訳ないぐらいのものだった。雪が少ないとなんだか気持も締まらなくて、ゆるゆるとだらしない年末年始であった。
 息子2名が帰宅して、深夜まで連中とわいわい騒いでいるからいきおい朝が遅くなるし、食事になると連中がいっぱい食べるので、ついこちらも大食になる。食べて寝て騒いで、というのを通常の数倍の濃度で一週間もやると、やはりちょっとバカっぽくなってきて反省。

 やはり冬は雪が積もって、きりきりと大気が引き締まっていてもらいたい。そういう緊張した空気の中で迎える新年、初日の出に、一家横一列になってパンパンと手を合わせるような、そういうのが理想。なんちゃって、これまでに一度もそんな正月を迎えたことなくて、ふり返ってみればいつも同じように一家で冗談三昧、ずっとふざけるみたいだ。
 今年感じたのは息子ふたりがどんどん大人になってきて、連中の情報量が多くなったという事実だ。連中がくりだす話題も結構多岐にわたるし、そこを起点とした冗談雑談大笑いというのが増えてきた。そのうち会話の速度についていけなくなって、黙って笑っているだけ、というような事態になるのかも知れない。すごく恐ろしいけど大いにありうる。
 年が明けて息子たちはそれぞれ26歳、23歳になるのである。いやはや。
 
<ラグビーの季節だけどさ>

 秋から冬にかけてラグビーの季節になるので、週末はどうしてもテレビの前にいることになる。
 高校ラグビーは年末年始に集中的にあったが、北海道からは山の手高校が出場した。山の手高校のラグビー部には赤井川村出身の伊東君がいるのだが、入部したての1年生なのでまだ出場できない。お兄ちゃんも同じ山の手のプロップだったが、3年の時に花園にいった。ぼくはふたりの後援会長だけど、会員数はまだゼロ。
 残念ながら山の手は初戦で萩工に敗退。それも34対0と完敗だった。残念。

 大学ラグビーは今年こそ、と関東学院の応援に力が入る。ぼくは小学校が関東学院、大学が早稲田(編入の中退だけど)だったからどちらにも縁があるのだが、この両校対決はどうしても関東学院を応援したい。関東の直線的に前進する力のラグビーが好きで、伝統的にセコい早稲田のラグビーが嫌いなのだ。
 今年の早稲田はいつにも増してセコく、ハーフとスタンドオフのふたりのちまちまプレーでずっと勝っている。早稲田の姑息ラグビーが学生ラグビーをダメにしているのではないか、とすら思うので、なんとか関東学院に粉砕してもらいたい。というのはもちろん少数意見で、世の中では早稲田は巨人軍のような位置にいて、圧倒的な人気なのである。
 さてどうなる、とCS306チャンネルを見ると、嬉しいことに実況が土井ではなかった(注1)。更に嬉しいことに前半から関東が圧倒的に強くて、結局早稲田を散々に打ちのめしたのであった。
 関東の当たりの強さが早稲田の姑息さを押し切って、圧勝といっていい勝ちっぷりだから、もう痛快無比、やんやと手を打った。途中で例の「クイック・リスタート」(注2)で反撃されたけど、ともかく久しぶりの関東学院学生王者である。めでたい正月なのである。

注1.CSのJスポーツにいる土井壮なるアナウンサーは最悪なのである。ついでにいっておくと今泉なる解説者も最悪なのである。ふたりそろうと最最悪。それぞれ話せば長いので、ひとまず結論だけ表明。
注2.ペナルティがあった後、いきなりゲームを始めることをこういうのだが、相手の体制が整う前に攻めようというその根性ぞ卑しくいと嫌い。早稲田の得意技だが、ルールとして禁止すべきだと思う。
注3.関東学院圧勝は95%嬉しくて、残りの5%はちょっと微妙。なぜかというと去年までの早稲田監督清宮が辞めて、それで弱くなったというのが悔しい。清宮新監督のサントリーが今年は強いのだ。
 
<冬も鳥見でニコニコ>

 去年の秋遅く、庭にやや大きめの鳥がやってきた。6羽ほどの小群だが、見てすぐにぼくはスコープを取りに走った。その数日前、散歩の時に同じような群を見ていて、双眼鏡でそれがヒレンジャクかキレンジャクであることが分かったからだ。その時は遠くてどちらなのか識別はできなかった。
 わが家に庭にレンジャクがくるのは初めてのことだ。スコープをセットしてのぞくと、なんとこれがヒレンジャクであった。その赤のなんと美しいこと。なんと効果的な配色であること。黒の過眼線がぐっと上に伸びて冠羽に至るあたり、実に見事なのである。
 シラカバの枯れ枝に止まるヒレンジャクをしばしうっとりと眺めたのであるが、実に眼福、といいたい時間であった。

 年が明けて最初の朝にハイタカと対面したわけだが、このハイタカ君(オス)はその後も時々エサ台にやってきて、小鳥を狙っている。必要量は一日にスズメ3羽、と読んだことがあるが、ちゃんと食べているんだろうか、心配だ。去年北海道ではスズメの大量死が話題になったが、わが赤井川村では反対にスズメが増えている気がする。
 1月3日の昼に、庭に見慣れない鳥が4羽いた。またまたスコープを取り出して見ると、これがウソだった。驚いた。ウソはいつも桜が咲く頃に見る鳥で、まさか冬に出会えるとは。オスメス2羽づつだったが、胸の赤からするとアカウソかベニバラウソのどちらかのはずだ。
 暖冬の異常気象がウソをわが家に招いたのだろうか。予想外の鳥に会えるのは嬉しいが、しかしこうした気象の異常は結局生き物の暮しを圧迫することになるのだろう。

<日の丸君が代>

 めでたい新年から国旗国歌問題を論じようとは思わないのだが、新年になるたびに村の行事でこの両者に対面させられるので困る。
 消防の出初め式、成人の日のふたつは新年早々に開かれて、これには村議が出席することになっている。どちらもあいまいにやり過ごすことにしているのだが、気が重いことには違いない。
 成人式の国家斉唱というのに打ちのめされて家に帰ると、息子が忌野清志郎の歌う「君が代」を聞かせてくれた。発売禁止になったというこの「君が代」はなかなかの名曲だし痛快でもあった。いや、これぐらいはやってもらいたいよね。ずっと昔、野球の日本シリーズ開会式(多分)で郷ひろみの歌った「君が代」がベストだと思ってたんだけど、確信犯の忌野清志郎にはかなわない。
 いつも不思議に思うんだけど、積極的に国歌を歌おうという右よりの皆さんはこの歌を一体どう思ってるんだろう。名曲だと信じて歌ってるのか、ひでえ曲だけど伝統だからしょうがない、と思ってるのか、どうもそのあたりが分からない。そもそも君が代っていうのは、明治の頃に大急ぎで国歌に仕立てた歌でしょ。どうせなら新しい歌を作ればいいのに。
 国威発揚大政翼賛天皇陛下万歳教育勅語復活憲法改定核武装それっ!っていうなら、もっと景気のいい曲を作って国歌にした方がずっと効果的だと思う。あのじめじめした曲は最悪だし、歌詞だっていくらなんでも「あなたの世」っていうのは露骨だから、もうちょっとあいまいにして「美しい日本」とか「国歌の品格」とか、さもどっかにありそうな抽象的なことを歌えばいいと思うんだけどね。
 なんていって、もし新しい国歌や国旗が作られてもまた困ることは困るんだけど。
 
 成人式を見物していて思ったのだが、茶髪に振り袖っていうのはミスマッチですね。いや、日本の伝統に背く、というような意味じゃなくて、和服っていうのはよくいえば色気、悪くいうとどこかにワイセツな部分があるように思うんだけど、それに茶髪が乗ると更に強調されて、かなりいかがわしく見える。どちらかやめといた方がいいんじゃないだろうか。
 そう見るおまえの目がワイセツなんであるという非難はあまんじて受けるけど、でもやはりちょっとまずい気がする。などというと、息子たちはよく「そんなの普通だよ」というような擁護意見を述べるけど、彼らの普通はやはり現代日本の普通であって、たとえば国際水準のようなものからすれば今の日本の風俗習慣は相当におかしくなってると思う。息子たちもそろそろどこかへ留学などして、「世界水準の普通」を獲得する必要があるのかも知れない。
 
