アリス・ファーム へようこそ! 北海道 赤井川村 から ブルーベリー ジャム と 北の暮らし をお届けします。



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食卓日記マーク
#37 (2017.9.12)
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今年の敵 その1
 春うらら、温室で簡易椅子に腰を下ろして種を播く。まだ日差しは弱いけど長い冬のはてにやって来た至福の時間だ。
 野菜、ハーブ、花、冬の間に集めた種を育苗トレーや3号のビニールポットに埋めていく。頭の中は夏の菜園の様子でいっぱいだ。
 インゲン豆とひまわりの植え場所を巡って真剣に思い悩む。両者とも菜園の壁として菜園の表情を決める重要な役割を負っている。インゲン豆は食卓の常連という訳ではないが、濃い緑のティピは菜園には欠かせない。ひまわりは実用性こそ皆無だが、夏を感じさせるばつぐんの装飾効果がある。実質一辺倒だった10年前だったら地面の浪費以外の何物でもないひまわりをこんなにたくさん栽培するなんて思いも寄らなかった。
ひまわり
ネズミの大好物ゴッホのひまわり
 今年はゴッホのひまわり、東北八重(おしんみたいでついセレクト、実際はトーホク種苗の八重咲きひまわりというきわめてシンプルなネーミングなのだが)矮性ミックス、サンフレームなど数種類の種を播いた。バラ及び白や紫の花を頂点とする英国式庭園花ヒエラルキーにおいては最下層に分類されるであろうひまわり、否、ピラミッドに組み込まれることもないだろうひまわり。
 でも最近では残り少ない人生、そんなヒエラルキーに惑わされずに栽培したい花を好きなように栽培するのだと開き直っている。今年はカンナやダリア、ルドベキアやオレンジ単色のキンセンカも栽培することにした。矮性ひまわりの黄色い花とオクラの濃い緑のコントラストを思い描いてウットリしているのである。
 50種類を超す種をまき終えて今日の作業は終了。野菜半分、ハーブと花が残り半分といった割合だろう。
 
 翌日、朝一番に温室に向かう。外気温は10度以下、でも温室に一歩足を踏み入れるとぽかぽかと気持ちがいい。まだ発芽しているはずもないけど、昨日種を蒔いたポットの集団を見て回る。
 ひまわりの所で足が止まった。ゴッホのひまわりの種を播いた3号ポットの土が掘り起こされて、青く着色された種皮があちこちに散らばっているではないか。あー、やっぱり。昨日、育苗トレーの隙間を横切った影を目の端にとらえたのである。一瞬ネズミかもしれないと思ったけど、気のせいということにして忘れることにしたのである。
 
トーホク八重
トーホク八重、おしんを連想させるネーミング
 やはりネズミだったのか。ゴッホほどではないけど他のひまわりも掘り起こされている。ただちにホームセンターに飛んでいって業務用ネズミ捕りを購入した。
 冬の間、野鳥のえさ台の下をうろちょろするネズミが気になったので、これを仕掛けたところぽつぽつとエゾヤチネズミがかかっていた。野鳥がこぼしたひまわりの種を食べに来たのだろう。
 ネズミだって猛禽類やキツネのえさとして自然界ではちゃんと役割を担っているわけだから殺生は慎みたいところだが、積もった雪にトンネルを掘って縦横に動き回り、ブルーベリーの樹皮を囓るので農場では大敵なのである。
 被害状況を調べてから、被害を免れたひまわりのポットのそばにネズミ捕りを仕掛けた。
 昼間、何度か様子を見に行ったけど夜活動するのだろうネズミ捕りは空だった。
 
ひまわり
ネズミは見向きもしなかった。寂しげにうなだれる
 翌朝、温室に直行した。奥の方に仕掛けたネズミ捕りを見に行く。うっ、思わず息をのんだ。折り重なるようにして数頭のネズミがはいっていたのである。最後の1頭と覚しきヤツはまだピクピク動いている。冬の間は1週間で1頭、多くて2頭程度の成果だったのに一晩にしてこんなに大勢のネズミがかかるとは。
 予想外の事態にうろたえてしまった。推測するに箱から漂うおいしそうな匂いに惹かれた母ネズミが箱に入ったものだから、子ネズミたちが我も我もと母の後を追ったのだろう。
 箱の底には粘着テープが貼ってあり、箱に入ったら最後、テープに足を取られて2度と箱から出られないような仕掛けになっている。数えてみると6匹のネズミがかかっていた。一家惨殺、あまりの惨状に手がつかず、頼んでは山の方に捨ててもらった。
 
 種子の被害状況を見て回ると、ひまわりは半分程度、紅花はほとんど食い荒らされ、大豆にも若干の被害があった。他の種子は無事だった。
 ひまわり、紅花、大豆といえばどれも種子から油を絞る植物である。ひまわり油、紅花油、大豆油、その種子はどれも油分を多く含んでいるのだろう。
 
雑草のオオハンゴンソウにそっくり
雑草のオオハンゴンソウにそっくり
 ネズミも大したもんだ。たくさんある種子の中から栄養価の高い油源種子ばかりを正確に狙っている。敵ながらあっぱれ、母ネズミが子ネズミたちに食べるべき種子を教えている最中に起きた惨事だったのかもしれない。
 ひまわりと紅花の種をまき直した。色々なひまわりの種が混じったミックスの中では特定の種子だけが食い荒らされていた。ネズミの油センサーの精度に改めて脱帽。ネズミ一家絶滅騒動の後、温室に平和が戻った。
 
今年の敵 その2
 今年は一念発起して真剣に野菜を栽培することにした。
 いつもは収穫よりも風景を重んじてきたので、収穫についてはそれほど気にかけていなかったのである。新鮮で安全な野菜が食べれればいいやとそれで満足していたのである。
 しかし、冷凍ストッカーの導入を契機として、冷凍野菜の実力を認識するにいたった。トマトだって、青菜だって、ブロッコリーだってどんなにたくさん実っても大丈夫、廃棄することはない。せっせと収穫してせっせと冷凍すれば、次のシーズンまで豊かな食生活を送ることができる。
 今年は去年冷凍したトマトを6月に使い切った。スープやソースなど加熱原料としてとても重宝した。
 冬に焼きナスやオクラ、万願寺唐辛子を煮浸しにして食べた。菜園で収穫したナスはせっせと焼いて焼きナスに、万願寺はオーブンでサッと焼いて冷凍保存しておいたのである。ツルムラサキ、モロヘイヤ、ハンダマなどの青菜は凍ったままパキパキ折ってスープに加えると緑豊かな野菜スープができる。
 青菜類もほとんど毎日使ったけど春先までもったのでとても重宝した。しなびたほうれん草や小松菜に手を出さずにすんだのである。
 
 というわけで、最近、美しい風景と併せて増産という目標が菜園仕事に加わったのである。増産という観点からするとまだまだ学ぶべきことが多い。
 温室で種蒔きして発芽した苗は、いつまでも温室に置いておくと、積算温度の関係だろうか、地面に定植しても株が成長しきらない内に花が咲いて実ってしまうのである。
 著しく早熟になってしまう。その代表選手がスィートコーンで、背丈は低いのに花を咲かせて実を結び、夏を待たずして完熟してしまう。短い軸にバラバラついた実は味はいいけど量が少ないから物足りない。
 毎年、美味しいからそれでもよしとしてきたのだが、今年は発芽後、昼間はポットを温室の外に出し、夜は取り込んで苗を育てた。そして30cmにも満たないなよなよした苗を菜園に定植した。
 するとどうだ、8月には背丈は2メートルをはるかに超え、見惚れるばかりの立派な玉蜀黍が結実したのである。といっても普通ののスィートコーン並みということだけど。
 教科書通りにヤングコーンは間引きして一株一実を心がけた。間引きしたヤングコーンはもちろん冷凍、ヤングコーンの絹のようなひげが美味しいというネット情報に従い、サッと茹でて食べてみたが、取り立てて美味とは言いがたかった。サンマははらわたが一番といった類いの思い込みだろう。
 
 スィートコーンはひげが茶色くなったら収穫する。実はぎっしりついているのにひげは白っぽいままでなかなか茶色くならない。48株植えたのだが、一株の欠損もなくぷっくりと膨れた大ぶりな実が48本、収穫の日を待っている。明日こそ、明日こそと楽しみに待っていたそんなある日、皮がはがされて実が露出したコーンを発見した。実がつつかれた様子もある。
 ヒヨドリに違いない、今年はヒヨドリが群れで農園に居付いてしまい、ブルーベリーやイチイの実をつつき回っていたのである。彼らに気づかれてしまったらおしまい、どうにも手の施しようがない。でも48株もあるんだから少しぐらい分け与えてやってもいいだろうと鷹揚に構えることにした。
 数日留守にしたので菜園から足が遠のいていたのだが、久々に菜園に出向くと目の前には惨憺たる光景が広がっていた。楽しみにしていた玉蜀黍がほとんど倒されて、実がきれいに食べられているではないか。こうまでされるとヒヨドリの仕業とは言いがたい。害獣として話題になっているアライグマの仕業に違いない。
 以前、冬期間休業していたホテルドロームを荒らし回ったテンを捕獲するための害獣捕獲用のかごが倉庫に眠っていたので、それを引っ張り出した。魚肉ソーセージを餌にしてなぎ倒された玉蜀黍の真ん中にかご置いた。
 かごを置いてからまた出かけてしまったので、玉蜀黍の件はすっかり忘れていると、旅先に写真が送られてきた。捕まったタヌキがかごの中で可愛らしい顔をこちらに向けている画像だった。
 犯人はこれだったのか? このタヌキが真犯人かどうかは特定できないもののこういう類いの害獣の仕業だったのである。
 
 48本あったコーンは結局1本も口にすることなく幻のコーンに終わってしまった。でもタヌキを恨む気持ちなどサラサラない。手間をかけて愛情を注いでやれば、タヌキも認める立派なコーンが実るのだと確認できた。それだけで十分、今年栽培したのは「ゆめのコーン」だったけど、来年はもっと糖度の高い「ゴールドラッシュ」で再挑戦しよう。
 いつもの直売所に行ってゴールドラッシュないと聞くとおじさんが畑に走ってもいで来てくれた。猛スピードで家に戻って、熱湯に放り込んで茹でたコーンの美味しかったこと。コーンの旨さは収穫してから口に入れるまでのスピードで決まる。品種や栽培法による違いもあるだろうが、それは味の好みの問題で決めては絶対にスピードなのである。
 
 ネズミとタヌキ、来年はどんな新顔が現れるのか、ちょっと楽しみでもある。

青菜の威力
空芯菜など
手前が空心菜・後方はバイアム、どちらも美味
 台湾やタイの食堂のメニューには必ず「青菜炒め」がある。空心菜、ハンダマ、ツルムラサキ、バイアム、青梗菜など素材となる青菜は様々だが、私の知る限りでは青菜炒めには一種類の青菜しか使われない。ハンダマだったらハンダマ、空心菜だったら空心菜のみ。肉などタンパク質系の素材はおろかや他の野菜を炒め合わせることもしない。
 辛うじてニンニクが使われる程度なのである。日本で野菜炒めというと白菜、玉ねぎ、にんじんなど複数の野菜にキノコ、肉などを炒め合わせることが多い。色とりどりで美しい。
 海外の食堂で青菜炒めを食べるにつけて、その魅力に惹かれるようになった。青菜と塩だけで十分美味しいのである。日本ではシンプルな青菜炒めがなぜ一般的ではないのか? ずっと不思議に思っていた。以下推測。
 
 台湾やタイでは一年中青菜が生えているからちょっと摘んできて炒めれば手軽におかずが一品増える。沖縄でハンダマの種を探していたら、あれはそこらに生えているものだから種なんかないと言われた。なるほど熱帯、亜熱帯地方では青菜は限りなく雑草に近い作物なのかもしれない。
 日本で青菜といえばほうれん草や小松菜。しかしそれらは雑草ではなく立派な野菜なのである。ほうれん草なんて気むずかしいから栽培も難しい。中華鍋いっぱいのほうれん草はずいぶんと高価なものになってしまうから気軽にもう一品というワケにはいかない。加えて「柔らかい」が食の重要なキーワードになっている日本では、野菜も柔らかく柔らかくという方向で改良されてきたのか、総じて葉が柔らい。青菜炒めはしゃきっとした食感が大切だから葉が肉厚でしっかりしている青菜の方が向いている。
 
 雑草に近い青菜を年中、気軽に摘める熱帯、亜熱帯の地方とは違って、日本では青菜は冬の保存食、漬け物として利用されてきた。野沢菜漬けを筆頭に壬生菜漬け、カラシナ漬けなど日本各地には地方色豊かな青菜の塩漬けが存在する。青菜は炒めて食べる野菜というよりも漬け物として保存する野菜という方向で改良されてきたのかもしれない。だから色とりどりの野菜炒めはあっても、シンプルな青菜炒めにはあまりお目にかからないのだろう。
 
 空心菜でもバイアムでも単独青菜炒めは美味しい。ニンニクを隠し味に塩を振りかけて炒めるだけで十分に美味しい。
 しかし炒めものに適した青菜は入手が難しい。それで数年前から青菜を栽培している。最初はツルムラサキだけだったけどハンダマ、雲南百薬(おかわかめ)が加わり、モロヘイヤが加わり、空心菜、バイアム(おかのり)が加わって、今では菜園の一大勢力を形成するに至った。
 
 雑草に近いから栽培はすこぶるかんたん、雲南百薬とハンダマは種が入手できないから苗を取り寄せるけど、他の青菜は種を播いて育苗して菜園に定植して育てている。気持ちいいくらいどんどん成長する。毎日摘み取っては青菜炒めをこしらえる。
 摘んできた青菜はサッと洗って中華鍋にニンニクと一緒に放り込み、日本酒をたらりと垂らして塩を加えてフタをする。野菜の水分で葉が柔らかくなった(生ではなくなった)ら取り出して皿に盛る。この間2分。箸が進む。大量に摂取できるから体にもいいような気がする。
 今日はバイアム、明日は空心菜というように素材を替えれば毎日食べても飽きない。万一、飽きてもサッと湯がいてナムル風にしたり、鰹節をかけて和風お浸しにすれば目先が代わって美味しく食べられる。
 青菜バンザイの今日この頃なのである。
 
 都会の洒落たエスニック料理店のメニューにのっている空心菜炒めなど軽く1000円は超す。腹が立つからもちろん注文などしない。そもそも空心菜はヒルガオ科の野菜、本家のヒルガオといえばガーデンの最大の敵、その生命力の強さたるや尋常ではなくちょっと油断しようもなら手近な作物に巻き付いて空を目指すのである。
 貪欲なその血をひいているからだろうか、空心菜も頑強そのもの、ヒルガオに似た葉はグングン伸びる。摘んでやらないと葉は20cm近くにも生長し、これも食用分である葉柄と合わせると30cmを超す長さ、可食部分が非常に多く効率がいい。(最近台湾で食べた空心菜はまだ若くて半分くらいのサイズだったが)
 何でこんなに有用かつ手間のかからない青菜が普及しないのか不思議でならない。
 
 ツルムラサキ、ハンダマなど他の青菜も同じようなものだ。今年はツルムラサキのツルを収拾がつかなくなる前にせっせと摘み取って食べたから割合おとなしくしているし、雲南百薬も株数を控えてつるをこまめに切り取ったおかげで緑のカーテンぽく美しく生育している。
 
菜園と想像力
 菜園に苗を定植するのは楽しいものだ。収穫と並ぶ一大イベントともいえる。あらかじめ計画をたてて植えつけ予定図などを手に菜園に向かうけど、結局は出たとこ勝負、ナス科の作物や豆科の作物を連作しないように心がけるくらいのものだ。5区画あるから順々に回していけばいいのだけど、時々、スナップえんどうとトマトを同じ区画で栽培したり、そら豆の後方にナスを植えてしまうからややこしいことになる。教科書に従えば、翌年はその区画には豆科植物もナス科野菜も植えられないことになってしまう。
 それでもまあいいか主義で細かいことは気にせずに大切に育てた苗を植えつける。
 しかし植えつけ前の菜園は、菜園とは名ばかりでそこはただ土の原である。作物を植えて初めて畑とか菜園とか呼べるわけで、何も植わっていない土の原はまことに冷涼としている。堆肥や石灰などを施してもやはりタダの地面である。
 教科書には株間何cm列間何cmに植えなさいよ、と野菜ごとに目安が示されている。
 しかしそれを守る勇気はない。畑とは呼べないただの土の原を前にしてどれだけの人がそのルールを守れるだろうか。だって茶色の冷たい土に小さな苗が心許なげに佇んでいるのである。守れるとすればそれはよほど無慈悲で意思の強い人だろう。
 
 こんなに小さな苗をこんなにスカスカに植えて大丈夫だろうか? スカスカ部分が雑草の巣となって苗は雑草に負けてしまうのではないかという不安がよぎる。
 で、不安から逃れようとしてスカスカ部分にバジルを植えてしまう。ルール破りである。なるほど地面を眺めればバジルが加わったことでスカスカは幾分解消し、バランスがいいように見える。ルールでは1メートル四方に1株だけど2株植えてもたいして問題はないように思える。今は。
 
 夏の菜園を想像してみよう。植えつけられた苗は地面を2次元的に占有するだけでない。成長に伴い空間も占有するのである。作物はたいてい紡錘形に広がっていく。3次元的にみれば地面と合わせて空間ももはや売約済みなのである。1メートル四方に1株というルールには将来的に占有するであろう空間も含まれているのである。ということに足の踏み場もなくなった夏の菜園に佇んでようやく気づくことになる。
 
 よし来年こそは苗の本数を半分に減らして、通路を確保するとともに使い勝手も見栄えもいい菜園にしよう。と去年も誓ったはずなのに。
 
今年気づいた新事実
 何年経っても菜園には、毎年毎年新しい発見がある。
●ナスタチュームの拾い苗は止めた方がいい。
 春先に前年のこぼれ種から芽吹いたナスタチュームを鉢上げするのを無上の楽しみとしてきた。しかし今年、そうした拾い苗は葉ばかり茂って花があまりつかない、ついても時期がすごく遅い、ということにようやく気づいた。
 以前から薄々感じてはいたのだが、今年はその事実が確定的となった。植物学の初歩なのかもしれないけどこれで春先の楽しみがひとつ消えてしまった。
 
●苗はできるだけ自分で育て方がいい。
 少なくともオクラ、ゴーヤー、ツルムラサキ、そら豆、スナップ豌豆、大豆、インゲン豆、スィートコーンについては温室で種を播いて育てた苗の方が市販の苗よりもずっと生育がいい。オクラなどは早く定植したい一心で、本州から苗を取り寄せてしまうのだが、碌なことにはならない。きっとこの土地で育ち、この土地の気候に徐々に順応した苗の方がこの土地にはいいのだろう。
 
そら豆1 ホームセンターで見かけた苗をつい購入してしまった。
そら豆2 去年沖縄で入手したトウマミの種が残っていたので温室で育苗した
そら豆3 早生の春植えブロードビーンの種をイギリスの種苗会社から取り寄せて温室で育苗した。
 そら豆は低温に合わないと花芽がつかないというので、発芽後は昼間はポットを温室の外に出して、夜は取り込むという手間をかけてやったところ、苗はスクスクと育った。
 そして結果は1,2,3とも同じ、これまでになくたくさんのそら豆がほぼ同時期に収穫できた。沖縄のトウマミもイギリス生まれの早生ブロードビーンも生育のスピードも花もマメの付き方もその味も少しも変わらないという新発見。

●収穫適期
キャベツ
中玉と小玉合わせて9個。
キャベツの上でアキアカネがひとやすみ
 収穫は楽しい。この日のために栽培してきたのだからそれは当然だけど、作物によっては楽しいと思えない収穫もある。その筆頭は芽キャベツだろう。長く伸びた軸からひとつずつ芽キャベツをはがすのは力がいるし、退屈この上なく少しもおもしろくない。これが至上の美味なら話は別だが、芽キャベツはハッキリ言うと不味い。小さくて可愛らしいキャベツというところに芽キャベツの唯一の存在価値はある。30歳を超えた息子たちが芽キャベツの収穫だけはイヤだったなーといまだに訴えるほどだ。無理もないと思う。ここ10年くらいは芽キャベツから遠ざかっている。
 
 最近、菜園でキャベツを栽培するようになったが、芽キャベツの親分たるキャベツの収穫も楽しくない。地面すれすれに伸びた短い茎からキャベツの玉を切り取るにはすごく骨が折れる。カタログで見つけた収穫包丁なるものも購入したのだが、頑強な茎の前にあえなく退散。鎌やら剪定ハサミを動員して土まみれになったキャベツを何とか切り取ってきた。
クジャクチョウ
不作の蝶の中でひとり大健闘した
クジャクチョウ
 しばらく北海道を離れるので菜園にある9個のキャベツを収穫することにした。中玉と小玉サイズだが花を咲かせてしまうよりはましと思い、収穫包丁でトライする。すると包丁は小気味よくスパッとキャベツの玉を切り落とした。刃を研いだ覚えもないし、包丁が心を入れ替えた形跡もない。はたと気づいた。
 そうか、これまでは玉が割れる寸前の大玉を収穫していたから茎が堅くなり、この収穫包丁の刃では無理だったのか。
 包丁が気持ちよく働ける時こそキャベツの収穫適期なのだ。
 収穫期は包丁に相談、これからはそうしよう。
 
石垣島箱庭果樹園 7月
 7月の半ばと8月の終わりに石垣島に行って来た。3年したらジャングルというあの言葉は決して大げさではなかった。パッションフルーツはからみ合ったツルが小ジャングルを形成していたし、2月には膝丈だったバナナが7月半ばには3メートルを超して巨大化し8月には花まで咲かせていたのである。
 私の不在中、正子おばあが手下たちに指令を出して世話をしてくれた賜物である。
 
●喜屋武さんがパッションフルーツの棚に漁網をかけてくれた。
 海人の弟さんからもらったという漁網がドーム型の棚に被せてあった。漁網というからごつい網を想像していたのだがそうでもなくてひと安心。パッションのツルが縦横に這い回っているので網本体はあまり目立たない。
 網があって本当に助かった。これがなかったら、収拾のつかない事態に陥っていただろう。せっせとパッションのツルを伐る。これが今回のメインの仕事になった。
 
 暑い。それにしても暑い。色々用事を済ませてから箱庭に到着したのは10時頃。パッションの剪定を始めたけど30分もしないうちにあまりの暑さにギブアップ。暑さと湿気が体にまとわりつくのである。気がつけばあたりに農作業の機械音はなく、もちろん人影もない。
 おばあに聞くと今の時期は、ワーキングタイムは朝はせいぜい9時まで、夕方は4時からだそうだ。熱中症を警戒してすごすご退散。田代さんとランチに行ったり、いつもの林道を走り回ったりして日が暮れるのを待つ。
 
 暑さもピークを越えたようなので、箱庭に戻ってパッションのつるきりを再開。メインの茎を探し当てて3本仕立てにすることにした。入り組んだ枝やツルをバツバツ切り落とす。最初のうちはこわごわ少しずつ、次第に大胆になって切り落としたら大丈夫? と心配になるほどスカスカになった。
 夕食はおばあと一緒にうみの花へ、パパイヤの煮付けが珍しかった。

●喜屋武さんが漁網かけのついでにドラゴンフルーツの苗も植えておいてくれた。
 翌日は6時頃、箱庭に到着。ようやく日が昇った。昨日メークマンで買った肥料を箱庭の周りに植えたローズマリーやハイビスカスなどの根元にばらまく。切り落としたパッションの枝でマルチをする。
 ドラゴンフルーツはサボテンである。ローズマリーとは反対側、ランタナの後にドラゴンが20株近く植わっていた。喜屋武さんが1週間ほど前に植えてくれたそうだ。それは苗というより地面に刺さっているサボテンの切れ端といった方が正確かもしれない。
 切れ端はだいぶ年数が経っているように見える。若干枯れているようにも見える。でも信じよう。あのショッキングピンクの特異な実がたわわに実る日を信じよう。
 ドラゴンの周辺の草をとり、生い茂るセンダングサを刈って、肥料を播く。ローズマリーと同じようにパッションの枝でマルチをして優しい言葉をかけておいた。
 
パパイヤの花
箱庭果樹園、パパイヤの花、実もたわわ
 午後、シャンティガーデンの神田さんの家に寄った帰り道、おばあがパパイヤを取りに寄り道するという。それは道ばたにある主人のいないパパイヤの大木で、実がたくさんついている。鳥につつかれている実も多いので、ひとつずつ調べながらビニール袋に詰め込んだ。重たい、けどまだまだ実はたくさん残っている。時々肥料やるから私のものとおばあは笑う。パパイアはシリシリにしたり、煮物に使うそうだ。
 そういえば途中、アイスを買いに寄った食料品店で野菜マンゴーなるものを発見した。
 84歳になるおばあでさえ初めて見るという。見かけは紛れもなくマンゴーなのに一体どこが違うのだろう。店番のおばあに尋ねても要領を得ないのでとりあえず一袋購入、2個入りが100円だった。(北海道で食べたけど野菜マンゴーはユラティク市場で購入した普通のマンゴーと変わらなかった)
 
 翌日も朝早くから箱庭で仕事。周辺部のオオギバショウ、ランタナ、ハイビスカスに施肥、パッションのつるきりを続行。
 田代さんとランチを約束をしていたので慌てて町に向かう。と車をぶつけてしまった。
 ウーンまずい。おばあが娘さんたちに声をかけて「まぶいぐみ」をやってくれた。
 「魂込」動転して行方知れずになった私の魂を探して元に戻す儀式だという。車のそばで彼女たちが大声で「ウドさーん」と叫ぶ。私も大声で「はーい」と応える。何度か繰り返して終了、そこに落ちている石を拾うのが慣わしという。私も石をいくつか拾ってポケットにいれた。こうして魂は無事に戻って落ち込みから回復した。しかしそれ以降、おばあは私にハンドルを握らせてくれなかった。
 
辺野古新基地NO
 最終便で那覇に飛んで翌日、辺野古に行く。考えることがたくさんあった。キャンプシュワブの前に設置された団結小屋でダンプや機動隊の動きを見張ることになっている。動きがあればキャンプゲート前に座り込むべく待機する。今、権力にとってはこの小屋こそ日本一目障りな構築物だろう。
 死に体にある日本の民主主義を辛うじて支えているのがキャンプに対峙するかのように立てられたこの粗末な構築物だと思った。
 
石垣島箱庭果樹園 8月
 いろいろないきさつがあって何と仁木一家と台湾経由で石垣島に行くことになった。3世代である。チケットもホテルも気にしない旅なんて初めての経験。
 
