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藤門 弘北海道通信  
*このページは藤門が友人に向けて配信している「藤門弘・北海道通信」を転載したものです。内容的にいって、広く一般の方に向けたものではありません。また、夢枕獏さんのホームページ『蓬莱宮』にも転載されていますので、こちらもごらんください。

 

通信10月号

◆さらばボンちゃん

 「犬が人間の最大の友であるなら、なぜ神様は犬と人間の寿命を揃えてくれなかったのか」と誰かがいったけど、愛犬家たるもの実にたくさんの犬の死に立ち会わなくてはならない。ひとたび犬を飼うならば、必ずやその犬の死に直面するということなのである。ではあるが、ある犬はこういった。「私を失ったからといってもう犬を飼うのはやめよう、とはいわないでほしい。私との暮らしの幸せな思い出によって、もう犬なしの生活など考えられなくなった、そういってもらいたい」。
 愛犬「ボン」が8月末に死んだ。

 長い間犬を飼ってきたしそれぞれの犬のそれぞれの思い出があるのだが、色々な意味でボンはこれまでで最高の犬だったように思う。生後2ヶ月でニュージーランドからきてから14年間を共に過ごしたが、聡明で陽気で、時として妖艶ですらあった。
 ボンがきた時にはムツゴロウさんにもらったベアデッドコリーの「パラ」がいたし、札幌盲導犬協会からきたゴールデンレトリバーの「モーリー」もいて、にぎやかだった。そのパラもモーリーもいなくなり、そしてとうとうボンも死んだ。なんだか犬の歴史が一区切りしたようで、大きく息をしてようやく事態を受け止める、そんな心境である。
 さらば、ボンちゃん。

◆アンちゃんとの日々

 残されたのはアンちゃんである。ボンの妹の子供だから叔母・姪という関係になるのだが、毛色を始め性格も体質も大きく異なったぼんやりアンちゃんなのである。がしかしぼんやりはぼんやりなりに可愛いし、こちらもまたぼんやりとしたまま付きあえるから気が楽な愛犬である。
 アンも生後2ヶ月程度で日本にきて、以来8年間ひたすらボンを見習い、ボンの後をついて歩いてきた。親であり教師であったそのボンが突然いなくなり、アンはいま茫然自失状態に見える。急に自主的な判断を要求されて途方にくれたりしながら、それでも日々大好きなボールを追いかけている。「健気にねえ」と思えなくもないが、8歳といえばもう相当な年齢なのだから、遅すぎた自立というべきだろうか。
 いずれにしてもぼくは犬の「一人っ子政策」には反対なので、次の犬を探さなくてはならない。「ボンちゃんジュニア」を求めて探索中である。ようやく手当の目途がたったのだが、ジュニアがくるまでの期間、ちょっと寂しいけどアンとふたり寄りそって暮らすことにしよう。

◆野田さんに感銘

 洞爺湖のイベントで久しぶりに野田知佑師に会って、短い時間だったがあれこれとお話しをした。帰路車を運転しながら、やはり時々は野田さんに会わないとダメだなあ、としみじみ思った。
 なんでそんなことをしみじみ思ったかというと、師と対面したことで自分がとてつもなく暴走して脇道に入っていることに改めて気づかされたからだ。おそらくは年齢のせいだろう、近年ぼくの内部には押さえきれない全否定の衝動が煮えたぎっていて収拾がつかない状態なのである。あれもこれも全否定のほとんど丸山健二状態に突入している。
 そんな自分を持てあましている時に野田さんと話して、ちょっとしたカルチャーショックだった。というのはこの日の野田さんは諸事万端をすべて笑って受け入れる、まるで山寺の和尚さんのようにおおらかで寛容なのであった。ぼくとは正反対に世界を全肯定する清々しさで輝いていた。いうまでもないが野田さんがボケたりモウロクしたりして穏和であるのではなく、いつもの知性も感性もそのままで寛容なのである。
 ぼくの会話が世を憂いたり嘆いたり罵倒したりの仲間を求める主旨に終始していることに気づき、ハッとして口をつぐんだ。自分がいかに混迷にいるのか、突然と思い至ったのである。

 というわけで反省反省のこのところである。もちろんこれを契機に突然いい人に生まれ変わるようなことはないのだが、ぼくの罵倒から最後に残された聖域である自然の領域を少しでも広げるのがいいかもしれない。そんなことを思う今日この頃であります。合掌。

◆ラグビーの季節だ

 春から夏にかけてずっとテレビで海外の試合を見物してきた。トライ・ネーションズやスーパー12など、主として南半球の試合だが、いわば世界の最高峰の戦いだ。そこにある技術やスピード、力や闘志こそ現在の世界の最も高度なものだし、どの試合も充分見応えのあるものだ。どこを応援するということもないのだが、相次ぐ熱戦を堪能した。
 秋になっていよいよ日本のラグビーが始まり、同じくCS放送で「トップリーグ」を観戦している。南半球の試合を見てきた目には日本の社会人リーグはあまりに貧弱で、最初はいささかとまどった。しかし、高校野球がそれはそれなりにおもしろい、というようなニュアンスでまずまず楽しんで見物をしている。
 それにしてもトップリーグには外国人選手が多い。オーストラリア代表だったスクラムハーフのグレーガンがサントリーにいたりして、びっくりする。きっと各企業ともすごい金額を積んで招聘するんだろう。

 しばらく前のことになるが、地元の中学生に総合学習という科目で自然観察を教えていたことがある。その時の生徒のひとりが札幌の山の手高校に進学し、ぼくが熱心に勧めたとおりラグビー部に入った。というよりラグビーをやるためにここに進学したのだが、きつい練習に耐えて彼はとうとうレギュラー選手になった。今年は高校最後の年だが山の手高校は北北海道で順調に勝ち進み、花園の全国大会に出場することになっている。
 高校に入ってから体もぐんぐん大きくなった彼の勇姿を見に、年末には花園まで応援に行こうかと考えているところだ。

◆桜庭一樹はすごい

 直木賞をもらったというだけの情報で『私の男』を読んだのだが、これは衝撃的だった。禁忌の鎖で縛られた父と娘の情愛の深みをこれでもかというぐらいに描ききった作品だ。時系列が遡って背景が次第に分かってくる、という手法も中々だと思うし、初めて読む作家の力に圧倒されたのであった。
 『私の男』を終わってすぐに、『赤朽葉家の伝説』を読み始めた。鳥取の旧家を舞台にした女三代の大きな物語だ。万葉、毛鞠、瞳子という三代三人の女性の歴史と物語を描く作品で、桜庭一樹の出身地鳥取の独自の風土が背景になっている。突拍子のないことをいうようだが、途中でジョン・アービングの作品、『ガープの世界』とか『ホテル・ニューハンプシャー』とかを思い出した。家族の歴史と大胆なエピソードが重なることからくる印象だろう。
 次に読んだのは『少女七竈と七人の可愛そうな大人』で、これはまた北海道の旭川を舞台にした物語だ。主人公の美少女とその恋人の美少年が織りなすガラス細工のように透明でリリカルな物語がひとつづつ研ぎすまされた文体で語られていく。ひとたび物語の中に入りこんでしまえば、どこまでも心地よく読み進んでしまうから、やはりこの作家の力はすごいと思う。
 以上三作に続いて『青年のための読書クラブ』、『荒野』を読んだけど、どれも「読ませる」という意味で高度で完成度が高いと思う。もしかしたら少女が主人公の場合が多くて、美少女というのはとても好ましいものだから、もしかしたらそれが評価を押し上げているのかもしれない。まだの人は騙されたと思って読んでみて下さい。
 ちなみに桜庭一樹は男名の女性作家です。