<相変わらず乱読>

 正月に一家があちこちから全員集合をしたわけだが、それぞれ移動の途中に読む本をカバンに入れてくるから、終点のわが家には本が集合することになる。皆さんから読み終わった本をもらい受けた。
 人の本を読む、というのはちょっとおもしろい経験だ。自分ではまず買わないような本と会って、いきなり目が覚めるような気がすることもあるし、よくこんなの最後まで読んだな、と思うこともある。いずれにしても人の本は、狭く固定しつつある自分の世界をちょっとだけ広げてくれるような気がする。
 たとえば、今年の正月に初めて読んだ作家にたとえば島田雅彦がいる。この人はずっと前にアリス・ファームに遊びにきたことがあり、少しだけお話もしたのだが、というより、お話をしてしまったから、かも知れないが、その作品はひとつも読んだことがなかった。
 その島田雅彦の『溺れる市民』という本が食堂の棚にあったのを見つけて、なんとなく読んでみたら、これが結構おもしろい。有名な作家なのだから、水準以上であるのは当然なのかも知れないが、なるほどこういうのを書く人なのかといまさらながらに感じ入って、すぐに次が読みたくなった。そこで適当に選んでいくつか注文をしてみた。届いた数冊をこれから読むところ。楽しみだ。

 中島義道という人をご存知だろうか。哲学者なんだそうだが、以前『うるさい日本の私』という本を読んでとてもおもしろかった。たしかに日本はとてつもなくうるさいのであって、それに一々抗議して歩く著者に拍手、というような本だった。その人が今度は『醜い日本の私』という本を出したので読んでみた。前著ほどではないけど、十分同感できる。日本の町の汚さ、特に電柱電線が入り乱れ、看板のぼりが乱立する商店街のひどさは世界に例をみない猥雑さだ。それをかえっておもしろがるという「一般的な逆説」をとらずに、正面から抗議するところでこの著者はユニークだと思う。
 ついでに何冊か取り寄せて読んでみたが、あまりヒット作はないようだった。しかし、同じ怒るならぼくみたいにぶつぶついってないで、この人のようにそれを「芸」にして売り出すぐらいやるべきだな、といささか反省もしたのであった。

 いまさらだろうが見沢知廉の『天皇ごっこ』はおもしろかった。同時代の人じゃないのに、三里塚のことなんかすごくよく知ってる。しみじみ昔を思い出す甘美なひとときだった。いいのほっといて。
 ナンシー関なきあとの空白をもしかしたら埋めてくれるかと期待するのが小田島隆。似たような名前の殺人犯がいて、とばっちりでなぜかぼくも取り調べを受けたので困るのだが、小田島隆の方ね。『テレビ標本箱』を一読、支持する。ただしぼくは地上波のテレビを見ないので、具体例はあまりよく分からない。
 泉麻人という人はテレビで一度見たことがあるけど、差別用語を避けると「身長が不自由な人」なんだなあ、という印象だった。書くものも身長と同じみたいで、「デスクトップ型のパソコンを新幹線の座席でさりげなく叩きながら」だって。デスクトップ型のパソコンを新幹線に持ちこむのは結構大変だと思うけど。
えっ?どうせぼくは「髪の毛の不自由な人」ですよ。
 
 昨年末、自然番組を作る映像作家の嶋田忠さんにボルネオ行きを勧められた。
 昨年のオーストラリアに続いてパプア・ニューギニアと思ったのだが、3月はまだ雨期らしい。それよりもボルネオがいいですよお、とのお勧めを受けて、以後すっかりその気になっている。野鳥だけでなく、オランウータン君を始めとする各種野生生物がいまなお豊富なのだそうだ。
 拠点になるのはボルネオ島北部にある、あの有名なサンダカンという都市だ。そこで、ずっと昔の『サンダカン八番娼館』を書庫から掘り出して再読してみた。相変わらずの名作だし、最初に読んだ頃のことも思い出すしで、なんだかしみじみとなった。ついでに『サンダカンの墓』も読み、自然ガイドのようなものも読み、いまや気分はすっかりボルネオになっている。
 さて、今年の春休みはボルネオへ鳥見物ということになるのだろうか。
   
 さても相変わらずの新年なのであります。
 

藤門弘北海道通信06年11月号

■憎っくきはスコット

 この虫やーねと君がいったから 10月10日はカメムシ記念日

 これはもう恒例のことだし人里離れた所に住めばいやおうなしに対面しなくてはならないのだが、カメムシなるこの昆虫には本当に参る。
 毎年秋になると連中は越冬場所を求めて人家にやってくる。本来は山の中で木のウロかなにかで越冬していたのだろうが、人家があれば安全で暖かな隙間も多いからこちらを選ぶのだ。それが100や200なら笑って見逃してもいい。1000や2000ならまあ大目に見ないこともない。しかしこれが1万、2万となるとちょっと大変だ。ましてや10万単位になるとほとんど災害に近い。
 ただ虫が家の中に入ってくる、というだけならまだいいのだが、この虫がそれぞれ強力な噴射液を持っていて一匹だけでもすごい臭いなのである。

 カメムシというのは裏返しになると起きあがれないからそう呼ぶのだそうだが、ヘクサムシなどと呼ばれることもある。カメムシは半翅目という目に属しているが、そもそも半翅目はカメムシ目とも呼ばれるぐらいの繁栄ぶりだ。セミやアメンボなんかもこの目に属している。
 カメムシは種類が多くて農家では稲の害虫として知られるが、わが家で問題の災害カメムシはほとんど「スコット・カメムシ」である。カメムシ学者のスコットさんを記念してつけられた名前だそうだが、なにがスコットよ、といいたくなるのである。
 例年10月10日あたりが連中の攻撃日なのだが、今年は12日に第一波があり、その後18日になって第二波が押し寄せてきた。見たことがない人にはちょっと説明のしようがないのだが、この集中攻撃の日に建物の外に出ると体中にカメムシが飛びついてくるわけで、それはそれはすごいもんなのである。日当たりのいい白い壁なんていうのがあると、そこにはもうびっしりとカメがはりついている。アスファルトの道は歩くたびにビシビシとカメ踏みの音がするのである。

 秋になっても気温が下がらないので今年はいつにも増して今年はカメムシが多いのだが、困ったのはホテルだ。なにしろお客さん商売だから建物の中にぞろぞろとカメムシなんかが歩いていてはまずい。まずいと思って建物内外から対策を講ずるのだが、薬品を撒くのは昨年で懲りたので結局掃除機で吸い込むしか方法がない。しかし敵もそうやすやすと吸い込まれるわけではなくて、細かな隙間に入りこんで難を逃れようとする。内外5台の掃除機がぐおんぐおんと作業をして、それでもまだカメムシはホテル内をうろうろするのである。
 なんでこんな虫がいるのよ!と怒って帰る客がとうとう出現して、まあそういわれれば謝るしかないのだが、こういうのは一体誰が悪いんだろう。来年から10月はホテルをお休みにしようか、なんて相談中なのである。
 にっくきスコットめ!
 
■誰もなにもいわないけど 10月20日は紅葉記念日

北海道の紅葉はどちらかというと黄色を重心とした配色になっていて、それはそれなりに見事だ。日光や京都あたりの赤中心の紅葉とはちょっと違った北の色だ。アラスカもシベリアそうだったから、北にいくにしたがって紅葉は黄色くなるんだろう。
 紅葉は気温が急激に下がった時にきれいなのだそうだ。今年の秋はいつまでもだらだらと暖かいから、どちらかというと紅葉の当たり年ではないそうだ。とはいってもあたりの山もわが家の庭も、それなりに見事な配色で、朝夕の散歩はしみじみしたものになる。山道を歩くとしゃりしゃりと落ち葉を踏む音がして、心に染みるのである。もっとも、一緒に歩く犬どもはそんなつまんないことは全然思わなくて、気温が下がった分動きやすいらしくてあちこちいつにも増して元気に走り回っている。

 秋の初めに村の仲間たちと木の種を集めて回った。山の木の実を植えて苗を作り、それを村のあちこちに植えようじゃないか、というプロジェクトだ。これまで植林というと、どこからか苗木を買ってきてそれを植えていた。それはそれで悪いことじゃないのだが、木にもそれなりにDNAがあって、村の木は太古の昔からそのDNAを受け継いできているわけだ。余所から持ってきた苗木を植えるとその系譜を乱すことになるわけで、本来の林とはちょっと違ってしまう。
 そこで、昔からあった木の種を苗にして、大昔からの血統を引き継ごうということになった。最初の年なのでうまくいくかどうか分からないけど、いまわが家の温室には種をまいたプランターがずらりと並んでいる。 辺境のおじさんたちがやるクラブ活動もこれでなかなか活発なのである。