 台湾では台南郊外の玉井というマンゴーの産地に行った。以前から行きたいとは思っていたが、いつも蝶の季節に合わせて夏は避けていたので行けなかったのある。
 玉井に近づくと斜面にはマンゴーの畑が目立つようになり、市場には各店ごとにかごに盛られたマンゴーがズラリと並んでいる。壮観の一言。
ドリアン
ドリアン、見かけは温和しそうなのだが
 定番の巨大マンゴーかき氷を食べたあと市場を巡回、販売はかご単位だそうだが、無理をいって4個分けてもらう。生マンゴーは日本には持ち帰れない。おばさんが5本の指を出しのでてっきり500ドル、日本円で2000円かと思ったら50ドル、200円だった。何と1個50円、どこに出しても恥ずかしくない立派なマンゴーである。
 仁菜の好物だとういうランブータンも購入、市場から少し離れた露店でドリアンを発見、マンゴーに比べるとかなり高いから輸入品なのだろう。でもそうそうお目にかかれるものではないから1個購入する。店のおばさんに頼んでその場で割ってもらう。ホテルには持ち帰れないからここで食べるしかないのである。
 奥から出てきたおじさんがナイフで半分に割る。ふたりで何か話している。話の内容は不明だが、どうも表情から判断すると割ってはみたもののまだ未熟、少し早かったようだ。どうしようか? このまま渡す? 悪いから別のを割る? でも高いしなー。よし、せっかくだからもうひとつ割ろう。多分こんな会話が交わされたのだろう。ドリアンの山から別のを選んで割ってくれた。今度のはOKのようだった。
 食べやすいように8等分くらいにして、袋に入れくれた。
市場のマンゴー
玉井のマンゴー市場、圧巻の一言
 あつみさんとふたり、店の前にあったイスに腰を下ろしてドリアンを食べる。袋の中には悪臭が充満している。袋から果肉を取り出して口に運ぶ。まだ未熟のようで匂いもキツくない代わりに味ものっていなかった。別の取り出して食べる。十分熟した実は匂いも味も強烈だった。実は人工的な感じがして私が果物に求める風味とはかなりの隔たりがある。これならシャカトウ系のチェリモヤやアテモヤの方がいい。匂いを乗り越えて食べるほどではないと思った。こういう経験ができるのが複数人で行く旅のおもしろさなのだろう。ひとりじゃいくらなんでもドリアンには手が出ない。
 このドリアンの山はいつかはなくなるのだろうか。このあたりでもそんなに愛好者、物好きがいるのだろうか、と心配になった。
 
 マンゴー市場の光景は確かに壮観ではあったが、その光景はネットの情報サイトで何度も見たものだ。情報が不足していた20年くらい前だったら、台南の郊外にマンゴーの産地があってすごいらしいよ、(地図を取り出して)でもどうやって行くんだろう。台南の観光案内所で聞けば分かるかも、というような手続きを経てようやくたどり着いた玉井の市場でこのマンゴーの光景を目にしたらものすごく感動しただろう。すごーい、すごーいとはしゃいで店を一軒ずつ観察し、写真をたくさんとり、それでも離れがたくて日が暮れるまで周辺を歩き回って、最終のバスに乗り遅れそうになったかもしれない。
 あの頃とは確かに感動の質が変わった。もう初めて目にする光景なんてほとんど残っていないのかもしれない。旅は「発見する」から「確認する」へと変わったのかもしれない。帰りのバスの中でそんなことを考えた。

●バナナの花が咲いていた。
市場のマンゴー
箱庭では超特急でバナナの花が咲いた
 台湾経由で石垣島へ。見上げるほどに成長したバナナに早くも花が咲いていた。あの花は果たして実をつけてくれるのだろうか。バナナすごーいと喜んでいるとあれは草だから成長は早いけどゾウムシが入ったらいっぺんで終わりだからねと何人かの人に釘を刺された。10cmほどの島バナナは小さいながら適度な酸味があって美味しい。島で島バナナをずっと食べていたら癖になって北海道でもバナナを買ってみたけどまるで違った。未熟果を人工的に完熟させるのと完熟した実をとって食べるのとの違いだろうか。ともかく楽しみなことだ。
 
●パッションフルーツのつるきり
 前回、あんなに思い切りよくツルを伐ったのに棚はもうジャングルと化していた。前にも増して思い切りツルを伐る。石垣島でパッションのつる切りを体験して以来、北海道の菜園でもツルムラサキや雲南百薬、胡瓜やゴーヤーのツルをどんどん切り詰めるようになった。おかげで例年に比べて菜園がスッキリしたように思う。
 
●整備進む
市場のマンゴー
箱庭、4方向から引っ張って
大切なアボカドを補強する
 雑草よけのために箱庭全面に張り巡らした防草シートがはがされていた。幼かった苗木が雑草に負けないようにと植えつけの時に張ったものだが、苗木もだいぶ成長したからもうはがそうねとおばあと相談していたのである。
 防草シートは雑草は防ぐけど、水の浸透は妨げるし、黒いから熱を吸収して地温を上げるという弱点もある。あースッキリした。時々草刈り機(こちらではビーバーという。ビーバーいう商品名が刈り払い機全体を指すようになったのかもしれない)で雑草を刈れば大丈夫だろう。
 
●台風対策
 箱庭の果樹の中でもとりわけ期待をかけているのが、アボカドとシャカトウ。これらの木の周囲をパイプの枠で囲い、幹とパイプをヒモで繋いで強風に耐えるよう神田さんに補強してもらった。木に添わせる1本の支柱と違って四方向から木を支えることになるからずいぶんと強力な台風対策になるだろう。最近植えたビリバ(シャカトウの仲間らしい)も補強。これでいつ台風がやって来ても大丈夫のハズだが、今年は大きな台風はまだ来ていない。備えあれば何とかで、ひと安心。
 
●雨が降らない  今年の夏は気温が異常に高くて雨量が少ないらしい。いくら水をやっても地面はカラカラ、ザッと降ってすぐに止んでしまうスコールのような雨やぽつぽつ程度の雨は降るけどまとまった雨は降らないという。それで水をたっぷり撒く。ついでにHB 101を全員に施す。少しは元気になってくれると嬉しい。
 
 辺野古に行こうと思ったけど旧盆で抗議活動はお休みだった。次回はぜひ。



食卓日記マーク
#36 (2017.7.4)
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石垣島箱庭果樹園 3月
3/21 石垣島 1日目
 東京から石垣島へ直行して夕方到着。田代さんが空港まで迎えに来てくれた。天気よし。気温25℃くらい。「海のはな」で夕食をご馳走になる。とれたてマグロのカルパッチョには新鮮なチャービルが散らしてある。島らっきょう、カブ、パプリカをオリーブ油で焼いた焼野菜のサラダ。グリルした島らっきょうは初めて食べた。甘さもうま味も増して生や天ぷらとはひと味ちがった美味しさを堪能。

3/22 石垣島 2日目 曇り
 早速、建設途中の箱庭果樹園に行く。正子おばあといろいろ近況を報告しあっているうちにお昼近くになってしまった。これはいけない、箱庭果樹園を巡回。前回植えた苗のうち1/3位が瀕死の状態だったけどまあ想定内の結果。冬にしては風が強かったらしくてあちこちで防草シートがめくれ上がっていた。箱庭の一番奥には頼んでおいた水道が新設され、蛇口にはホースがはまっていた。試しに蛇口をひねると、勢いよく水が迸る。おばあが知り合いに工事を頼んでおいてくれたのである。
 
 
キジスープ
これが正体不明だったキジスープ。
美味しいんだけど
お昼をご馳走になった。最近害鳥に指定された野鳥が手に入ったので煮物にしたという。
「カモ?」「カモじゃなくて首の長い鳥、何だっけ。」
 クジャクが繁殖して困っているという話を聞いたことがあるので、もしやクジャク?それともあの憎っくきヒヨドリ?どっちにしても積極的に食べたいとは思わない。鍋をのぞくと肉は原型はとどめていないものの皮の部分に残る密な毛穴から推測すると確かにジビエ。冬瓜、大根、結び昆布と一緒に煮てある。丼によそってスープをたっぷり注いで、テーブルにあった塩コショウを入れて食べてみた。スープは鶏より幾分あっさりしている。生姜を加えて煮込んであるせいか、肉にはイヤな匂いもなく味に癖もない。けれどやっぱり野鳥の種類が気になる。煮物のおかわりを勧められたけど、大皿に盛られたソーメンチャンプルーを褒めちぎり、何だかんだごまかしてごちそうさま。
 そこに娘の友子さんがやって来たので、挨拶もそこそこに煮込まれた野鳥の正体について尋ねるとクジャクでもヒヨドリでもなく「キジ」であることが判明した。出るところに出ればキジは高級食材ではないか。   安心はしたけど大鍋いっぱいの煮物は、二人で食べてもゆうに1週間分はあるだろう。

 昼食後、前回植え残したハイビスカス用の穴を掘った。箱庭の周囲を囲んでいるオオギバショウの手前に植えるつもり。オオギバショウは成長が早くて風よけには最適だが、バサバサして見栄えがよくないからそれを隠す役割をハイビスカスに託すことにしたのである。赤い花の咲くハイビスカスを選んだ。赤い花にはオオゴマダラや各種アゲハ蝶がやってくる。
 15個穴を掘ったら、薄暗くなったので本日の仕事は終了。
 キジスープの夕食の誘いを断って、おなじみのファーマーズマーケット「ユラティク市場」に直行した。トマトもたくさん、ゴーヤーもオクラも一式そろっているが、特に青菜の類に並んでいる。嬉しくなってつい大量に買い込んでしまった。サラダ春菊、フェンネル(根の部分、日本では初めて見た!)菜花、ツルムラサキ、ハンダマ、パクチー、島らっきょう。ホテルでサラダにして食べるつもりだが、どう考えたってこんなに大量の青菜を消費できるわけがないのにその新鮮さと安さに惹かれてつい買ってしまった。食べ頃のパパイヤとスナックパインも購入。ズシリと重たい。
 苗売り場をのぞくとこれまた魅力的な苗が並んでいた。ぐっと我慢してコーヒー4株、山椒と夜香木を購入。実がついたピパーツもあったけど心を鬼にしてこれはパス。食料品店でアカマチの刺身とまだ温かいできたてのゆし豆腐を購入して石垣らしい夕食楽しんだ。

3/23 石垣島 3日目 曇り
 早めにホテルを出発してハイビスカスの苗を預けてあるシャンティガーデンの神田さんの農場に向かう。遠回りだけど79号を東シナ海沿いに北上、途中川平の先でおなじみのトミーのパン屋に寄って朝食用のパンとお土産用のパンを購入して海を眺めながら焼きたてのチーズパンをほおばる。
 10時前に桴海の農園に到着。元気のない苗を植え替えたかったので苗木をみせてもらう。神田さんの勧めに従ってパッションフルーツ2株、グアバ2株、パパイヤ1株、ジャックフルーツ1株、ビリバ1株を購入。魅力的なトロピカルフルーツの苗が所狭しと並んだビニールハウスは私の目にはまるで宝箱のように映る。四方山話のあと苗を車に積んでおばあ宅に向かう。
 
 おばあは昼食を用意して待っていてくれた。もちろんあのキジスープ、スープが昨日より美味しくなっていたのは、おばあが加えた味噌のおかげ?まだ5日分はあるな。
 
 食後、シャンティーガーデンから持ち帰ったハイビスカス15株と昨日、ユラティクで購入したコーヒーの苗木を植えた。
 今日のメインはローズマリー。去年の冬にバラビドの園芸市で購入した2株のローズマリーを正子おばあに預けておいたら、挿し木で30株に増やしてくれていた。ありがたい、緑の指の保持者であるおばあの手にかかると魔法のように苗が増えていく。
 30株の苗は定植するにはまだ幼かったので親木の2株だけ植えることにした。
 
 思えばこの「箱庭果樹園」プロジェクトはローズマリーから始まったのである。
 20年近く前、50歳を記念してイタリアを旅行したときにミラノの町で住宅街に迷い込んでしまった。いつも野菜やハーブの種を取り寄せていた種苗屋さんを探していた時のことだと思う。日本でいえば小田急線沿線の静かな住宅街といった雰囲気で大邸宅というほどでもないけど庭付きの邸宅が並ぶ一画だった。歩いているとハーブの香りが漂い始めた。その香りに導かれて角を曲がるとそこにはローズマリーの生け垣があったのである。香りの主はこのローズマリーだったのだ。
 あれ以来、私はローズマリーの生け垣にずっと憧れていた。いつか庭にローズマリーの生け垣を巡らしたいものだ、いつかいつか。しかし北海道ではローズマリーを屋外で栽培することができない。冬は掘りあげて室内に取り込まないとローズマリーは冬越しできない。だからどうあがいてもローズマリーの生け垣は叶わぬ夢なのである。ゴーヤーやハンダマは露地でも育つし、南国フルーツだって温室さえあれば育てることもできる。でも北海道でローズマリーの生け垣を作るのは不可能なのである。
 以前、見せてもらった石垣の恵子さんの畑にはローズマリーがたくさん植わっていた。膝丈くらいに成長したローズマリーがまるで生け垣のように列をなして並んでいる。彼女の話ではその年に小さな苗を植えたそうだ。手入れもなし、気がついたらこういう状態になっていたという。「ローズマリーにはハブが寄りつかないから安心」と言って笑った。
コノハチョウ
くたびれたコノハだけど羽裏のコノハ模様が美しい
 そうかこの島ではこんなにもたやすくローズマリーの生け垣ができるのか!いつかいつかと先送りしているうちに、もうそんなにたくさんの時間は残っていないことに気づいて何とかしなくっちゃと焦っていたのである。そして今、ようやくローズマリーの生け垣作りに踏み出したのある。そこらにいくらでもある何の変哲もないローズマリーの苗だけど、この苗には私の20年来の夢が詰まっているのである。ちょっと感傷的な気分で2株のローズマリーを植えた。
 
3/24 晴れ
 おー久々の晴天、早く林道に飛んで行きたいのを我慢して箱庭果樹園に向かう。枯れてしまった苗を処分して神田さんの農園で入手したパパイヤ、グアバ、ジャックフルーツ、ビリバなどを新たに植えつける。予定外のジャックフルーツの鉢を前にしてどこに植えようか思案している自分がおかしかった。デルフィニュームの苗ではなくてジャックフルーツ、フェンネルの苗でもなくてジャックフルーツの苗、ずいぶん遠くに来たもんだ。
 
コノハチョウ
テングチョウ、頭部が天狗の鼻状?
 今日は絶好の蝶日和、最近ではこんな日はめったにない。作業もそこそこに蝶見物のため、おなじみの親水広場に向かった。作業を放り出して車を走らせたのに、駐車場には幼稚園の送迎バスが停まっているではないか。あたりには子供らの歓声が響き渡っている。そう川辺での蝶見物の大敵は子供たちの水遊びなのである。だから土日祭日は極力避けてきたのに。この騒々しさではコノハ蝶どころか、キチョウさえやって来ないだろう。仕方がない、公園は諦めてタケタの林道を行くことにした。
 いつもコノハ蝶が姿を見せる林道の途中に車を停める。ほんの4〜5メートル歩くとコノハ蝶が葉っぱの上で羽を広げてじっとしているのが見えた。ラッキー!双眼鏡で観察する。かなりくたびれているけど紛れもなくコノハ、いつもは鮮やかな色をした羽を広げてじっとしていることが多いのに、この蝶は頻繁に羽の開閉をするので裏側のコノハ模様もよく見せてくれる。園児たちの水遊びに屈っすることなく歩き回って正解だった。
ゴールデンミカド
貴重なゴールデンミカド、確かに美しい
 気をよくして林道をさらに歩く。地面近くにテングチョウも発見!長く突き出した頭部、体のバランスが特異でおもしろい。歩いている途中、幼稚園の送迎バスとすれ違ったので再び親水広場に引き返した。
 園児たちは枝を拾っては水をかき回し、川に入っては小さなネットを振り回していたから当分、蝶は戻って来ないだろう、と思いきや川辺では早くもキチョウたちが群れて吸水している。こんな晴天をだから蝶たちもじっとしていられなかったのだろう。そこにミカドアゲハが1頭やって来て吸水を始めた。この時期に見られるミカドアゲハはゴールデンミカドといって、羽の裏が黄色っぽく輝くことから珍重されているらしい。去年も新潟から来たというおじさんグループがゴールデンミカドを求めて歩き回っていた。目の前のミカドアゲハは羽化したばかりなのか確かに美しかった。去年の夏にはミカド蝶が集団で吸水していたからその末裔だろう。
 
 気がつくと時間はすでに2時を回っていた。正子おばあからいつ戻ってくるのと催促の電話、林道をあとにして再び箱庭に向 かった。
 果樹畑の周辺には蝶が好きな植物を植えるつもりでいる。
 このエリアをほぼ占有しているのはセンダングサ。これは年中花を咲かせる大切な蜜源植物なので花蜜を求めていろんな蝶が盛んに飛来する。おばあは繁殖力旺盛なこの雑草を目の敵にしているが、蝶のために半分くらいは残すことにしよう。おなじみの山菜?オオタニワタリ、笹状の大きな葉っぱが素晴らしい香りを放つ月桃、赤い花を咲かせる南国情緒あふれるヘリコニアも生えている。それらを少し整理してこのエリアにはランタナやクチナシを植えるつもりでいる。
日本では珍しい本格的なスパイス
日本では珍しい本格的なスパイス
 イギリスから取り寄せたランタナの種をおばあに渡して次回来るときまでに苗を作っておいてくださいと頼むと、「ランタナ?」「ホラ小さい花が丸くまとまって咲くやつ」、「あっあれね、それだったら入り口の道沿いにいっぱい生えてるよ。種蒔くより挿し木した方が早い。」確かめに行くとなるほどオレンジ色のランタナが咲いていた。「なーんだ。わざわざイギリスから種取り寄せたのに。」「ハッハッハッ、うちにも苗があるはず。」正子おばあのハウスに行くと確かにランタナの苗はあった。
「ハイビスカスをあと10株くらいとクチナシも植えたいんだけど。」「クチナシは八重?原種?」「もちろん原種」、クチナシはきれいな緑色の羽をもつイワカワシジミの食草だから「じゃこれも1株。」目の前にピパーツの苗も発見。ピパーツは胡椒に近いスパイスで日本では石垣島で栽培されている。実をすりつぶして粉状にして利用するが、胡椒と甘いシナモンを合わせたよう複雑な香りをもつ本格的なスパイスである。つる性の植物なので町ではブロック塀などに這わせて栽培しているのを見かける。
「ピパーツ2株譲ってもらえる?」「これはオオギバショウに幹に這わせるといい」と正子おばあ。こうやってハウスを回っているとあれもこれもとキリがないのでとりあえず、ハイビスカス(アカバナ)ランタナ、クチナシ、ピパーチの苗を譲ってもらうことにした。

 一輪車に苗をのせて箱庭に運ぶ。空いてる場所に植え穴を掘る。植えるのは明日にしよう。「夕飯食べていかない?」「いつもご馳走になってばかりで悪いから・・・。」「ゴーヤーチャンプルー、たくさん作ったからネ。」チャンプルーに惹かれてまたもやご馳走になることにした。
 
ハイビスカス
オレンジ色のハイビスカスが一輪だけ咲いていた
3/25 曇り
 昨日掘った穴におばあに譲ってもらったハイビスカスやクチナシを植えた。くちなしには2輪の萎れかけた花が残ってた。花の甘い香りを嗅ぐと、実家の庭でクチナシの世話をしていた母の姿を思い出した。
 
3/27
 石垣島から久々に本島に立ち寄った。
 那覇の住吉公園でアオタテハモドキに会いたかったからだ。青タテハモドキはすてきな蝶だ。
 その羽の色はすばらしい。まさしくペルシャカーペットの色合いなのである。深い藍色の地にクリーム色の縁取りと赤い斑点が鮮やかに浮かんでいる。色の組み合わせといい文様といい、絹糸で密に織られた上等なペルシャカーペットのように深いのである。いつもは公園の遊具エリアの上の芝地で彼らは飛んでいる。数頭が群れてここをホームにしているらしいのである。
 早速、行ってみた。しかし、アオタテハモドキの姿がない。時期が遅かったのだろうか。シロオビアゲハやツマベニ蝶の姿は見かけたけど主であるアオタテハモドキの姿はなかった。
 
 那覇を経由したのはアオタテハモドキに会う他にもう一つ目的があった。
アオタテハモドキ
アオタテハモドキ、
この青が何ともいえずいえず美しい
 牧志の桜坂劇場で上映されている「標的の島・風かたか」を見るためだ。監督は「標的の村」「戦場止み」と沖縄での住民の粘り強い反対闘争を主題に映画を撮り続けている三上智恵。辺野古新基地建設、高江のオスプレーのヘリパッド建設に反対する山城博治たちの闘いと合わせて、自衛隊配備とミサイル基地の建設が予定されている宮古島、石垣島での反対派による阻止活動を紹介するドキュメンタリー。監督の視線は常に反対派の側にある。副題の「風かたか」とは風よけを意味する。恩納村で米軍属により無残に殺害された被害者の追悼集会における稲嶺名護市長の発言「またしても命を救う「風かたか」になれなかった」という発言からとられた。
 反対運動のリーダーである山城博治は不当逮捕され不当に長期拘留されて釈放された。釈放された今でも抗議の現場には近づけない状況におかれている。世界各国の人権団体からもこの不当な扱いに抗議が続出した。
 山城博治氏は機動隊員に挨拶し、時に笑い、唄い、踊り、時に涙して反対派住民の先頭にたって闘いを続けている。そのことをもってしてさすが芸能の島、沖縄の闘いは明るいと言ってはいけない。
 永続的なぎりぎりの闘いはふだんの生活の延長として日常化させざるを得ないのだろう。悲壮な面持ちでは闘争は長続きしないのだろう。
 山城博治たちは穏やかな形相で機動隊と対峙し、悩み、様々な戦術を編み出す。彼らにとっては闘争は日常なのだと思う。(本土から機動隊が派遣されて以来、警備の様相がガラリと変わった。島の警察とはわかり合う部分も多かったけど本土の機動隊とは真っ向から対峙する以外ない。だから逮捕者もばんばん出るし、とインタビューで語っている。)辺野古も高江もアメリカの前に日本が立ちはだかる二重構造、本来、日本政府が交渉すべき相手はアメリカなのに沖縄との交渉、地域住民の弾圧に明け暮れている。那覇で乗ったタクシーのドライバーがアメリカ統治時代の方がまだましだったと言っていた。ワケを尋ねると交渉相手はアメリカさんひとつ、それも直接だし、言うことを聞いてくれることもあった、からという日本政府に対する三行半ともいえるような返事が返ってきた。
デイゴ
那覇の町ではデイゴの花が咲いていた
 映画に登場した石垣島の山里節子さんはミサイル基地建設予定地の牧草地で「とぅばらーま」を高らかに唄いあげた。「とぅばらーま」は沖縄民謡の最高峰といわれ、自分の気持ちを吐露する即興歌、無伴奏で歌われる。辺野古や高江で行動する市民にエールを送り、石垣島の自衛隊ミサイル基地反対の思いを音に乗せて唄う節子さん、その「とぅばらーま」は圧巻だった。
「物や金はないけど歌や踊りで心を満たしながら生き抜いてきた」彼女のように背筋の伸びた女性が沖縄には多数存在する。
 ヘリパッド基地建設に反対しミサイル基地の建設に反対する運動を主導しそれに賛同する女性たちはハッキリと語る。
 彼女たちの言葉は日本の全国民に向けられたものだ。ミサイル基地が建設されると島は標的の島となる。ミサイル基地は沖縄本島の米軍基地の風よけのために建設されるのではないか。この狭い島に逃げ場はない。沖縄戦の悲劇が繰り返される可能性がある。それがイヤだと言っているのだ。きわめて真っ当にそう言っている。
 島の自然が破壊されるだけでなく(私のお気に入りのオモト岳周辺はまさに建設予定地になっている)島は標的の島になってしまうのだ。島のあちこちに自衛隊歓迎ののぼりと自衛隊NOののぼりが目につく。YESとNOののぼりが隣り合って立てられている所もある。島はふたつに分断されている。
 日本はあの敗戦からも福島の原発事故からも何も学んでいない。それどころか敗戦も侵略行為も原発事故もなかったことにしようとしている。
 よそ者としてせめてこの島が今のままであってくれることを祈るしかない。

石垣島箱庭果樹園 5月

 東京での仕事が終了した5月10日、石垣島に飛んだ。北海道の菜園と庭も気になるところだが夏はずっと北海道にいるのつもりなので、石垣視察は今しかない。
 いつのもように田代さんにとれたてのマグロをご馳走になり、正子おばあ特製のゴーヤーチャンプルーを食べて、蝶々を探して林道を走り回った。

防風ネット
頑丈な防風ネット。
想像を絶する強風に耐えますように
その1 防風ネット
 おばあ推薦の喜屋武さんにお願いしてあった防風ネットが仕上がっていた。おばあは顔が広いから手を貸してくれる知り合いがたくさんいる。彼女の厳しい目に合格したのが喜屋武さん親子、本業の土木建築工事請負の傍ら片手間で仕事をしてくれる。
 箱庭のどん詰まり、無防備な道路際に設置してもらうことにした。2月に植えた風よけのオオギバショウはまだ50cmにも充たないから役に立たない。まああと3年もすれば立派なジャングルに成長するはずだが、台風は待っていてはくれない。そこで防風ネットを構築することにした。
 空港から直接箱庭に向かった。すごーい、太いパイプを組んだ頑丈な土台にネットがピーンと張られている。想像したよりずっと本格的でしっかりしている。これなら大型台風に対抗できるかもしれない。できるかな?これでダメなら諦めるほかないけど。
 残念だったのはネットの色、ブルーシートと同じ青色、ここは黒にして欲しかったなー。防風ネットを選択する際に最も重要なのはネットの目のサイズだという。目が大きすぎると防風の役割を果たさないし、小さいと風を受けて土台ごと飛んで行ってしまうらしい。ネットの色なんて二の次なのである。まあそれはそうだろう。黒いネットにこだわってバナナが吹き飛ばされでもしたら笑いものになること必至。これで台風対策は万全、まあ去年はほとんど台風は来なかったらしいけど。
 
その2 急成長
パッションフルーツの花
花にもウットリ。これで実がつけば言うことなし
 バナナやパパイヤが驚異的に成長していた。バナナなんて3月には私の背丈ほどだったのにもう見上げる高さに成長している。これが南国パワーなのか、その成長ぶりにはほんとに目を見張った。パパイヤも3月にはまだ苗だったのにもう若木、これならいつ実をつけてもおかしくない。3年でジャングル説は信じていいかもしれない。
 
その3 早くも開花
 パッションフルーツの花が咲いていた!紛れもなくトケイソウの花だ。しかしパッションはバナナやパパイヤと違い、つる性の植物のように細い枝が地面を縦横に這いまわっている。これは救わねば。明日にでも株を起こして枝を誘引してみよう。花が咲いたということは実がつく?期待が大いに膨らむ。