◆その他の読書

 本屋の店先で手当たり次第買い求めては読み飛ばす、という悪い読書を続けているけれど、印象に残った作品もちらほらあって、書名を挙げてお勧めしたいと思う。
 井上ひさしの『ボローニャ紀行』は新聞の書評などでよく紹介されている。こういう旅ができたらいいなとは思うが、NHKの特権で取材していると思うとあまり楽しくなくなるかもしれない。
 上杉隆の『ジャーナリズム崩壊』は、この著者が「朝日ニューススター」の番組司会者をやっていて、その印象が良かったので読んでみた。タイトルのとおり日本のジャーナリズム批判の本で、特に特権的な「記者クラブ」批判をくり返している。しつこいくらい。
 井坂幸太郎の小説はどれもおもしろくて、なんだかんだほとんど読んでいる。最近文庫で読んだ『アヒルと鴨のコインロッカー』も非常によく構成された「井坂ワールド」で、結構長いのに一気に読み終えてしまう。井坂くんはおすすめ。
 おすすめじゃないのは楊逸の『時が滲む朝』、有名な芥川賞作品ね。中国人が日本語で書いた小説、というからどんなのかと思ったら、なんだか映画のあらすじを書いたような小説だった。おんなじようなあらすじ小説が海堂尊の『ジーン・ワルツ』。『チームバチスタの栄光』がおもしろかったから、つい読んでしまったが、プロットも文体もひどいと思った。三浦展という人の「下流」シリーズはそれなりにおもしろいが、最近の『下流大学が日本を滅ぼす!』はなんと「語りおろし」なんだそうで、これは買った自分を責めるしかなさそうだ。

◆大阪よ

 友人たちはぼくが大阪を忌み嫌っていると思っているらしいが、それは事実に反する。新幹線で通過する時は目をつぶり大阪弁のあのかん高い声が聞こえると耳をふさぐ、というぐらいのごくささやかな苦手意識を持っているだけである。決して嫌っているのではない。以前は大阪と台北や香港との区別ができなかったのだが、今ではもうちゃんと現地語でお話しをすることもできるようになった。人は進歩するのである。
 最近、所用があって大阪を訪ねた。地下鉄に乗ると「チカンはアカン」という強烈な押韻標語が貼ってある、と聞いていたので楽しみにしてたのだが、どこにも見あたらず残念だった。「指つめ注意」も「ドアにご注意」なんて上品になっていたが、もしかしたら大阪も進歩してるのか。
 大阪の女性が独特なファッションでそれなりにかわいい、という意見には賛成したい。服装の色使いに独特のセンスがあるようで、東京よりももっと直接的で大胆に思えるし、髪型なんかもおおらかで愉快だ。東京の女性との対比を「NY対LA」なんて表したら両者とも持ち上げすぎだろうな。
 とまあ、そのような感想を抱きつつぼんやり街を歩いていたのだが、やがてこういう大阪女性に対して男がむやみと野暮ったい、ということに気づいた。おしゃれな男の子、というのに中々出会わないのである。 女の子がかわいいのにどうして男の子がかわいくないのか、という深遠な問題を考えて分かったのは、大阪の男が基本的に「硬派」だということである。「文句あっかボケ!ワイは男やで!」というような毅然たる態度で彼らは生きている。男一筋なのである。であるが故に大阪の男の子は東京のような態度、ファッション、会話、行動様式をとることができないのだ。東京の男の子のようなファッションや言葉遣いはとても恥ずかしくてできないのである。たとえおしゃれをしても、それは東京流のものとかなり違ってしまっているのだ。そう思い至れば大阪駅付近の雑踏風景がちょっと理解できるのことであった。
 以上のようなどうでもいいことを考えながらエスカレーターに乗っていたら、突然どっかのオヤジにどかんとぶつかられた。そう、大阪ではエスカレーターは右に立つものなのであった。しかしどかんはあかんよおやじ。
 
 
 
 

藤門 弘北海道通信8月号

テレビ番組

 このところあまり大きなテレビ番組に出演してなかったのだが、最近になってテレビ東京の『ソロモン流』という番組から出演依頼がきた。
 「脱サラ・田舎暮らし万歳!」みたいなありがちな番組は困るな、と思ったら、もっと骨太の人物ルポだという。送られてきたCDを見てみたらたしかにそのようである。ちょっと恥ずかしいけど出演を承諾した。番組司会の船越英一郎さんはずっと昔にロケでアリス・ファームにきたことがあるそうで、ぼくが本にサインをして進呈したらしい。よく覚えていてくれたものだとちょっと感銘した。
 一時間番組だから撮影も大がかりで都合2週間ほどかかった。ディレクターはじめ皆さん熱心でまじめで、テレビ取材としてはかなり上質な人たちだった。
 というわけで番組は8月17日(日)の夜10時にテレビ東京系列で放映になる。どうかご覧下さい。恥ずかしながら、そこにあるのが目下の私めの暮らしであります。
 夢枕獏さん、友情出演ありがとうございました。

◆オリンピック

 夏休みになって息子たちが帰省している。食卓がにぎやかで大いに結構だが、食事が終わってさあ遊ぼうよ、と誘ってもふたりとも勉強が忙しくて全然つきあってくれない。自分の学生時代と比較して連中の勉学ぶりは驚異的で、なるほど医者になるというのはこういうことなのか、と改めて感心するのであった。
 そのふたりとの話の中でなぜかくもオリンピックが退屈か、という問題になった。結論は簡単で、「ニッポンチャチャチャ!」と応援する人にとっては競技がなんであってもおもしろいのであり、そうでない人にとっては一式どうでもいい事柄なのである。愛国的立場をとるか、非愛国的立場かでオリンピックがおもしろいかどうかはっきり分かれるのではないか。
 いっそ反愛国的立場に立って、「ニッポン負けろ!」というかけ声のはどうだろう、逆説的おもしろさで見物できるんじゃないだろうか。というぼくの提案には乗らず、息子たちはバトミントンの潮田玲子ちゃん限定で応援することにしたらしい。賢明な立場である。

◆読書

 暑い夏だけど、このところ早朝に本を読む習慣ができてきて、早いときは4時からベッドで読書。目覚めのぼんやりした意識の中で、時々目で文字を追っているだけになったりするが、それでも結構いっぱい読んでいる。
 当たりはずれがあると面倒だから、芥川賞とか直木賞とかの受賞作、候補作をかたっぱしから読む怠惰な読書、いっぱい読んだといってもあまり威張れない。

 ご参考に小説でおもしろかった10冊をあげてみましょう。
『永遠の出口』森絵都、『女王様と私』歌野晶午、『東京島』桐野夏生、『陰日向に咲く』劇団ひとり、『きつねのはなし』森見登見彦、『浮く女、沈む男』島田雅彦、『乳と卵』川上未映子、『私の男』桜庭一樹、『八日目の蝉』角田光代、『でっかり月だなあ』水森サトリ。

 ところで。前回に述べたようにぼくは世の中の「エコブーム」に猛烈な反感を持っているのである。「エコ」に反感を持っているのではなくて、「エコブーム」の騒々しさにうんざりしているのである。
 という視線で本屋の棚を見て、2冊を買ってきた。武田邦彦『偽善エコロジー』と池田清彦・養老孟司の『本当の環境問題』だ。エコロジーブームでリサイクル運動が盛んだけど、実際には役に立っているものは少ない、という指摘。あるいは、エコブームなんかで騒いでる場合じゃない、本質はエネルギー問題にあるのだ、という視点がおもしろい。
 メディアも企業広告も役人も学者も、揃って「エコエコ」の翼賛的大合唱がなり響く中、ちょっと視点を変えて考える必要があると思う。

◆コープ札幌余市店のレジ袋問題について

 前回の通信を読んだ人から、「そんな弱いものいじめみたいなことやめたら?」という意見があって、どうしてスーパーのレジ袋問題で抗議することが「弱いものいじめ」になるのかとも思ったが、まあいわんとすることが理解できなくもない。
 だから、一応意見はいった、ということで終わらせるつもりだったのだが、ある日コープの「店舗本部長」という人から反論の手紙が送られてきた。「余市店長」ではなくて本部長。どうせ形式的な手紙だろうと思ったら、なんの、文面は中々に強気だし、質問していることには答えずに結構勝手なことを主張しているではないか。
 「藤門さんともあろう方がとがっかりしました」云々と攻撃的な姿勢だし、自らの立場を圧倒的に正しいと信じている様子だ。まさにそういう「正しい立場」や身勝手な「正論」にこそ反発してるのにね。
 ペラ一枚の雑な文章で、こんなのをもって「オレがしっかり反論、論破しておいたぞ!」なんて周囲にいっていたりすると業腹なので、もう一回いわせてもらおう。