■乱読の日々

 きっかけは『文学賞メッタ斬り・リターンズ』なる本を読んだことにあって、これはタイトルどおり世にある文学賞をなで斬りにした本の続編で、前作同様かなりおもしろい。末尾に各文学賞の受賞作とその寸評がまとめてあり、採点までしてあるから大変便利な本なのである。
 この巻末の寸評を読みながら、次々とアマゾンへ本を注文した。その数およそ30冊、届いた本を片っ端から読みまくり、今年はちょっとおもしろい読書の秋になった。
 名前は知ってるけど読んだことのない作家、全然知らない人、読んだことはある作家だけど未読の作品、などなど。たとえば。
 阿部和重、金原ひとみ、松尾スズキ、絲山秋子、森見登美彦、江國香織、森絵都、東野圭吾、川上弘美、岩井志麻子、横山秀夫、奥田秀朗、舞城王太郎、綿谷りさ、町田康など。
 いやおもしろかった。受賞作だから当然ながらどれも文章がものすごくうまくて、どんどんと読んでしまう。何作か途中で投げ出したものもあるが、それは例外できっと相性が悪かったんだろう。

 昔からずっと文学作品というのは先輩、大先輩が書いたものをうやうやしく読むものだった。それが同世代の作家の作品になってやや気軽になり、とうとう自分よりずっと若い作家とつきあうようになった。文学からブンガクへシフトしてきたせいか、読書におけるお勉強感が希薄になってきて、CS放送で映画を観るぐらいの感覚になっている。
 それはともかく、受賞作第二弾の30冊を注文するところなのだが、これとは別に候補作もあるから3回目の注文もできそうで、これから冬にかけて本がいっぱいで幸せに暮らせるだろう。
 「趣味は読書」の人、『メッタ斬り』はお勧めです。

■ブルーベリーの秋

 このところずっとブルーベリーの専業農家になっているわけだけれど、近年急に「日本ブルーベリー協会」と親密になってきて、とうとう「理事」といういう役をいただくことになった。そのブルーベリー協会のシンポジウムが東京で開かれ、「事例発表」というのをやってきた。
 プロの栽培家相手にぼくなどがあまり大きなことはいえないのだが、村でやってくれたスプリンクラー設備については思い切り自慢しておいた。同じく国営の潅漑設備を使った鉢栽培の給水設備も、どうですすごいでしょ、と紹介した。どちらもぼくが偉いわけではなくて、公の予算と村の担当者のおかげだ。
 ひとつだけ、ブルーベリーを鉢で栽培して冬に鉢ごと横倒しにする、というのは自分のアイディアで、これは豪雪地帯でのブルーベリー栽培技術としてちょっとおもしろいと思う。実験は3年目に入っているのだが、これまでの例だとまずまず成功している。これは本気で自慢したい。
 ところで、シンポジウムの事例発表は演台の後にあるスクリーンに写真を写しながらやるのだが、いまやこういう時にスライド映写装置などは使わないのですね。すべてがデジタルの時代だから、パソコンのデータがそのままスクリーンに写し出されることになっていて、そのあたりに無知なぼくは危なく恥をかくところだった。
 最近はぼくもデジタルの写真を撮るようになっていて、データはパソコンに入っている。しかしそれをスクリーンに写すのに必要な「パワーポインター」はその存在さえ知らなかった。東京にいく直前に村役場で話していて、それなら、ということで若い職員が発表用にパワーポインターのデータを作ってくれた。おかげで人並みにスクリーンが使え、なんとか格好をつけることができたのであった。
 スプリンクラーもパワーポインターも村役場のおかげ。こういうことがあるから町村合併には断固反対なのである。

 北海道に帰ってからずっとブルーベリーの冬囲いをやっている。鉢は倒せばいいのだが、露地植えのブルーベリーが4000本も並んでいる。ひとつずつ縄で巻上げた雪に備えるのである。
 11月に入っても今年はなんだか穏やかな毎日で、作業をするにはありがたい気候だ。暗い空の下でミゾレなんかが降ると死にたくなるのだが、今年はなぜか11月が優しいのである。
 がしかし、もう冬はすぐそこまできている。雪が少ないとか暖冬だとかいわれるけど、予報は長期になるほどあてにならないから、信用しないでおこう。
 もうすぐ白銀の世界が始まる。



藤門弘北海道通信06年 9月号

 いや今年の夏は暑かった。毎日毎日もう滅茶苦茶暑くて、日中はいつも30℃にもなり、四六時中ウチワでバタバタしながら暮らした。こんなんなら北海道で暮らしている意味がないじゃないか!と八つ当たり気味に怒るが、そんなこといったて解決にはならない。
 電動のウチワを扇風機と名付けたのは誰か知らないが、残念ながら電気がないと動かないので畑仕事には向いていない。8月はずっとウチワ片手のバタバタライフを続けた。
 
北海道暮しもずいぶんになるけど、夏の夜、窓を開けたままで寝るのは今年が初めてじゃなかろうか。
ブルーベリーの選別所で使う扇風機を自室に運んで、風呂あがりはこれと向き合い、するとなんだかもう琉球方面にでも暮らしているような気分になる。これってやっぱり温暖化の影響なんだろうか。
 そういえば最近北海道の米が評価を高くしているのだそうで、それはやはり気候の温暖化の効果なのだそうだ。だからといって喜んでいるわけにもいきそうもなくて、たとえばこれまでいなかった害虫や病気なども北上してくるように思える。こんな短期間での気候の変化なんてやはり異常なことなのだと思う。

 がしかし、夏は8月で終わりだ。
 9月1日からきっぱりと秋になるので、気温がぐんと下がり、空気は再び北国の緊張をとりもどし、ぼくはようやく元気になって外のお仕事に励むのであります。

■ブルーベリー園おおにぎわい


 今年の夏は高温に加えて干ばつがあり、なにしろ7月末からおよそ3週間、一滴の雨も降らなかった。雨が降らないと雑草の生育が遅くなっていいのだが、肝心の作物まで育たなくなってしまうから大変だ。
 わがブルーベリーはことのほか水を好む植物なのだが、どっこいわが家にはスプリンクラーの設備がある。コックひとつで園全体にシャバシャバと水を撒くことが可能で、今年は実にこれが大活躍であった。

 ひと区画に100から120トンの水が撒かれるようにセットし、それが終わると次の区画で同量の散水が始まる。どうしてそういうことができるのか分からないが、電気を使わずに全部オートマチックなのだ。
 太陽がジリジリ照りつける日中は避けて、概ねいつも夕方に散水を始める。逆光に見るブルーベリー園とスプリンクラーの散水は誠に見事な光景で、ひとりうっとりと自らの畑を眺める。100トンづつ2区画の散水は深夜になってようやく終わり、ブルーベリー園は朝日にキラキラと水滴が輝くのである。

 7月の終わり頃に北海道のテレビ局がやってきてブルーベリー園の紹介番組を作ってくれた。これが大反響で翌日からどんどこと人がやってくる。8月1日につみとり園をオープンしたのだが、あまりにお客さんが多くて実の成熟が追いつかなくなってしまった。
 やむをえず出荷用の畑を一部つみとり園に提供したりして、なんとか混乱を回避したが、「お持ち帰りはひとり500gまで」なんていう無粋なお願いをすることとなった。

 それはともかく、ブルーベリー園の常連さんは犬づれが多くて楽しい。ワンちゃん大歓迎!というぼくの方針が広まったので、結構いろんな犬がやってくる。犬たちが走り回るので、なんだか「ドッグラン」みたいな時もある。小型犬はリードから放す習慣がないらしくて、広々とした園内でもリードつきで歩いている。気の毒な犬たちだけど、紐なし生活の経験がないからそれで当たり前と思っているのかも知れない。

■8月は鳥のシーズンか

 これまで気づかずにいたのが不思議なのだが、8月は鳥の繁殖が終わって幼鳥たちが野山に出てくる季節で、むやみと個体数の多い時期だ。朝の散歩で近くの林を歩くと、あたりにはかなりの数の鳥たちがいて、双眼鏡で見るとどれもこれも同じように見える。オスたちの羽根も地味になってくるし、幼鳥は子供の羽根だからどれも同じように見える。
 毎朝同じあたりにいるのはノビタキ、コサメビタキ、メジロ、シジュウカラなどで、イカルやベニマシコも家のあたりによくくる。あの憎っくきヒヨドリもブルーベリー園を中心に鳴き回ってぼくを挑発する。

 裏山のカラマツ林では今年もオオタカが繁殖をした。7月にカラスどもが攻撃をくり返したので、もしかしたらヒナがやられたかと思っていたが、8月になってヒナが巣立ちキイキイと大声を上げて飛び回るようになった。幼鳥は全体に茶色くて、胸の模様もまだ大きな縦じまになっている。なにより、警戒心が薄くてわが家の庭木に止まってしまったりするから楽しい。幼鳥の様子はいかにも不器用で、これで本当に大丈夫なんだろうか、と心配になるが、おそらくエサになる小鳥たちもまた幼鳥で無防備なのだろう。
 2羽のオオタカがキイキイとあたりを飛び回る嬉しいこのごろである。
 