その4 早くも結実
 ストロベリーグァバが小さな実をつけていた。この情報は正子おばあから聞いていたけどやはり嬉しい。実はまだ青くて堅いから食べるのは無理そう。果樹園では一番に実をつけたシークワーサーが元気がない。手当をしてあげよう。
 
グアバの実
ストロベリーグアバが結実、
もう少し大きくなると嬉しい
 正子おばあは不在だったので、町に向かいいつものファーマーズマーケット「ユラティク市場」に立ち寄った。野菜の端境期なのか3月ほど充実はしていないが、実もののシーズンらしくて新鮮なトマトや立派なゴーヤーがたくさん並んでいた。トマト、ツルムラサキ、ルッコラ、パクチー、島バナナ、パパイヤ、ボゴールパインを購入。北国では野菜の最盛期は夏、それに対して南では最盛期は秋から春にかけてで、夏はお休みらしい。

 晴れの日を狙って蝶見物にも出かけた。たけたの林道でよく出会う情報通の青木さんが「石垣島蝶マップ」という本を出版した。札幌の南雲堂という古書店の店主、昆虫スペシャリストの高木さんからお知らせがきたので「赤いネットを担いでバイクに乗って林道を走り回っている青木さん?シーサー顔の?」と思わず聞いてしまった。「そうあのシーサー顔の青木さん」と高木さんから返信がきたので予約しておいたのである。
 その本はまるで私のために書かれたようなすばらしいマップだった。ということは購買者はごくごく限られるだろうと予想される。32ページの冊子が強気の3000円!専門書にはよくあるけど。

セマルハコガメ
セマルハコガメ。道路を横断していた天然記念物
 入手したマップを手に林道を走る。青木さんが推奨している底原ダム周辺の道路を行ってみることにした。時折、ベニモンアゲハなどが飛び交い、センダン草ではキチョウやスジグロカバマダラが吸蜜している。コノハが目の前を横切ったのでしばらく待っていたけど戻って来なかった。舗装道路を先に進む。すると車の前を20cm位のカメがノンビリ横断しているではないか。急停車、思った通りヤエヤマセマルハコガメだった。道路を渡り終えたカメは草むらに姿を消した。このヤエヤマセマルハコガメは天然記念物なのである。特別天然記念物に指定されているトキやカンムリワシ(林道では頻繁に目にするけど)にはかなわないが、とにかく天然記念物なのである。うれしい、探していたワケでもないのにひょっこり出会えたのがうれしい。

 青木マップに従っていつものタケタ林道からタケタ農道(私がいつも通っていたのはタケタ林道ではなくて農道の方だった!)を通って親水広場に向かった。相変わらずくたびれたコノハ蝶がテリトリーをはり、水辺ではミカドアゲハやキチョウが群れて吸水していた。しばらくぶりに崎枝のヤラブ林道にも行ってみたけど収穫なし。林道はヤラブ(テリハボク)植林のために斜面を切り開いたせいかずいぶんと荒れた感じだった。

コノハチョウ
確かに葉っぱと一体化しているけど、色がねー
 林道をテクテク歩いていると正子おばあから早く戻れコール。箱庭に戻ってパッションフルーツの誘引を試みる。数本の女竹を地面に挿して扇型に広げ、それぞれの女竹に枝を結びつける。
 自由気ままに枝を伸ばしていたパッションに秩序を与えたといった感じだが、それも今だけの話、彼女たちはすぐに女竹など無視して自由奔放に振る舞うだろう。と思うとちょっと空しかったが、ついでにメイクマンで思わず購入してしまったパッションの苗を2株植えつけた。全部で6株、計画だと1年分のパッションフルーツが収穫できるはずなのだが。
 
 箱庭のへりに植えたピパーツの苗はあまり生長していなかったが、これをオオギバショウの幹に這わせるべくその方向に誘導することにした。ソテツの葉を使うといいというおばあの助言に従ってちぎってきた葉っぱを防護壁の代わり立ててこっちこっちと誘導したつもりだけど、たいして効果がありそうには見えなかった。素直に誘導されてくれるといいのだが。
 
 最後に前回は苗が小さすぎて定植できなかった、ローズマリーを植えることにした。前回クチナシのそばに植えた夜香木(これは夜来香=イエライシャンと間違えて購入してしまったもの。台湾の美濃、外出先から戻るとあたりに濃厚な花の香りがを漂っていた。
 それが夜来香だと教えられて以来、一度は栽培したいものだと思っていた。その香りは、緞帳のような濃密さで夜の空気を重たくしていた)が邪魔になったのでバナナの近くに移動させて、ローズマリーのエリアを数メートル延長した。苗はまだ心許なかったけど、祈りの言葉とともに魔法のHB101をたっぷり与えて作業終了!とおもいきやこれが大失敗、後日おばあから怒りの連絡を受けることになった。あれはローズマリーじゃなくてティートリー、まったく間違えるなんて。しまった!どうりでローズマリーにしては何だか頼りないし香りも薄いと思った。ごめんごめんと平謝り、鉢に戻してローズマリーを植えたといたからとおばあは電話口で笑った。
 よりによってローズマリーとティートリーを間違えるなんて、どうにも情けない限り。許してはもらったけど、私の実力が露呈してしまった。鋭い正子おばあのこと、今後はエラそうなことを言っても信用してもらえないだろうな。

もずくとり
東シナ海名蔵湾、もずくとりの名所らしい。
干潮時には浅拆が続く。
 最後の日には念願のもずくとりに行くことになった。石垣にはずいぶん通っているけどさまようのは林道や農道、草地と陸上ばかり。海には沈む夕日を見に行く程度で海遊びなどしたことはなかった。
「春に1年分のもずくをとって冷凍しとくといい」とか「海を歩き回るよりプカプカ浮かびながらもずくを摘むのがいい、腰をかがめなくていいし」と魅力的な話をあちこちで聞いたし、実際に正子おばあからお土産にもらった冷凍もずくはすごく美味しかったのである。もずくの命ともいえる粘りが強い上に、これまで食べてきたつかみ所のないようなぼんやりしたもずくに比べて断然食べ応えある。こんなにも違うものかと天然もずくに開眼したのである。とはいえもずくの季節はずっと前に終了している。でもまだ残っているかもしれないからと正子おばあが海に誘ってくれた。おばあの秘密の漁場は東シナ海、名蔵湾の端っこ、道路際に車をとめて海へ。ひと目みるなり、もっと潮が引かないとダメだから後で来ようとおばあ、午後の干潮時間に合わせて再訪することにした。
 ちょうどお昼の時間だったので米原ビーチの近くの知花食堂で八重山そばと豆腐チャンプルーの昼食。そば小が350円。この値段だけど量も多いし、昔ながらの味なのか小細工を弄した新興のそばより素直に美味しいのである。
 米原ビーチは石垣島屈指の海水浴場として人気が高い。まだ5月なので海に人影はまばら、おばあと一緒に海に入る。生暖かい海、まだ水が冷たいね。海がもう少し温かくなったら友人知人誘い合わせて海に出かけて、海に浸かっておしゃべりしたり、貝を拾ったり、お弁当を食べたりして1日を過ごすのだとういう。海にじっと浸かっていると気持ちいい。そうか海は温泉みたいなもんなんだ。海で遊ぶというと泳ぐとか潜るとか釣りをするとかそういう月並みな遊び方しか思い浮かばないけど海に浸かる、何もしない、ただ海に浸かって海と一体になって楽しむという付き合い方もあるのか。夏になったらお弁当を持ってまた来ようねとおばあが誘ってくれた。足もとでは目の覚めるような青い魚が群れて泳いでいた。きっと辺野古の人々もこういう海遊びを楽しんだのだろう。

もずく
30分でこれだけ。最高に美味!
 干潮の時間が近づいたのでさっきの名蔵湾に戻った。ここは正子おばあのホームだから浅拆にずんずんと入って行く。私も後に続く。これがもずく、と教えられた海藻を探すのだが、雑草ばかりでなかなか見つからない。おばあのザルには半分ほどもずくが貯まっているのに私のザルはほんの少し。それでもあちこち移動して30分くらい摘んだ。真水でもずくを洗っていると雲行きが怪しくなってきたので引き上げることにした。来年は1年分とろうねと正子おばあはいうけど私にはこれだけでも十分、雨が降ってきたので慌てて海を後にした。



食卓日記マーク
#35 (2017.2.27)
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石垣島箱庭果樹園速報!
1/12
 吹雪の北海道を出発して石垣島へ。30℃近い気温差があった。去年の11月には、苗を植えようと長靴や作業着を用意して張り切って出かけたのに連日の雨。たまに雨が上がっても畑はぐちゃぐちゃだから植え穴を掘るどころか、草取りさえおぼつかない。会う人会う人みんな気の毒がってくれた。「そういえば6月の時もすごい台風だったね」それでも雨の合間を縫って、畑に入り、ヒモを張って道路の位置や植栽の区画を決めた。1週間でそこまでがせいぜい。気温が低いから蝶もいないし、散々な目にあった。正子オバアが気を遣って知り合いの川平ファームや石垣ラー油の辺銀さんのところに連れていってくれた。

 さて今度こそ苗木を植えないと、せっかくトラクターを頼んで土を起こして、堆肥をいれたのにまた雑草だらけの畑に戻ってしまう。北海道に比べると雑草はすごいスピードで繁茂する。いくら何でもまた雨続きということはないだろう。石垣空港には後見人の田代さんがお迎えに来てくれた。「このところずっと晴れていたけど・・・・」
 1月に新装開店した彼女の娘さんのお店で夕食をご馳走になる。漁師の弟さんが午前中に釣り上げたというマグロ、香り高いワイルドルッコラやパクチーのサラダ、まだ温かいゆし豆腐と好物がズラリ、石垣に戻ってきたなと実感させてくれるすてきな夕食だった。

1/13 晴れ、曇り時々雨
 翌日、窓から朝日が差し込んでいる。こんなことは久しぶり、幸先がいい。今日は仲田の正子おばあの家に苗屋の神田さんとアドバイザーの友子さんが集まってミーティング。苗の植え付け計画やスケジュール調整をした後、植えつけに必要な道具や資材の買い出しに出かけることになっている。
 少し早めにホテルを出て、石垣島最大にして唯一のホームセンターであるメイクマンに寄って道具類の下見をすることにした。ホテルを出発したとたん、雲行きが怪しくなった。メイクマンに到着するころにはポツリポツリと降り出した。なんという巡り合わせ、朝焼けの空はあんなにきれいだったのに。

 昼食を食べながら4 人でおしゃべり、やっぱり雨降り出したネ、私が来ると雨、嵐、低温、台風というのが彼らの間でも話題になっているらしい。
 大まかな作業手順を決めたあと、正子おばあと一緒に資材調達と下調べを兼ねて町に出かけた。
 まずは近くの石垣島農協へ。係のおじさんの話を聞いて堆肥を大量に購入した。明日、おばあの家に配達してもらうことにする。神田さんに紹介してもらった資材屋さんにも寄った。防風ネットを張るのに必要な鉄パイプや金具の話を聞いた。
 赤井川村の農協や余市のホームセンターと同じ感覚で、JA石垣島のおじさんたちと相談しながら資材や肥料を購入しているのが何とも不思議な気がする。2000キロメートル以上離れた日本の端と端なのに。

1/14 曇り、時々雨
 午前中はメイクマンでスコップ、クワ、草刈り鎌、バケツ、一輪車などを購入してレンタカーに無理やり積み込む。雑草よけの防草シートやピンは車に乗らなかったので、明日、配達してもらうことにした。
 思えば、北海道では園芸用の道具はいつも菜園のシェッドあるもの、自分で買った記憶はほとんどない。一輪車のタイヤがパンクすれば、いつの間にか修理されている。移植用のスコップをなくしても翌週にはちゃんと補充されている。それが当たり前のように思っていた。
 でもここでは全部自分で揃えなくてはいけない。スコップやクワはもちろんのこと、肥料を撒くのに使うバケツやヒシャク、その他メジャーやカッター、植物識別用のプレート、水に濡れても文字が消えないペンに至るまで必要な道具をひとつずつ自分で選ばなくてはいけない。何だかすごく新鮮な体験だった。

 午後、神田さんが苗を運んで来てくれた。大小さまざま、立派な苗もあれば、大丈夫かしらと心配になるような苗もある。風が直接当たらないように苗をオオギバショウに囲まれた窪地に置いた。

 植え穴の位置を決めて支柱用の女竹を刺す。
 買ったばかりのスコップを使って穴を掘ってみたが、ひとりの作業は遅々として進まない。明日から助っ人が来ることになっているが、こんなことで苗木は植え終わるのだろうか?この更地が畑らしくなるのだろうか?不安になる。また雨が降ってきたので穴掘りは中止。農協で昨日購入した堆肥が到着した。

 夕食は正子おばあがゴーヤーチャンプルーをご馳走してくれた。本場のゴーヤーチャンプルー。こっちは美味しい方、こっちはイマイチとゴーヤーの選び方を説明してくれるけど初心者の私には、違いがほとんど分からない。正子オバアの娘の友子さんは近所でゴーヤー農家をやっている。石垣島では質量ともに一番のゴーヤー農家、ということは日本一のゴーヤー農家かもしれない。
 島豆腐とたっぷりのベーコン、巨大なゴーヤー(ワタだけでなく皮の内側にある固い繊維も取り除かなくてはいけないらしい)を3本も使ったゴーヤーチャンプルーは大皿に溢れんばかりに盛られている。
 私が町で調達したゆし豆腐、おばあがプランターで育てているパクチーをたっぷりのせたトマトのサラダと味噌汁。大満足の夕食、摘み立てのパクチーはすごく香りがよい。パクチー入りの味噌汁というのは初めてだったけどなかなか美味しかった。夏になったら北海道でも真似してみよう。ベーコンの塩味がほどよいゴーヤーチャンプルーはもちろん美味しかった。チャンプルーの山は丘となりやがて平地となってみんなの胃に納まってしまった。

コーヒーの苗木
コーヒーの苗木。
コーヒー中毒の私の期待の星。
絶対自家製コーヒーを飲むんだ!
1/15 曇り時々雨
 今日は朝から助っ人がくるはず。いろんな人を経由しておっばの家に数日間、居候することになったフランス人女性らしい。正子おばあも友子さんも寝食を提供する代わりに農作業を手伝ってくれる人材を募集する世界規模のネットワークを利用しているので、彼女たちの家にはいつも居候たちがいる。真剣に農業を学びたいという人から旅行のついでにフラリと寄ったという人まで、居候の動機も年齢も国籍もさまざま。

 助っ人が来る前に準備をしておこうと思い、早起きして畑に行った。また雨がパラパラ降り出した。気温も低いからカッパが手放せない。
 昨日、女竹を刺した場所に穴を掘る。助っ人は9時に来ることになっているのに待てど暮らせど姿を現さない。だいたいオバアが9時に迎えにいく約束のはずが、10時を過ぎてもオバアは家の用事をしている。島時間?ひとり黙々と穴を掘る。

 細かい雨が降り続いている。でも幸いなことに土は思ったほどぐちゃぐちゃにはなっていない。石もほとんどないのでスコップは割合楽に土に入っていく。少し安心する。
 昼近くになってようやく正子おばあとフランス女性が畑に姿を現した。助っ人のマリー・クレールは、西洋人にしては小柄で控えめな女性だった。50歳だという。
 田代さんと昼食の約束をしていたので午後から一緒に作業をすることにして町に出る。

 2時からマリー・クレールと一緒に作業開始。私が植え穴を掘り、マリーには私が午前中に掘った植え穴を広げてもらう。穴を掘り終えたので一緒に植え穴に堆肥を投入する。午後の休憩、正子おっばが畑にお茶とお菓子を運んでくれた。手頃な石に3人で腰を下ろしておしゃべり。マリーはまあまあ日本語が分かるし、英語はかなり上手、フランス語は母国語だからもちろん自由自在。日本語と英語で話はほとんど通じる。日本は初めて、日本語はアニメや映画で学んだそうだ。
 彼女は数日後には石垣島から四国に渡ってお遍路を体験した後、3月に南インドでアーユルベーダの専門的な施設で1ヶ月間、治療を受ける予定だという。「どこか悪いの?」「別に病気ではないけどワインを飲まないとすごく調子いいみたいだから」と笑った。彼女はベジタリアンで肉や魚はもちろん、卵やミルクも口にしない本格的なビーガンだという。
 なかなかやるな。ディープな石垣島の農家にもすんなり溶け込んでいる。暗くなるまでマリーとふたりで堆肥入れたり、雑草取りをした。

マリーと神田
マリークレールと神田さん。
マリーはパリで映画の小道具を作る
仕事をしている。さすがパリジェンヌ!
生き方も作業着もお洒落。
1/16 曇り時々雨風が強い
 今日は午後から神田さんの指導で南国フルーツの苗を植えることになっている。午前中は、マリーは作業場で正子おばあのお手伝い。私は去年植えたパイナップルの苗を手入れしたり、昨日掘った植え穴にオオギバショウの苗を植えた。
 ベジタリアンのマリーは自分で昼食を作るというので、私は町に出てメイクマンでカッターやハサミなどを購入、メイクマンには少なくとも1日に2回は通っているので店員さんたちとはすっかり顔なじみなった。

 午後、神田さんが畑に来てくれたので一緒に苗を植える。ほとんどの苗は名札がないから私にはどれがどれだか区別がつかない。神田さんの指導の下、3人で手分けして苗を植えた。1時間で終了。根の周りをていねいに踏んで苗を落ち着かせた。
 経験上、植えつけより雑草対策用の防草シート張りの方がずっとが厄介な作業になるだろうと予想していた。
 シートを張ってから苗を植えるか、植えてからシートを張るか散々悩んで、正子おばあにも相談したのだが、シートが到着するのを待ちきれずに植え穴を掘ってしまったので、苗を植えてからシートを張ることにしたのである。
 ということはシートを苗に合わせて切り貼りしなくてはいけないのである。苗は列状にまっすぐに植えたつもりだけど、多品種少量なので並木のようなワケにはいかない。寸法にカットしたシートの端を二人で抑えて3人目が苗の位置に合わせてカッターで切り込みを入れていく。運が悪いことに今日は風が強い。ちょっとでもシートから手を離すとシートはめくれ上がってしまう。シートが風に飛ばされないよう押さえピンを手早く挿してシートを固定する。手がもう1、2本欲しい。
 強風、時々雨の中、暗くなるまで作業を続けたけど、結局、半分くらいしかカバーできなかった。残りはまた明日。

 マリー=クレールはパリで映画の小道具を作る仕事をしているらしい。どうりでカッターの使い方が上手なワケだと納得。映画関係者と聞いてシートを張りながら映画の話をする。
 彼女はパリジェンヌだからもちろん北野たけし監督の大ファン。作品は全部見ているという。中でもドールが一番お気に入りだそうだ。「ソナチネは石垣島で撮影したから、北野ブルーのブルーは石垣の海の色。」といい加減なことを話すと彼女は大げさに感動していた。「パリに帰ったら仲間に自慢しないと!」
 「日本では「君の名は」っていうアニメがヒットしてるんだ」と神田さんがマリーに話しかける。「マリー=クレール」とマリーは答える。ウン?「マリー=クレール」ハハハ、マリーは神田さんに「君の名は?」と聞かれたのかと勘違いしたのだ。3人で大笑い。

予定通りには作業は進まなかったけど一応のメドがついたのでひと安心。今晩はゆっくり眠ろう。

マリーと正子
様子を見に来た正子おばあが
最後の仕上げ。助手のマリーは
ホースをくわえてフランス式水やり?の
方法を披露してくれた。
1/17 曇り時々晴れ
 久々に雨が降らない一日だった。
 朝、押さえピンの不足分200個を農協で調達してから畑に急ぐ。早速、マリーと一緒にシート張りに取りかかる。まだ一番厄介な箇所が残っているのでこれを済ませないと。
 作業をしながらあれこれ映画の話をする。「最近、ダルデンヌ兄弟は撮ってないの?」「へェー、日本でもダルデンヌ兄弟の映画が公開されるんだ」というような話が石垣島の箱庭果樹園でできるとは思わなかった。

 一番の難所にとりかかる。去年、神田さんが畑のほぼ中央にパッションフルーツ用のアーチ型のパイプ支柱を立ててくれた。ビニールを張っていないビニールハウスのようなものだ。パッションフルーツはこの囲いの中に植えてある。
 南国果実の中で私が一番ひいきにしているのがパッションなので、厚遇してやったのである。パイプとパッションの苗が複雑に重なっているので、それに合わせてシートをカットするのはほとんど至難の技。気を抜けない作業が続く。しかし幸いなことに今日は風がない。それに二人とも作業に慣れてきたので、マリーにあれこれ指示しなくても作業は進んでいく。
 昼近くになってようやく難所を無事通過、残りのシート張りは楽勝だろう。

 久々に太陽が顔をのぞかせた。
 マリーは午後はお休みにして正子おばあとユラティク市場に行くことにする。ユラティクは石垣島の野菜と果物の集散地、ベジタリアンのマリーには魅力的な市場に違いない。
 私はオモト林道を抜けて親水公園に車を走らせる。気温は低いし、晴れたとはいえ冬の光だから期待はしていないが、せっかく石垣に来たのだから一度くらいは蝶を見にいかなくては。まちがえてコノハでも飛んでいてくれると嬉しいのだけど。
 予想通り、姿を見せたのはリュウキュウアサギマダラ、カバマダラ、ジャコウアゲハ、キチョウくらいだった。
 しばらく川原の指定席に腰を下ろして目の前を飛んで行く蝶を眺める。蝶は不作でもここに来るとわが家に戻ったような安堵感を覚える。私にとっては最高に幸せな時間なのである。

 まだシート張りが残っているのでそうそうボンヤリしているわけには行かない。町に出ておなじみメイクマンに寄って50メートル巻きホースとジョイントを購入する。
 畑に戻る途中、比嘉豆腐店に寄ってみる。お昼過ぎなのに珍しく店は開いていた。比嘉豆腐店は観光雑誌に紹介されて以来すっかり有名になったせいで、最近では11時前に行っても品切れで閉店していることが多かった。ラッキー!ゆし豆腐と卵焼き、おからの煮物と味噌汁のお年寄り定食350円を食べた。やっぱり温かいゆし豆腐は美味しい。

 畑に戻ってひとりでシート張りを続行。パッションフルーツの隣はライチ2株、次ぎの列はパパイヤ3株、その次ぎは島バナナ2株が植わっている。パイプアーチの難所を通り抜けた後だし、風も邪魔しないのでひとりでも楽に張れる。2時間ほどで作業は終わった。
 町から帰ってきたマリーに手伝ってもらって、最後に残った通路部分にもシートを張った。これで畑全体が防草シートで覆われた。マリーとバンザイ三唱。

植えた植物
今は殺伐としているが、
2〜3年もすれば見違えるような
緑濃いパラダイス?になるはず
 畑からだいぶ離れたところにある水道にホースをつないで、栓を捻ると思いのほかスンナリと水が吹きだした。様子を見に来てくれた正子おばあがホースを引っ張って1本1本の苗にていねいに水をやる。助手を勤めるマリーはホースを持ち上げたり、ホースに噛みついたりして「これがフランス式の水やり!」とおどけてみせる。これで予定した作業はすべて終わった。
 長年の夢だった「石垣島箱庭果樹園」がいよいよスタートした。正子おばあ、神田さん、マリ=クレールどうもありがとう。

さあこれから台風や雑草との闘いが始まる。

<今回植えた植物>
●島バナナ2株 ●三尺バナナ1株 ●パパイヤ4株 ●ライチ2株●パッションフルーツ6株 ●ピタンガ2株 ●シャカトウ2株 ●アボカド2株 ●グアバ4株 ●シークワーサー2株 ●コーヒー2株 ●アセロラ2株 ●ジャボチカバ1株 ●ブラックベリージャムフルーツ2株 ●インド藍5株 ●オオギバショウ9株
<次回植える予定の植物>
●ハイビスカス15 株 ●ローズマリーたくさん ●ドラゴンフルーツ赤肉 ●夜来香 ●ジャスミン ●ランタナ ●ビバーツ



食卓日記マーク
#34 (2016.12.23)
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「箱庭果樹園プロジェクト」スタート!
 今年は石垣島に何度か通った。初訪問は2月、以前「蝶館かびら」を主催する入野さんのブログで2月にコノハ蝶大発生! の記事を見つけて以来、ぜひともその時期に行ってみたいもんだと思っていた。
 雪の北海道から26℃の石垣島へ、分厚いダウンを半袖シャツに着替え、いつもの林道に向かう。タケダ林道は島のちょうど真ん中あたり、名蔵ダムを囲いこみ、於茂登岳の頂上に向かうオモト林道と合流する林道である。私が一番ひいきにしている林道で、ここに行くとたいていコノハ蝶に会うことができる。
 林道の入り口で青木さんに出会った。いつも赤い捕虫網を背負ってバイクで島中を走り回っている青木さんは、ライブ感溢れる情報を提供してくれる。
 私がコノハ蝶を追いかけていることを知っているので「さっき親水公園の橋のところとその上の河原の木に2頭いたよ」と教えてくれた。はやる心を抑えて親水公園に向かって林道をゆっくり走る。コノハ蝶どころかほとんど蝶の姿なし。公園入り口に車を停めて川に降りていく。

コノハ蝶
親水公園で出迎えてくれたコノハ蝶、
実物は100倍美しい
 川に向かって石段を一段降りたとたん、目の前を1頭の蝶が横切った。一瞬だけどオレンジの縞が目に入った。コノハ蝶だ! コノハ蝶が出迎えてくれた!
 蝶は猛スピードで川を横切り、向こう岸に林立した高木の周りを飛んでいる。やがて川面に大きく突き出た枝にとまって翅を広げた。
 蝶がとまった枝はちょうど私の目の高さにある。川を挟んで5メートルと離れていない。蝶はさあ見てくださいとばかりに葉っぱの上で翅を広げ、冬の柔らかな日差しを浴びてじっとしている。
 翅の付け根から中央にかけては目の覚めるようなブルーが広がり、輝くばかりのオレンジの太い縞へとつながる。翅は白い線でくっきりと臣取られ、褐色の地色に白い点が浮かんでいる。双眼鏡で見ると手の届きそうな距離なので、細部までくっきりと見える。コノハ蝶はこれまで目にしてきたコノハは一体何だったのだろうかと思わせるほど輝いている。羽化してまもない完品のコノハ蝶を初めて見た。

 葉の上でテリトリーを張っている蝶は翅を広げたまま光の中でじっとしている。休んでいるわけではない。他の蝶が近づくとすごい勢いで追い払う。小さなシロチョウはもちろん自分より大きなジャコウアゲハだって容赦はしない。蝶どころかシジュウガラまでも果敢に追い払う。
 敵の姿か消えると葉の上に戻ってまた翅を広げる。蝶の一挙手一投足を河原の石に腰を下ろして双眼鏡で追う。目が釘付けというのはこういう状態をいうのだろう。川の水音が心地よい。