 まず、ぼくがいってるのはレジ袋節約への反対ではなくて、レジでその都度「袋がいりますか?」と質すことへの抗議だ。敵にはこれが分かってなくて、「レジ袋の節約は低炭素社会への入口なのです」なんていうトンチンカンな反論がされている。議論の出発点を間違えた上に、「レジ袋の節約でCo2制限はできないが、それは出発点として役に立つ」というように話を展開してしまう。
 レジ袋を制限してもCo2削減にはならない、という認識は正しいのだろうが、それでもやらないよりいい、あるいは運動の入口として役立つ、という点では異論がある。
 
 エコブームに対するぼくの反感は、本来、現代の大量消費社会と産業構造のあり方、とか、国内・国際政治にかかわるエネルギー対策、とかいうような構造的な問題から論ずべき地球環境の問題を、個人の倫理運動のようなものに矮小化してすり替えてしまうことに欺瞞を感ずるところから始まる。政治家も官僚も財界も、エネルギー対策やCo2の削減というような問題の責任を回避するか、ぼやけさせるために、問題を市民、消費者に押しつけているように見える。
 市民の側もレジ袋をやめて「エコバッグ」にして、なんだかいいことしたような気になる自己満足や『偽善エコ』で応じてしまえばまたなにをかいわんや、という気になる。
 このあたりのことに一切触れることなく、「レジ袋の節約は低炭素社会への入口です」なんて脳天気な「正論」を胸張っていうセンスはさすが生協、というべきだろうか。

◆続き(長くてすいません)

 スーパーだろうが生協だろうが、ぶつぶついう前にさっさとレジ袋を有料化してしまえばいいのだ。それでCo2が減って(減らないけど)、経費が削減される(される!)のだからそれでいいじゃないか。なんで「これからも呼びかけをさせていただきます」っていうことになるんだ。
 
 そしてなにより、一番答えてもらいたかった「消費の抑制運動」についてはなんの回答もなく、「ハードルが高くて真意が理解できません」だとのこと。ふざけてるよな。Co2削減の最大の近道は消費を抑制することにあるのは、誰が考えたって当たり前じゃないか。企業がモノを作り、消費者がモノを消費する、この過程にすべての原因と結果があるのだから、これを小さくすることこそ対策ではないか。
ところが、生協がやっているのは消費の抑制ではなく、消費の大幅拡大作戦であって、さあ買えさあ買えの大合唱だ。
 内地の皆さんはご存知ないと思うが、北海道の生協は異常なまでに新聞折り込み広告を入れ続けるのだ。たとえばコープ余市は8月1日から今日6日までの6日間に計4回の折り込み広告み入れている。隔日以上の割合だからすごいでしょ。競合のポスフールはせいぜい週2回だから倍以上になる。

 コープさっぽろは道内に91の店があるのだそうだ。この店全部の領域に隔日以上に新聞折り込み広告を入れているとすると、全体の総和はすごいことになるはずだ。用紙だけでも年間で天文学的な枚数になるはずだし、印刷コストや配送に要するエネルギーも膨大なはずだ。組合員になってこのあたりの数字を開示請求したら明らかにするんだろうか。
 一方でレジ袋について消費者を査問しつつ、片方の手で膨大な資源の無駄使いをしているのが、いまのコープさっぽろである。レジ袋の査問をするなら新聞折り込み広告をやめろ、といっておこう。

 コープ余市店の壁には「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」という古風な社会主義的メッセージがレリーフになっている。であるなら、国も自治体も同じ方針だ、なんていうバカな回答は撤回するがいい。政官財が結託した自民党政府や、官僚上がりの自民党知事と土建屋議員だらけの北海道がレジ袋削減をいうなら、それだけでうさんくさいではないか。

というようなことを思うのだが、キリがないからもうやめよう。どっちにしても生協のレジは感じが悪いのだ。パートの募集広告によれば時給630円という薄給で人を使っているようだから無理もない。働いている人に文句いっても気の毒なので、できるだけコープには近づかないようにしよう。
 ダイオキシンが忘れられたように、どうせしばらくすればエコブームは終わるのだ。
 

藤門 弘北海道通信6月号

オオタカがいない

 誰に会っても挨拶のようにくり返すのが、「近頃天気がおかしいねえ」というようなことで、実際今年の北海道はかなり困った天候だ。4月にバカみたいに暖かくなったかと思ったら、5月になるとかなり寒い日が続いて、ブルベリーの花なんか咲いていいんだか悪いんだか途方に暮れていた。
 北国では春が一番嬉しい季節だが、中でも鳥たちと一年ぶりに再開するのを最大の楽しみにしている。しかし、今年は気候のせいかどうか、鳥たちにもムラがあって、種類が少なく、個体数が多い、というのが全体的な状況だった。
 残念なのが、去年までずっと裏山で営巣してきたオオタカがこなかったことだ。飛んでいる姿は時々目にはするが、営巣・繁殖は別な場所に移したらしい。自宅からオオタカの子育てを見る、というゼイタクが今年は味わえない。
 といっても毎年新しい発見があるのが自然観察だ。嶋田忠さん、小川巌さんとのおつきあいで、多少なりとも見聞を広めることができて、嬉しい限りである。

コノハズク

 北海道新聞社の「野生生物基金」という組織で評議員をやらせてもらっているのだが、ここに岡田実さんという道新の役員がいる。詳細は省略するけど、この岡田さんはアリス・ファームの歴史の中で重要な役割をしてくれた人物で、いわば恩人のような存在。その岡田さん夫妻を中心に嶋田忠さん、小川巌さんとともにホテル・ドロームで夕食会をやった。
 夜もふけてからみんなで外に出ると、そこではコノハズクが宴会をやっているらしく、「ブッ・ポウ・ソウ」の鳴き声があちこちから聞こえる。嶋田忠さんがおもしろがって、巣箱の設置を勧めてくれた。翌日は周辺を歩いて豪勢な(ガイドの)探鳥会をやり、ぼくは初めてジュウイチを見ることができた。
 その後すぐ、忠さんからフクロウの巣箱に関する資料が送られてきた。それを参考にしつつ、教わったとおりのフクロウ巣箱を5箱作り、ドロームの裏庭、白井川沿いの林に設置した。入口の穴はコノハズク専用だと6センチだそうだが、アオバズクがくる可能性もあるので12センチにした。
 設置した巣箱をフクロウ君が使っているのかどうか、夜に数回ドロームへいったが、いまのところよく分からない。街灯をつけっぱなしにしているので、夜間にガの類が乱舞しており、これがエサにはなっている様子だ。

ハッピーバースデイのアカショウビン

 この歳になると誕生日なんていうのはうっとうしいだけのもので、「誕生日おめでとう!」なんていわれると、なんだかからかわれているようで不機嫌になったりするのである。 
 そんなうっとうしい誕生日、5月30日の早朝、いつもと同じように外に出て、いつものように犬みたいに伸びをしてあたりを見回した。目の前では子育て中のモズがキチキチと叫んでいる。と、その時。温室の向こうでひやりとする鳴き声が聞こえた。一瞬とまどったが、そうだこれはずっと長い間テープで聞いてきたアカショウビンの声ではないか!と思い当たった。キョロキョロキョロ・・・・・・・と音程が下がっていく独特な鳴き声。
 瞬間ぼくは走り出し、温室を抜けてその向こうの林にある「観察小屋」にしのびこんだ。小屋の向こうには小さな谷があり、声は間違いなくそのあたりから聞こえる。キョロキョロキョロ・・・・・・。一定間隔でずっと泣き続けるアカショウビン。しかし姿が見えない。あの緋色のユニークな姿を求めて双眼鏡を動かす。あいにくの曇天でまだ陽光のこない早朝だ。姿を求めて焦るが、どうしようもない。
 どれぐらいそうしていただろうか、多分5分ぐらい、最後に思いがけない所からアカショウビンは飛び立った。一瞬のことだった。赤いといえばいえそうな姿が目の前を横切って飛んでいった。「見た!」ということになるのかどうか、微妙なあたり。ほんの一瞬のことであった。
 しかし、誕生日に免じてこれを「アカショウビンとの対面の日」ということにしてもらおう。興奮さめやらず、家に帰るとすぐに嶋田忠センセイにメールでご報告したのであった。