■今月のこの一冊

 佐藤優の『国家の罠』がおもしろかった。
 権勢をふるった鈴木宗男の失脚、その鈴木と対立した田中真紀子の失脚、伏魔殿と呼ばれた外務省の立ち回り。このあたりの裏話が満載である。
 鈴木宗男の涙も田中真紀子の涙も、野上といったか、いかにも裏で笑っていそうな外務省の役人のおとぼけも、連日の報道でしっかり見物したから映像とともによく記憶している。
 国会で「ムネオ・ハウス」を追及したのは共産党だったと思うが、これは結構おかしかった。NPOの活動を妨害した時は、NPO側が誠実そうだったからムネオはいかにも悪役に見えたものだ。

 佐藤優はこの鈴木宗男に連座して逮捕、起訴されたわけだが、この間の裏事情がこと細かに書かれている。読んでこれまで報道で伝えられた情報がかなり上っ面のものであると知ったのであった。いってみればこの本は一冊全部が起訴に対する反論であって、自分がどのように無罪かを証明しようとする試みである。がしかし、それが全然見苦しくないのは、ひとつにはかなり抑制が効いている、ということ。同時にこの佐藤という個性的な人物のキャラクターに独特な透明性があるからだろう。
 たしかに、佐藤優は個性的だ。自分でいっているように、情報を担当する外務省職員であるよりも学者、研究者である方が似合っているのかも知れない。
 
 逮捕、拘留されてから検察局の取り調べを受けるわけだが、担当検事とのやりとりがとてもおもしろい。どちらも高度に知的なわけだから、小手先のテクニックでは互いをだませない。被疑者対検事のスリリングなやりとりが延々と記録されている。もし自分が逮捕されて検事の取り調べを受けたら、というような設定を思わず想像してしまう。
 一応はいまでも外務省の職員だし、佐藤優は基本的に体制側の人間なのだろう。しかし最近では『週刊金曜日』などによく寄稿していて、結構過激なことをいっている。鈴木宗男と一緒に、ぜひ外務省に復讐してもらいたい。

 佐藤優にはロシアをめぐる新刊『自壊する帝国』もある。

■コイズミからアベへ

 もう政治の話はしたくない、と何度もいいながら日々の報道はやはりずっと見ているし、その都度違う!違う!とひとり反論しているわけだから、とても疲れる。「反保守・反自民」というのは都市ではごく普通の姿勢だと思うけど、北の辺境だとそれをすぐに共産党呼ばわりされる。別に共産党と呼ばれても困らないし、事実『赤旗』も取っているのだが、ぼくは共産党とははっきり一歩離れている。
 それにしてもこの国の右傾化はすごいことになっているのではないだろうか。新首相アベは「核武装化」まで主張した男で、「強力な戦力を持った大国」を目指しているのだろうが、それは戦前の日本がたどったのとまるっきり同じ道だ。強国を目指して始めた戦争に負け、一億総懺悔をして不戦を誓い、蹂躙して近隣諸国に心からの謝罪したはずだった。しかし、コイズミもアベもその歴史がどうしても気に入らないらしい。

 アベの首相としての政治課題は「憲法改定」だそうだ。彼らにとって憲法9条の平和精神はどうしても邪魔な存在なのだろう。「戦争ができる普通の国」になりたい、右派の長いキャンペーンに効果なのか、マスコミにも責任があるのか、これが一部の人たちだけでなく広く世論になりつつあることが怖い。民主党も憲法改定をいっているのだから、選挙の時にどうしたらいいのか困ってしまう。
 靖国問題はもう論外だと思うが、国民の半数が首相の参拝を支持してしまう情勢だ。聞くところによると、特に青年層を中心に国民の考えて判断する度合いが減って、白黒を簡単に決めてしまう傾向が強まっているらしい。だからコイズミのような「ひとこと政治家」のアジテーションに効果があるらしい。それをくりかえし報道するメディアの責任も大きい。

 「格差社会」を作り、「教育改革」で負け組を「いい兵隊さん」に作り上げる、というのがこれからの日本社会の方角なのだろう。総中産階級社会から競争原理の社会への突入はもう始まっているし、その結果としてたしかに「格差社会」は生まれている。そこで作られる希望を失った若者に「愛国心」は具合よくフィットするのかも知れない。事実彼らは圧倒的にコイズミの靖国参拝を支持している。

 ナショナリズムをあおるこういった勢力にどう対抗したらいいのだろう。とりあえず選挙で意志を表すべきだと思うが、ではどの政党を支持するのかむずかしいところだ。
 あまり効果はなさそうだが、ひとまず「社民党支持」を表明したいと思う。


藤門 弘北海道通信06年4/5月号

■オレ?ヒマだよ


 のんびり遊んだ3月のツケがきて4月は結構あわただしい月だった。
 「忙しい」は禁句だからあまり使わないようにしているのだが、つい会話の中で口にしてしまう。人に予定を尋ねられて「忙しい」と答える時は、「あなたを優先しないよ」といってるのと同じ意味なのであって、実はかなり失礼なのではないかと思う。
 だから尋ねられればなるべく「いやあ、ヒマだよ」と答えるようにしている。ところが世の中には全然分かってない人もいて、「ああそうですか、ヒマなんですね」などと答え、「いいですねえ、リタイアでしょ」とかバカな相づちを打ったりするから困る。ダンディズムなんていうのはもう死語なんだろうか。

 「忙しい」が挨拶であり、基準であるこの世の中は実にクレイジーであって、東京のある編集者はぼくに向かって「もうあとはのんびり暮らすだけよね」などと軽蔑の匂わせつついい放った。そういう感性の編集だから彼女の雑誌は見事廃刊になったのである。
 というようなことを言ってるとまたそそっかしい人がいて「ああ、それじゃスローライフというわけですね、いやあ、さすがでんな」なんていうかも知れないけど、あの「スローライフ」ってえのもなんだかまるっきりワケがわかんねえな熊さん、て急に落語にならなくてもいいんだけど、困ったもんだ。
 そもそも「のんびり暮らす」てえのと「スローライフ」は一体どう違うんでえ。野田知佑なんか20年も前から「のんびり」でやってんだぞ、おい熊、なんとかいってみろ。

 カタカナでいうとなんだか新しそうで偉そう、というのは鹿鳴館以来の伝統だろうけど、いうにことかいて最近では「ロハス」なんだそうだ。「スローライフ」から今度は「ロハス」になったのである。地球環境に優しく、といいながらビジネスをやるとアメリカではこれが40兆円市場なんだそうで、その仲間入りするにはまずは六本木ヒルズで開かれる講習を受講して「ライフスタイリスト」になり、次にボールダーへ見学にいって「コンシェルジェ」になるのが近道らしい。
 「ライフスタイリスト」だってえからびっくりする。アメリカで最初に考えてしかけた人が一番頭がよくて、それを輸入して商売を始めた人がその次で、講習を受講して地方に帰って権威になる、っていうのが一番下のロハス階級だろうか。そのうち地方テレビ局にロハスの専門家が登場するぞ。楽しみだなあ、札幌のテレビ。

 というわけで、スローライフもロハスもパスした上で私はヒマなのである。断固としてヒマなのである。

■今年の鳥はどう?


 愛鳥家の皆さん、今年の野鳥はどうですか。
 北海道はこの冬雪がすごく多かったし、春も寒い日が続いてなかなか春らしくならない。南からくる鳥も北上の途中、どっかで足ぶみ状態じゃないだろうか。初見日(という言葉があるのかどうか)がいつもよりぐっと遅くなっている。毎年、初見日をノートにつけているのだが、同じく大雪だった去年と較べてもやや遅いように思える。

 実はその野鳥記録はぼくの場合、「5年連用日記」というかなり地味で、全然おしゃれじゃない黒ノートに記入されている。日記を書く習慣をそれほど意識的にやっているわけではないし、なにか効用があるとも思っていないのだが、いわゆる「連用日記」はこと田舎暮らしにとっては実際的に役立つのである。田舎の暮しは季節を基準にしているわけで、去年の今頃やったことを今年もおおむね同じようにやるわけだ。毎年同じことを繰り返す人生なんかつまらない、と刺激的大都会に住む人(ほとんど地方出身者)は思うかも知れないが、季節に身を任してこそ人生、ともいえるのである。
 それはともかく、毎晩このメモ日記を開いては去年と今年を比較するのが習慣である。ブルーベリーの平均開花日とかウグイスやカッコウの平均初鳴き日とかは、だからかなり正確に出てくる。逆に去年の今頃にはもう鳴いていた鳥のさえずりが聞こえないと、なんだかすごく心配になってきたりする。