 青木さんの言葉を思い出して川沿いの林道を少し上ってみる。林道から川を見下ろすと彼の言葉通り、これまた目の覚めるような完品のコノハ蝶が葉っぱの上で翅を広げていた。この個体はまだテリトリーを決めていないのかせわしなく木の間を飛び回っている。落ち着く気配がなかったのでまた河原におりてみる。

 向こう岸ではさっきと同じ姿勢で蝶が翅を広げている。1時間は経っただろうか昼食の時間はとうに過ぎている。ここに来る途中、川平のパン屋でパンを買ったのを思い出して車に戻る。パンの袋を抱えてまた石に腰を下ろす。コノハ蝶をながめながらズッシリと重たい激辛カレーパンにかぶりつく。生ぬるい水を飲む。
 コノハ蝶をながめながら食べる昼食、何て豪奢な昼食なのだろう。何て幸せなランチなのだろう。

 冬の間、極寒の北海道を離れて、常夏の石垣島で暮らせないものかと漠然と考えてきた。こんな風に蝶を眺めているだけでも十分なのだが、もう一歩島に踏み込めないものだろうか。島通いを続ける内に欲が出て、蝶プラス1の楽しみを求めるようになった。
 手を入れれば、何とかなりそうな空き家や菜園用地を探してみたけれど、観光ブームまっただ中の島では適当な場所が見つからなかった。ここはと思う土地には北海道の感覚からすると法外な値がついている。
 例え適当な価格の土地が見つかっても、実際に一歩を踏み出すにはかなりのエネルギーが必要だろう。北海道でも手にあまる菜園や庭を抱えている身では島に長期滞在するのはなかなかむずかしい。島で木や花を育てたり、野菜を栽培してみたいのはやまやまだが、植物はこちらの事情など考慮してはくれない。そうこうするうちにズルズルと時間がたってしまった。

 島の民家の庭先にはたいていパパイヤやバナナがある。特別に手入れをしているようには見えないのに立派なバナナがぶら下がっていたりする。その様子をみて2〜3年前から果樹なら放っておいても何とかなるかもしれないと思うようになった。大好きなパパイヤや島バナナが栽培できたら何てすてきなんだろう。
 栽培農家で話を聞くと南国フルーツは生長が早いので、ほとんどの果物は植えてから2〜3年もすれば収穫できるという。北国のように植えてから収穫まで10年かかると言われればすぐに諦めるが、2〜3年なら大丈夫、まだ間に合うだろう。
 ずいぶんと遠回りしたけど、島に滞在する楽しみに果物栽培を加えることに決めた。蝶+果物。ようやくに焦点が定まったのである。

 ネットを通して知り合ったKさんは東シナ海をのぞむ高台で果樹の苗木を育てて販売している。出身は本州、大学は北海道、今ではすっかり島に根を下ろし、家族3人で静かに暮らしている。40年以上前、私たちが農家の納屋を借りて田舎で暮らしを始めた頃を彷彿とさせるようなシンプルな暮らしぶりに接するとなぜかホッとした気分になる。
 Kさんは初対面の私が語るむちゃくちゃな話に辛抱強く耳を傾けてくれた。そして果樹が栽培できるような土地を探してくれることになった。

 島の知り合いたちもKさんご夫妻もあちこち当たってくれたけど、そう簡単には見つからない。いざとなると実は他人名義の土地だったとか、土地の所有権を巡って親戚の誰それが文句を言っているというような話で終わってしまう。おじいやおばあに会って話しを聞くのはおもしろかったけど肝心な土地探しは一向に進展しなかった。
 狭い島だから仕方がないのだろう。
 知り合いのオバアが貸してもいいよと言っているというKさんのメールを受け取ったのは夏前のことだった。今回は有望そうな気がしたので、すぐに石垣島に飛んで紹介された正子オバアの農園を訪ねることにした。
 6月、島は、超大型台風直撃のニュースで持ちきりだった。Kさんに連絡するとみんな台風対策に忙しくて、農園を訪ねて話しを聞くどころではないと言う。台風前夜ということでレンタカーも貸してもらえず、窓を風よけの板きれで封鎖されたホテルに缶詰状態になった。友人の田代さんは、こういう石垣島を体験するのもいいねと笑った。
 強風はビュービュー吹いたけど幸いにも直撃は免れたようだった。それでも後片付けとかいろいろあるのだろう、離島する前日になってようやくオバアと会うことができた。

 オバアの農園は於茂登岳の裾野。私がいつも利用している県道211号線沿い、町の中心部から車で20分くらいのところにある。Kさんご夫妻も田代さんも一緒とはいえ、私はかなり緊張して正子オバアとの会見の場に臨んだ。試験官の前で面接を受ける気分。
 初めて会うオバアは80歳とは思えないほど元気いっぱい闊達な人だった。花の栽培を中心に庭木や野草の苗の生産販売をてがけ、数年前に旦那が亡くなってからは長男と暮らしているという。特にプルメリアの栽培にかけては島一番、全国から訪れる個人のお客さんはもちろん、リゾートホテルなどからも納品の依頼があるらしい。現在はセミリタイア状態だが、友人知人からの頼まれごとが多くていつも愛車を駆って島を駆け巡っているという。
 私も自己紹介のつもりで家族のことや北海道の農園のことを話し、警戒されないようにこの計画はあくまで趣味の園芸であり、老後の楽しみに過ぎないことを繰り返し強調した。
 面接がひと通り終わると、オバアは農園を案内してくれた。彼女が貸してもいいよと言ってくれた土地は母屋から少し離れた一画にあった。道路に面した細長い矩形の農地、風よけのオオギバショウの並木で3区画に区切られている。それぞれが100坪程度の広さ。3区画の真ん中は、直接風が当たらないから、果物栽培には適しているという。
 私はひと目見てここが気に入った。これまで見てきた土地は、崖っぷちだったり、なるほど海はよく見えるけど、吹きっさらしの土地だったり、カラカラに乾燥した人里離れたサトウキビ畑の跡地だったりとか、とても手に負えそうもない土地ばかりだった。
 それに比べれば、幅15メートル長さ25メートル、100坪程度の広さではあるが、趣味の果樹栽培には十分な広さだし、巨大なオオギバショウは心強い風よけだし、土地の全貌が見渡せるから植栽計画もたてやすいし。何よりオバアの農場の一部だから水の供給や土地の管理などで協力態勢がとれるかもしれない。

ミカドアゲハ
こういう群れが川原のあちこちで見られた
 オバアと一緒にそこを歩きながら、すっかりその気になった私は、ここにコーヒーを植えたいとか、パッションの棚はこの辺りがいいとか自分の思いを素直に伝えた。Kさんが親切に話しを繋いでくれた。
 ぜひ貸して欲しい旨を伝えて島を後にした。あの土地でいろんな種類の南国フルーツを栽培できたら楽しいだろうな。オバアに頼めば人手も確保できそうだし、水もあるし、遠くに霞んでいた果樹園計画がぐっと近づいたような気がした。

 しばらくしてKさんを介して、貸してもいいという返事が来た。
 やったー!どうやら面接試験に合格したようだ。早速、契約書を作って夏の終わりに島に飛んだ。
 オバアとの約束は翌日だったのでタケダの林道を走って親水公園に行ってみた。もうコノハはいないだろうな、夏だからそれほど期待できない。
 公園の近くに車を停めて川に降りて行った。
 すると息を飲むような光景が目の前にあった。おびただしい数のミカドアゲハが川原の水たまりで吸水していたのである。ミカドアゲハなんてめったに出会えない貴重品なのにそれが集団でいるとは。
 そっと近づいてみた。気配を察したのかミカドアハが一斉に飛び立った。まるで紙吹雪をまき散らしたかのよう。いつもの石の上に腰を下ろしてじっとしているとミカドアゲハは三々五々集まってきて、また吸水を始めた。
果樹園見取図
 ミカドアゲハばかりではなく大型のカラスアゲハやジャコウアゲハもそれぞれにグループを作って吸水している。小型のシロチョウの群れに大型のツマベニチョウが混ざっているのがおかしい。ミカドアゲハほどもあるツマベニ蝶だが、実はシロチョウの仲間なのである。
 ただひとりの観客として、この豪奢な風景を独り占めしている。
 このまま眺めていたかったけどKさんとの約束があったので、島を横断して東シナ海方面へと車を走らせた。多品種、少量栽培、パパイア、アボカド、アセロラ、シャカトウ、コーヒー、インド藍、ライチー、あっピパーツも、と脈略のない私の欲しいものリクエストに対してKさんは精一杯応えてくれた。
 これがあの畑に植栽を待っている私の苗たちかと思うとすごく嬉しい。私の頭のなかでは30cmにも充たないパパイヤが、もう立派な実をつけて、甘い香を放っているのである。

 翌日、オバアの家に向かう。長女の友子さん立ち会いのもと契約書を交わした。バンザイ!これで一歩が踏み出せる。
 オバアは柄にもなく堅くなっている私を長年の知り合いのように迎えてくれた。契約がすむと私が借りたレンタカーの運転席に乗り込み、近所を案内してくれるという。
 彼女は島で第一号の女性ドライバーだったのである。熱のこもった身の上話は当然としても、運転しながらスプーンを使ってカップ入りアイスを食べるのである。忙しい時は運転しながら弁当を食べてたから大丈夫と笑うのである。
 運転はオバアに任せて、私は助手席におとなしく座っているしかない。

 農園の近所にある熱帯作物の研究所やドラゴンフルーツ栽培農家、於茂登トンネルを抜けてパッションフルーツの栽培農家などを案内してくれる。シークワーサーの苗木が欲しいというと知り合いの農家を回って立派な苗木を2株手に入れてくれた。
 車の中で彼女の波瀾万丈の一代記を聞いた。
 それはただただ黙ってうなずくしかないほど波乱に充ちた一代記だった。

 私が来島する前にオバアは人を頼んで、雑草を刈り、堆肥を入れて畑の興起も済ませておいてくれたので、畑の全貌がずっと明らかになった。彼女は自分も隣の区画で果樹を栽培することに決めたという。そうすればイヤでも畑に行くことになるからと言って笑った。
 冬前には苗木を植えることにしようと約束してオバアと別れた。

ヤエヤマムラサキ
11月、林道にはヤエヤマムラサキが
たくさんいた
 仕事がひと段落した11月の末に再び石垣島に飛んだ。苗木を植えるつもりで長靴や作業用エプロンも用意していったのに無情にも毎日雨が降り続いた。先週はずっと晴れてたのにと会う人ごとに言われた。
 早速向かった私の果樹園にはKさんが友人と一緒に組み立てたパッションフルーツ用の棚が雨に濡れてぽつんと立っていた。奥の方にはパイナップルの苗が一列植えてあった。数えてみると17株あった。
 前回来た時にKさんには、畑の設計図を渡しておいたのである。人の手が加わったことでただの地面はずいぶんと畑らしくなった。
 雨のせいで畑はぐちゃぐちゃ、地面にめり込んだ長靴を引き抜こうとすると長靴が脱げそうになるくらいぬかるんでいる。植え穴を掘るなんてとんでもない。
 翌日も雨、また雨。それでも雨が上がった僅かな時間を狙って畑にひもを張ることにした。

果樹園用地
ここが果樹園用地、両脇の並木がオオギバショウ
 小雨の中、オバアに手伝ってもらって野菜用の支柱を立ててひもを張った。まずは1メートルの幅で作業用通路を決める。中央に通路を通したかったけどそうするとパッションの棚が飛び出してしまうので通路は中央から1メートルほどずらすことになった。通路を中心にして左右各3区画ずつ合計6区画に分割した。ひもは絶大な威力を発揮して、計画に従ってひもを張るとただの地面がずいぶん畑らしくなった。
 狭い畑にひもを張ってちまちまと区画を区切る様子を見たたオバアが「箱庭みたい」と言ったのでこの計画を「箱庭果樹園プロジェクト」と呼ぶことにした。
 車が通る道路に面して風よけにオオギバショウを植え、その手前に鉄管を打ち込んで防風ネットを張ることになった。北側からくる強風を避けるためだ。
 オオギバショウという植物は風よけとしては強力そうだけど残念ながら見ばえがよくない。そこでオオギバショウの手前には目隠しとしてずらりとハイビスカスを植えることにした。ハイビスカスの赤い花には蝶がたくさん寄ってくるはずだ。
 フルーツはもちろん、蝶の食草も栽培したい、長年の夢だったローズマリーの垣根も作りたい、憧れの柑橘類も栽培したい、琉球藍を植えて藍を建ててみたい。北海道では絶対に無理なあれこれを箱庭で実現したいという思いがどんどん膨らんでいく。

 せっかく遠くからやってきたのに雨ばかりで畑に出られない私を気遣って、オバアはさりげなく面倒をみてくれた。ソーミンチャンプルー、ご自慢の台湾製保温鍋で煮たカレー、八重山そばを使った焼きそばと毎日昼食を用意してくれたし、もと板前のNさんに焼いてもらった本場のお好み焼で歓迎会まで催してくれた。
ソーミンチャンプル
正子オバアのソーミンチャンプル。美味!
 中でも炒めた素麺ににんじんシリシリと島菜の炒め物、揚げた島豆腐を添えたソーミンチャンプルーは美味しかった。
 一緒に道ばたで摘んだ長命草とカレーリーフを袋詰めして町の辺銀食堂に納品に行ったり、川平ファームでご主人からパッションフルーツ栽培の話を聞いたり、知花食堂でそばを食べて(八重山そば小は300円! 小といっても普通サイズ、有名店のそばと遜色ない味で私は石垣ではここのそばが一番と思っている)知花のオバアのすてきな庭を見せてもらったり、とにかく顔の広い正子オバアのおかげで退屈することなく雨の石垣を楽しむことができた。
 花、庭木、果物といろんな種類の苗を育てている正子オバアには顧客がたくさんいる。ちょっと珍しい苗が欲しいときには必ず彼女に声がかかるらしい。新しもの好きで、面倒見がよくて気さくな人柄なので、彼女は島中の人と知り合いなのである。

石垣空港
空港まで送ってくれた。ありがとう!
また来年来るからね
 皮肉なことに島を離れる日にようやく太陽が顔を出した。近所のバラビドーで園芸市があるというのでオバアと居候のI君と一緒にのぞいてみた。そこで大株のローズマリー2鉢を購入、オバアが挿し木で増やしてくれることになった。

 「最初、ヘンな人だと思ったよ。趣味で果物の栽培なんて。貸すかどうしようか、ずいぶん迷ったんだけどね、とにかく悪い人ではなさそうだ」これが初対面の私に対するオバアの感想。
 田代さんもKさんも近所に住む娘さんも貸してあげたらとみんなで後押ししてくれたらしい。
 次ぎに島に行くのは年明けの1月中旬、今度こそ太陽が出迎えてくれることを祈っている。



食卓日記マーク
#33 (2016.8.15)
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闘う園芸
<ヨトウムシ>
 ようやく春の兆しが見え始めたので、温室でハーブや野菜の種を播いてから1週間が過ぎた。外気温が10℃を下回っても温室はぽかぽか、早いものだと3日もすればかわいらしい芽をのぞかせる。播き床の表面に緑色の芽を見つけた時の喜びは、何十回経験しても色焦ることはない。種蒔き直後の温室巡りはほんとに楽しい。

 今朝も温室に直行する。おやっ、2〜3日まえに発芽したはずのスィートバジルがどういうわけかほとんど消えている。おかしいなと思ってよく見るとスィートバジルの播き床には糸のような茎がぽつぽつ残されてた。発芽したての柔らかな双葉はほとんど食べられていたのである。

 害虫の仕業には違いないが、バジルなんて直まきでもいいし、まあいいかと放っておいた。翌日、紫バジルやシナモンバジルの苗も半分以上、消滅してしまった。葉脈だけを残した青じその苗、半分坊主になったイタリアンパリ、見事に茎だけ残ったフェンネルとキャベツ。平和だった温室は悪漢に襲撃された犯行現場のような様相を呈してきた。いくら寛容とはいえ、ここまできたら何とかしなくてはいけない。

 植えつけたばかりのナスの葉にぽつぽつと直径1センチほどの穴が空いていたので、調べてみると、蛾か蝶の幼虫と覚しき幼虫がクネクネと茎を這っていた。長さ2〜3cm、背中が黒くて腹は白っぽく、背と腹の間に黄緑色の太いラインがある。どこにでもいる平凡な幼虫。多分ヨトウムシだろう。つまみ上げて、写真撮影した後、踏みつぶした。オクラの茎にも1匹発見。これも力まかせに踏みつぶした。

 図鑑で調べると悪漢の正体はヨトウムシの最終齢幼虫らしい。ヨトウムシはヨトウガの幼虫で昼間は地中に潜り、その名の通り夜になると地中から這い出してきて葉を食べるという卑怯な厄介者。
 いつもは芝生を徘徊しているポピュラーな害虫だけどこれまで作物の被害はなかった。一体どこから潜り込んだのか。雨宿りのつもりで温室に侵入してそのまま居座ったのか、はたまた本州からやってきたベリーの苗木にくっついて運ばれてきたのか、進入経路は不明だが、ぬくぬくと温かい上に柔らかな芽が食べ放題の温室はヤツらには間違いなく天国だろう。

 半分ほど残っていた紫バジルもシナモンバジルも丸坊主、一番期待していたジニアもカレンジュラも壊滅状態。まともな苗はほとんど残っていない。大いに落胆した。楽しみな春先の温室巡りは、気の重い日課に成りはててしまった。それでも立ち直れそうな苗をひとまず温室の外に避難させた。
 苗を作り直したり、直まきの面積を増やすなどして少しずつ立ち直りつつあるが、久々に本気で闘う園芸の年になった。ヨトウムシめ。


<ブヨ>
 ヨトウムシは作物の敵だけど、この時期、人間の最大の敵はブヨ。彼らはヨトウムシやアブラムシと違って春先には必ず姿を現す。ブヨはとにかくうるさい。何とか皮膚にとりついて血を吸ってやろうと人間の周りを飛び回る。完全武装したつもりでもほんの僅かな隙間も見逃さない。膝丈の長靴から入って、ジーンズの中に潜り込んだりもする。ただ刺すだけの蚊に比べると攻撃パターンが多様で執拗な上に、刺されると痛痒いし、かなり腫れることもある。特にジーンズの中に長時間滞在したブヨは、じっくり刺すのか大きく腫れる確率が高い。文字通り隔靴掻痒

 気温が15℃を下回り、風が強く吹くと一斉に姿を消すものの、日ざしが戻って風が止むとたちまち姿を現して執拗にまとわりつく。1キロ圏内に私しか標的はいないから、圏内のブヨが全員集まってくるのである。たまったもんではない。

 防虫スプレーも試してみた。ドラッグストアのタナに並んでいるような一般的な防虫スプレーはまるで効き目がない。一時的にはブヨは退散するものの、すぐに集まってくる。わりあい有効なのは香りの強い、天然ハッカスプレーで長時間にわたって効き目がある。しかし肝心な顔面にはスプレーできないから補助的にしか使えない。

 防虫スプレーは効果なし、ブヨの攻撃を我慢していたら発狂間違いなし。加えて私はどうも虫を引きつける吸引力が強いらしい。
 そこで毎年登場するのが、顔面をガードするネットつきの帽子。気温25℃、微風というブヨ日和でもこれさえ被ればブヨの攻撃から身を守ることができる。視界を遮るネットは鬱陶しいけど、刺されるよりはずっとまし。というわけでネットつき帽子は菜園仕事の必需品なのである。

 去年までは野球帽に緑色のネットを取り付けた不格好な帽子を愛用してきた。園芸仕事を手伝ってくれた誰かの遺留品らしい。外見はひどいものだが、ブヨの季節の必需品として大切にしてきたのである。
 その大切な帽子が、今年はどこを探しても見当たらない。作業用エプロンと一緒にシェッドの定位置に置いたはずなのに。さあ一大事! スコップを放り出して、近所のホームセンターに駆け込んだ。
 花柄や水玉模様の派手な日よけ帽に混じって、黒いネットのついた帽子が片隅にぽつんとおかれていた。1個しかなかったので即購入!

 菜園に戻って、早速、帽子を被ってみた。そのかぶり心地たるやこれまでの野球帽とは雲泥の差、実に快適なのである。
 まずネットの素材がまるで違う。野球帽付属のネットは、網戸の網や子供時代にお世話になった麻の蚊帳のようにごわごわした素材だったので顔の周りにまとわりつく感じがとにかく不快だった。ネットの繊維が太いせいか、視界が悪くて細かい作業はやりづらいし、夕方にはほとんど使いものにならない。ネットの目も粗かったので、中に侵入してくる勇敢なブヨもけっこういたのである。
 一方、新型の帽子のネットは素材がしなやかで柔らかく、ネットの目は細かいのに視界は良好、鬱陶しい感じがほとんどしない。
 しかも野球帽とちがってつばが広いので日よけの役割も十分に果たしてくれる。
 世の中はこんなに進歩していたのか! もっと早く気づいて購入していれば、初夏の園芸作業はずっと楽しいものになっていただろうに。これさえあればブヨの攻撃から完璧に身を守ることができる。
 こういうマイナーな用具を消費者の立場に立って真剣に考え、製造してくれる会社があるのはほんとに嬉しい。
1,000円くらいのものだが、私にとっては大金を支払ってでも購入する価値のある製品なのである。


<マダニ>
 春先から初夏にかけては自然界は目まぐるしいスピードで日々変化する。冬の間にため込んだ力を一気に爆発させる。雪が溶けると早朝の林道散歩が日課になる。雑草も丈が低いから歩きやすいし、空気が日ごとに弛んでいくのが分かる。野の花に囲まれる春の散歩はまことに楽しい。
 初夏に近づくにつれてクマザサがはびこり、イタドリもグングン成長するから次第に林道は歩きづらくなる。野鳥の声に誘われて雑草をかきわけながら横道にはいる。目の前のイタヤカエデの枝でキビタキが大声で鳴いている。黒い頭と限りなくオレンジ色に近い黄色い胸がスゴく目立つ。ラッキー! 幸先のいい1日がスタートする。

 後ろ髪を引かれる思いで散歩から戻って、菜園に出る。何だかもぞもぞと痒いな、もしや。すぐに家の中に入って服を脱ぎ捨てて点検する。やはりマダニ、脇腹の辺りをもぞもぞと這っているではないか。捕まえて手近にあった紙に包む。確認後、つぶして捨てる。マダニはのろのろ動くから意外と捕まえやすい。

 毎年毎年、マダニにとりつかれているうちにマダニが皮膚の上を這い回っているのがわかるようになった。初心者の頃は、吸血したマダニが大豆粒ほどにふくれあがるまで気づかないようなことも多々あった。マダニが皮膚に頭を差し込むともう手の施しようがない。そのまま血を吸わせてポロリと落ちるのを待つか、皮膚にダニの頭が残ることを覚悟で無理矢理引き剥がす以外対処法はない。しかし彼らもすぐに吸血を始めるワケではなく、適当な吸血場所をあちこち探し回るのである。ここがチャンス! 吸血場所を見つける前に早期発見して退治することが肝要なのである。
 経験をつむ内に皮膚を這うもぞもぞした感覚と這ったあとに残るかすかな痒みでマダニの存在を事前にキャッチできるようになった。藪に入る→家に戻る→何者かがもぞもぞ動き回っている→動き回った経路が何となく痒い、マダニに間違いなし。毎年、必ず数回はマダニにとりつかれるが、ここ数年は一度も吸血されたとことはない。
 実害もさることながら、ダニにとりつかれたいう精神的動揺も長く尾をひくのである。

 一時話題になったが、ウィルスをもったマダニに刺されると感染症で命を落とす人もいるそうだ。最近は北海道では死者は出ていないようだが、何十年ぶりかの死者が出るとすれば私という可能性は高い。死亡原因がダニという事態は避けたい。
 藪には近づかないというのがダニ対策の第一歩だろう。でも散歩好きにとっては不可能というもの、ダニキャッチ能力を日々磨くしかない。

 今年も6月にやられた。フジカド君の助手としてオオルリオサムシのトラップを仕掛けにやぶに入った時だ。早期に発見したから幸い事なきを得たが、少し遅れたら吸血されるところだった。今でも時々、あのもぞもぞ感が時々よみがえってきているはずもないダニを探してしまうのである。


<キジバト>
 菜園に定植したインゲン豆のうち数株の苗が萎れていたので、そのそばにインゲン豆を埋めた。この気温だから豆はすぐに発芽して先に定植した元気なインゲン豆にすぐに追いつくだろう。
 翌朝、菜園に行ってみると何と豆エリアに2羽のキジバトが並んで佇んでいるではないか。やられた! 土を堀り返すと昨日埋めたはずの豆が消えていた。
 何で分かるのだろう。木の上から豆を埋めているのを見ていたのか、特殊な嗅覚を働かせているのか、彼らの仕業に違いない。
 大豆の発芽も遅れていたので地面を掘ると豆の姿は消えていた。これも彼らの仕業なのだろうか?