『酒とバラの日々』

 そんなこんなの鳥見の日々、季節は春から夏へとどんどん進む。ずっとこのまま春だと嬉しいんだけど、そういう訳にもいかない。
 鳥とは全然関係ないけど、今年の早春、ふとしたことから、といっても明瞭な契機はないんだけど、バラに関心が向かって、いきなり30株も新苗を育てることになった。おやまたバラなんて一体どういう風の吹き回し?という周囲のあまり暖かではない反応に包まれながら、ブルベリーの苗を蹴散らして温室にスペースを作り、バラのコーナーが出現したのであった。
 少年時代、横浜の家にバラがあって、いまになればもううつろな記憶だが、春になると白くていい香りの花がいっぱい咲いたのを覚えている。ぼくにそんな時代があったというのを疑うむきもあろうが、幼児の身長のぼくの目のすぐ前に花々があり、ぼくはボーイズソプラノでノバラの歌なんか歌ったのである。これがバラの原体験。以来半世紀、ホコリまみれでよれよれの大人になったぼくの前に美しくも汚れを知らぬバラが再び登場したのであるよ。

 何事によらず勉強熱心な質であるから、早速バラの本を10冊ほど取り寄せて読んでみた。当たり前だが、栽培法についてはどれも同じようなことが書いてある。東京で更に10冊ほど買い求めてそれも読破、するともう自分で本が書けるぐらいの大家になってしまった。
 京成バラ園まで遠征し、庭の一角に「フジカドバラ園」を作り、いまやぼくは『酒とバラの日々』から酒を引いた毎日を送っているのである。
 
2冊の本

 バラ本のひとつに大場秀彰著『バラの誕生』という本があって、これは東大教授が思いっきり威張って書いた本だ。毎日が忙しいのだそうで、本は海外旅行中に書くんだそうである。「海外」が偉いらしい。それにひきかえ、京大教授は謙虚で知的で好感が持てる。西村三郎著『リンネとその使徒たち』は名著だと思う。スウェーデンを旅した余波の読書。

 二冊の対比、ということでぜひご紹介したいのは、丸山健二著『田舎暮らしに殺されない法』だ。これはおっかしくて、ほとんどトンデモ本に分類できると思う。都会から田舎を目指す人を罵倒するんだけど、最初はこれが挑発だったり、一種の芸なんだと思ってたんだけど、ずっと読んでいくとこの人、本当にそう思ってのが分かる。つまり丸山健二は田舎志向が大嫌いなのね。かといって、田舎の人がいいかというと、こっちも罵倒。あっちもこっちもバカばかりで、正しく、偉いのはオレだけ、というすごい本。
 田舎では強盗には自分で闘わなくちゃならない、それには槍が一番いい武器だ、みぞおちめがけて思い切り刺せ、なんていうあたりは抱腹絶倒。朝日新聞、こんなの出していいのか。
 田舎暮らしについてもう一冊が玉村豊男の『田舎暮らしができる人、できない人』。タイトルと中身は違っていて、要するに玉村流の田舎暮らしを紹介している本。ファン向けの本だと思うけど、嫌味なくさらりとした筆致はさすが。東京出身、東大卒の人だとこういう風に洒脱になるわけで、丸山健二とはずいぶん違う。わざわざ買うのもどうかと思うので、図書館で対比して眺めて下さい。

エコブームの不快

 近頃腹立たしいことのひとつが「エコエコエコ」の大合唱。ふってわいたようなエコブームでうっとうしいったらありゃしない。企業も学校もメディアも口を開けばエコだエコだとうるさくてかなわない。
 という世評はともかく、ひとつだけここで抗議しておきたいのは思いっきりローカルに、「コープさっぽろ余市支店」である。週に一回食料の買い物にここを利用するのだが、店内の空気にはかっての生協運動の片鱗もなく、要するにただの食品スーパーである。しかし、それはまあいいでしょう、生協とはいえ経営は大変なんだろうから。
 許せないのはレジの対応で、ここでは来る客全部に「レジ袋を使いますか?」と必ず質問するのである。ほとんどの人がこれに「ハイ」と答えるのだが、これが一種「踏み絵」のようなことになっている。レジを通過するたびに感じの悪いことこの上ないのである。おまけに「レジ袋不要の方はこの札をお持ち下さい」という札があるのだから、二重の踏み絵ということになる。不愉快だからレジのこの質問はやめてもらいたい、と副店長の女性に一応抗議しておいた。しかしもちろん改める気配はない。

レジ袋廃止がなんだかエコの象徴のようにいわれるのは不当なことだと思う。レジ袋をやめると、しかじかのCo2が削減される、という数字にはかなりの誇張があるというし(『週刊金曜日』)、石油精製の分類に多少の変化があるぐらいなものらしい。それに、レジ袋というのは使い回しのいいものだから、いわば「リ・ユース」の代表選手ではないかと思う。

 そしてそもそものことをいえば、なによりのCo2削減は消費を抑制することにあるのだ。我々消費者はできるだけものを買わないことでCo2削減に協力し、地球温暖化に貢献するべきなのではないか。消費者がものを買わず、企業がものを作らないこと、これが一番の対策なのである。
 従って、生協は「ものを売らない努力」をすべきなのである。にもかかわらず、「コープさっぽろ余市店」は毎日のように新聞折り込み広告を入れ、「さあ来なさい!さあ買いなさい!」とやるのである。チラシに要する紙などの資源をどう考えるのか。店にいけばまたバカなアナウンスが大声で店内に鳴り響いて、少しでも多く売ろうと懸命だが、そこに矛盾を感じないのか。レジ袋抑制は単に店の経費削減でしかないんじゃないか、そう思えるのである。

 紙面の関係で雑な議論だけど、「通信」のこの部分を「コープさっぽろ余市店」に送るつもりでいる。コープ店長よ、即刻レジの「踏み絵」をやめなさい。


藤門 弘北海道通信4月号

北欧デザイン紀行


 
毎年息子たちの春休みに合わせて海の向こうへ旅をしているけど、オーストラリアの鳥見旅、ロスの買い物ツアーに続いて今年は北欧方面へ「デザイン見物」の旅を挙行した。相棒は長男の有巣青少年、気楽で楽しい相手である。

◆凍てつくヘルシンキを歩く

 飛行機が空いているに違いない、という判断で中部空港発のフィンランド・エアーを選び、それは見事に当たりだった。きしめんを食べて乗りこんだ機内はガラガラで文句なし。場末感ただよう飛行機でヘルシンキ着、外に出ればそこはまだ凍てつく冬景色でなんだか涙が出そうであった。
 思い切り狭いベッドのホテルに荷を解き、街に出れば暗い空の下にそれでも人がたくさん歩いているから不思議だ。ずっと前にきた時も真冬で、なんだか一日中夜だった気がする。
 バイキングの子孫は思いきり背が高く、色は白く、素敵な女性も多々見受けられるが、それにしてもこの喫煙率の高さはどうだろう。教育が進んでいて学力世界一、というけど、喫煙率は日本を超えているんじゃなかろうか。偏差値と喫煙率は比例しないのかな。

◆デザイン博物館はこんなもんなんか?

 小雪の舞う市街をあちらこちらへ歩き回り、寒いから時々商店に入って休憩方々見物をする。といっても中心地は数百メートルの範囲でしかないので、すぐに全部を歩いてしまう。
 デザイン博物館というのがあるというので訪ねてみたが、しかし展示品も少ないしディスプレーもいまいちだし、こんなんでいいの?という印象だった。博物館の建物は数世紀は経ったであろう古く格式のあるものだったが、こういった古さと現代デザインとの接点のあたりがよく見えてこない。  
 時間をもてあまして参加したバスツアーでヘルシンキを一周する。あちこちにある歴史的建築を訪ねるツアーはそれなりにおもしろかった。とりわけ「石の教会」が印象的だった。

◆ボルボで始まったスウェーデン

 ヘルシンキからバルト海をひとっ飛びでストックホルム着。予約したハーツでボルボを借りる。V60の予約だったが係のおばさんが親切でXC70を手配してくれた。料金的にはふた回り上の車だ。
 それっ!と空港を飛び出して青空の田園地帯に向かうが、100キロも走ってから方角を間違えていることに気づく。高速道路を反対に向かっていた。
 ストックホルムの中心地はなにしろ古いヨーロッパの街だから、無茶苦茶狭い。道路名は読めないし、一方通行が多いしで、ホテルに到着するのにすごく時間がかかった。有巣が運転、ぼくがナビだが、悪戦苦闘を強いられた。都市間は車、市内は徒歩、というのがいいようだ。