 野鳥記録は日記の後にあるノート部分にメモとともに記され、これを集成するといわゆる「ライフリスト」になる。生涯で見た野鳥の種数、のことだ。世界には8千種もの鳥がいるという。日本で見られるのはそのうちせいぜい500種ぐらい、北海道ではその半分ぐらいだろうか。目下の目標は国内300種だが、そのためには遠出して水鳥を見なくてはならない。
 やっぱりリタイアしようか。

■鳥見はやはり貴族

 本格的に野鳥を見ようとすると、なにしろ相手は8千種だから仕事などしているヒマはなくなる。人生の全部を鳥に捧げるぐらいじゃないとやっていけない。だから東西問わず昔から鳥は貴族が担当することになっていて、山階鳥類研究所なんかもその流れにある。
 最近平凡社から出た『南の探検』という本はその貴族による野鳥探索の記録で、これが結構おもしろい。貴族というのは探検もし冒険もするが、一般に書物を書くということをしないらしい。書くというのはそれほど上等な仕事じゃなくて、しかるべき係にやらせておく、というぐらいなのだそうだ。

 ところがこの本の著者、蜂須賀正は自ら筆をとってその探検を記録したのであった。本人は戦国の武将蜂須賀家の末裔で、父親は貴族院の副議長、侯爵という身分である。時代は1920年代、大正の終わり頃の話だ。
 若くしてケンブリッジに留学し、動物学、鳥類学を修めるとともに世界各地を訪ねて歩く。交友も足跡も相当に国際的なのである。
 さてこの本は、フィリピンのアポ山という山を初登頂するまでの記録であり、その間に出会った動物、鳥類、その他の風物を記録したものだ。日本からの紀行に加えて、著者のそれまでのあれこれの経験がどんどん書きこまれるから、結構膨大なものになってくる。それぞれのエピソードが興味深い。

 結局実現しなかったニューギニア探検についてこんなくだりがある。「幸い、アフリカ探検にしばしば用いた私の飛行機が羽田の格納庫に入れてあったので、かの地に飛行する計画を進めた。熱帯の気候に馴れた琉球人の人夫5,60名の斡旋を・・・・・」。いやはや、貴族なのである。
 鳥類の研究で本当に成果を上げた人物だそうだが、今と違って鳥は双眼鏡で見るのではなくて、まずはライフルで撃ち落とすのである。それを剥製にして保存する、というのが当時の方法だった。

 階級社会はもちろんとんでもないのだが、しかしうらやましいなあ、蜂須賀。お金とか時間の心配は全然なくて、鳥も獣も撃ち放題。土人とか蛮族とか差別用語は使い放題。自慢話もし放題。しかし全体を通じて透明な印象なのは本人が理科系学者だからか、それともやはり貴族の血のなせる技か。
 「今月の一冊」はそんなわけでこの『南の探検』(平凡社)に決まり。世界6000万部の『ダ・ビンチ・コード』なんか捨ててこっちを読みましょう。

■恐ろしき右旋回

 ホテルのラウンジでストーブの番をしながら、やってくるお客さんととりとめなくお話をする、というのがホテル・ドロームでのぼくの主たる役割である。
 最近、ふた組の若い夫婦と話す機会があった。弁護士と医者というどちらも文句なしのヤング・エグゼクティブである。30代の半ばぐらいだろうか、それなりに知的だし洗練されているし、ホテルとしては大変望ましいお客さんである。
 あれやこれやと話すうちに、なにかのきっかけで話題が政治のことになった。特になにかを議論していたわけではないのだが、唐突にひとりが「朝日新聞は共産主義者の新聞だよね」といい、もうひとりが「そうそう、北海道新聞もひどいよ」と相づちをうつのである。奥さんたちもこの説に異論がないようで、場の空気は一気に極右保守主義に傾いたのであった。突然のことでびっくりしたが、相手は客だし、特に深い主義にもとづいている気配もないのでそのまま黙っておいた。

 あとで思ったのだが、もしかしたら案外これがいまの時代の空気なのかも知れない。我々の世代は学生時代に真面目であれば少なからず政治的であったし、権力への反発反感は青年期に当然のものであった。社会に入って変節するにしても、多くの場合批判精神のようなものはどこかでずっと維持している。
 ところが、おそらく今の若い世代には文化としての反権力という立場はないのだろう。若者の保守化、とはよくいわれることだが、知的なエリート層でもそうなのかも知れない。
 最近のアンケートで戦後の東京裁判について9割の若者が知らない、というのがあった。東京裁判もA級戦犯も知らないし興味もないから、首相の靖国参拝についても特に問題だとは思わないのだろう。そういう層がどんどん増える社会に憲法改定の是非を問う投票法が制定されようとしている。恐ろしいことである。

 もう政治の話はあまりしたくないのだが、国会ではこの「国民投票法」、共謀罪が適用される「組織犯罪処罰法」、愛国心を義務化する「教育基本法改定」などが議論されることになっている。日本はいま大きく右旋回をしつつあり、それを国民は支持しているかに見える。もしかしたら支持というよりも自分ではなにも考えずにコイズミやイシハラのようなアジテーターが作る空気に乗っているだけかも知れない。戦前の日本はきっとこうだったのだろう。もう一度戦争をして不幸を味わわなくては反省ができないのだろうか。
 国民がぼんやり半覚醒しているうちに一部の勢力によってガラパゴス的な特異な進化をして、やがて世界の全部を敵に回すことになるのではないか。そんな不気味な予感がする今日この頃である。

 憲法を改定して「戦争ができる普通の国」になることが目標であるという。日本を「戦争ができない国」に止めておくために今の憲法と9条があるのだとするならば、なんとしても9条だけは守りたいと思う5月3日憲法記念日なのであった。


藤門弘北海道通信06年3月号

熱帯雨林鳥見紀行

■発端

 そもそもの発端は昨年の夏、ホテル・ドロームで愉快に過ごしたとある一夜にある。斯界では知る人ぞ知る小川巌、嶋田忠のおふたりのその限りなき博学博識を頭を垂れて伺いつつ、なんだか自分がまるっきり世界を見てこなかったとんでもなく怠惰な男に思えてきた。たしかに世界をぐるぐると回ってはきたが、そこで一体自分はなにを見たというのか。川にカヌーを浮かべてはパチャパチャと水を叩くばかりで、そこにたしかにいたはずのカワセミもインコもコウモリも、実はなんにも見てはこなかったのである。
同じ自然派でも戸外運動組と博物学組の二派があるのだとようやく気づいたのだが、反省しきりの自分に向かって嶋田氏はいうのである。
 「藤門さん、ドロームは欧米のバードウォッチャーを対象にした野鳥の宿にすればいいんですよ。ちょうどいいモデルがオーストラリアにあるから、見てきたらどうですか。ついでにそこを買っちゃうという手もあるけど、アハハ」。
 さすが世界各地の自然相手に番組を作る忠さんである、言うことのスケールが違う。うやうやしく拝聴しながらもその時は聞き流してしまったのではあるが、しばらくしてこれはどうしても出かけて見てくる必要がある、と思い始めた。 
 鳥を見るだけのために飛行機で遠くへいく、こういう未体験の事柄が世の中にはあるらしいのである。
この際だから一度試みてみようではないか。鳥好きの次男仁木君を相棒に選び、彼が春休みの3月後半にめでたく出発の運びとなった。
 目指すはオーストラリアの北東部、広大な熱帯雨林地帯、いわゆる「ウエット・トロピック」である。

■グアム

 安くて快適な旅をすることにおいてぼくはその道のベテランであり、簡単正直にいうとこれは格安ビジネスクラスのチケットを探す、という技術に通じるのである。世の中がネット社会になってからぼくのこの技には更に研きがかかって、飛行機だけではなくてホテルもレンタカーも全部パソコンでやっつけてしまうのである。学校の英作文の成績は無惨だったけど、必要は成功の母とはよくいったものである。
 というわけで今回はグアム経由のケアンズ行き、ということになったのだが、どうせならグアムで買い物でもしよう、と思った。端の端とはいえ一応アメリカだから、なにかおもしろいものがあるかも知れない。そんな軽薄さにはやはり罰があたり、思い切りペナルティが課せられた。常夏グアムでお買い物、というニッポンの人々がわんさと押しかけて、そこはもう渋谷の雑踏のような様相なのである。

 春休みとあって全国から集まった女子短大生が紙袋をかかえて道を歩き、偏差値とは無縁の世界だからなんの屈託もなく笑いさざめいていらしゃるのである。南の青空は見事に澄み切り太陽はさんさんと照り、そこには一点の陰りもなく、問題はなにひとつないのである。唯一の問題はこの雑踏に激しく怒っている自分だけである。
 この前久しぶりに会った夢枕獏さんがいった。「しっかしおかしいよね。フジカドさんいつも怒っててね」。私のこの通信の話である。「本読んでも怒っちゃうんだから困ったもんですよ、グフフ」。