 そういえば少し前から菜園の近くで時々キジバトの姿をみかけることがあった。キジバトとはいえ、近くで見るとなかなか美しい羽色をしている。こんなことろまでは滅多に飛んでこないのにおかしいなとは思ってはいたが、まさか豆狙いだとは!
 これまでも豆が掘り返されることがあったけどカラスの仕業だとばかり思っていた。ゴメン。
 発芽した苗が萎れたのもキジバトが土を掘り返したのせいかもしれない。優雅に見えてなかなかやるな。

 一応脅かしはしたけど、退治するわけにはいかないので放っておいた。仕方がない、播いては掘られ、播いては掘られのいたちゴッコを繰り返すしかない。そんなある日、菜園のそばにキジバトの美しい羽が散乱しているのをみつけた。キツネかテンかイタチにやられたのだろうか。その日以来、菜園にキジバトの姿はない。インゲン豆は発芽して順調に育っている。


<雑草>
 庭の原則は「来る者拒まず、去る者追わず。」という寛大なものだ。とはいえ繁殖力がめっぽう強いイタドリ、タンポポ、ギシギシ、ヨモギ、そしてヒルガオたちは大切な草花が駆逐されないように、原則をまげて退治する。
 特にここ数年、勢力を拡大しているのがヒルガオで、これはまことにタチが悪い。地下深く縦横に根を張り巡らし、地面のあちこちからポコポコと茎を伸ばし他の植物に巻き付くのある。地上部を退治しただけでは退治したことにはならない。地下で暗躍する彼らは、人間をあざ笑うが如く、思いもよらぬ場所から茎を立ち上げるのである。

 夏にはラッパ型の淡いピンクの花を咲かせる。花はその性癖とは真逆ともいえる清楚で涼やか、園芸種の朝顔よりずっと上品な姿形をしているのである。これが園芸種だったら、迷わず栽培するだろう。そこが悔しい。邪悪な習性をもつくせに知らん顔して可憐な花をつけるところがまた許せないのである。

 ヒルガオは別格としても明らかに雑草とわかる草は抜くか刈り取ればいい。

 しかしこれらのろくでもない訪問者に混じって歓迎すべき来訪者もたまにはいるのである。例えばオオバナノエンレイソウ、例えばマムシグサ、例えばネジバナ。特に気に入っているのがマムシグサで今年は3株に増えた。毎年1株ずつ増えているのがうれしい。

 マムシグサはサトイモ科の植物で、草丈は60cmほど、地面からスクッと花茎を伸ばす。
 なぜマムシグサかというと、その立ち姿がマムシが鎌首をもたげているように見えるからという説や葉鞘の斑点模様がマムシに似ているからという説がある。そう言われるとそうかなとも思うけど鎌首説の方が説得力があるように思う。
 サトイモ科には個性的な植物が多い。いちばん有名なのがミズバショウだろう。川沿いの地面から大きな葉をのばし、その中央に白い大きな花をつける。花に見えるが花ではなく「仏炎苞」と呼ばれる苞で、葉が変形したもの。本来の花は苞の中にある。
 この辺の湿地にはミズバショウの見事な群落がたくさんある。無数の白い苞が川に沿って並ぶ光景は太古を思わせる。何万年も前から変わらぬ風景、悠久という言葉が浮かんでくる。
 ザゼンソウ、別名ダルマソウだってそうだ。えび茶色のまん丸な苞はその色といい形といい、春の湿地でひときわ異彩を放つ。

 個性的で存在感のあるサトイモ科の植物のなかではマグシグサは、比較的おとなしい感じはするが、クリスマスローズの間からスクッと鎌首をもたげたその姿は媚びない美しさがある。秋には玉蜀黍状にまっ赤な実をつける。

 ヒルガオのような厄介者とマムシグサのようなウエルカム植物の間には様々な植物がいる。
 例えばヒヨドリバナ。山道を歩くとどこにでも生えている頑強な雑草が、知らぬ間に庭にやって来て居着いてしまった。まだ日が浅いのにもう何十年もここにいるような顔をしてイタヤカエデやサクラの根元を囲っている。花はスモークツリーのようでなかなかに美しいし昆虫がたくさんやってくるのも嬉しい。庭木の根方を囲む位ならいいのだが、そこは雑草、慎みなくはびこり始め、デルフィニュームやエリンジュームエリアにもずかずかと踏み込んで来るのである。樹木の根方のヒヨドリバナは許されても、その他のエリアに進出したヒヨドリバナは刈り取らなくてはいけない。
 ゲンノショウコやツユクサも生える場所によって抜かれたり大切にされたりしている。

 その植物が雑草として抜き取るべきかそれとも庭の構成員として残しておくべきかの判断は微妙で難しい。植物が生えている場所はもちろんのこと、その日の気分によっても刈り取られたり、残されたりするのである。

 だから草刈りは他人には任せられない。他人に大切なマムシグサを刈られてしまったら、間違えて自分で刈ってしまった場合に比べて何十倍も悔しい思いをするだろう。決して「まあいいか」ではすまされない。
 耕耘機で菜園を起こす作業やそこに肥料を撒く作業は任せられても、庭の草刈りだけは他人に任せるわけにはいかない。自分でやるしかない。

 雑草は園芸植物の数倍の早さではびこるから手で抜く、鎌で刈り取る、ハサミ切るというような悠長なことではとても追いつかない。
 そこで登場するのが刈り払い機。肩にかけてウィーンウィーンと振り回す野蛮な道具である。燃料を入れてエンジンをかけると刃のついた円盤が回転する。回転する刃を雑草の根元にあてるとスパッと切れる。足に当たれば足もスパッと切れるだろうから危険は伴うけど一度使ったら手放せない便利な道具なのである。

 アリスファームでは冬をのぞいて毎日のようにどこかで草を刈っている。牧草地の周り、温室の周辺、道路ぎわ。これまでは、フル稼働の合間を縫って「ちょっと貸して貸して」方式で刈り払い機を使わせてもらっていたのだが、今年、ついに自分専用の刈り払い機を買ってしまった。

 これまで使っていた刈り払い機より軽いし、新型だけあってエンジンもすぐにかかる。刃の回転スピードも手元で簡単に調節できる。何より、自分専用だからいつでも使える。タナカ製のらくらく草刈り機は今年一番の有用なお買い物になるだろう。

 ヨトウムシには完敗、ブヨとマダニにはほぼ勝利、鳩とは引き分け、雑草との戦いはどうなるか? これから夏にかけて闘いは正念場を迎える。
 昨日、シャクヤクの花が咲いた。今年もいつものように頑なに蕾を開こうとしないシャクヤクだが、晴天に負けたのかようやく蕾を解いてくれた。
 でもシャクヤクの周りを囲っている背の高いオーチャードグラスが気になる。ブヨもうるさい、さっきカラスとキジバトの姿を見た。いつになったら「シャクヤクが咲いた!」と手放しで喜べる日が来るのだろうか? 闘いの日々は続く。

春の瀬戸内巡り
 相変わらず、日本全国を飛び回っている。最近では、仕事の合間を縫って短期間、あちこちに出かけことが多い。きっちり予定を組んで出かける海外の旅とは違って小旅行は気楽で楽しい。

 春、サクラの頃、仕事が終わった広島から岡山に移動して宇野港からフェリーに乗って直島に出かけた。以前、韓国の友人に小豆島はおもしろかったという話をしたら、何で直島に行かないの? と逆に聞かれてしまった。彼女は直島がいかに素晴らしかったかを語ってくれた。
アリスファームの池
これはうちの池、訪問者の95%は
「モネの庭!」と声をあげる。
太鼓橋をかけないと
 それ以前にも直島の噂は聞いていた。島全体がアートの島で近くにある豊島などと連携して大規模なアートフェスを開催しているらしい。直島には安藤忠雄氏設計の美術館があり、そこにはモネの睡蓮が展示されている。小さいながらもモネの庭を模した庭も見学できるらしい。一番惹かれたのは、そのモネの庭だった。
 ジベルニューのモネの庭には一度行きたいと思っていた。でもフランスに行くにはそれなりの心構えが必要だからまずは手近なところで直島に庭見物に行ってみよう。直島は香川県だが、岡山県の宇野港から15分くらいで行ける。

覆い島の港に到着して美術館行きのバスを探して乗り込む。バスは海岸線をのんびりと走る。とここまでは静かだったのにバスが到着した美術館の広場は人でいっぱい、チケット売り場も長蛇の列、大いに後悔する。
 チケットを購入するための整理券をもらう。きっと観客がゆったり鑑賞できるように入場制限しているのだろう。天気がいいからよしとしよう。
 チケットの購入時刻がくるまで疑似モネの庭をを見て回ることにした。庭はチケット売り場から美術館に向かう坂道に沿って設えられている。
 細長い庭には確かに池があった。池には橋も架かっているし、今は葉っぱしか浮かんでいないけど初夏には睡蓮も咲くのだろう。でも睡蓮が咲けばモネの庭というわけではない。
 池の周りには赤やオレンジ色、黄色の花々が咲き乱れ、まるで公民館の花壇の如き色合い、うちの方がずっとまし。またしても後悔する。

 チケットを購入して再びモネの庭を通って美術館に向かう。
 地中美術館は瀬戸内の海と島の景観を損なわないよう一部の開口部を除いて地中に潜る形で建てられているそうだ。中に入ってしまうと建物全体の姿は掴めないものの、建築家の個性が強く押し出された建物だということは何となく分かる。

 複雑な通路を抜けてモネの展示室へ直行する。モネを鑑賞するには靴を脱いでスリッパに履き替えなければいけないらしい。ひとりとして抗議する人はなくみな大人しくスリッパに履き替えている。靴音が鑑賞の邪魔にならないようにとの配慮には違いないないけど・・・・。またしても後悔。

 展示室には巨大な睡蓮を中心に全部で5点の睡蓮の絵が展示されていた。5点の睡蓮をつなぐと14メートルにもなるらしい。それぞれの絵の前を何度も行ったり来たりしてモネをじっくり眺める。

 彼の絵には、光、自然、移ろいというおなじみのキーワードが散りばめられている。それは5点の睡蓮に共通していて揺るぎがない。そのためか絵を鑑賞するというよりもそれぞれの絵が放つ光に包まれているような心地よさを感じることができる。自然と音楽が聞こえてくるような心地よさ。

 一般的に美術館は住宅のように実用性、機能性を求められないから、いわば建築家はやりたい放題、建築家にとっては最高の現場だと思う。
 地中海美術館は美術館はこうあるべきという建築家の思いを込めた建物なのだろう。

 モネは、ものの形とか色彩といったものに頓着せず、ただ光の移ろうさまを描く。彼は表現することを半ば放棄してただ瞬間を捕らえようとする。
 表現としては対極にあるような画家の姿勢と建築家の強烈な自己主張。

 淡い色を重ねるモネの絵はこの空間にあっても少しもたじろがず、淡々とそこにある。
 絵画のもつ力と空間の力が拮抗している。そこから生まれる緊張感は心地よいものだ。勝ち負けを競う勝負というのではない。空間とそこに置かれた絵画が作り出す緊張感は妥協やなれ合いを許さない。

 朝方、昼間、夕刻と窓から差し込む光の1日の変化によって絵は変わっていくのだろう。春夏秋冬、それぞれに変化する四季の光によって絵も変わっていくのだろう。
 安藤とモネが光という共通項で結ばれて作り上げた緊張感溢れる空間。
 この空間に身を置いて睡蓮を眺めることができてよかった。電車とフェリーとバスを乗り継ぎ、散々待たされて、スリッパを強制されてもここを訪れたのは正解だった。
 何より天気が味方をしてくれた。

 睡蓮の展示室を出るとモネの部屋の前には長ーい行列ができていた。目の前にがらーんとしたコンクリートの矩形の部屋があったのでそこに入ってみた。天井にはめこまれたガラスを通して、真上から光が差し込んでくる。
 壁に沿ってぐるりと設えられベンチに腰を下ろして、天井から差し込む光をうける。我が家のサンルームも光がさんさんと降り注ぐけど、それとは違い上からまっすぐに降りてくる光は新鮮で心地よかった。日常とは違う光、地中美術館の醍醐味はここにあるのだろう。解説によるとこの部屋はただの休憩所ではなく、部屋自体が著名なアーティストの作品であることが判明した。

 カフェのテラスからは瀬戸内の海が一望できる。瀬戸内の穏やかな光を浴びる。北海道の光とも石垣島のそれとも光の質が違う。
 松の間から海を眺める。時々小舟が通る。贅沢な時間だった。

 もう十分。地中美術館を後にしてフェリーで向かいの高松市に向かう。目的はもちろん讃岐うどん。
・うどんは、なるべく朝早くに専門店に行って食べた方がいい。
・うどんは、なるべくひっそりとした場所にある店を探して食べた方がいい。
 これが今回の教訓。モネもいいけどやはりさすが讃岐うどん、どの店も美味だった。

 発見がひとつ。町の中心地を抜けて、郊外のうどん屋に向かう県道の両側には苗木を扱う植木屋がズラリと並んでいた。高松は日本でも有数の苗木の生産地だったのである。
 うどん屋巡りを終えて、満開の桜に引き寄せられて立ち寄った高松城の入り口で植木市をやっていたのでのぞいてみた。
 魅力的な苗木や花苗が並んでいる。ヒメコブシ、シャラ、ヤマボウシなど種類も多く、品質の割には価格も安い。これが北海道なら見境なく購入したことだろう。中でも私の目を釘付けにしたのが、偏愛しているサトイモ科と覚しき花の苗。初めて見る植物だったので店主に尋ねると即座に「ユキモチソウ」と教えてくれた。四国では誰もが知っている植物らしい。
 苗木と違い、手荷物でも何とかなりそうなサイズだったので購入しようとしたけど、北海道じゃねと店主に止められてしまった。

 うどんと苗木、高松はかなり強力な吸引力をもつ町であることが分かった。


8月の菜園
8月の菜園、一時はどうなることかと
思ったが、ようやくここまで回復した。
楽しい園芸
 何で菜園? とよく聞かれる。自分で栽培すれば安心して食べられるし。とりたては美味しいからと無難に答えるとたいてい納得してくれる。特にアスパラ、コーン、枝豆の3種類については秒速で味が落ちていくように思う。
 しかし昨今、安全な野菜は通販でいくらでも手に入る。近所の直売所では採れたて新鮮野菜を販売している。野田さんの直売所で「ツルムラサキは?」と聞くと、裏の畑に走って採ってきてくれたりする。午前中に行けば切り口から水が滴っているようなコーンも簡単に手に入る。安全で新鮮な野菜は以前よりずっと楽に入手できるようになった。

 毎年、直売所の販売台には新しい種類の野菜が並ぶ。今年は苦みの強いワイルドルッコラや紫色のシシトウがあったし、タイ料理に使う白ナスも販売されていた。

 さすがに南の方ではポピュラーなハンダマや雲南百薬はまだ見かけない。でもハンダマは加賀の伝統野菜「金時草」としてネットで苗が販売されているから直売所の店頭を飾る日も近いと思われる。驚いたことに雲南百薬の苗は近所の園芸店で「オカワカメ」の名前で並んでいた。

 昨今では野菜栽培における実質的な見返りは限りなくゼロに近い。とりたてのアスパラは確かに極上の美味だけど手間や肥料、心労を考えたらものすごい高価なアスパラになってしまう。ではなぜ?

 昨日、菜園では生まれたての目の覚めるようなキアゲハが、フェンネルを丹念に見回っていた。きっと産卵場所をさがしているのだろう。隣にある茎立ちブロッコリーの穴だらけの葉っぱの上では青虫が寝そべっている。平凡なシロチョウだけど早く蛹にならないかなーと思う。
 菜園にはいろんな昆虫や野鳥が遊びに来る。フェンネルはキアゲハのために栽培しているようなものだ。彼女たちの食草はセリ科の植物だけどとりわけフェンネルが大好物なのである。フェンネルなんて食用としては滅多に使わないのに10株以上栽培している。

 フェンネルは大株だから数十頭いや百頭のキアゲハだって賄える量だ。何百頭のシロチョウを満足させるだけのキャベツも栽培している。

ゼフィルス
2月に石垣島で見た発生したてのコノハ蝶。
幸せな時間が流れる
 時々、ゼフィルスが迷い込んでズッキーニの葉っぱにとまっていたりする。
 葉の上で広げた金属光沢の羽の華麗なこと。ゼフィルスは無神経なズッキーニにはほんとに似合わないけどつい見とれてしまう。
 グリーンともブルーとも言いがたいそれはそれは美しいアオバトが数羽の群れで遊びにきたり、イカルの群れが横切ったり、水道の栓を開こうとしたら真紅の喉が目立つノゴマと目が合ったこともある。
 そう菜園仕事の楽しみはこういった細部に宿るのである。
 菜園の入り口に設えた仁菜のブランコに腰を下ろして休んでいると、やさしい風がカエデの林をわたってやってくる。ミントの香りを運んでくる。
 明け方、屋根を打つ雨音に狂喜する。これで菜園もひと息つけるだろう。慈雨は地面に染みこみ、作物を潤すだろう。ホースの水では雨にはとても太刀打ちできない。
 梅雨のような日々の合間に太陽がカッと照ることがある。作物の歓喜の声が聞こえてくるようだ。
 菜園仕事が始まると何でもない気象現象のひとつひとつが普段の暮らしとは違った意味をもつようになる。
 自分が植物になりきって喜んだり怒ったりするようになる。
 そう菜園仕事の楽しみは細部に宿るのである。

収穫した野菜
沖縄のそら豆、トウマミ、ようやく実をつけた
 例えヨトウムシに痛めつけられて収穫が限りなく0に近くとも、例えブヨの猛攻撃で顔を腫らしても、例え豆を巡る鳩とのいたちごっこに破れても、私はこの楽しみを手放したくはない。


<夏の菜園速報>
ヨトウムシの食害から立ち直った菜園は今、最盛期を迎えている。

<ここ1週間で収穫した野菜>
ミニトマト、中玉トマト、大玉トマト、ナス2種類、福耳とうがらし、万願寺とうがらし、ミニキュウリ、ツルムラサキ緑と紫、雲南百薬、ハンダマ、島オクラ、とうまみ、青じそ、黄芯白菜、キャベツ、茎立ちブロッコリー、カリフラワー、セロリ、アイスプラント、空心菜、スナップ豌豆、サヤインゲン、枝豆、玉蜀黍、ハーブ類(バジルいろいろ、イタリアンパセリ、コリアンダー、チャービル、ラビッジ、フェンネル)というわけで深夜まで保存作業に追われている。

菜園のハーブと花
これも沖縄のハンダマ。葉の裏はきれいな赤紫色
<菜園で咲いているハーブと花>
ミント、オレガノ、レモンバーム、マロー、タンジー、イエローセージ、タイム、フェンネル、ラムズイヤ−、スィートバジル、カレンジュラ、マリーゴールド、ジニア、ナスタチューム、各種ひまわり、黄花コスモス、紅花、河原撫子、アニスヒソップ、ベルガモットブッドレア、ベロニカ、ブルーセージ

<冷凍保存にむく野菜>
1/一番はトマト
 トマトはヘタをとって丸ごとビニール袋に入れて冷凍。冷凍トマトをそのまま水に浸けると皮がスルスルむける。半割にしてから刻んでしばらくおくと透明な水分が出てくる。これはうま味のもと。この液体ごとスープやソースにすると生のトマトと同じように使える。酸味と濃厚なうま味、複雑な風味は缶詰のトマトではとても太刀打ちできない。何より下準備不要で冷凍できるのが最大の魅力。
2/二番は焼きナス
 ナスをオーブントースターの最高温度で焼いて黒焦げの皮をむく。冷やしてそのまま冷凍する。解凍して普通の焼きナスとして、出汁に浸して煮浸しとして完璧に蘇生する。シシトウも焼いてから冷凍するといい。手間はかかるけど冬になるとやってよかったと絶対に思うはず。
 パプリカも焼いて皮をむいて種をとり、四つ割りくらいにして冷凍。その時に出る焼汁はうまみの素なので一緒に冷凍。冷凍しなくてもバルサミコ酢を振りかけておくと冷蔵庫で長期間の保存可能。
3/三番はコーン
 新鮮なコーンは軸から実をナイフでこそげ取ってそのまま冷凍。冷凍のまま加熱して食べると生と遜色ない美味しさ。オムレツやスープに。
 ツルムラサキや雲南百薬、オクラはそのまま冷凍。オクラはさっと茹でて生と同じように使えるし、ツルムラサキや雲南百薬は冷凍のままスープに使用しても茹でてお浸しにしてもいい。
4/四番はカリフラワー
 ブロッコリーやカリフラワーはさっと茹でて冷凍。沸騰したお湯に野菜を入れて火を止め、鍋にフタをして5分くらいおくとちょうどいい固さに仕上がるようだ。茹ですぎると別物になってしまう。
 生のカリフラワーは瓶に詰めて熱々のピクルス液を注いでピクルスにする。カリカリの食感が美味しい。輪切りにしてゴーヤーも同じ。

<冷凍にむかない野菜>
 キャベツや白菜は冷凍する価値なし。スープなどには使えるけど食感がよくないし、冷凍庫の中で場所をとるし、生がいつでも手に入るから冷凍保存はやめた方がいい。

 原則は一回に使い切る量を小分けにすることと冷凍野菜に過剰な期待はしないことだろう。



食卓日記マーク
#32 (2016.1.7)
※写真をクリックで拡大できます。
7/9の菜園
7/9の菜園、希望にあふれている
ファーマーズマーケット
 夏は早起きして菜園に直行する。菜園をひと回りして野菜や花の様子を観察する。ほとんどの植物は水!水!と騒ぎ立てる。昨日、念入りに水をやったばかりなのに地面はすっかり乾いている。
 言うことをきかない青いホースを思いきり引っ張って水まきスタート。大切度ランクの上位に君臨しているトマトやナス、オクラやスティックブロッコリーにはたっぷり、下位のミントやチャイブはほとんどパス。ランクに応じて水の量は差別的でも、ともかく太陽が照りつける前に水をやっておかないと。

 水やりが終わると裏の林道や今年から牧草地の林の中に新設された散歩道(不要なカラ松を倒してクマザサを刈っただけだけど)を歩き回る。
 野鳥が早起きなのに対して、蝶は光が大好きなので活動時間は朝の9時頃から昼頃までというのが多い。だから朝一番に散歩に出かけるよりも、水やりを終えてからゆっくり出かけた方が蝶に遭遇する確率が高いのである。

8/16の菜園
8/16の菜園、緑が爆発!
 しかし、今年は蝶がまるで不作の夏だった。再会を心待ちにしていたゼフィルスなんて7月の初めに数頭目撃しただけだったし、オオイチモンジもいなければ、常連のタテハ類も雄大なミヤマカラスアゲにもめったに出会わず、ずいぶんと寂しい思いをした。

 散歩から戻るとその足でまた菜園に行く。たいして広くもない菜園だけど、芽かき、整枝、草取り、など細々した仕事が際限なくあるから、すぐにお昼を回ってしまう。
 午後は陽が傾き始める頃、やり残した菜園仕事にとりかかる。
 といっても野鳥が横切れば双眼鏡で姿を追い、フェンネルの世話をしながらアゲハの幼虫を探したり、灌木の白い花に見つけたハナムグリを捕まえたり、あちこちに絡みつくヒルガオ(目下最大の敵)に罵倒を浴びせながら退治したり、と菜園には仕事には実に様々な楽しみがあるのである。
10/9おつかれ
10/9、お疲れ様でした
 ちなみに私の菜園バッグの中には園芸用具一式のほかに双眼鏡、カメラ、三角紙、毒瓶(散歩途中に撮影したオオアオカミキリの写真を自慢げにフジカド君に見せたら、何で捕えなかったのかと叱責されて以来、毒瓶は必須アイテム化したのである)、ピンセットなどが ゴチャゴチャと入っている。もちろん菜園の小屋には複数の捕虫網が常備されている。
そんなこんなで1日が暮れていく。

 いったん家に戻った後、今度はエコバッグ片手に薄暮の菜園に向かう。さあここからが本日のメーンイベント。収穫ばさみを手に野菜の収穫が始まる。トマト大4個と小10個、ナス1本。でも明日になると皮が固くなりそうだから早めに収穫しておこうともう4本追加。オクラ10本、でも明日になると・・・20本追加。という具合に収穫しては、次々にバッグに放り込む。

 昼間には生産者だったけど、今は消費者なのである。作り手、売り手、買い手を全部ひとりで引き受けてはいるが、夕方の収穫は「おつかい」なのである。ここ2年ほど前から収穫(=おつかい)にはナイロン製のショッピングバッグが最適であるという結論に達した。今年は伊勢丹のチェックのエコバッグ、去年はジュンク堂の緑のバッグだった。

 菜園でのおつかいが終わると、少し離れた温室にも足を伸ばす。ここは第2マーケット、温室育ちのローズマリーやチャービルをバッグに入れる。夏の盛りにはデザート用にブドウを一房、温室の外に出てブルーベリーをひとつかみバッグに入れることもある。

小豆の花らしい
小豆の花らしい
 作物と親身になって向き合う朝の作業も、脇見をしながらゆったりと進める午後の作業も楽しみはいろいろあるけど、菜園のお客さんになれる夕方がやはり一番楽しい。
 夕方の菜園は、客がひとりだけのファーマーズマーケット、そう呼ぶこともできるだろう。

 そして冬、地下に置かれた冷凍ストッカーが第3のファーマーズマーケットになる。毎日ではないけど相変わらずエコバッグを提げて地下に降りていく。
 夏の間、アリのように働いて冷凍庫にため込んだ野菜や豆をバッグに入れて、キッチンに運ぶ。毎晩夕食後に豆の莢をむいたり、ブロッコリーを湯通ししたり、シシトウを焼いたり、せっせと手を動かして、貯め込んだ野菜や豆。
 そのおかげで、冬でもオクラの煮浸しやアスパラのサラダ、ツルムラサキとモロヘイヤのスープが楽しめる。ニンニクを効かせたインゲン豆のトマト煮込は冬の食卓には欠かせないひと皿になっている。

地下のファーマーズマーケットが品切れしないうちに春がやって来ないと困る。大いに困る。

野鳥が地面に落した種から育てた
野鳥が地面に落した種から育てた
 冬の間は仕方がないから、園芸カタログを眺めながら菜園の計画を立てる毎日、来年はインゲン豆を減らして大豆を増やそうとか、いつもの菜園花、黄色オレンジ系のマリーゴールド、ジニア、ナスタチューム、カレンジュラに加えてピンクや白、赤い花も植えて見ようかとか、思い切ってカンナやダリアはどうだろうとか、菜園計画は日々変化し、日ごとに膨らんでいく。
 でも春が来て菜園がスタートしたら、そんな計画はまったく無意味であることは百も承知なのだが、雪に降り込められて手も足も出ない日々にはそうでもするしかないのである。

お買物
その1:ヨーグルトメーカー
 これまでずっとヨーグルトはヨーグルトメーカーを使って作って来た。牛乳とヨーグルトの種を入れてスイッチをいれれば、いつの間にか牛乳は発酵してヨーグルトができる。購入した覚えはないから、いただき物にちがいないヨーグルトメーカーだが20年以上愛用してきた。要するに、牛乳が発酵するのに適した温度を一定時間保つというポットのような単純な道具だから、壊れようがないのである。だから買い換える必要もない。

久々に栽培したハロウィーン南瓜
久々に栽培したハロウィーン南瓜
 しかし、気まぐれにネットでヨーグルトメーカーを検索しようものなら大変、ヨーグルトメーカーならこれ、絶対これを買いなさいというおすすめメールが毎日たくさん届く。煩いなーと思っても後の祭り、買え買え攻撃は当分納まりそうにない。

 それでついフラフラとお買い物サイトを訪問してしまう。こうして敵の術中にはまっていくのである。新製品を眺め、その機能を熟読していくうちに、長年奉公してくれた青い蓋のついたプラスチックの円筒がみすぼらしく思えてくる。(よく見ると筒にはmeitoと刻んであったから名糖乳業からいただいたものかもしれない)