◆ストックホルム

 スウェーデンの首都ストックホルムは新旧が渾然となった大都市で、活気にあふれている。いくつもの島が連結されて市街を作っているが、駅のある中心地から橋を渡った所に旧市街=「ガムラ・スタン」があって、観光地になっている。初めてではないが、一応名所旧跡を見て回る。と思ったら突然の吹雪で歩くのもままならない。ビルに避難してお店めぐり。さすがデザインの国だけあって、生活雑貨や家具の店が多くて楽しい。見て回るのもおもしろいが、こういうのは気軽に買うつもりじゃないと、いまひとつ盛り上がらない。男二人で台所用具など点検して歩いてもあまり生産的ではないのである。といった感想がそのまま「デザイン紀行」の感想でもあるわけで、なんだかなあ、といった気分の散策であった。

◆スウェーデン・ドライブ

 やはりぼくは田舎向きの人間なんだろうか。一歩市街を出るとそこに展開する風景には心から感銘、感動を覚えるのである。ヨーロッパのどこでも、あるいは西欧世界のどこでもそうだが、田園の風景は本当に美しく、これこそが人間が暮らすべき本当の風景なのではないか、と思わせられる。ということは我々が普段暮らしている日本の田舎の風景がいかにひどいか、ということの裏返しなわけなのだが、それはともかく車窓に広がる風景はいくら眺めても飽きることがない。
 時々出現する小さな村や町に寄ると、そこはそこでまた実に美しく見事で、ああこういう所に生まれたかった、などと埒ないことを思ったりする。「デザイン紀行」であるはずが、田舎の風景に感銘していては仕方ないのだが、どうにも仕様がない。スウェーデン田園の民家はほとんどが木造で赤く塗装してある。この赤は「ファールン・レッド」といってファールンにある鉱山で生産されるものだ。わがホテル・ドロームの外壁はこれを模して赤く塗装してある。

◆カルマールのイケア

 カルマールという古い町を訪ねたが、その郊外にイケアがあったので見物した。日本にも支店があるが家具や生活雑貨を扱う大型店舗だ。スウェーデンの企業はいくつもあるが、なにしろ人口が一千万を切るわけで、発展するには海外に進出する以外にない。日本でぼくたちが目にするところでは、ボルボ、サーブ、エレクトロラックス、ハスクヴァーナ、ハッセルブラッド、ヘリーハンセンなどがあって、どれもさすがにデザインがいい。イケアもいまでは世界的な企業になっているらしい。
 イケア見物はおもしろかったが、さてそこで買い物をするかとなるとちょっと躊躇するところだ。販売のターゲットを新婚家庭から子供がまだ小さいぐらいの家庭にあわせているのだろう。価格帯が低くてそれなりにおしゃれ、という路線だ。日本でいうとロフトとか無印良品というぐらいだろうか。そういえばストックホルムのデパートに「MUJI」のコーナーがあって驚いた。

◆マルメからコペンハーゲンへ

 マルメも古くて魅力的な街だが、その手前にあるルンドという大学町がことさら魅力的だった。990年に城ができた、という歴史から始まって、今では北欧最大のルンド大学になっている。この古い大学でインクジェット・プリンターが発明されたというから大したものである。動植物の分類で名高いカール・リンネもノーベル賞のノーベルもスウェーデンの人だった。あたり一帯は城だらけの地帯だ。
 マルメの市街脱出に苦労してようやく乗った高速道路で国境の橋を渡る。2000年にできたエーレスンド橋は北欧とヨーロッパを結ぶ革命的な交通路だ。橋ができてようやくスウェーデンの人が「ヨーロッパに行く」といわなくなったらしい。マルメから30分も走るとコペンハーゲン市に着いてしまう。吹雪の中を街の中心地に突入し、朝の10時だというのにホテルにチェックイン。アドミラルホテルは運河に面した巨大な倉庫を改造してホテルで、英国のテレンス・コンランがデザインしたとのことだ。猛烈に太い梁など使って、これでもか、という力業のデザインをしてあった。その分高額なホテルなのである。
 雪のちらつくコペンハーゲンを歩く。しかしイースターの休暇とあってどこもかしこも完全に休業である。ここではイースターがクリスマス並の祝日であるらしい。しかし寒いのには参った。身を縮めてとぼとぼ歩き、アンデルセン童話の人魚の像を見物する。小さな人魚も凍えていた。
 寒さはともかく、コペンハーゲンは街も人々も大いに洗練された大都会であった。

◆ヨーテボリ

 再びスウェーデンに戻りノルウェー方面に北上する。スウェーデン第二の都市ヨーテボリに着いてちょっと驚いた。それまでに通過してきた都市や街とはちょっと違って、ここは割合実用的な大都会の様相を呈している。新旧が混在している、といった方がいいのかも知れないが、これまで見てきたような北欧的端正さは見ることができない。
 中央駅の駅前にあるホテルに2泊して、あたりを歩き回る。といってもホテルそのものがショッピングモールの中にあるので、遠くまで歩かなくても食事も買い物も済んでしまう。ここで期待したのはボルボの博物館を訪問することだ。郊外にボルボの工場があって、その一帯は「ボルボ村」といったことになっている。以前ドイツのワーゲン村を訪ねたことがある。ボルボ村も広大でややたじたじとなったが、ようやく発見した博物館はそれなりに見応えがあった。
 数年前に倉庫の倒壊で壊れてしまったPV444やずっと前に乗ったアマゾンなど、懐かしい車がいっぱい並んでいる。うんと古い車よりも50年から20年前ぐらいの車が特に興味深い。車だけでなく、そのあたりの時代物がぼくにはおもしろい。
 
◆田園風景にあるもの

 ノルウェーのオスロまでゆっくり一日のドライブで到達できそうだったが、夜になると季節はずれの雪が降るので道路の状態がよくない。オスロは割愛してストックホルムに戻ることにした。道路は国道がそのまま高速道路で、よく整備されている。時々トナカイ注意の看板があるが、残念ながら遭遇することはなかった。野鳥の類が思いがけず多くて、10種ほどは双眼鏡で確認できた。
 オランダほどではないが、ここにも昔の風車が残っている。水をくみ上げたりするのではなく、穀物を挽くためのものと見た。おもしろいのは現代の風車がかなり多いことで、これは風力発電のためのものだ。恐らくは国の補助金のようなものがあるのだろう、村々はそれぞれに風車を持っていて、これで電力需要をまかなっているらしい。国の全体に風力発電がいきわたっていて、これは国策なのではないかと想像する。原発一辺倒の日本とはずいぶん違うが、ひとつだけ心配なのはいわゆる「バードストライク」問題で、なにか対策がありそうで、ちょっと聞いてみたい気がする。
 もうひとつ気づいたのは道沿いにカンバン類がひとつもない、ということだ。これも恐らくルールで禁じられているのだろう。看板も電柱もひとつもない道、というのは日本では想像ができないが、本当にすっきりしている。看板のかわりをしているのが旗で、商業施設などはどこも旗を立てて存在を表している。

 ・・・・・・・という経路でストックホルムに戻り、「ノーベル博物館」を見学したり、たくさんある中国人経営の寿司屋で寿司を食べたりして過ごした。再びヘルシンキに飛んで、そこから赤ん坊がわめく最悪の飛行機で帰国することになった。

北欧デザイン見物、と称して旅してみたが、デザインそのものについて特に驚いたり深く感銘したりすることはなかった。日本もぼくもそれなりに進化しているのだろう。これがひと昔前なら、見るもの出会うもののひとつづつに感激していたかも知れない。初めてシェーカーの家具に会ったのは1979年のことで、フィラデルフィアの博物館でぼくはしばし呆然となったものだ。ああいう感動がなくなったのは自分が進んだ証拠でもあろうが、ちょっと残念なことである。
 しかし、西欧を旅して感ずるのはその田園風景の美しさであり、こればかりはいつもしみじみとした感銘をもたらしてくれる。日本との比較はしようがないが、せめて自分の暮らす風景だけでも心やすらぐものにしたい、そんなことを改めて思うのであった。