 グアムの怒りはとうていそんなもんではなかったのであるが、そんならいかなきゃいいのに、といわれておしまいである。だからもういわないけど、グアムなんて二度といかないぞお。

■ケアンズから「カワセミ荘」へ

 格安というにはなにか理由があって、オーストラリア、ケアンズ到着は深夜の1時である。空港でいきなりのトロピック、気温は30度で猛烈な湿度。ムンムンの都市、ケアンズである。エイビスにいってレンタカーを借り、車の中は冷房が効くのでホッとした。エイビスの事務所前の公園には大きな木が一本あって、そこにかなりの数のオオコウモリがぶら下がっている。コウモリ好きのぼくにはこれは思いがけず嬉しい収穫だった。かの地でいう「フライング・フォックス」のことで、超音波で飛ばないから顔が犬みたいに長くてハンサム。たしか南大東島にもグアムにも仲間がいるはずだ。
 借りた車はオーストラリアが誇る「ホールデン」である。オーストラリアは日本車のお得意さんで、ざっといって走っている車の9割は日本車だ。黙っていると日本車になるので、わざわざ指定してホールデン。見かけは立派だが、当然性能は劣るし、快適度も低い。

 グレイトバリアリーフの海を眺めつつ北へおよそ1時間ドライブすると、高級リゾート地のポートダグラスに着く。おしゃれな小さな町でフィッシュ・アンド・チップスを食べる。3月いっぱい海は遊泳禁止だそうだが、理由は毒クラゲで、これで命を落とす人が多いという。クラゲ以外にも毒タコとか毒オコゼとかもいるらしい。ケアンズで買った図鑑には毒ヘビ、毒ガエル、毒グモなど満載で、実にこの国は毒の国である。

 リゾートの海に沿って内陸には熱帯雨林が延びていて、この森が今回の目標である。海を背にして急斜面を登ること半時間で海抜500メートルぐらいの高原地帯に着く。嶋田忠さんお勧めの鳥見宿はこのあたりにあって、名前を「キングフィッシャー・ロッジ」という。日本語にすると「カワセミ荘」。経営者の名前がフィッシャー夫妻、というのはできすぎな気もするけど、会ってみるととてもいい人たちだ。ご主人がオージーにしてはもの静かだなと思ったが、後に英国人だと知った。

■熱帯の鳥たち

 カワセミ荘についたその日からいきなり熱帯の鳥たちに囲まれて、右に左に上に下に次々と極彩色の鳥たちが現れるものだから、もうハアハア口で息をしながら双眼鏡から目が離せない。仁木君は素早く図鑑をめくっては名前をいうが、当然それは英語だからスラリとは発音できない。「ファイアークレステッドなんとかだあ!」というぐらい。ひとまず図鑑に印をつけて確認とする。
 最初の日の最初に会ったのはかの有名なワライカワセミ(ラフィング・クカバラ)である。どういう姻戚か4羽のクカバラが宿の裏庭にやってきて、思い切り笑ってくれたものである。その声のなんとけたたましいこと、姿のなんと大きいこと。双眼鏡で眺めながら、こちらも大笑いするしかないのである。

 この地方はカワセミが多いことで有名なのだが、10種ほどいるカワセミの半分ぐらいは見たいと思っていた。結局予定どおり5種を見たのだが、意外だったのは日本のカワセミと違って多くが林の中にいることだ。林床にいる昆虫やは虫類を主なエサにしているらしい。それにしてもたとえば「パラダイス・キングフィッシャー」なんて本当に美しくて、どうしていいのか分からなくなってしまう。オレンジ色のクチバシと腹、コバルト色の背、そして白い尾羽が2本、体と同じぐらいの長さで伸びている。これひとつ見るためだけに飛行機に乗ってもいい、と思わせるようなしみじみと深い感動がそこにはあった。
 カワセミ荘のプロパティ内でもかなりの種類を見たし、近くの山に登ると更に多くの鳥がいた。国立公園の地帯もあるし、「ウエット・トロピック」として世界遺産に登録された区域もあるが、いずれも深い林になっている。20メートルはあろうかという高木がキャノピーを作り、その下に低木が密度濃く茂っている。常夏地帯らしくあちこちに南国の花が咲き、鳥や蝶がその蜜を吸いに集まってくる。

 そういえば「ハニーイーター」という種類の鳥も多くて、クチバシがそれ用にできている。同じミツスイでも残念ながらハミングバードの類はいないそうで、そういえばキツツキ類も分布していない。このあたりがオーストラリア大陸の特殊な所で、なにしろほ乳類のほとんどが有袋類だというのだから変な国なのである。
 昼寝半分の休暇ね、いっておきながら結局一週間毎日あちこちへ鳥見に移動した。図鑑で確認した鳥が52種、双眼鏡で見た鳥は100種を越えたと思われる。日本の鳥からは想像もできないような色彩、姿のあんなのもこんなのもいて、実にめくるめく日々であった。

■相棒仁木青年

 旅の相棒は前述のようにわが家の次男、宇土仁木君であった。山形大学の3年生、もうすぐ4年生の医者の卵であり、本と映画が好きな古典的文学青年風である。彼がまだ中学生で村にいた頃、よくふたりで鳥を見て歩いた。その頃の貯金のようなものがふたりの間にはぼんやりとあって、それを基礎に今回の遠出となったわけだ。
 彼にいわれて気づいたのだが、ふたりだけの海外の旅はユーコン川以来で十年ぶりだ。元服式ね、といいながら長男有巣とも次男仁木とも荒野の川を旅した。それももうずっと昔のことで、思い出せばあの頃の父(ぼくのこと)は絶対だったなあ。息子との力の差が歴然としていたから、父は限りなく強かった。それがどうでしょう、十年経つともう父と息子はほとんど同等なのである。当たり前なのだろうが、当事者としてはしみじみ昔を思い出したりするのである。 
 仁木は堅実で割合地味な青年であり、どちらかというと努力型の人間である。かといって文学青年的に暗くはなくて、ポジティブだしいつも明朗である。だから一緒に旅行していても日々が軽やかである。いや、もしかしたら無理して父親に足並みをそろえているのかも知れなくて、そう思うと少し申し訳ない気がする。すまん仁木、お父さんが悪かった。

 仁木は大江健三郎とか神吉拓郎、筒井康隆などをゆらゆら読み、ぼくは舞城王太郎の『煙か土か食い物』、クライン著『ミュンヘン』、ハインリッチ著『ブボのいた夏』などを適当に読んだ。でも一番よく読んだのはオーストラリアの鳥の図鑑類で、いよいよぼくも図鑑を眺めて長い時間を過ごせるようになってきたのである。

■サイクロン

 台風とハリケーンとサイクロンがどう違うのか分からないけど、我々の滞在期間中にケアンズ目がけてサイクロン「ラリー」というのがやってきた。カワセミ荘主人の予想とは裏腹に結構激しい嵐がやってきて、周辺の木がバタバタを倒れてちょっとすごいことになった。困ったのはこのサイクロンの影響で停電になったことで、カワセミ荘では電気だけでなく水も止まってしまった。
 ランプ生活を2日やってから結局他に移動することにした。北の方が被害が少ないというので、デンツリー川方面の、これまた鳥見宿に移った。自炊ができないのでちょっと不便だったが、宿に紹介してもらってチャーターしたリバー・クルーズはおもしろかった。雨の中、ゆっくりと川を遡っていき、両岸にいる鳥たちを眺める。船頭のソープじいさんの他に鳥ガイドのおばさんがきてくれて、あちこち指さしながら教えてくれる。豪華なツアーである。
 リトル・キングフィッシャーという超小型のカワセミを楽しみにしていたのだが、鳴き声だけで姿は見れなかった。ソープじいさんは仁木が気に入ったらしくて、名刺など渡しながらぜひまたおいでとしきりに誘っていた。ワニとか緑色のヘビとかを見せられなくて残念だったらしい。
 この地方の絶滅危惧種カソワリーは最後になって動物園で対面した。頭の青いダチョウである。

 かくして熱帯雨林の鳥見旅は終わった。5年ほど前にダーウィン方面の川旅をして、結構色々見たつもりでいたが、やはり本気になって目標を絞れば見るものの数はずっと増える。