 という経緯でクビンスというヨーグルト&チーズメーカーなる道具を購入してしまった。これまではヨーグルトのみだった発酵器と違い、温度も時間も自由に設定できるからヨーグルトのほかにもいろんな発酵食品が簡単にできる。ポットも2リットルとまあまあの大きさだし。普通のヨーグルトのほかに豆乳ヨーグルト、ヨーグルトチーズ、塩麹、納豆を作ってみた。なかなかのできばえ、菜園で収穫した大豆から作った納豆はちゃんと納豆だし、塩麹は確かに調味料として使うと効果的だし、名糖さんには申し訳ないが買い換えてよかった。
 今は自分で栽培した大豆で味噌を仕込み中、あと50時間くらいすると、味噌が完成するはず。一度に500g近くの味噌ができる。今なら、1年に数回作れば足りてしまうかもしれない。多めに作って寝かせておけば美味しくなるだろう。食卓の常連、味噌や納豆が手軽に加工できるのはうれしい。
菜園で栽培した大豆で味噌と納豆をこしらえた
菜園で栽培した大豆で味噌と納豆をこしらえた
 味噌が完成したら、次は「ブドウジュースとワイン酢で作るバルサミコ酢」を作るつもり。この秋、野生の山ブドウが大豊作。フジカド君制作の山ブドウジュースが大量にあるからあれを活用しよう。(聞くところによると収穫には重機まで登場したらしい。)
 目指せ、食糧自給!というより町のスーパーにはあんまり行きたくないんですよね。

その2:圧力鍋
 ほんとうに圧力鍋にはお世話になってきた。昔ほどではないにしても今でも頻繁に使っている。何代目になるのだろうか、今使っているのはフランスはセブ社の圧力鍋、20年はゆうに超えているだろう。
 最近フタをきっちり閉めても蒸気が漏れるようになった。きっとパッキンが傷んだのだろう、と思い、ネットで「セブパッキン」と検索すると肝心のパッキンは見つからず、代わりに例の買え!買え!攻撃が始まった。
 セブを購入した当時は迷うほど種類もなかったし、普通の鍋に比べて価格もずいぶん高かったように思う。ところが最近では信じられないくらい種類が多くて、かつ価格も安い。オークションなら普通の鍋よりずっと安く手に入る。

山ブドウが大豊作、「フジカド印山ブドウジュース」が大量にできた
山ブドウが大豊作、
「フジカド印山ブドウジュース」が大量にできた
 パッキンは見つからないし、画面には世界一の高圧とか、圧力2段切り替えとか、3重安全構造とか、IH対応とか魅力的な文句が氾濫している。これに抗うのは至難の業、とうとうこれはと思う一台を注文してしまった。

 その矢先に仁木一家、仁木+あつみ+仁菜が遊びに来た。あつみさんにさっき注文した圧力鍋について「世界一高圧だからカレーなんて沸騰したら火を消せばいいんだって」と自慢気に報告した。「わっ!すごい」と言うと思いきや「普通の圧力鍋だって5分煮れば美味しくできるのに」という冷静な反応に、はっと我に返った。
 そうだ、秒単位で生活しているわけでもないのに5分待ってもいいじゃないか、ごもっともごもっとも、すぐに注文をキャンセルした。

 思えばセブは本当によく働いてくれた。チリコンカン、タンシチュー、牛すね肉の煮物、参鶏湯風のスープ、セブがなかったら時間のかかるこんな料理にはまず手を出さなかっただろう。特に大量の豆と少量の挽肉を合わせた超節約料理のチリコンカンと牛タンをほろほろになるまで煮込んで、ソースをかけてオーブンで焼いたタンシチューは子供たちの大好物だった(昔は牛タンはすごく安かったのだ)思い出がたくさん詰まった圧力鍋を手放すなんて、ゴメン、パッキンを探してもうひと活躍してもらおうではないか。

 その日の夕食はポトフ、塩麹に漬け込んだ鶏肉、ソーセージ、キャベツやニンジンをセブに放り込んで煮込んだものだ。その美味しかったこと。大人たちはもちろん、4歳の仁菜も夢中になって食べいた。

「0分でカレー」のうたい文句で誘惑する圧力鍋はほかの製品に比べて値段が高い。かつてはそういうものを購入する際には「一生もん」だからという言い訳が背中を押したものだが、今となってはそんな言い訳はまるで通用しない。
 一生もんには違いなくても一体、いつまで圧力鍋を使って料理することやら。

台湾食紀行
<美味!>
 先日台湾に行った。お茶の産地として知られる木柵に行こうと思ったら、風雨のためか、月曜日のせいか、猫空行きのロープウェイは休止していた。あきらめるのも悔しいからバスを探して乗り込む。バスは狭い町中の道路を抜けて曲がりくねった急な山道をかなりのスピードで上って行く。緑の森や茶畑を眼下に望むロープウェイとは違ってスリル満点、運転していたのは中高年のおばさんだった。

 猫空は台北郊外の観光地だけど平日はとても静かで、茶畑を眺めながらゆっくりとお茶を楽しむことができる。月曜日の雨ふりとあってほとんどの店が閉まっていた。坂の中腹にようやく見つけたレストランで昼食をとることにした。

ふかふかの蒸したて饅頭に
ふかふかの蒸したて饅頭に
 ドアを開けると店の中はすごい熱気だった。昼時ということもあるけど席は家族連れやカップルでほとんど満席、各テーブルからはもうもうと湯気が上がり、ウェイターが忙しく動き回っている。別世界のようだ。

 席を確保して渡されたメニューを開く。この時間が好きだ。漢字だし時には英語表記もあるからだいたいは分かるけど、細部については想像するしかない。
 湯はスープのことだから、鶏肉とキノコを煮込んだと思われる「香茹鶏湯」「青菜炒め」、肉まんと見当をつけた「龍門控肉」の3品を注文した。まわりの客はテーブルにずらりと並んだ料理に没頭している。

 私のテーブルにもガスコンロが運ばれ来た。もしやあれではないか? 去年、茂林の食堂で湯を注文したら、山盛りの具と溢れんばかりのスープが入った洗面器サイズの鍋が運ばれてきたのである。その時は3人だったが、それでも食べきれる量ではなく、しかもゴーヤーとパイナップルの鶏湯という個性的な代物だったので往生したのである。

じっくり煮込んだ三枚肉を挟むと
じっくり煮込んだ三枚肉を挟むと
 しばらくしてウェイターが黒い壷を運んできてコンロにどんと置いた。壷の中を覗くと鶏と椎茸と薄切りの生姜がぎっしり。鶏は半羽分だろうか、これで小サイズ、普通サイズは多分1羽分だな。壷からよく煮えた中味とスープをボールに取り分ける。鶏は地鶏なのか味がしっかりしていて美味しい。スープは僅かに塩を加えたといった程度の薄味、鶏や椎茸のうまみはそれほど感じられない。湯が煮えたぎっているのでガスの火を消す。通りかかったウェイターが火をつける。暑いから火を消す。別のウェイターがまたつける。

 スープが2/3くらいに減ったころ、蒸かし立ての具なし饅頭が運ばれ来た。肉餡を包んだ包子を想像していたのに。と同時に豚バラ肉の煮物もテーブルに置かれた。ウェイターにこれは注文してないと文句を言うと、具なし饅頭と肉がひと組で龍門控肉。ちょうどハンバーガーのバンズのように口の割れた龍門饅頭にこの肉を挟んで食べるらしい、これは中国式のハンバーガーのようなものだったのである。ボリューム満点の饅頭が5個、肉はゆうに500gは超えている。どうしよう。1個でも十分過ぎるくらいなのに。
龍門控肉の完成!
龍門控肉の完成!
 複雑な香りを放ち、しっかりと味の浸みた豚肉はほろほろと柔らかく、付け合わせの青菜と一緒に饅頭に挟んでほうばる。まずかろうはずはない。
 ようやく1個目をやっつけたけど、まだ龍門4個と大量の肉が残っている。2個めに進む前に気分転換をと思い盛大に湯気をあげるスープを飲んでみる。うわっ! これは何だ。さっきは淡泊だったスープが、深みのある濃厚なチキンスープに進化しているではないか。椎茸の風味も生姜の香りもグンと深くなって、さっきの薄味の湯とはまるで別物のようだ。そうか、私が火を消すとウェイターが火をつけていた理由がようやく理解できた。食事開始から1時間を経て、湯は完成の域に達したのである。初期の湯は未完成の湯だったのだ。火をつけて回るウェイターがその都度、命令口調で何か言っていたのだが、それは「熱くても火は消すな! 煮込めば煮込むほど美味しくなるんだから」という意味だったに違いない。

 スープはほとんど平らげたけど、まだ壷の中には大量の鶏肉、せいろには4個の包子、大皿には豚バラの煮物が残っている。でももうギブアップ、残りはテイクアウトすることにした。

 台湾でも韓国でもいろんな種類のスープが楽しめる。韓国の参鶏湯にしてもチゲにしてもスープだし、台湾でも食堂メニューの初めの方には湯の文字がずらりと並んでいる。スープがご飯の添え物ではなく主役として堂々と卓に並ぶ。

 そこへ行くと日本の汁物はどうも添え物感が強い。沖縄の食堂では魚や肉や野菜を大量に使った汁物は定食の定番だけど、沖縄以外では味噌汁定食に出会ったことはない。

 台湾や韓国のスープは、日本の鍋ものに当たるのかもしれないけどそれとも違うような気がする。鍋物は煮えばなを食べるものだが、湯はぐつぐつと煮込む。
 多分、長いこと肉食の習慣がなかった日本では、貴人であれ庶民であれ、肉を長時間煮るという機会はなかったのだろう。煮込むとスープにうまみが浸出する肉に対して、魚や野菜は煮込めば煮込むほど美味しくなるというものではない。
田うなぎ厨房
 それどころか、魚は加熱時間が長いと身が固くしまり、汁には魚の臭みが移ってしまう。野菜も煮崩れたり、歯ごたえが悪くなってしまう。
 煮込み料理はきっと肉の独壇場なのだろう。
 猫空のレストランの壷入り湯を食べてそんなことを考えた。

 晴れたら茶畑の間を歩こうと思ったけど雨はやまず、でも思いがけず美味しいものに出会えたからまあいいか。またバスでスリル満点の山道を下り、終点の動物園で昆虫館でも覗いてみよう。

<不味!>
 台南で乗ったタクシーの運転手、王さんにはとても親切にしてもらった。英語が上手だから意思の疎通が楽だし、奥さんが料理上手で食には造詣が深いから、サバヒーと呼ばれる白身魚を使ったお粥の作り方などいろいろ教えてもらった。彼のいち押しは台南を代表する「?魚意麺(シャンユーイーメン。?はシャン、魚へんに善。写真参照)」田ウナギの麺だ。以前から気にはなっていたのだが、なかなか食べる機会がなかったので、これまたいち押しの「文明眼鏡」に行ってみることにした。
 場末の屋台といった店だけど調理場のあるテントの中の客席も外の客席もいっぱいだし、順番待ちの客もいる。期待できそう。

 調理ではほんとに丸い眼鏡をかけたおじさん一家が中華鍋と格闘していた。ガラスケースの中には紐状の田ウナギが折り重なっている。うねうねした形状も奇怪だが、それが血の色をしているのである。うっ、これはと思ったけど、まあ見かけで食べるわけではないしと気を取り直して「?魚意麺」を注文した。テーブルをのぞくとほとんどの客は汗をかきながらこの麺に没頭している。

田うなぎ
 丼が到着、熱い。麺の上には数片の?魚が乗っている。?魚を食べてみる。骨っぽくて身が堅いウナギといったところ、正直、あまり美味しいとは思えない。ドジョウに近いのかな。麺は油で揚げてあるらしくて昔のインスタントラーメンの様だし、とろみのあるスープは甘辛くて、何だか全体的にまとまりがない。すっきりしたスープだときっと癖のある田うなぎのに負けてしまうのだろう。このスープに普通の茹で麺は合わないから油揚げ麺がに落ち着いたのかもしれない。とにかく麺も田ウナギもスープのすべて熱くて濃厚なのである。
 せめて青菜の一片とか茹でたもやしでもあればいいのだが、そういう箸休め的なものはないから、ひたすらこの濃厚さに立ち向かわなくてはならない。食べても食べても丼の中味はあまり減らない。王さんの手前、がんばったけど半分でギブアップ。

 これまで台湾では積極的にまずいという料理には当たらなかった。夜市でも市場の屋台でも食堂でも味が薄いとか辛いとか、素材の組み合わせに難あり、といった料理にはたまに遭遇したけど、どれも許容範囲はちゃんとクリアしていた。しかしこの「?魚意麺」は明らかに許容範囲を逸脱してしいた。
 常夏の台湾の人たちにとって「?魚意麺」日本の「土用の鰻」のようなものなのかもしれない。蒸し暑い日に汗をかきながらかき込む醍醐味を存分に味わっているのだろう。

紫マダラ蝶
蝶の越冬地として有名な茂林地区には今回も
たくさん、たくさん紫マダラ蝶が集まっていた。
 しかし帰りに寄った黄昏市場はよかった。台湾には朝市、夜市のほかに午後の遅い時間から夜8時頃まで開かれる夕市がある。近所の人たちが晩のお総菜や野菜を買いにくるのだろう。

 もう遅かったからほとんどは店じまいしていたが、なぜか果物を売っている店がぽつりぽつりあいてた。店先には色とりどりのトロピカル果物がズラリと並んでいる。パパイヤとミカンとパッションフルーツを購入、チェリモアも買ってしまった。

 沖縄でもトロピカルフルーツの栽培が盛んだが、その基礎を作ったのは台湾の人たちと聞いている。私が沖縄に行き始めた頃には、ドラゴンフルーツやチェリモアなんて滅多にみなかったけど、今では市場でも直売所でも普通に売っている。両国の技術交流がもっともっと盛んになって、目新しい野菜や果物が沖縄にたくさん流入すると楽しいなー。



食卓日記マーク
#31 (2015.9.2)
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晩夏の菜園
晩夏の菜園、何だか夏の疲労が滲み出ている。
はからずも「ポタジェ」
 菜園を訪れた人から「すてきなポタジェですね」と時々、お世辞を言われることがある。
 ポタジェというのはフランス語、あのポタージュスープから類推すると、ごたまぜというような意味があるのだろう。
 ポタジェとは、野菜もハーブも花も分け隔てなく栽培している菜園を指すらしい。収穫を目的として作物を栽培するだけではなく、デザイン的な面も配慮して鑑賞という要素も取り入れた菜園、それがポタジェらしい。
 確かにわが菜園には野菜とハーブと花(と雑草も)が同居しているから、鑑賞に耐えるかどうかは別として、ポタジェの第一要件はクリアしている。

 菜園はかなり広い。60平方メートルほどの正方形の区画が8個。数年前に2区画をアリス霊園に提供したから、現在の区画は6個、400平方メートルくらいに縮小された。それぞれの区画は歩道を挟んで煉瓦に囲まれている。
 何だ、それっぽっちかと思うかもしれないが、ここを野菜で埋め尽くすにはかなりの労力を必要とする。しかも埋め尽くせばそれで終わり、というワケではなく、水やり、雑草とり、収穫、そして調理、保存・・・と菜園にまつわる作業はめんめんと続いていく。
 その結果、苦労して育てた大量の野菜を前にして途方に暮れるというおかしなことになってしまう。一体何のために?という当然の疑問は奥深く封印して、日々菜園の世話に従事している。この夏は熱中症と疑われる症状に2度も陥った。

 結局、「菜園の仕事が好き」というしかない。思うようにならない気候に文句をつけ、はびこる雑草に罵詈雑言を浴びせても気がつけばいつも菜園にいる。天候不順や雑草こそが菜園の仕事を支えているのかもしれない。という逆説。
 もっとも最近は体力の限界を感じて、トラクターや耕耘機を使って土を起こして、そこに堆肥を投入する基礎的な作業はやってもらっている。5馬力の耕耘機がまともに扱えないなんて情けないと思うけど、仕方がない。角を曲がり損ねて下敷きにでもなったら一大事!

 菜園の基本整備は任せても、植え付けから収穫までの作業はひとりでやることになる。いくら好きとはいえ、なかなか手が回らない。そこでなるべく手抜きして菜園を美しく維持する作戦を考える。
 どうしたら手をかけずに菜園を菜園らしく保てるか?どうしたら菜園の原野化を食い止めることができるか?と頭を悩ませるのである。

<作戦その一> 多年草野菜栽培作戦
 多年草の野菜は一度植えてしまえば、毎年、芽を出して、少しの労力で収穫にこぎ着けることができる。省力化には大いに貢献してくれる。
 とてもいい案なのだが、トマトも豆類も大根も野菜は基本的に一年草、雪の下で過ごしたナスが春先、一斉に芽を吹くなんてことはないのである。
 植えっぱなしで冬を越してくれるのはアスパラとルバーブくらいのものだ。彼らは春になると毎年律儀に芽を出して、元気な姿を現す。アスパラは美味しい上に冷凍保存もできるからなかなかの優れものではあるが、残念なことに10年以上前に裏の第2菜園に大量に植えてしまったのである。
 残る多年草野菜はルバーブ。ルバーブは冷凍保存もできるし、酸味を生かしてジャムに煮ると美味しいし、ハチミツを振りかけて電子レンジで加熱すると即席デザートにもなる。
 と強がっても煮ても焼いてもご飯のおかずにはならない。問題は多いけど、ほかに見当たらないからルバーブで1区画を埋めることにする。これで残るは5区画となった。

<作戦その二>ハーブ大作戦
 野菜とちがってハーブの中には多年草のものがたくさんある。強健さと繁殖力にかけては雑草並みのミントを筆頭に、チャイブやレモンバーム、フェンネル、タイム、オレガノ、ソープワート、アニスヒソップ、ヒソップ。キッチンには欠かせないもの、花が咲くという以外はこれといって取り柄のないもの、雑草のようだがとりあえずハーブとして認定されている役立たずたち(タンジーとかイエローセージとかこの手のハーブが一番頑強)と色々ある。
 各区画の周囲をこれらの多年草ハーブで取り囲んでしまう。こうすれば毎年、耕作すべき面積はかなり減ることになる。害虫よけにもなるし。

<作戦その三>菜園花の活用
 園芸好きの中には白い花しか栽培しないとか、花色ミックスの苗なら青花以外は全部捨てるというような頑固者が多い。なるほど白い花を集めた庭も様々な青い花を集めた青い庭もすてきだと思う。しかし、私はいろんな花を咲かせてみたいという思いにはどうしても抵抗できない。近年この傾向が激しくなってきた。思えば、先もそう長くないことだから他人からなんといわれようと未知の花をどんどん栽培してしまおうではないか。白や青や紫の上品な花もいいけど、どぎついピンクだって輝くオレンジ色だっていいじゃないか。とやや居直り態勢に突入しいている。
 ちなみに今もっとも興味があるのはカンナとグラジオラス。あんなおかしな花がどんな過程を経て咲くのか、想像もつかない。ダリアも栽培してみたが、これは普通だった。
 しかしいくら何でもカエデやヤマモミジが鬱蒼と茂り、中央には青々とした芝生がでんと構える庭スペースにカンナやひまわりは植えられない。庭は共有の領土であるからして、厳格な園芸家たちからは蔑まれるような花を好き勝手に植えるというわけにはいかないのである。しかし私の固有の領土である菜園では何でも許される。何でこんな花をと蔑まれたってかまわない。婦人会の花いっぱい運動御用達の赤いサルビアだって小学校の花壇を彩る八重咲きのマリーゴールドだってバランスの悪いミニヒマワリだってなんでもありなのである。

マリーゴールド
大好きな一重咲きマリーゴールド。後はバジル
 菜園を利用して各種マリーゴールド、千日紅、コスモス、ダリア、アゲラタム、カリフォルニアポピー、キンギョソウなど毎年いろんな花を実験的に栽培してきた。その結果、背の高いヒマワリ、一重咲きの矮性マリーゴールド、カレンジュラ、ナスタチューム、ジニアの5品種をお気に入りの菜園花に認定することにした。これら一年草の花々は植えっぱなしでも文句を言わないばかりか、一列のナスタチュームはナス30株分くらいの面積を占有してくれるのである。

 緑色の野菜の群れにはオレンジ色や黄色の花が実によく映える。玉蜀黍と競い合うようにして丈を伸ばし、青い空に向かって大輪の花を咲かせるヒマワリなんて、モネの庭には睡蓮が欠かせないごとく、ヒマワリよ君の居場所はここしかないと思わせる風情なのである。

ナスタチューム
もっと大好きなナスタチューム
 多年草のルバーブ、これまた多年草のハーブ、5種類の菜園花で面積を稼いでおいて残りのスペース、全体の半分程度を野菜で埋める。近年はこのスタイルに定着している。もっとも気を抜くとすぐに原野化してしまうのだけど。

 こうして、気がつけばわが菜園はポタジェになっていたのである。

 たぶんポタジェというのは限られたスペースにいろいろな要素を詰め込みたいという欲張りな発想から生まれたのだろう。
 私の場合はまったく逆で、手に余るスペースを何とか埋めたいという一心から、はからずもこういう菜園になってしまったのである。カレンジュラの上にのしかかるツルムラサキの葉っぱをむしり取り、ハロウィーンかぼちゃの葉っぱの下敷きになったチャービルを救出し、分をわきまえずに野菜領域にも進出したミントを抜き去る毎日。
 果たしてはからずもではなくて計画された美しいポタジェが実現する日はくるのだろうか?
 いつか緑の指をもった物静かで働き者の園丁(英国の料理家ジェイミー・オリバーの菜園で働くブライアンが理想)を雇用して、心安らかにガーデニングを楽しみたいものだ。

ナスタチューム
カシスびいき
 北国ではベリーが栽培しやすい。ブルーベリーでもラズベリーでも気候的には南国よりも北国に向いているのだろう。九州でもブルーベリーは栽培できるけど、それは品種改良のおかげで、南国のブルーベリーは熱中症寸前の状態で夏を迎えているにちがいない。南国では慎ましやかなベリーではなくて、立派な柑橘類や華やかなトロピカルフルーツを栽培していればいいのである。北国ではそれが不可能だから、仕方なくベリーを栽培しているのであって、露地でマンゴーやパイナップル、パパイヤやパッションフルーツが実るなら誰もベリーなんか見向きもしないだろう。

 ベリーの中でもカシスは他を大きく引き離して、北国適応度ナンバーワンのベリーなのである。現在、ベリー園ではたくさんのカシスを栽培しているが、元はといえば捨てられる運命にあったカシスを100株ほどもらい受けたことに始まる。もう30年も前のことだ。その後、カシスは流転の運命を辿る。あちこちに移植され、忘れられて農場をさまよったあげく、菜園の垣根という役割に落ち着いた。あれほど邪険にされたにも拘わらず、定住先が決まるやいなや素早く立ち直って、たちまち立派な垣根に成長した。まったくその生命力たるやすごいもんだ。

 カシスが冷遇され続けた原因は、実がまずいという致命的な欠陥によるものだ。完熟した実をつまんでも、特異な香りに圧倒され、酸味が強い上に渋みや苦みも伴うもんだから、とても美味しいとはいえない。人間はもちろんのことブルーベリーの大天敵であるヒヨドリでさえカシスには見向きもしない。

 世界中で最も栽培量の多い果物といえばブドウ。ブドウなんてそんなに食べないのにとちょっと意外な感じもするが、ブドウは生食用ではなく、圧倒的にワインの原料とし栽培されているからである。
 ブドウは生で食べて美味しいかどうかよりもワインの原料として品種改良がされてきたのだろう。
 酒については米と麹という優れた原料を有する高温多湿の日本では考えられないくらい、ヨーロッパでは酒作りには苦労してきたに違いない。
 ブドウの栽培が難しい寒冷地では大麦、それもダメならライ麦やジャガイモ、ハチミツとどう考えても酒作りには不向きな原料にホップやピートやハーブで香りをつけるなど工夫をこらして酒造りに励んできた。
 味はさておき、アルコール度数をあげるために蒸留を繰り返す。こうして寒い国のウォッカやアクアビットは誕生したのである。
 だから、彼の地ではぶどうやりんごはまずは酒の原料として認識され、その方向で品種の改良が行われてきたのだろう。

 一方、日本では果物は水菓子と呼ばれていたことからもわかるように生で食べるもの、お菓子と同列に扱われてきた。米という優れた作物があった故の余裕というべきか。
 カシスは果物=水菓子という日本的認識からすると最低ランク間違いなしだけど、果物=加工原料とする欧米的な見方からすると、とたんに高い評価を得ることになる。カシスは加熱するとその不味は劇的といっていいほど美味に変わるのである。

 甘みを加えて煮ると美味しいジャムになる。カシスのジャムに馴染むとブルーベリージャムが物足りなく感じられるほどだ。焼き菓子の生地に混ぜてもいい。私が偏愛しているのは白ワイン酢にカシスを漬け込んだカシス酢。ドレッシングにはもちろん、ヨーグルトに加えたり、薄めて飲んでも美味しい。きわめて使い勝手がいいから大量に作っても持てあますことはまずない。
 ウォッカに漬け込んでおくとクレムドカシスというリキュールが生まれる。

 丈夫なカシスは地球的規模の気候変動などものともせずあくまで元気。30年近い栽培歴中、一度も不作だったことはない。そのカシスにもひとつだけ難点がある。
 収穫が大変なのである。カシスは葉っぱの裏側に房状の実をたくさんつける。同じ房でも実が熟す時期がまちまちなので一度に収穫できないから、他のベリーに比べると著しく効率が悪い。手頃な収穫機械(手頃じゃないのはすでにあるけど)が開発されたら、家の周りの牧草地も裏の畠も全部、全部カシスに提供するのだが。

2015 年度菜園ベスト4
オクラ
じいさんの盆栽のような鉢植えオクラ。
この2鉢で十分かも。
<その1 オクラ>
 オクラの栽培について検索すると「もうじき2メートルを超します」とか「1株で1日に5個以上の収穫。それが毎日続いています。」というような報告を時々、目にする。私はこれは見栄か虚偽の報告だと思ってきた。毎年栽培しているうちのオクラなど草丈が50センチを超えたことはなく、10株植えたって1日に全部で5個もとれればいい方。ほとんど花目的の観賞用として栽培してきた。
 ところがどうだ。今年は温室育ちのヤツはすでに草丈1.5メートルに達し、1株で4個も5個も収穫できる日もある。定植が遅れたのでダメだろうなとあきらめていた露地植えの島オクラでさえグングン生長を続けている。そればかりか「じいさんの盆栽の様だ」と酷評された鉢植えのオクラもちゃんと枝に沿うようにして立派な実をたくさんつけているのである。本当にどうしたことだろう。

 こうなると一転してオクラ地獄。薄切りにしてネバ系野菜と一緒にお浸しにするとか、納豆と一緒に和え物にするとか、トースターで焼いてから煮浸しにするとか、天ぷら、タイカレーの具、といろいろ工夫するもそれほど消費できるものでもない。考えてみればオクラなんて周辺作物もいいところで、1年に一度もオクラ料理が登場しない家庭だってあるはずだし、幼いころはオクラなんてものはなかったし。

 それでせっせと冷凍保存。5、6本をまとめてラップでくるんで冷凍している。もう一年分はゆうに貯まったけど、今日もオクラはあちこちで見事な花を咲かせている。花は思い切り派手なのに実は枝の陰に隠れるようにして実る。うっかりすると20センチを超すような巨大オクラに遭遇することもよくある。オクラは正直者なのである。虫を呼ぶには花は目立つ方がいい。でも実は食べられたくないからなるべく見つかりたくない。オクラを眺めていると彼女たちのそんな思いがひしひしと伝わってくるのである。

<その2 トマト>
 昨年収穫して大量に冷凍保存したトマトは夏前には使い終わって、今年の菜園トマトとめでたくバトンタッチ。冷凍トマトはトマトソースの他、大半はスープに放り込んで「和風ミネストローネ」或い「イタリア風味噌スープ」の材料になった。

ツルムラサキ
本来のツルムラサキ、
美しいけどちょっとひ弱
 鍋にぎっしりと詰め込んだ菜園直送のキャベツやタマネギ、ツルムラサキやモロヘイヤ、オクラ、生姜やニンニク、こういう個性の強い多様な野菜をまとめるのが他でもないトマトなのである。
 この野菜スープは水で煮込むだけ、出汁もスープストックも使わない。うまみの出る肉や魚介類も入れない。塩で調味して隠し味に味噌、コチジャン少々、仕上げにナンプラーというのが定番の組みあわせ。それでも手抜きしないでちゃんと作った野菜スープと比べて遜色なく美味しい。

 完熟トマトにはグルタミン酸が多く含まれているという。グルタミン酸といえば、イノシン酸と並んで出汁には欠かせない重要なうまみ成分。さまざまな野菜から溶け出した様々な味がグルタミン酸たっぷりの完熟トマトによって束ねられて、野菜のごった煮は美味しいスープに変身するのである。
 時々、トマトなしでも作ってみるけど、ひどく物足りない。酸味とうまみに欠けた締まりのない幼児食のようになってしまう。
 朝は、菜園で生のトマトをつまんで朝食のサラダ代わりにする。夜はじっくり煮込んでまか不思議なトマト味噌スープをこしらえる。夏の食卓の主役は何と言ってもトマトなのである。

<その3 ツルムラサキ>
まめ1
 ほんとにツルムラサキは頼もしい。私の掌より大きくて、肉厚な濃緑色の葉っぱは栄養の塊のように見える。ツルムラサキというからにはつるが這い上がるかと思いきや支柱に絡みついて正しく宙を目指すのはごく一部で、ほとんどは地面を縦横に這い回っている。しかも茎も葉っぱも緑一色。ツルでもなく紫でもないくせになんでツルムラサキを名乗っているのだろう?
 少数ではあるが茎がムラサキ色のヤツもいてこれは例外なく、支柱に巻き付いて正しく成長する。ピンクの可愛らしい花も咲かせるから園芸的ではあるが、葉っぱが小さくて色も厚さも薄いので迫力に欠ける。
 正しいツルムラサキが品種改良されるうちに、紫でもなく這い上がりもしない昨今のツルムラサキになってしまったのだろうか?