藤門 弘北海道通信2008年2月号

 今年最初の通信です。本年もどうかよろしく。
 今年の冬は雪が少ない割には寒くて、ガレージの壁に吊した温度計では毎朝零下15℃を越えている。マイナス10℃ぐらいだと、おっ、今日は暖かいな、と思ったりするわけで、さすがは北海道。

どうして冬になるのか

 秋が終わって冬になるとちゃんと気温が下がってちゃんと雪が降るからたいしたもんだよな、と近所の誰かが今更ながらの感心をしていたが、いやそのとおり。さて、ではどうして季節というものがあるのか、という問題について年末年始に息子たちと討論をしたのだが、公転、自転、地軸の傾き、というようなことを再確認した上で割合簡単に意見の一致をみることができた。当たり前?
 議論が沸騰したのは沖縄と北海道で日の出日の入り時間の差が季節によって一定ではない、という難しい問題で、これは緯度プラス経度の差によるのだろう、というアイマイな結論に落ち着いた。小学校でもうちょっと理科の勉強をするべきだった。久しぶりに「理科年表」を眺めたのことであった。

季節があってよかった

 11月にボルネオにいったのだが、なにしろ赤道直下なので、日の出6時、日の入り6時という正確さでとりつくしまがない。おまけに一年中これが続くというのだから困ったものである。あえていえば季節とは雨期乾期の別ぐらいだそうだ。季節の変化がなくちゃつまんないでしょ、といったら、「別に・・・」といっていたが、生まれてからずっとそうなんだから聞かれても困るのだろう。同じ日本でも南北の差で気候に違いがるのが嬉しいが、沖縄の人は真冬でも気温が20℃を下回ると「今日は寒かねー」(語尾は不正確)というのだそうだ。楽しい。

◆極地では

 地球のうんと北とかうんと南、というような場所へも旅をしたが、おもしろいのはやはり白夜だ。カナダやアラスカの北部にいくと、夏はほとんど昼間になってしまう。夜の10時頃まで魚釣りをして、夕日を見ながら食事をして、でもすぐにまた朝になってしまう。陽光がテントに照りつけるので眠るのは夜遅く、起きるのは朝早くなり、やはり寝不足になる。南米パタゴニアでは夜の11時に釣りをしていて、浮上したアザラシと近接遭遇、お互いにフリーズした。
 ずっと前に真冬のフィンランドにいったことがあるが、なんだか一日中夜だったような気がする。夏が白夜なのだから、冬がその反対になるのはいたしかたないが、ちょっと困った。結局適度に季節がくり返すのが人の暮らしには具合がいいのであって、日本の気候(というのかな)はまずまずのものだろう。

オオコノハズクのこと

 1月中旬に近所の人から電話があって、フクロウをつかまえたので見て欲しいということだった。民宿をやっているお宅におじゃますると、箱の中に小さなフクロウが入っていた。夜、道路にうずくまっていたのを保護したとのことだった。一見してコノハズクに思えたが、なにしろ実物を見るのは初めてで、真冬にまさかとは思うが小さいので幼鳥にも見える。

 預かることにして持ち帰り、野鳥の会のベテランに電話する。様子を説明するとすぐに「それはオオコノハズクの成鳥でしょう」と指摘され、レスキューの方法を教えてくれた。翌日は札幌に用事があったので、小川巌さんがやっている「エコネットワーク」を訪ね、野鳥の保護について書かれたパンフレットを入手した。野鳥保護のエキスパートである苫小牧の盛田さんを紹介してもらったので、すぐに電話をして保護の方法について伺う。という具合に専門家各位の意見を求めたが、皆さんおっしゃることは同じで、給餌をして体力を回復させ、もとの林に戻す、ということであった。

 いやがるオオコノハズクをケージから出して力ずくで口を開け、ここに湿らせた鶏肉を押し込む。口でいうとそれだけだが、実際にはこれが結構大変で、小さいとはいえ猛禽の仲間だから、足もクチバシも力が強い。この給餌をくり返して1週間、「ポポ」(と名付けた)は見違えるように元気になった。警戒音の「プチプチ」しか発しなかったのが、「ポ・ポ・ポ」などとコノハズクめいた鳴き声をあげるようになった。
 十日ほどしたある日、教わったとおり夕暮れ時に裏の山に放鳥をした。ケージから出すとポポはあっさりと飛び立ち、近くの枝で周囲を見回した後に林の奥へと向かっていった。今頃は林のどこかでノネズミを捕まえて堪能していることだろう。そう思いたい。
 ハインリッヒの「ブボのいた夏」にちなんで「ポポのいた十日間」と呼んでいる。。

スズメとの戦い

 エサ台は相変わらずカラ類でにぎやかだが、今年はどういうわけか歓迎できかねる一族がはびこって困っている。仲良しのカラちゃんたちは誠にお行儀がよくヒマワリを一粒ずつつまんでは木の枝にいって皮をむいて食べる。終わると次のヒマワリを取りにエサ台にくる。これがエサ台利用のマナーであり流儀であると思うし、ぼくとしてもこういうお行儀のよい子たちとつきあいたい。
 ところが育ちも行儀も悪いスズメたちにはこれができない。連中はそもそも小さな雑穀類を食べるようにできているらしく、まずはエサをかき回すことから始める。エサ台にあるヒマワリを思い切りかき回し、あたりに飛び散らしてはようやくひと粒を選んで食べる。これを団体でやるからエサ台のヒマワリはあたり一面に飛び散ってひどいことになってしまう。
 カラちゃんが東京山の手のお嬢さんだとすれば、スズメは大阪の亀田一家、そのように見える。亀田の仲間にはカケスなんていう大型もいるし、シメも姿からしてこの仲間に見えてしまう。鳥は見た目が9割なのだから仕方ない。
 というわけでエサ台は今日もにぎやかである。

野田知佑氏を訪ねる

 小学館の宮川と会うたびに、野田さんを訪ねよう、と話していたのだが、1月に東京にいく用事があったので、無理矢理ふたりの都合を合わせて徳島へ旅した。土曜にいって日曜に帰る、という忙しい訪問で、一緒に遊んだりする時間はなかったが、しかし訪ねてよかった。
 電話では時々話すが直接会うのは久しぶりのことだ。これといって特に話しこんだわけでもないのだが、野田さんは相変わらず悠然、泰然のサムライであり、なんだか嬉しくなってしまうのである。例えてみれば野田さんは、岩木山や羊蹄山のような、あくまで大きく聳える独立峰といった存在である。近づく我々は、思い切り見上げて野田さんに対するのである。どっしりした野田峰を前にすると、自分がせいぜい尖った小山ぐらいに思え、いささか情けなくなるのである。

 久しぶりの野田家には大きな池が作られ、始めて会う犬が二頭いた。池は「家から魚を釣る」という野田さんの昔からの希望をかなえたものであり、犬はとうとう純血種になっていた。
 ボーダーコリーの成犬と幼犬の二頭はかわいかった。特に生後数ヶ月の子犬は無茶苦茶かわいくて、持って帰ろうかと思ったぐらいだ。洋犬のメスの純血種で、知能テストの上位にいる犬種、という長年ぼくが主張している条件をすべて満たしている犬であった。

この国は狂っている

 鳩山邦夫が法務大臣になってから、立て続けに死刑が執行されている。かって佐高信が鳩山を評して「蝶のコレクターらしく偏執的」といい、その偏見に「佐高さん限界だなあ」と思ったのだが、いまや鳩山についてはどんな偏見でもいいから罵倒したい気分だ。

 日本の死刑制度は世界の流れに完全に逆行するものだし、そもそもから考えても死刑制度は誤っている。と、ぼくのように思う人はこの国の6%であり、死刑支持が80%だというから暗澹となる。治安の維持、被害者家族への思い、などが死刑制度支持の主張らしいが、実際には犯罪の抑止力にはなっていないし、犯罪者を殺すことで報復とするのはずいぶん野蛮な話ではないか。光市母子殺害事件の家族がマスコミとともに殺せ!殺せ!の合唱をやっているが、犯人を殺すことでなにかが解決されるのだろうか。