 飛行機に乗って遠くへ鳥を見に行く、どうもこれはぼくの新型旅行になりそうな気配である。
  


藤門 弘北海道通信06年2月号

 くる日もくる日も雪降りでもうずいぶん長い間青空なんか見ていない。こんな風にいつまでもどんより重い空に押しつけられているとなんだか精神的に参ってくる。アラスカあたりでは「キャビン・フィーバー」と言われるらしいけど、長い冬に痛めつけられいるうちに次第に正気を失っていく、っていうのは結構分かる気がする。
 そういえばキューブリック監督でジャック・ニコルソン主演の「シャイニング」という映画があったけど、あれは怖かったな。キャビン・フィーバーとはちょっと違うのかも知れないけど、ジャック・ニコルソン本格的に怖い。いつかそのマネしてナタをかざして部屋に乱入したら、家族全員が本気で逃げ回り、二階の窓から飛び降りて骨折した者もいた。
 キャビン・フィーバー寸前、シャイニング目前の不気味な冬が続くのである。

 寸前、目前でぼくを制止してくれるのが、玄関先にやってくる野の鳥たちである。池近くに設置したエサ台は大雪で埋もれてしまったので、玄関前にあるハシドイの木に別なものをセットした。ここだと通路の除雪と一緒に雪をどかせるからエサの補給に便利だ。
 カラちゃんたちは場所が変わってもすぐに適応してくれる。玄関前だとカケスやスズメがきにくいので、かえっていいのかも知れない。相変わらずハシブトガラ、シジュウガラ、ゴジュウガラの3種ばかりで、ヒガラとヤマガラの姿が見えない。ちょっと寂しくはあるけれど、なにしろ個体数が多いから玄関先は一日中大いににぎわっている。玄関への人の出入りはむしろカケス除けの効果があって、カラちゃんたちは歓迎のようだ。(村内友人宅にはヤマガラが多いというのでひと安心)
 
 もうひとつの抑止力がちょっと恥ずかしいけど、余市にできたTSUTAYAの存在だ。これまでの高山ビデオ店から一気に大型レンタル屋が出現して、余市にいくたびにDVDを借りては映画を観ている。料金も安いし週単位のレンタルができるので、まとめて5本ぐらい借りてくる。映画三昧だ。
 年末にできてから映画を週5本平均で借りてきたので、レベルが高くてまだ観てないような作品はさすがに発見できなくなった。やむをえず前に観たものを借りて再見し、二流の映画を軽く見物し、まさかというようなものまで借りてくる。昨日なんか『北の零年』なんていうのを観てしまった。
 しかし、再見にはそれなりに発見があって楽しい。そもそも記憶力が怪しいから二度目でも新鮮に楽しめたりするのだが、それとは別になんとなく余裕があるから細部でいろいろ発見があったりする。週5本を2本ぐらいのペースに落として、ゆるゆると映画鑑賞をしよう。『趣味は映画』。

 これまたTSUTAYA関連だが、ある日店内を探索していると、モーツァルト生誕250年とかで記念CDのようなものが大規模に販売されていた。6枚組3000円なんていうお買い得CDがあったのでつい買ってしまい、帰路の車中で聞き始めるとこれが結構楽しい。家に帰ってからそのまま6枚をずっと聞いて、やっぱりモーツァルトはいいなあ、なんていまさらの感想である。ミーハーともいう。
 本棚のあちこちに積み重なったCDのほこりをはらってみると、10枚ぐらいのモーツァルトが発掘され、猛烈に恥ずかしいことを告白してしまうと、これは村上春樹の小説を読んで買ったものに違いない。喫茶店のマスター文体の村上春樹なんて偏差値中ぐらいの女子大生が読むもんよ、なんてののしっておきながら、その影響でCD買ってるなんて一体どういいわけすりゃいいんだ。謝ろう。すまん。

 映画の『アマデウス』もDVDで再見した。封切りで観て以来だけど、やはり結構おもしろい。神に人生を捧げたサリエリにではなく、ちゃらんぽらんな(映画ではそう描かれている)アマデウスに神は才能を与えた。それも並大抵の才能ではなかった。サリエリは神と絶縁してアマデウスに復讐する。
 フジカド、サリエリに似てるなあ、と野田知佑はいったが、姿にしろ中身にしろこれは誹謗というものである。そもそもサリエリを演じたのはF.M.エイブラハムという名優なのであって、先方にも失礼である。
 映画を観るとモーツァルトの音楽の背景が分かる。いかにもの豪華絢爛なヨーロッパ宮廷が彼の音楽の舞台であった。どうしたことかその音楽をぼくは極東の北の端の線路脇のツタヤで入手するのである。6枚組で3000円である。外に出ると、汚れちまった悲しみに今日も小雪がふりかかるのである。

 ところで最近はニュースが次々あっておもしろい。耐震偽装事件は次々面妖な人物が登場して楽しんだけど、ホリエモン事件が起こると一気に前の件が霞んでしまうから恐ろしい。ぼくが心配することもないんだけど、姉歯さんこれからどうしていくんだろう。新しいカツラにして新しい人生を生きるんだろうか。でもかならず本は書くと思うな。
 ヒューザーの小島社長は楽しかった。上品な二代目と違って、ああいう一代で大成功、という人物はやっぱりとんでもなくクセがあっておもしろい。でも一番の悪役は小島ではなくて総研の内河というオヤジだったと思う。残念なことにこの人はなんとなくマスコミをかわして逃げ切ってしまったみたい。あの独特のぺらぺら喋りはHIVの阿部英以来で、いかにも黒幕といった風情の大型悪役だと思うんだけど。
 一代で成功のひとりが東横インの西田社長で、あの記者会見はおかしかった。いくらなんでもあれじゃ日本中敵に回しちゃう。その後の反省ぶりがまた極端で、なかなかの役者である。
 ホリエモンはこういう人たちとはスケールが違うし、事件はきっと歴史に残るんだろう。彼は若いし、動かしているお金も規模が大きいし、うんと高い所から落下したわけで、その落差が大きい分だけ観戦しがいがある。拘置所で断固抵抗してるというそうだけど、がんばれホリエモン。
 ホリエモンは見慣れたせいかそう感じないんだけど、周辺の人物の顔立ちがなんだか妙に品がないし知的な感じもしないのが気になる。六本木ヒルズなんていうのを作ったんだから、顔立ちとか体型とかもそれに合わせてもらいたい。

 こういう事件をテレビや新聞で見物しておもしろがっているわけだけど、困ったことにオリンピックが始まってしまった。NHKは今回も異常にはしゃいで報道してるし、新聞も記事が大きい。冬季オリンピックなので選手の多い北海道は特にうるさい。
 そもそも230人も選手を送りこみ、これに役員なんかが同じぐらいいくんだろうから、すごい人数のはずだし、予算だってびっくりするぐらい使っているに違いない。税金使って「楽しんできます」もないだろう、おい、茶髪のあんちゃん。いっそ成績に応じて経費の自己負担を求めたらどうだろう。10位以下は倍返し、とか。
 オリンピックを本当に応援できたのは、ぼくの場合東京オリンピックまでだ。千駄ヶ谷の鉄のフェンスによじ登って裸足のアベベを応援したのを最後に、オリンピックなんていうのはどうでもいい行事になった。いまやどうでもいい状態から積極反対ぐらいになっていて、人と話が合わなくて困る。
 村の議会の休憩時間で、「昨日は惜しかったなあ」などと本気で話している環境に、一体どう馴染めっていうのだ。観戦で寝不足だなんて知ったことじゃないのである。責任の大半はNHKにあるんだから、断固視聴料は払わないぞ。 

 さて、読書はぼちぼちでんな。新書類をいくつか読んだけど、医学系が2冊あった。『リピーター医師』は医療ミスを繰り返す悪徳医師についての話で、読むと怖くなる。特に産婦人科に多いみたいだから、関係する人はご注意を。
 『高血圧は薬で下げるな!』はちょっと衝撃的な本だ。ぼくはやや血圧が高いのだけど、副作用はありませんという医者の言葉を信じてずっと薬を飲んできた。ところがどうも実態はそうでもないようで、降圧剤には注意が必要らしい。国内での調査は不十分だというが、様々な調査を総合すると降圧剤使用者はたしかに血圧は下がるし、それにともなう病気の率も下がるそうだが、平均寿命からみるとむしろ低くなるらしい。
 もうひとつ、国が示す血圧の標準値がこのところどんどん下げられているそうだ。結果として高血圧の人はどんどん増えることになり、降圧剤の需要が増えている。年に8000億円もが降圧剤に使われるそうだが、これは製薬会社の戦略だというのだ。
 本の読んで、よし降圧剤をやめよう、と心に決めた。著者、浜六郎さんのアドバイスに従って、いま生活の見直しをしているところだ。本を読んでその勧めに従うなんてずいぶん久しぶりのことだ。前はたしか『超整理法』の時だったと思うが、このように時々ものすごく素直になることもあるのである。