 去年までは茹でてお浸しやナムルにするか、スープの具として消費していたツルムラサキだが、今年は昨冬に台湾の山奥で食べたハンダマのニンニク炒めを真似て、炒めて食べることが多い。これは美味しい。材料はニンニクとツルムラサキのみ。油が回ってちょっとしんなりした葉っぱに塩、胡椒を振るだけのシンプル調理だが、いくらでも食べられる。
 生葉をそのまま冷凍しているが、冷凍した葉っぱを炒めるのは無理だから炒めるなら今のうち。ほとんど毎晩、飽きることなく大量に消費している。
 相変わらず元気なハンダマも時々炒めてみるが、圧倒的にツルムラサキの勝ち!葉っぱの厚さの違いだろうか?

まめ2
<その4 いんげん豆>
 幼い日、春の豌豆、初夏のそら豆、夏の枝豆といつも食卓には豆があった。豌豆やそら豆の莢から豆を取り出したり、枝豆を枝からむしり取るのは、私の仕事だった。莢の中で真綿のような内皮に包まれてぷっくりと膨らんだそら豆を大切に取り出す。形のそろった豆が3個きれいに並んだ莢もあれば、大小不揃いな豆が2個しかはいっていない莢もある。茹でたてのそら豆は頭の黒い筋に爪をたてて皮をむく。中からエメラルド色のつややかな豆が顔を出す。その美しさといったら。その美味といったら。一つもうひとつと皮の山ができる。シーズンになるとお弁当にも必ず茹でたそら豆がはいっていたものだ。

 大好物のそら豆だが、北海道では栽培が難しい。まだ雪の残っている春先に育苗を始めないと間に合わない。何度が挑戦してみたが、季節はずれにほんの僅かな豆しか収穫できなかった。白地に黒い縞模様のはいった花を観賞するだけでも栽培する価値は十分あるのだが。その不吉な色合いからそら豆の花は嫌われたという話も聞く。

 そら豆栽培を断念してからしばらくして、やむを得ぬ事情からかなり莢の膨れたインゲンを茹でて食べることになった。筋張った莢はとても食べられたものではなかったが、中の豆はふっくらとして実に美味しかった。たくさん食べたのに何の変調も来さなかったし。
まめ2
 これまで生の花豆には毒素が含まれているので、乾燥させて毒素を取り除かないと食べられないものと思い込んでいた。豆の乾燥=毒素の除去と勝手に決めていたのである。
 なーんだ、実取り用の花豆も若いうちに収穫して茹でれば、そら豆と同じではないか。

 生豆OKという世紀の大発見以来、インゲン豆の栽培に関しては強気になった。莢から取り出した豆は冷凍してしまえばいいのである。冷凍のままスープに放り込めば短時間で美味しい豆入りスープができる。水に浸けて戻してから長時間煮込むなんていう手間は不要だから豆=やっかいな食材というイメージは完全に払拭された。
 去年大型の冷凍ストッカーを導入したので、今年は一層強気。菜園では紅白の花豆を初めとしてイギリスやイタリアのインゲン豆も数種類栽培している。本当に豆だらけ、菜園のそこここにインゲン豆のジャングルタワーが出現して順調に莢を膨らせている。
 収穫はまだ先のことになりそうだから、莢の膨らみ具合を確かめたり、白や赤、紅白のツートンカラーやピンクの色とりどりの花を楽しんでいる。

2015 年度菜園ワースト3
<その1 ナス>
ジャングルタワー
菜園のあちこちにそびえる
インゲン?のジャングルタワー
 ナスは焼きナスにして冷凍保存するとまことに使い勝手がいい。解凍後、醤油とおろし生姜で焼きナスとして食べてもいいし、だし汁に浸けて煮浸し風にしても美味しい。去年は大豊作だったからオーブントースターで少量ずつ焼くのが何とももどかしかった。かといって業務用オーブンに点火すると夏のキッチンは灼熱地獄と化す。それで今年はナスのために小型オーブンを新調して待ち構えていたのに、そのナスが不作なのである。春先、温室に定植したばかりのナスの葉の上をアリがたくさん這い回っているのを発見、案の定、葉っぱの裏にはアリと共生関係にあるアブラムシがびっしりとはびこっていた。

 その時は何とか退治して回復したものの、2週間ほど留守にして戻ったら、ほとんどの葉っぱがかさかさに乾いて萎れていた。こうなったら強剪定しかない。枝をバツンバツン景気よく切り落として回復を待った。立ち直りの兆しはあるもののダメージが大きすぎたのだろうか実つきがよくない。20個をひと単位にしてオーブンで焼こうと待ち構えているのに、なかなかそこまで貯まらない。数個ならオーブントースターで十分なのでせっかく新調したオーブンも今のところ出番なし。

紫カリフラワー
紫カリフラワーと名乗れど
食感はブロッコリーに近い
<その2 ひよこ豆>
 一体どんなものなのだろう。豆フリークとしては生のひよこ豆を食べてみたい一心で栽培に着手したのだが、8月の半ば過ぎても花が咲かない。専門家は7月終わりから遅くとも8月初旬には花が咲くはずだと言っていたのに。葉っぱばかり茂って、倒伏する株が続出したので支柱を強化して縄で囲ってやった。それなのにひよこ豆は頑なに花を咲かせようとはしない。蕾らしきものは認められるのだが・・・・。贅沢は言わない。せめて1個でも2個で実を拝みたいものだ。

<その3 菜の花>
 菜の花は山菜と同じく春先に食べるものなのだなーとつくづく思った。大好きな菜の花を栽培してみようと思い立って菜園に定植した菜の花だが、ヒョロヒョロと背丈ばかり伸びて、黄色い花を散発的に咲かせている。春先に八百屋の店先で見かける蕾み菜とはほど遠くタダの菜っ葉に過ぎない。
ツノハシバミ
ツノハシバミ、
多分ヘーゼルナッツの親類。久々に発見!
木の実
いつの間にか秋。
ついこの間、満開だったのに
 その代わりといってはなんだけど蕾を食べる野菜ならブロッコリーがあるではないか。1個収穫するとおしまいという効率のよくない普通のブロッコリーではなく、最近では小さな蕾みをたくさんつけるスティックセニョールという品種を栽培している。毎日少しずつ収穫できるからまことに具合がいい。
 収穫したスティックセニョールは塩を加えた熱湯でさっと茹でるだけで十分に美味しい。ドレッシングなど余計な物は一切いらない。去年、生のまま冷凍したら美味しくなかったので、今年は、ひと手間かけて蒸してから冷凍することにした。これなら冬でも採れたての美味が再現できるだろう。
 菜の花の複雑な風味やほろ苦さはなく、ただただ素直に美味しい青い蕾みだが、そこまで望むのは酷というもの。スティックセニョールを北国の菜の花に認定して、本物の菜の花はあきらめることした。

タイ料理1
タイ料理の夕べ
 以前「タイ料理が好き」といったのを覚えていてくれたのか、バンコクの実家が食堂を経営しているというオーエンがわが家でタイ料理を振る舞ってくれるになった。今はタイと日本を往復してホテルの仕事をしいるが、幼い頃から実家を手伝っていたから料理はお手のもの。いつもは振る舞う側だから、ゲストなんて本当にうれしい。
メニューは5品
イカのスパイシーサラダ
トム・ヤム・チキンエビの代わりに鶏肉を使ったスープ
ビーフサラダおなじみのヤムヌア
オムレツタイソーセージ入り
ケールと豚肉のカリカリ炒め(ブロッコリーとキャベツで代用)

 私はエスニックな料理が好きだ。でもタイ料理にしても韓国料理にしてもモロッコ料理にしても美味か不味かを判断するほど経験は積んでいないから「すごく美味しい」と「美味しい」しかない。グルメレポーターのようにどれも「わっ、美味しい」なのである。
 もちろんオーエンが作ってくれたタイ家庭料理はどれも美味しかった。これでもかとばかりに辛くて酸味をきかせたスープも美味なら、わざわざタイから持参したソーセージを具にしたオムレツも美味、同じ素材と同じ調味料を使ってもこうはできないなーと思わせ本場の味だった。

 私はタイ料理の中ではヤムと呼ばれる和え物がおもしろいと思っている。基本は火を通した肉、魚介、麺類(ヤム・ママーといってインスタンラーメンを使ったものもある)とたっぷりの野菜をドレッシングで和えたタイ式サラダなのだが、素材の組みあわせは多種多様、その種類は無限といっていいほどバラエティーに富んでいる。
タイ料理2
 以前、バンコクで料理教室に参加した時に作ったヤムウンセン=春雨のサラダは、湯からあげた春雨や茹でたエビを冷やしもせずにドレッシングで和えた。ちょっとビックリしたけど水で冷やして水っぽくなるよりはいいかもしれないと思い、我がキッチンでもときどき再現している。

 南国では、料理の温度にはわりと無頓着な様な気がする。こちらでは豆腐といえば冷や奴が主流なのに、沖縄のゆし豆腐はできたての温かいのを食べるし、島豆腐はチャンプルーの具材として炒めて使うことが多い。初めてできたてのゆし豆腐を食べたときには冷や奴とも湯豆腐ともちがうその温度に違和感があったけど、今ではほんとに美味しいと思う。
タイ料理3
トムヤムハーブ一式
タイ料理4
生温かいヤムヌア、
辛さは生キャベツで調節する
 それと火の通し方、食感が残るようにさっと茹でるとか表面をさっとあぶるというような微妙な火の通し方はあまりしない。何でもしっかりと火を通すというのが基本のようだ。
 火を通して悪い細菌をやっつける。タイ料理特有の酸味とひりひりするような辛さも食中毒防止には大いに役立つのだろう。
 そういう風土的事情は調理法に大いに影響を与える。寒い地方では1日中火を焚くから長時間煮込む料理が多いし、暑い地方では逆に素早く仕上げる料理が多い。タイカレー=ゲーンなどもほとんど煮込み時間なしで手早く調理してしまう。
 今回のヤムヌアにしてもしっかり火を通した牛肉をそのままドレッシングで和えていた。なま温かいサラダは日本の料理にはない非日常的味わいだけどこれはこれで「わっ!美味しい」

 短期間の日本滞在で大忙しのはずなのに、大奮闘してくれたオーエンありがとう。端正なシェーカー的空間ではなくて、赤いプラスチックの椅子に腰掛けて本場のヤムが食べたくなった。



食卓日記マーク
#30 (2015.6.15)
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温室
6月、バラが見事に咲いた温室、
大量の苗が出番を待つ
<蕾み菜>
 今年は寒い。夕暮れ時、さてと庭に出るも慌てて作業用パーカーをとりに戻る。雪解け以来、これが手放せない。
 寒さのせいで作業がいつもより一週間は遅れているが、焦ることはない。経験からすると多少、植え付けが遅かろうと早かろうと結果は大して変わらない。温室では育苗箱の中で眠りこけている種子もいるし、パキッと覚醒して順調に芽を伸ばしているのもいる。キク科やアブラナ科は元気者が多くてマメ科やイネ科は普通、セリ科はのんびりが多い。播種後、そろそろ2週間はたつのにゴーヤーとツルムラサキは土の中でまだじっとしている。どうも沖縄野菜はのんびりが多いらしい。

 ここ2〜3年はアバシゴーヤー、島オクラ、雲南百薬、ツルムラサキ、ハンダマなど南方系沖縄野菜をひいきして栽培してきたが、今年は蕾みと茎を食べる花菜に力を注ぐことにした。
 本州では春一番の野菜と言えば、菜の花で八百屋の店先には束にした菜の花が並ぶ。ちょっと開きかけた黄色い蕾みも黄緑色の茎も全身で春をアピールしている。
 ほんのりとした苦みがあり、それは山菜の苦みにも通じる。春になると人間の身体は自然と苦みを欲するというような話を聞いたことがある。

 しかし北海道では菜の花はほとんど見かけない。菜の花は秋冬に播種して早春に収穫する野菜だから、北方では栽培しにくいのだろう。北海道の春の味覚は山菜、栽培ではなくて摘んで食べる山菜が菜の花の代わりなのかもしれない。
 でも私はあの菜の花のほろ苦さが好きだ。ほうれん草や小松菜に比べて曲者感のある菜の花は年を重ねて初めてその旨さが分かる種類の味ともいえる。北海道では、入手が困難ならば自分で栽培してみようと思いたった。

苗
早生花菜の苗、順調に成育中だが・・・
 菜の花はおおまかに分けると蕾み菜というジャンルに分類されるらしい。菜の花だけではなく、青梗菜や蕪などつまりアブラナ科の野菜の蕾みはたいていは蕾み菜としてたべられることが分かった。その中から極早生花菜、青梗菜の蕾み菜、三陸蕾み菜、オータムポエム(親は何?)チーマ・ディ・ラーペ(イタリアの蕪らしい)の5種類を選んで種子を購?した。

 菜の花を食べるなんて日本だけ、あのホロ苦さを偏愛するのは日本だけかと思っていたら、蕾み菜は中国、フランス、イタリアとワールドワイドな野菜だったのである。
 考えてみればイタリアではルッコラやチコリ、タンポポの葉などの苦みのある野菜をサラダにしたり、炒めたり、パスタのソースにすることがよくある。彼らも苦み大好き国民だったのだ。
 菜の花をさっと茹でて粗いペースト状にしたパスタソースなんてほんとうに美味しいから。

 今年は蕾み菜の年、夏に食べる菜の花もそれはそれでいいだろう。温室では5種類の蕾み菜がそろって芽を出し、順調に育っている。

ひよこ豆
今年の期待の星はひよこ豆。
どんな風に実るのか楽しみ
 昨日、裏の林にひっそりとあるオシドリ池の周りを散歩した。周囲を白樺で囲まれたその池はとても去年できたとは思えない佇まいで、太古の昔からそこにあったよう雰囲気を醸している。この池は去年、藤門クンがオシドリを呼ぶために掘ったら、本当に今春からオシドリが押し寄せて来たという嘘のよう池なのである。
 池の近くにはアブラナが一面に咲いていた。もうアブラナの季節はとっくに終わっているのに、ここは日当たりがよくないからだろう、野生のアブラナはようやく盛りを迎えていた。近くに寄ってみると蕾みがたくさんついている。その蕾みをよく見ると、これははまさしく八百屋の店先に並んでいる菜の花そのものではないか。

 毎年、この時期になると山菜と毒草を間違えて食べたという記事が新聞の地方欄には必ず載る。もしやこれは広く知られた毒草で、明後日あたりの新聞記事になってしまうかもしれない。やれやれ、そこらにあるものを見境なく食べちゃう無知な人がいるんだよね、と馬鹿にされるかもしれない。
 でも食べてみたいという衝動は抑えきれず、摘んだ蕾みを軽く茹でてお浸しにして食べてしまった。

 蕾みは確かに菜の花のとほぼ同じ味がする。蕾みを支えている茎は栽培種のように太くないから食感は多少、劣るもののかすかな苦みがあってかなり美味しい。それに悶え苦しんだりもしなかった。何だ、食べられるじゃないか。

 ネット検索によるとアブラナはその昔、食用として導入され、その後、野生化したものらしい。油を絞るためだったのだろうか?
 そもそも食用なんだから食べてもいいんだ。野生のアブラナならうち捨てられた原野にも、道ばたにもどこにでも大量にある。その蕾みを摘めばいいのか。日当たりのいい原野からオシドリ池まで丹念に摘めば2ヶ月位はもつだろう。
 となると勇んで5種類も種を播いてしまった蕾み菜たちはどうなるのだろうか?温室でいち早く芽を出してすくすくと成長を続ける蕾み菜たち。野生のアブラナの存在に気づいてしまった今、蕾み菜には他の野菜を押しのけてまで栽培するほどの価値が果たしてあるのだろうか?という疑問は封印して、今日も水をたっぷりやった。

ユキザサ
ユリ科のユキザサ、若いうちは山菜として
食べるアズキ菜
 本州で春の野菜といえば筍だろう。幼いころ、春になると母は千葉のおばさんが担いで売りに来る朝堀りの筍をよく買っていた。春の食卓には筍ごはん、若たけ煮、お味噌汁のような定番から、筍入りの卵焼きや穂先を豚肉で巻いて煮付けた創作料理が毎日のように並び、飽きることなく筍を食べ続けた。今と違ってこの時期しか筍は食べられなかったのである。
 北海道の筍は細くて頼りないササタケノコ、食感も味も筍好きの私には物足りない。

<グリーンアスパラとホスタ>
 しかし、北海道には本州の筍と堂々と勝負できるに春の代表選手がいる。それはグリーンアスパラ。筍のごとく、春になるとニョキニョキと姿をあらわすアスパラは北海道の春告げ野菜なのである。その伸びやかで健やかな風味はまさしく春の味、ほのかなえぐみを隠し味とする筍のような奥深さはないにしても、春を伝える味としては申し分ない。

オオアマドコロ
オオアマドコロ、ユリ科は今年も元気
 今が盛り、裏の畑ではアスパラが次から次へと顔を出す。これは植え付けた藤門クンの管理下にあり、去年は細いのばっかりだったから、文句を言ったら、今年は専用肥料なるものを撒いたらしくて大豊作。本人はほとんど食べないのにね。消費はとても追いつかないから、収穫してはせっせと冷凍している。
 アスパラはアク抜きが必要な筍とちがって(堀りたては生でも食べられるそうだが)調理が簡単なところもいい。茹でたり、炒めたり、ほとんど手を加えずとも美味しく食べられる。
 焼き皿にタマネギの薄切りを敷いてとりたてのアスパラをのせる。ニンニクの薄切りと輪切りにした唐辛子ものせてオリーブ油を少し回しかける。180度くらいのオーブントースターで10分ほど火を通してバルサミコをふりかけて食卓へ。最近では手軽な焼き野菜サラダのような食べ方が気に入っている。キノコやトマトを加えても美味しい。

 もうひとつ、茹でたグリーンアスパラを出汁に浸ける煮浸しも定番。去年の夏に冷凍しておいた焼きナス、同じく冷凍のまま加熱した小房ブロッコリー、同じくワラビ、同じくオクラと去年の菜園の産物を加熱してアスパラと一緒に出汁の海に放り込む。昆布と鰹節でとった出汁をたっぷり含んだ野菜は実に美味しい。
オオアマドコロ
芝桜で吸蜜中のオナガアゲハ
 しかも日を追うごとに美味しくなる。浸すという調理法は出汁が主役の日本ならではの調理法なのだろう。何時間もかけてとったうまみたっぷりのスープを含んだナスなんてあんまりピンとこない。
 焼きアスパラと煮浸しアスパラ、ほんとにグリーンアスパラはすてきだ。

 最近、煮浸し仲間にホスタが加わった。樹木の生長にともない、シェードガーデンと化した我が庭の主役は何といってもホスタ、ギボウシ。気温が上がると我先にと葉をグングン広げるものだから、大きな葉は重なり合い、桔梗やホトトギス、ワレモコウといった謙虚な草花を蹂躙し、勢いのあるクリスマスローズやルリ玉アザミたちと覇権を競い、ちょっと目を離すと庭は全面的にホスタに占拠されることになる。
 今年こそは何とかしようと思い、注文した庭木を運んでくれた庭師の伊藤さんに相談してみた。「このギボウシどうしたらいいんでしょうね?」「食べればいいしょっ!」。およそ園芸家らしからぬその答えにちょっとたじろいだが、掘りあげて移植するとか株分けする手間を考えると、食べて葉の数を減らすというのは簡単で魅力的な対処法に思えた。

 これがなかなか美味しいのである。ホスタの若芽は山菜として広く知られるウルイ、さっと茹でて、菜の花やワラビと一緒に出汁に放り込んだら、かすかな粘りを伴った歯ごたえがなんともいえない。
 しかしこれだけのホスタを消費し尽くすのは困難だからホスタは、例年通り、今日も勢力拡大にいそしんでいる。

まむし草
庭の訪問者、まむし草
 6月に入っても低温が続いている。光にも乏しく北海道らしからぬ霧雨が降ったりしている。こういう時こそ苗の植え時、寒くてもがんばって欲しい苗を少しずつ菜園に定植している。
 玉蜀黍と枝豆(温室に長い間置いておくと、十分成長しないうちに実ってしまう。その結果、貧弱な実しか手にできない)キャベツ、カリフラワー、スナック豌豆、雲南百薬とハンダマ(オキンワンだが今年は温室から出して北国の気候を体験してもらうことにした。)を定植した。
 寒いけど耐えるんだよ。沖縄ほどではないにしても必ず夏はやってくるからね。

 昨今の菜園仕事の楽しみに「拾い苗」がある。去年のこぼれ種が自力で発芽した苗が見つかるのである。今日はナスタチューム5株、白菜2株、マリーゴールド4株を発見、鉢あげして温室にしまった。拾い苗はすごーく得したようで気分がいい。

 6月いっぱいにはすべての苗を温室から菜園に追い出す予定だけどこの寒さだし、太陽は頑なに顔を出さないし、先行きは不透明なまま、どこかの経済状態みたい。



食卓日記マーク
#29 (2015.4.20)
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<光の庭>
 出張先のホテルでTVをつけたら「ターシャ・チューダーの庭」という番組が放映されていた。画面には6月の庭を巡り、見事に咲いた花々を紹介するターシャの姿が映っていた。シャクヤクやアイリス、ホリホックやバラ、シャスターデイジーなどの間を縫って、おなじみの衣装をまとってたターシャが歩く。一緒に庭を巡っているような気分になる。
 太陽の光を浴びて競い合うようにして咲く幸福そうな花々とターシャをぼんやり眺めているうちに、北海道の庭に足りないのは光だ!という基本的なことに気づいた。そうだ光だ!
 ジギタリスがどんどん貧弱になっていくなー、こんなに贔屓しているのになんでアイリスは増えないんだろうと嘆くのはおやめなさい、嘆く代わりに彼女たちが健やかに育つような光溢れる庭を作ればいいじゃないとターシャは語りかけていた。
 あの日以来、花の図鑑を買ったり、本棚のガーデン本を眺めたり、庭の設計図を書き散らしたりしている。

 この家に引っ越して20年になる。庭や菜園とも同じ年月つきあってきた。芝の種を播いて、カエデやヤマザクラやカツラ、ハシドイやアズキナシのような高木からマユミやシャクナゲのような低木、花がきれいなアジサイ、ウツギ、シモツケ、ハマナスなどの灌木類もたくさん植えた。木々を縫うようにして枕木を敷いて小道も作った。この道に沿って花を植えれば、より変化に富んだ庭ができる。
シャクヤク
かつてはこんなシャクヤクが
うるさいくらいに咲いていたのに
 考えてみれば、この庭は自分たちの土地に作る初めての庭だった。借り物の土地では100年も200年も生きるような木は植えにくい。樹木ほどではないが、一度植えれば毎年決まって花を咲かせる宿根草の類も栽培しにくい。
 庭の持ち主が寿命を全うして、家は朽ちても、庭の木や草花は季節がくれば淡々と花を咲かせ実をつける。庭は、そこにある植物と未来永劫つきあおうという覚悟のもとに作るものなのである。
 枕木の道に沿って、これまで封印してきたあこがれのデルフィニューム、シャクヤク、ジギタリス、ホスタ、ルリダマアザミ、アイリス、など大好きな草花をびっしりと植え込んだ。広い地面を草花で埋め尽くすのは大変な作業だったけど、あれも栽培したい、これも一度は咲かせてみたいと思う魅力的な花は尽きなかった。
 最初の数年間は、木はまだ成長途中にあったから、枝葉が光を遮ることはなく、十分な光りをもらった宿根草はおおむね順調に花を咲かせた。あれもこれもとやみくもに植えたからまとまりはないが、今、思えば活気に充ちた若い庭だったのだろう。枯れれば植え直し、新しい品種を試み、庭の作業にたくさんの時間を費やした。彼女たちは、私たちの努力に十二分に応えてくれたと思う。

 木は思いのほか成長が早い。年を追うごとに木々は大きく枝を張り出して、葉をたくさんつけて、数年もすると宿根草の上に大きな影を作るようになった。
 あんなに元気だった草花が冬を越せずに消滅したり、生きながらえても株が小さくなってかつてのように見事な花が咲かなくなってきた。樹木と草花と光の蜜月が終わったのである。