 鳩山および法務省の意見では死刑囚が多くなっていることも執行の理由だそうだ。いつ執行されるか分からない恐怖と対面し続ける死刑囚に対して、それに対応する拘置所職員の負担を減らす、という本末転倒の主張をしている。
 死刑支持者はなにしろ8割だからいっぱいいるはずだが、大阪知事になった橋下某もその一人だ。光市事件の(元)少年を殺せ殺せといい、死刑に反対する安田好弘弁護士をテレビで罵倒した。大阪市民もまたとんでもない人物を知事に選ぶものだ。

 死刑制度に反対する動きは少ないが、特筆すべきは超党派議連の動きだろう。国民新党の亀井静香や公明党の浜四津敏子など、ちょっとなあ、と思っていたような人物が意外な活動をしている。蝶を好む鳩山が敵で、警察あがりの亀井が味方というのも皮肉な話だけれど、ともかく一日も早く死刑制度が廃止になることを願いたい。法務官僚の提灯持ち鳩山邦夫憎し。
 
  
 


藤門 弘北海道通信12月号

灼熱爛熟の熱帯ボルネオ紀行

 
一年ほど前からの懸案であったボルネオ旅行にとうとういってきた。11月の初旬、現地ではそろそろ雨期に入ろうかというギリギリの時期に、ざっと一周ボルネオ島偵察視察の旅である。相棒は小学館勤務の宮川もと青少年で、彼とはBE−PAL編集部時代からの長いつきあいで、お互いよく承知した間柄である。
 ボルネオ専門だという東京の旅行社に各種手配を任せることにしたが、思えばこういうのはほとんど初めてことであった。旅行というのは飛行機もホテルもレンタカーもそれぞれ全部自分で手配するものと決まっているのに、今回に限って旅行社任せ、その担当も宮川任せで、それはそれで楽ちんなんだろうが、なんだかちょっと心もとない気もする出発であった。

◆某日
 
 マレーシア航空というのは可もなく不可もなし、という具合の飛行機であった。シンガポール航空は美人スチュワーデスとおいしい食事で有名だが、マレーシアについては特にそういうことはない。ボルネオはマレーシアとインドネシアで半分ずつに分割された大きな島で、コタキナバルという都市がマレーシア側に入り口になっている。ずっと前にインドネシア側に寄ったことがあるので、ボルネオは2回目ということになる。

 夜だというのに国内線に乗り換えてサンダカンに飛ぶ。旅行社スケジュールは忙しいのである。『サンダカン八番娼館』のあのサンダカン。大戦中は日本が占拠していた海に面した小さな港町だ。夜の街に立ちこめる濃密な熱気にタジタジとなりながらもスーパーマーケットに立ち寄り、夜食の材料を買い求める。後から次第に判明してくるのだが、この国では結構英語が通じるのであり、スーパーのお姉さんなんかともちょっとしたお話が可能なのである。
 宿はリゾート風のコテッジであり、宮川とそれぞれ一棟ずつを使う。以後ずっとこの習慣を続けた。

◆某日

 朝起きて見回すとコテッジの周辺には林が広がっていて、ちょっとしたリゾートになっている。早速双眼鏡を取り出すと、いきなり巨大な鳥が頭上をかすめるではないか。椰子の木に止まった様子を見ると、これがホーンビル、つまりサイチョウだった。初対面がホーンビルとはさいさきがいい。
 ガイドのお兄さんが定刻にやってきて我々をオランウータンの保護センターへ連れていく。ボルネオにきたらオランウータンに会わなくてはならないのである。欧米の旅行者に混じって解説を聞き、指定の場所で待っているとオランウータン君たちがロープにぶら下がって続々やってくる。午前10時が食事の時間らしい。どういう仕組みになっているのか分からないが、やってくるのは若いオランウータン君ばかりであった。かわいいといえばかわいい。

 サンダカンの街で食事、少し散歩。本格的に街を歩くつもりが昼になるとそれはもう猛烈な暑さで歩行さえ容易ではない。冷房の効いたお店に入って涼みつつ宮川がサンダルを買った。店名はサンダルカン。
 港のかたすみからボートに乗ってキナバタンガン川をさかのぼる。同行はロンドンからきたカップルで女性はジュリア・ロバーツにそっくりだ。つまらなそうな様子を見て同行の青年に同情するが、こういうのも美人の特権なので仕方ない。ボートが出航してすぐにすごいスコールがきて、まだ海の上にいたものだからボートは無茶苦茶に揺れた。後で聞くと宮川はもうこれで人生が終わると思ったそうだ。
 川に入るとスコールもやみ、楽しいクルーズになってきた。ガイドにそう頼んでおいたので、川岸に鳥や獣を見かけたらその都度近寄って見物した。猛禽類を中心にかなりの数の鳥を見たし、岸辺で昼寝をするワニもいた。全貌は見えなかったがゾウ君にも出会って幸運であった。

 スカウという場所にはリゾートがいくつもあって、それぞれ川沿いに独立して建っている。お客はロンドン組と我々のみ。川に面したコテッジにはエアコンもあってまずまず快適である。欠点は朝晩2時間ほど停電になることで、本が読めないので困った。
 ここでは新しいガイドが待っていて、彼が張り切って動植物の話をしてくれる。夕刻にボートに乗ってクルーズに出る。支流に入って見上げるとそこここで猿の皆さんが就寝の準備をしている。テングザルの群がいくつかいたが、どこでもボスは中々の風格である。これ以外にもカニクイザルやブタオザルの群がいた。
 夕食はご飯とおかずのセルフサービスで日本人向けだった。夜半から猛烈な雨がトタン屋根を叩く。

◆某日

 雨なのでどうにもならない。ベランダに出て目の前の大河をぼんやり見物。雨のおかげで暑さがやや弱まったようだ。雨の風景を眺めていると、ふと、足につながれた紐が切れてふっと宙に浮いたような、不思議な開放感がやってきた。一瞬があやうく永遠に触れそうな、くすぐったい幸福感に支配される。濃密で官能的な南の空気に包まれると人はクスリ抜きでハイになれる。
 雨の切れ間に時々蝶が舞っている。宮川が捕虫網を持ってそれを追いかける。ベランダの上からそれあっちだ、それこっちだと無責任なことをいいながら笑う。宮川は捕らえたトリバネアゲハをスケッチブックに写生する。彼は博物学的に、ぼくは思索的に、両者気取って過ごすキナバタンガン川の雨降りである。

 終日コテッジに垂れこめていたが、夜になって「ナイトクルーズ」というのに出かけた。川岸にいきなりフィッシュ・アウルというフクロウがいて、その先でももう一種のフクロウを見た。ガイドが強力ライトで岸を照らしてくれるから、我々はただボートに座って見物していればよい。クルーズのハイライトは帰路に出会ったヤマネコだった。たしか「フラット・ヘッデッド・キャット」といったが、水辺にたたずむその姿は野性の緊張感に満ちている。頭部に虎模様があり、体は全体にグレーで、サイズは家庭にいるネコよりやや大きいぐらいだった。

◆某日

 早朝に再びクルーズに出かける。朝はやはり鳥が多くて、双眼鏡と図鑑と手帳を交互に手にする忙しさである。ガイドも船頭も目がいいからすぐに鳥を見つけるし、種名もすぐに的確に同定する。ゲイリー君、職業とはいえ大したものである。これまでに見た鳥はすでに50種を越えていて、慣れてしまった当然のようになっているが、中にはとんでもない鳥もいる。
 ストーク・ビルという大型のカワセミを至近距離で観察し、林の木の上で寝転がっているオランウータンの姿を眺めることができた。

 ボートから車に乗り換えて、別の都市に移動する。電柱にも並木にもあちこちに鳥がいて、相変わらず忙しい。蝶がいると宮川が止まれといい、鳥がいるとぼくが止まれという。運転手は大変だ。
 ラハダトゥという街で昼食。相変わらず暑い。ダナム・バレーという所のロッジから迎えがくる。変なオヤジと2時間つきあって、原生林にある大型ロッジに到着。無茶苦茶な日本語を喋るあんちゃんが親切に迎えてくれた。もしかしたらオレの英語もあんな風に聞こえるのかしら、と思うとこわい。
 ガイドはナディという青年で見るからに信用できる男だ。コテッジは広く、食事はよろしいが、クーラーはない。暑さに加えて湿度計の針が振り切ってしまう湿度。ジャングルにきて文句をいうのもなんだが、洗濯物なんか金輪際乾かないのである。
 夜に「ナイトドライブ」に参加。イギリス人、マレー人に混ざってトラックの荷台で飛び跳ねる。シカの類がいくつかいた。動物たちはみな済まなそうに生きていて好感が持てる。