 さて、そろそろもう2月も末になろうとしている。雪は峠を越したのだろうか。まだまだ降るつもりなんだろうか。聞いても答えないとは思うけどシャインニング寸前のぼくとしてはちょっと問い合わせしたい気分だ。

※ 本日(2月17日)の新聞でシューズ・デザイナーの高田喜佐さんの訃報を見た。かって親しくさせてもらった方で、驚いたし、悲しくも残念にも思う。喜佐さんはおっとり穏やかな好人物で、書くものもとても洗練されて素敵だった。
 アリス・ファームの玄関にはゴム長靴がずらりと並んで楽しい、というようなエッセイと絵を書いてくれて嬉しかったけど、それももうずいぶん前のことだ。
 クリスマスカードの後、お店を閉める、という案内をもらってどうしたのかなあ、と思っていたのだが、重病とは知らなかった。
 謹んで哀悼の意を捧げます。またひとり素敵な人がいなくなった。


藤門 弘北海道通信2006年新年号

 皆様新年おめでとうございます。
 あわただしい年末年始をやり過ごしてほっと一息つけばもう1月も中旬です。
 あれこれあったなあ、しかしまあこんなもんかなあ、とぼんやり昨一年を振り返っております。問題なのは出来事をすぐに忘れてしまうことで、一年を振り返るといっても手帳でも見ないとなにがあったのか即座には思い出せないことです。その手帳を見て一年を回想しましたが、特にこれといった出来事もありません。まずまず順調で平凡な一年だったのでしょう。
 もともとそういう傾向にはあったのですが、もの忘れは年々ひどくなっていますね。しかしこの物忘れ病は困った困ったといいながらもちょっと甘美なところがあって、笑って自分を許してしまうわけです。だから実はそれほど困っておらず、なんだか歳をとる、というのと同じニュアンスに思えます。
 
 それはともかく、北海道は連日連夜の雪降りで、去年に続く大雪です。
 あたりはすっぽりと深い雪の毛布に包まれています。純白の雪景色は張りつめた空気の中に凛と美しく、雪降りの後、風のない朝は木々の枝という枝が全部白いシルエットになって、これもまた見事です。
 いまではもうすっかり当たり前になってしまいましたが、北国に暮らすことの醍醐味は朝晩に出会うこんな風景の断片が重なって作られるのでしょう。

<今年のお正月>

 クリスマスのドロームは全館満室で、見事に全部カップルでした。ドロームには客室が11部屋あるので毎日11組づつのお客さんを迎えるわけです。クリスマスには恋人を素敵な場所に連れて行く、というのがトレンドのようです。結構な習慣です。

 年末から年始にかけてもお客さんがいっぱいで、この応対を試みに家族でやってみることにしました。フロントが藤門、料理が宇土巻子、ウェイターを宇土兄弟、という布陣です。兄弟ははるばる帰郷したのにいきなりウェイターでいささか当惑しておりましたが、いや何事も経験です。いい医者になるにはそれなりの社会経験が必要なのです。というようなことをいっぱいいって任命したわけです。押入の奥に昔のスタッフが使っていた黒ズボン、白いワイシャツ、エプロンなどがあったので、これを無理矢理ふたりに着せました。
 やってみるとしかしこれが結構うまくいって、まずまず無事に接客をこなすことができました。宇土兄弟はさすがに理解が早いので、レストランは実にスムースです。これなら変なアルバイトを雇うよりも兄弟にずっといてもらいたいぐらいのものです。

 そんなホテル業務の中、大晦日には年越しそばを食べ、元旦にはお雑煮を食べ、年賀状を読み、まずはめでたい新年でありました。
 兄弟は年明けすぐに試験があるから、とのことで早々にまた大学のある場所に戻っていきました。来年はもうやだよ、とのことなので、この実験は今年限りのものになりそうです。
 
<今月の作業>

 冬に作業といえば雪かきのことで、12月の初旬からずっと除雪作業に追われる毎日です。そんな立場の者がいうのも変ですが、テレビで見る東北北陸の大雪は大変そうですね。まず雪の量がすごい。積雪は3メートルを越えているそうですし、その雪がこちらのような粉雪ではなくてずしんと重そうです。重い雪を手作業で動かすのを見るとちょっとひるみます。

 同じ大雪といっても北海道はまだ楽で、雪は軽いし機械が充実してます。それがいいことなのかどうか分かりませんが、機械さえ準備してしまえば大雪も恐るに足らず、というのが本当のところです。国道の除雪など北海道では超大型の機械が複数で作業に当たるわけで、ホテル前の道は朝7時になればピカピカになっています。

 こういう作業に必要なのが除雪予算というもので、これが国、道、村の予算を圧迫します。大雪だと除雪の出動が増え、予算をどんどん使います。すると、東京で集めた税金をなんで北海道の道路の除雪に使わなくちゃならないのよ、というご意見が登場するわけです。これについてはまた色々と反論もあるのですが、ここではひとまず置いておきましょう。

 これから当分の間雪と格闘の毎日が続きます。

<今月の鳥見>

 11月の末頃に野鳥のエサ台を設置しました。以前は3カ所にも置いていたのですが、深い雪の中でエサの補給が大変なのでいまでは1カ所だけにしています。エサはいつものようにヒマワリの種です。北海道の悪徳業者による中国産ヒマワリで去年は苦労しましたが、今年はアメリカ産がまた復活しています。ただし値段がすごく上がっており、これは競争がないからでしょう。ヒマワリの種の価格破壊に誰か挑んでくれませんかね。

 本当の問題はヒマワリの種の価格ではなく、エサ台にくる鳥の種類が少ない、というところにあります。カラの仲間、ハシブトガラ(コガラ)は常連ですから今年もたくさんやってきます。シジュウガラもぼくの巣箱でたくさん産まれましたから結構な数がきます。両者に混じってゴジュウガラが少しやってきますが、これはいつもの年と同じぐらいでしょうか。

 しかし、それだけなのです。ヒガラがきません。ヤマガラがきません。アカゲラもきません。どうしたのでしょう。エゾリスもまったく姿を見せません。特に会いたくもないのですがシメの群れも見えません。
 去年は春にすごい数のオオルリやキビタキを見て、しかしその後は収穫に乏しい年でした。そのままの傾向が冬にまで持ち越されたのかも知れません。きっとぼくたちの感知しえない自然のリズム、あるいはその乱れが生物の数をコントロールしているのでしょう。ちょっと寂しいお正月のエサ台です。

<今月の読書>

 本当は普段より忙しいのに、正月休みだからと理由をつけて本をいっぱい買いました。寝室には机がふたつあって、読んだ本を置く机と、これから読む本を置く机に分けています。読んだ机の本はどうでもいいのですが、これから読むぞ机に本がたくさんあるとしみじみ幸せです。

 大作をふたつ読みました。ひとつは町田康の『告白』で、もうひとつはマイケル・クライトンの『恐怖の存在』です。『告白』は奇書といっていいのかも知れないちょっと妙で結構すごい本です。次男の仁木が町田康のファンだというので読んでみようと思ったのですが、まずまずおもしろかった。それにしても大阪弁を文字にするとすごいことになるもんですね。それはともかく、自身が持つ熊太郎度の高低がこの本の評価を決定するのでしょう。ぼくは最後まで入れこんで読みました。
 『恐怖の存在』は大部ですがどってことない小説です。いかにもハリウッド映画の原作、というストーリーなのですが、それとは別にこの本一冊をあげてマイケル・クライトンは「地球は温暖化していない」という主張をしているわけで、そこがおもしろい。まさかそんなことはないと思うのですが、ちょっと考えてしまいますね。 

 ベストセラーで恥ずかしいのですが、『下流社会』はなるほど納得、という本でした。一億総中産階級が上下に分化していく社会になる、という説で、そういえば北海道なんか社会が丸ごと沈んでいく印象があります。「かまやつ系女性」分類には笑いました。
 勢古浩爾の『ああ、顔文不一致』は顔に関するあれやこれやを述べた本で、やや下品ではありますが、文章が割合おもしろくて一気に読んでしまった。
 J・スタインガーテンという人の『やっぱり美味しいものが好き』は、今ごろ読んでんの?というような有名な本だそうです。『危険食品読本』は新刊だから少なくとも読む時期でバカにされることはなさそう。
 島本理生の『ナラタージュ』は「本の雑誌」が選ぶ2005年度ベスト10の第一位なんだそうで、「ホント、すごい!北上次郎」とか帯に書いてある。で読んでみたのですが、どこがそんなにすごいのかとうとう分かりませんでした。恋愛小説をめぐるぼくの感受性に問題があるのでしょう、きっと。

 読んだのはそれぐらいですが、これから読むぞ机にはまだまだ本がいっぱいでハッピーです。

 めでたさも中ぐらい、のまずまずの新年であります。


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