◆某日

 赤道直下のジャングルは6時に日が昇り、6時に日が沈む。ガイドのナディとともに6時に出発、トレイルを歩く。背丈が60メートル以上もある原生林の木々が朝霧に包まれ、幻想的な風景だ。日の光が射しはじめると鳥たちが活動を始める。ガイドが次々に種名をいい、あわててポケットガイドの図鑑をめくる。
 特筆すべきは「アジアン・パラダイス・フライキャッチャー」である。日本にいるサンコウチョウとまったく同じで、ただし雄は全体が白い。日本と同じ種もいて、これは「ジャパニーズ」がついている。サンコウチョウを見たことがないので比較できないが、この鳥は今回見た中で一番印象深かった。
 ジャングルの木々を結んで「キャノピー・ウォーク」が作られている。木の中間ぐらい、地上30メートル程のところにある吊り橋だ。景色がよくて楽しい散歩道。コスタリカの雲霧林ではワイヤーが張ってあって、滑車にぶら下がって木から木へと渡った。スリリングでおもしろかったが、景色を眺める余裕がなかった。

 朝食後に再びトレールを歩くが、日が高くなると鳥の姿は少ない。ただ暑いだけのトレール歩きだが、熱帯林を体験する貴重な機会だから、と自らにいい聞かせる(バカみたい)。渓谷にジャグジー・プールという場所があり、魚の姿がいっぱいあった。釣り竿を持ってくるべきだった。
 昼食の後、不当な暑さに抗議してストライキ。ケンカを売ってるのかおい、というような凶暴な暑さなのである。そんな中、宮川はガイドとふたりで再度トレイルにでかける。ところが、帰ってきた宮川は俄然前向きでひたすらな性格に変身していて驚いた。ガイドのナディの実直さが移ったのか、ジャングルの浄化作用なのか分からないが、インテリたるものそうそう明朗率直であっては困るのである。客観的冷笑的かつシニカルな基本態度を旨とし、なにごとにも気の利いたシャープな発言をしてもらいたい。そのように強く申し上げたのだが、好青年になったままにこやかに夕食にやってくる宮川であった。

◆某日

 早朝から猛烈なスコール。雨の合間を見つけて早朝のバードウォッチング。次々に新しい鳥が出てくるから困る。スパイダーハンターがかわいい。日本名はクモカリドリというが、日本にいない鳥にどうして日本名をつけるのかどうしても分からない。変に日本名を覚えてしまうと外国の人と話が通じなくて困るのだ。日本にいない鳥は英語名で覚えることを今後の方針にする。
 手帳にはその英語名がずらりと並んでいる。時々、図鑑と手帳を交互に眺めて楽しむ。

 ダナムから再びラハ・ダトゥに向かうが、早めに出発して途中で蝶を捕る予定。保護区を出たあたりにいっぱい蝶がいた。車を飛び降りてそれを追い回す。蝶は捕獲することよりも、その後の保存手続きが難しいので、それは宮川本人が担当することになっている。助手のぼくはネットで捕まえる係だ。ネットに蝶が入ったら彼を呼び、別のネットですぐ次を追うのである。すると結局宮川は保存手続きばかりやることになって、ずっと道路にうずくまっていることになる。実際はそうではないのだが、人目にはぼくがボス、宮川が助手に見えるだろう。
 「ぼくも網で捕りたいなあ」うつむいてぼやく彼を置いて、蝶を追い回すのは楽しかった。しかし、同行のガイド、運転手はそういつまでも待ってはくれない。ひらひら蝶が舞っているのに先に進まざるをえなかった。
 だからレンタカーを借りて自分で移動すればよかったのに、旅行社にひどく見くびられた我々は「普通の日本人」なみの旅をしている。移動手段を自ら持つことは旅の絶対の条件だとぼくは思っている。だから世界中どこでもほとんど車で旅をしてきた。それなのにこのていたらく。「ボルネオ旅行社」の担当女性に殺意を覚える瞬間であった。
 ラハ・ダトゥで町の食堂に入り、ミー・ゴレン(焼きそば)を食べる。ナシ・ゴレンとかバッソとか、インドネシアと食べ物も名前も同じだ。
 空港はコンビニ規模でかわいかった。ジュリア・ロバーツのロンドンカップルと再会する。どこか海のリゾートにいったそうだ。1時間のフライトで州都コタキナバルに着く。旅行社の現地社員2名が日本語で出迎え、ホテルまで送ってくれる。自分でタクシーに乗ればいいだけの話なのに、変におおげさで困る。
 コタキナバル市街のナイトウォークでは特に目立つ生き物はいなかった。

◆某日

日曜の朝、コタキナバルの町には朝市が立つ。ホテルの近くなので出かけてみた。道路にそって延々と出店が並び、食品、生活雑貨の類が山積みになっている。すごくおもしろいけど、どこまで歩いても同じような店なので次第に退屈してくる。昆虫の標本を探したのだが、ごく一般的なお土産品しかなかった。市内に標本商のような人がいないか探してもらったのだが、これも発見できなかった

 「ボルネオで車の運転なんて無理だと思います」といった旅行社の女性は本当にバカだと思う。一般にアジアでは車の運転は難しいが、ことボルネオに関してはこれほど楽ちんな場所は他にない。宮川とそう話しながらレンタカーでキナバルパークに向かう。車は日産の4WDピックアップ、すこぶる快適である。
 キナバル山は4000メートルもあって、ずっと遠くからも頂上の岩峰が望める。その登山口あたりが大きな公園になっていて、ここがバードウォッチングの名所なのだそうだ。それなら一度見ておこう、というぐらいの気軽なドライブである。

 日曜とあって公園界隈はずいぶんにぎわっている。ジャングル奥地のリゾートにいた目からは、なんだかいかにも観光地めいていて、ちょっと困った場所であった。料金は高いが、上等なコテッジがあるそうだ。 公園を出てから、蝶がいそうな場所を求めて進む。ラナウ町あたりが蝶で有名だというので、走り回るが一向に蝶が出てこない。蝶を出せ!といい人をやめて不機嫌になった宮川が叫ぶ。車がないと蝶がいて、車があると蝶がいない、こういう現実を哲学用語で不運といいます、というと宮川がフンと鼻で答えた。そうそうインテリはそうでなくてはいけない。
 ラナウの町でまたミーゴレンを食べてコタキナバルに帰る。最後の日なので少し市内を歩く。本屋、お土産屋などをひやかして、図鑑をいくつか買う。

◆某日

 KKと呼ばれ、書かれるコタキナバルでは、ハイヤット・リージェンシーに2泊してやった。西欧ではちょっと泊まりにくいけど、ここならせいぜい1万円だから安いものだ。海を見下ろす部屋は快適で、双眼鏡で通りかかる船をひとつずつ点検する。その昔、ここらには英国の船、オランダの船などでにぎわったに違いない。大戦中の日本軍の悲惨な歴史も眠っているはずだ。と思うと歴史を全然知らないことに気づく。勉強しなくっちゃ。
 
 とまあそんなわけでボルネオかけ足旅行は終わった。
 野鳥をたくさん見ることができた。手帳にメモした名前がおよそ60種、見たけれど同定できていない種数十種いるはずだ。去年のオーストラリアとおおよそ同じ数になる。
 詳しく聞かなかったが宮川は蝶を数十種程度捕まえたはずだ。国立公園内では生き物を捕獲できないから、彼はもともと不利な立場にあったし、季節のせいなのかどうか蝶の数が思いがけず少ないということもあって、予想以上ではなかったようだ。鳥見に付きあわせたようで申し訳ないことをした。

 次回は蝶中心にやろうぜ、今度はマレー半島に進軍しよう、うんそうしよう、と相談中である。捕虫網で蝶を捕えてからの手続きを覚え、いっそ展翅法なども覚えて「虫屋」の仲間入りしてみようか、そんなことを思っている。ぼくが虫屋になったら、マレー半島から蝶の姿が消えるかも知れない。   


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