アイリス
大好きなアイリスはいくら贔屓しても
株が全然増えない
 私は蜜月が終了したことを認めたくなくて、あれこれ未練がましく抗った。肥料を大量に投入し、雑草もこれまでより念入りに抜いた。日照りがつづけば重たいホースを引っ張ってきて時間が許す限り、水を撒く。
 あんなに嬉々として花を咲かせていた草花だから、世話をしっかりすれば以前のような光景が戻ってくるのではないか?という淡い期待をどうしても打ち消すことはできなかった。
 そのうちデルフィニュームは冬を越せずに一年草になったしまった。日当たりのいい一等地に植えたシャクヤクをのぞくと、紅色に縁取られた純白のシャクヤクも、うるさいくらいに花をつけた淡いピンクのシャクヤクも昔の面影はなく、花はつけるものの生きるのに精一杯という有様だった。

 しかし、一方でそういう環境にもめげずに着々と勢力を拡大している植物もいたのである。
 ホスタ、クリスマスローズ、ホタルブクロ、ルリダマアザミ、ホトトギス、グランドカバーのビンカ、彼女たちは本当に強靱だった。特にホスタは息絶えていく草花を尻目に凶暴ともいえる勢いで地面を覆い、植木屋の角田さんにお得意さんの大庭園に移植したい、と言わしめるほど立派になった。ひと株のホスタと見事なハコネウツギの成木を交換したこともある。
 しかし、これら強靱種はあこがれの宿根草とは言いがたい。とにかく地味なのである。風情があるといえばいえないこともないが、華やぎというものに欠ける。つまり花は咲くけど華がない。侘び寂びの世界でしか通用しないような植物群なのである。

 この庭は、私の思惑に反して日陰の庭になってしまったのだと事実を渋々ながら認めたのは最近のことだ。長い花穂を揺らして盛大に咲くデルフィやその芳香で庭全体を包み込んで咲く大輪のシャクヤクを半ばあきらめて日陰に強い草花を選んで植えるようになったのもここ数年のことだ。

やまもみじ
ヤマモミジは光りを遮るけど、その根元では
クリスマスローズが着々と勢力拡大に励む
 ターシャからもらった光りの啓示は私の庭に対する態度を変えた。光の啓示を受けてからというもの、日陰の庭が愛おしく思えるようになった。草花は樹木に敗北したわけではない。時間とともに衰えたわけではない。日陰の庭は木々の成長とともに変化し、成長したその結果としてある。
 花が咲き乱れる明るい庭を作るにはそれほど時間を必要としない。一方、日陰の庭は長い長い年月がかかる。
 大きな木がのびのびと暮らせる広い地面と時間が力を合わせて作った日陰の庭こそ私たちにふさわしい庭ではないか。

 考えてみれば、野山の花も無秩序に咲いているわけではない。春、まだ木々が目覚めていないときには春の妖精たち、キクザキイチゲ、カタクリ、エゾエンゴサクが花をつけて、アブたちを引き寄せてさっさと姿を消してしまう。しばらくすると比較的日陰に強そうな花々、ユキザサ、ヒトリシズカ、エンレイソウ、マイヅルソウ、オドリコソウ、ニリンソウ、オオアマドコロ、クルマバソウが花を咲かせる。この時期になればマルハナバチを初めとして昆虫がわんさか飛び交うようになるから木々に光を多少遮られても、大切な受粉にはいい季節なのだろう。
 夏の盛り、背丈を思いっきり伸ばして光を捕まえる準備を調えたヨモギ、イタドリ、ヒヨドリバナ、ヨブスマソウ、ハンゴンソウ、たち大型雑草類が開花する。
 植物の生の原理は光が支配している。
 庭の草花とて例外ではない。樹木が光を遮る庭でデルフィを栽培しようとするのは、木々の葉が茂る夏にカタクリを咲かせようとするようなものだったのだろう。

 樹木の生長が一段落した今、日陰の庭は日陰の庭として成熟させよう。無理をせずこの庭を心地よいと感じてくれる植物を栽培してみよう。クリスマスローズはいい。この偽バラは花の期間が長く、雪解けから盛夏まで花(ほんとは萼片)を咲かせている。膨大な積雪にも耐え光もさほど求めず、自分のペースでつつましく咲くのである。クリスマスローズの愛好家は多く、クリスマスローズの図鑑まである。
 愛好家たちは北国では雪囲いは欠かせないとか、北海道で栽培するんだったら品種を厳選しなさいとか盛んに脅かすけど、庭のクリスマスローズはそんな配慮を一切してやらなくても文句ひとつ言わず元気にやっている。彼女たちを日陰の庭の代表選手に抜擢することにしよう。

カタクリ
4/20のカタクリ、もうじき開花
 日陰の庭と並行して今年から光りの庭にも着手しよう。とりあえず温室裏の広い牧草地が第一候補、日当たりがいいから大木さえ植えなければ光は十分に届くだろう。
 菜園には菜園にふさわしい花を植える。日陰には日陰に強い花を植える。光の庭には光が大好きな花を植える。それこそがナチュラルガーデン、自然の摂理に従った「抗わない庭」なのだろう。

 光の庭構想はどんどん膨らんでいく。植えたい花をリストアップしたてみた。わっ、こんなにたくさん!広い牧草地でも足りないんじゃないかと思えるほどの数になった。しかし降り積もる雪と強靱な大型雑草という強敵が行く手を阻む。それらと戦かったり折り合いをつけながら、庭としての体裁が調うまでに最短でも10年はかかるだろう。お気に入りの花が咲き乱れる光の庭をターシャのように歩き回れるといいのだが。

<春を探して>
 4月も半ばにさしかかったけど相変わらず窓の外は雪の山、新入りのランちゃんなんて土というものを忘れてしまったに違いない。でもいいこともある。雪がしまっているから雪の上を長靴でずんずん歩けるのである。クロカンだ、スノーシューだと面倒なことは言わず、いつもの散歩スタイルで林の中を自由に歩き回れるのは嬉しい。あとひと月もしないうちに林縁に生い茂ったクマザサが強固な壁を作って、行く手を阻むだろう。でも今は大丈夫、春を探しにどこまでも行ける。とはいえ、目立った春の兆しはない。
エルタテハ
白樺の幹で光を浴びる越冬エルタテハ、
君はエラい!
 牧草地にそびえるニレの木の根元には福寿草の小さな群落がある。木全体が黄色い花(おしべ?)に覆われた柳、今にもほどけそうなニワトコの芽、そんなもんだけどほんのわずかな変化も生の息吹を感じさせてくれる。
 天気のいい日には冬を生き延びたタテハたちがヒラヒラと舞っている。エルタテハは零下20度を下回るような極寒の地で車庫や道具小屋に身を潜めて冬が越したのだ。車庫の壁や白樺の幹で羽を広げて光りを浴びている。野鳥の餌食にならず無事に子孫を残せるといいのだが。
 今日、林の中でウグイスの初鳴きを聞いた。
 菜園も庭も雪に覆われている。堆肥も雪の下だから温室での作業が始まるのもまだ先のこと。一刻も早くと焦るけど長年の経験からいえば、農作業はいつ着手しても結果はそれほど変わらない。1 週間早く種を播いたところで収穫が1 週間早まるというものでもない。光の威力にくらべれば人間の力なんて本当にわずかなものなのである。だから焦らない、自然に任せて今年も園芸を楽しもう。



食卓日記マーク
#28 (2014.2.23)
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<進化を遂げた今年の菜園>
菜園
小花をたくさんつけたジニア、バジルも
いつもとは勢いが違う
 今年は、、アップルミントや、タンジー、レモンバーム、チャイブ、オレガノなどこのままでは菜園を占拠しかねない強靱なハーブたちを分相応な量に整理した。彼らに占拠されてしまうのではないかという危機感もさることながら、株の整理は、菜園リニューアル事業の第一段階として、ぜひとも必要な作業でもあった。ついでにたいして役には立たないのに長年のよしみで栽培してきた腐れ縁のようなズッキーニやレタス系の葉物とも決別することにした。菜園はいつになくスカスカになってしまった。
 温室で大量に育てたつもりだった苗も、広い菜園に定植してみると寂しい限り、地面ばかりが目立つ。
 こういう事態は十分に予想されたから、大きな葉っぱを茂らせて、竹の支柱に絡みつく派手なインゲン豆や大きく広がるツルムラサキ、ひと株あたりの専有面積が広いブロッコリーやカリフラワー、キャベツ、背丈の高いヒマワリなど派手めな作物中心に定植してみたが、やはり苗は苗、埋め草として力を発揮するようになるのはまだまだ先のようだ。
 そんな状態がしばらく続いたが、8月に入ると具合よく雨が降り、強力スプリンクラーの活躍もあって菜園は一応いつもの菜園らしくなってきた。
 菜園の様子がいつもと違う、何か違うと気づいたのはちょうどそのころだった。
 同じ園芸店で購入した苗なのに、早めに温室に定植したナスよりも遅れて菜園に定植したナスの方が断然勢いがあり、背丈は低いものの実をたくさんつけているのである。こんなことはかつてなかった。
 失敗を繰り返していたモロヘイヤも信じられないくらい生育が早い。こんなに元気なモロヘイヤの姿にお目にかかったことはついぞなかった。カリフラワーしかり、ツルムラサキしかり。
 どうしたんだろう?いつも通りに世話しているだけなのに。
 作物たちの勢いは大量投入した堆肥のおかげなのである。春先、全面リニューアルを前にあちこちに分散していた堆肥を菜園に大量に投入した。その効果がじわじわと現れはじめたのだろう。
 確かに堆肥の力はこれまでも実感してきたが、ここまですごいとは思わなかった。
 ナスタチュームの株の大きいこと。これまで詐欺だ詐欺だと騒いできた園芸カタログの写真のようではないか。こんなに大きなモロヘイヤの葉っぱなんて直売所でも見たことがない。数枚摘んでスープに入れるだけでちゃんととろみがつく。
 イヤー、おそるべし堆肥。
 8月も半ばを過ぎると堆肥はますますその威力を発揮してくれて、菜園はこれまでにないすばらしい仕上がりとなった。
 並行して進めていた菜園を煉瓦で囲う作業も終了し、あんなにみすぼらしかった菜園が見違えるほどすてきな菜園に生まれ変わったのである。
トマト
堆肥をたっぷり吸収したトマト。
糖度は20度を超ているだろう
 特筆すべきは温室で栽培していたトマト。菜園のついでに温室にも堆肥を大量投入したのだが、トマトもナスもオクラもゴーヤーも10月に入っても勢いが衰えることなく、たわわに実をつけている。一番驚いたのはトマト。イヤーその甘いこと、市販のフルーツトマト、イタリアンレストランで供されるフルーツトマトなどこれまで食べた数多くのトマトとは比べものにならないほど甘いトマトだった。
 生産者名や糖度が賑々しく記載されている高級トマトは、まさに今、口に放り込んだトマトのようなトマトを目指して栽培されたものなのだろう。
 ちなみに温室に植えたのは近所の園芸店で購入したごくごく普通のトマトの苗。確かひと株100円程度だったと思う。堆肥たっぷりの地面で時間をかけて栽培すると(秋口になって気温が低くなったので完熟するまでに時間がかかったのだろう)品種には関係なくこういう逸品が収穫できるのである。
 デザートにぴったり、まさにフルーツトマトの名にふさわしい美味しさだった。
 これまで堆肥、堆肥と呪文のごとく唱えてきたが、その威力をこれほどまでに実感したのは初めてだった。
 今年、菜園は6区画に煉瓦で仕切られ、歩道も生まれ変わり、老朽化したシェッドも塗り直され実に20年ぶりにリニューアルされた。そういう仕掛けも大切だけど、菜園の主役はやはり作物、菜園の美しさは作物が決める。

<ついに冷凍ストッカーを導入>
 だいたい食べる人間の数に比して収穫すべき野菜が多すぎる。せっかく栽培した野菜だから無駄にはしたくない。とすると多すぎる野菜や果物は保存するしかない。
 保存といえば、まず冷凍。しかし冷凍は保存期間中ずっと電力を消費するからこれまで極力、避けてきた。
 野菜に火を通して水煮やソースにして瓶に詰めてから殺菌すれば常温で保存できる。キノコなどは乾燥して水分を飛ばせば常温で保存できる。そういう昔ながらの保存方法に固執してきた。
 例えばトマト。温室に10株、菜園に20株、合計で30株のトマトの苗を植えた。朝、散歩の途中で菜園に寄って朝食代わりにトマトをつまむ。昼はトマトのサラダ、夕食ではここぞとばかりにサラダに加えたりスープに投入するもこんなもんでは焼け石に水、完熟したトマトは耐えきれなくなってポトリ、ぽとりと地面に落ちる。
 雨が降り続く8月のある日、自分でも思いがけず、禁断の冷凍ストッカーをワンクリックで購入してしまった。しかも大型サイズを。地下に設置すると10年来そこにあったが如く見事に収まった。
 菜園で収穫したトマトはへたや種を取って保存袋にいれて冷凍庫に放り込む。多少の割れは気にしない。キャベツは適当なサイズにカットして保存袋へ、ゴーヤーしかり、オクラしかり。雲南百薬しかり、ブロッコリー、花豆、玉蜀黍、枝豆しかり。ラズベリーもカシスも。菜園の盛りが過ぎる頃には、ストッカーは野菜とベリーで満杯になった。
 トマトはスープに使うことを想定して1回分ずつ小分けにして冷凍したからまことに使い勝手がいい。野菜スープに冷凍トマト1袋を放り込めば美味しいミネストローネに早変わり。ニンニクやハーブも冷凍してあるし、柔らかいうちに収穫して冷凍した花豆(空豆のよう)を加えたり、オクラを加えるとまたひと味ちがったスープができる。うまみ成分であるグルタミン酸が多いトマトはイノシン酸系の和風出汁や味噌との相性もいい。
 これだけの冷凍野菜があれば、来年の園芸シーズンがやってくるまで野菜には不自由しないかもしれない。季節はずれのトマトやオクラなどを買わずにすむし。
 電力を消費し続けることに若干の後ろめたさを感じつつも、貢献度大の冷凍ストッカーの蓋を開けては、今日も野菜を探している。ここは凍った菜園なのである。

<石垣島へ>
 仕事の関係で11月は九州にいることが多い。最近では九州から北海道に戻る前に、さらに南下して沖縄や台湾に立ち寄ることにしている。
 今年は熊本から石垣島に飛んだ。
 冬の石垣はさすがに蝶の姿は少ないけど、ここに来ると心身ともにゆるーく解けて行くのが分かる。
 町中を避けて海辺近くのウィークリーマンションを借りる。キッチン付きだから、材料を調達して好きなように料理できるのがいい。まずは何はさておき町の中心部にあるユラティク市場(ユラティクは寄ってらっしゃいという意味)へ飛んでいく。市場に並んだ豊富な野菜を前にして自分でもビックリするほど興奮してしまう。野菜の魅力もさることながら、熊本まではずっと販売者だったのが、一転、消費者という身分に変わったからだろう。販売者から消費者へと立場が逆転する時の開放感ときたら。経験しなければ、決して味わえない醍醐味だろう。
ハンダマ
これが温室のハンダマ、挿し木でいくらでも増える
 とにかく野菜の種類が多い。特に葉物の類、ハンダマ、ツルムラサキ、雲南百薬(この3種類は我が菜園でも栽培)を初めとして、ほうれん草や小松菜、何とか菜、何とか菜、名前を聞いたことのない葉ものやハーブ類がたくさん並んでいる。
 しかもひと束の量が多い。コリアンダーなどベトナムやタイの市場並みの量でもひと束100円。都会のデパ地下で買ったら一体どんなことになるのだろう?
 友達の田代さんは市場のすぐ向かいに住んでいるから、ここの野菜事情にやたら通じている。今日買うべきもの、やめた方がいいものなど細かくアドバイスしてくれるけど、興奮状態にあるからどんどんかごに放り込んでしまう。
 アロエ、ツルムラサキの先端だけを集めたもの、メキシコほうれん草(これは新顔)フルーツパパイヤと千切りにした野菜パパイヤ、コリアンダー、長命草、オオタニワタリ、トマト、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ。あったあった、お気に入りの唐辛子のクッキーとシークワーサー100%果汁、お茶用のローゼル(ハイビスカス?)、などなど。
 まだ温かな島豆腐やおにぎりかまぼこ(黒米のご飯を心にした薩摩揚げのようなもの)、もかごへ。これだけあれば1週間どころか1ヶ月は暮らせそうな量。田代さんもあきれて途中から何も言わなくなる。
 野菜の次は魚。町にはお刺身屋さんが多い。よしこ刺身店とかさちえ刺身店とか女性名を被せた店が目立つ。漁師の旦那がとってきた魚を奥さんがさばいて売っている店なのだという。田代さんの弟さんはマグロ漁師だから、その奥さんの店でマグロなどを購入。ちなみに石垣島にも最近ローソンが進出してきたけど、ここでもお刺身を販売している。金城刺身店が納入している近海物のマグロの刺身は1パック350円。量はたっぷり、漬けマグロにすると美味しい。レジ横のおでんにも「ゆし豆腐」「島菜」というローカルなメニューがあったから、買おうと思ったら売り切れ、石垣島オリジナルだからすぐに売り切れてしまうらしい。ローソンにはこれからも初心を忘れずに地域密着型コンビニとして営業して欲しい。
 自己流だけど島料理の皿をずらっと並べた大満足の夕食だった。
 翌日は近所のトミーのパン屋で焼きたてのパンを買って東シナ海を眺めながら朝食をとる。最近ではいつもこのパターン、焼きたてのホカホカだから美味しい。
 天気予報は見事にはずれて昨夜の雨が嘘のような見事な晴天、海は穏やかだし、日差しも気温もちょうどいい具合だから、とりあえずいつものタケタの林道に行ってみる。
 うわっ!蝶がちらちら飛んでいる。ヤエヤマムラサキ、カバマダラ、リュウキュウアサギマダラ、ウラギンシジミと普通種ばかりだけど、期待していなかっただけに嬉しい。リュウキュウカラスアゲハやアオスジアゲハ、オオゴマダラ、ツマベニチョウなど南国的な蝶も飛んでいる。光に誘われて姿を現したのだろう。ヤエヤマムラサキやウラギンシジミには久々に出会ったので特に嬉しい。
 しかも今回は捕虫網を持参していないので、眺めるだけだからのんびりできる。

ヤエヤマムラサキ
タケタの林道ではヤエヤマムラサキに
思いがけず遭遇した。
 タケタ林道の入り口に車を置いてテクテク歩いていると犬連れの夫婦に出会った。「ホレ、あそこ、そっちじゃなくて」ミニチュアダックスをつれた奥さんに指示されるままに旦那が網を振る。取り損なって怒られる。
 毎日こんなふうに散歩していたら、いろんな蝶に会えるんだろうなー。「今日はきれいなムラサキが多い」としきりに感心していた。
 島をたまに訪れて今年は蝶がどうのこうのと騒いだり喜んだりしているけど、ここを第二のホームグランドとしてじっくりと蝶と付き合いたいものだ。
 お馴染みの比嘉豆腐店でゆし豆腐定食を食べてから、星野の林道や真栄里ダム周辺にも立ち寄ってみた。大雨で崩れて以来、立ち入り禁止になっていた林道は修復されて、蝶がまた戻ってきたようだ。

<蝶の道が消えた>
 翌日も予報がはずれて天気がよかったので、久々に竹富島に行ってみた。初めて石垣を訪ねた時、何気なく足を伸ばした竹富島で、私はリュウキュウの蝶の虜になった。
 竹富島の地図を眺めていると「蝶の道」と書かれた道路があった。町の中心から島の南、アイユル浜に向かう道である。
 西海岸は賑やだけどこのあたり観光客はめったに訪れないらしい。
 埃っぽいその道はまったく「蝶の道」という名前にふさわしい道だった。ここを通った人なら100人中100人が、間違いなく「蝶の道」と命名するだろう。
 ベニモンアゲハ、シロオビアゲハ、モンキアゲハ、カラスアガハなどの大型のアゲハチョウやオオゴマダラのようなマダラ蝶、タテハ蝶にツマベニチョウ、ナミエシロチョウにシジミ蝶もいる。普通種ばかりだけど南国ならではの賑やかなラインナップ。夢見心地で道を歩く私を蝶たちは群れをなして大歓迎してくれたのである。
 陽が射すと蝶は光に誘われて一斉に姿を現す。青空を背景にして様々な蝶が乱舞する。日がかげれば彼女たちは静かにスッと木の間に隠れる。これだけの数の蝶が潜んでいるのにあたりは静寂そのもの。夢のような光景だった。
 写真を撮るのもネットを振るのも(ほんと禁止)忘れて何度もこの道を行き来した。
 その体験を島の人に話すと、やはりこの道を訪れた作家の高橋治が、感動のあまり「蝶の道」という作品を書いたという話をしてくれた。後日、読んだその小説は私好みではなかったけど、作家ならあの感動を言葉にしたいと思うのも無理はない。
 あの感動だけで十分という思いもあったので、それ以降は、竹富島は素通りしてきた。この島は観光客が多いし、大好きなコノハチョウもいないし。
 今回、お天気に誘われて久々に島に行ってみることにした。何しろ石垣島からフェリーで15分という近さだし。蝶の季節じゃないけど少しは歓迎してくれるかもしれないという淡い期待もあった。
 中心部は避けて、島の東側の道を通って蝶の道に行ってみた。途中、ホテルの送迎バスと何度かすれ違った。いやな予感がする。
 竹富島で星野リゾートが開発に乗り出したという話は聞いていたけど、それがまさに蝶の道周辺だったのである。あのバスは観光客の送迎用だったのだ。
 港付近にはヤエヤマムラサキがチラホラいたし、ツマベニチョウやキチョウも飛んでいたのにかんじんな蝶の道に蝶はいなかった。
 事業主は環境にやさしい開発を試みたのだろう。なるほど蝶の道は舗装もされていないし、看板ひとつたっていない。しかし、これだけの大規模な施設を作るのだから、蝶の道は日夜、ダンプや大型トラックの通り道になっただろう。走行に邪魔な雑草は刈られ、木の枝は切り払われたのだろう。
 最小限かもしれない。それは分かる。しかし刈り取られた道ばたの雑草は蝶にとっては幼虫を育てる大切な食草であり、センダングサもランタナも彼らが生きていくのに欠かせない蜜源植物なのである。
 邪魔な枝は蝶の隠れ家であり、切り倒された雑木は樹液を提供してくれる食料源だったのである。大型車が頻繁に行き来するような道の周辺では蝶は安心して暮らせない。
雲南百薬
御願岬、この後、雲が切れて真っ赤な夕陽が
顔を見せた。
 蝶の道を2回往復したけど、たまに可愛らしいキチョウが姿を見せるくらいだった。季節が変われば蝶が姿を現すかもしれないけど、もう二度とここには来ないだろう。
 歩いて回れるような小さな島で環境にやさしいリゾート開発は無理だろう。星野リゾートの広告には堂々と蝶の道の文字があった。
 早々に島を後にして石垣に戻った。少し寄り道して御願岬灯台(うがんざき)に夕日を見に行った。雲をあかね色に染め、海原に黄金の帯を流す夕日は、いつものよう に美しかった。一日の終わりにちょっと疲れたようにゆったりと沈んでいく夕日はいい。

<台湾の茂林にムラサキマダラの集団越冬を見に行く>
 最近?那覇と台北を結ぶ便が毎日飛ぶようになった。しかもLCCなので運賃が信じられないくらい安い。去年の冬に利用してみたけど何の問題もなかったから、今年も那覇から台湾に行くことにした。
 台北は何度か行っているので素通りして南に下り、高雄郊外の茂林というところにムラサキマダラの集団越冬を見に行くことにした。以前、行ったことがあるけどそのときは季節が早かったのか集団といえるほどの蝶はいなかった。
 台北から新幹線に乗って高雄まで約2時間、朝、那覇を出たのに昼頃には高雄に到着した。時差1時間、昼食に間に合う。
 石垣島で思いがけず蝶に出会って気をよくして、「そうだ茂林に行こう」と急に決めてから、必死になってガイドを探した。山奥の茂林はガイドなしではどうにもならない。旅行社を通してようやくみつけたガイドに沖縄からメールや電話で連絡を試みるが、なしのつぶて。新幹線の車中でようやく電話がつながって、明日朝7時にホテルのロビーで待ち合わせることになった。よかった、よかった。これで安心して夜市にも行ける。
 新幹線の車中で台北の駅そばで購入したまだあたっかい胡椒餅を取り出す。胡椒餅はパンのような皮で胡椒の効いた肉餡を包み、タンドールで焼き上げた夜市の名物小吃。かじると火傷必至の熱い肉汁が迸り出てとても美味しい。台北は晴れていたのに高雄は雨だった。
 翌日、ロビーに降りるとガイドがにこやかに出迎えてくれた。駐車場に停めてあったツアー用の大型のバンに乗り込む。これは旅行社主催の一人だけのツアーなのである。どうりでバカ高いと思ったが、時間がなかったので値切ることもできず、先方のいうなりになってしまった。悔しい。(後で日本のガイドに聞いたら相場とのこと、円が安くなっているのだ)
 天気予報通り、今日も空は厚い雲に覆われ、今にも降り出しそうな空模様。ガイドは前方を指さして、茂林の方角は雲が薄いとか、天気がよさそうだとか明るく大声で言う。そのうち、案の定、雨が降り出してきた。ワイパーが高速で雨粒をはじく。
 窓の外には台湾南部の田園風景が広がっている。稲穂が垂れているかと思うと田植えが終わったばかりの田んぼもある。タロイモの畑、蓮根栽培用の池、ナスやトマト、各種菜っ葉、タバコ畑が続く。畑に季節感がない。畑をつなぐようにして点在する小さな町をいくつか通り抜けて1時間ほどで茂林に到着、車は茂林の入り口にある観光案内所のようなところで停まった。
 数年前に茂林を訪れたときはこういう施設はなかった。地元では冬になると集まってくるマダラ蝶を観光資源として売り出そうとしているらしい。
蝶のパネル
茂林ではこんなサインをよく見かけた
 その一環として、まだら蝶の鑑賞ルートが整備されたらしく、案内所の壁にはルートマップが張ってある。ルートマップには、今はやりの環境にやさしいというFootPassの文字も見える。
 茂林で見られる4種類のマダラ蝶のパネルも展示してあるし、日本語のパンフレットもちゃんとそろっている。
 昨日は雨で全然ダメだったけど、それ以前は気温が高く、晴天がずっと続いたので蝶がたくさん飛んでいたそうだ。そういえば、その頃は石垣島も天気がよかったおかげで珍しくヤエヤマムラサキが飛んでいた。
 手始めにこの辺りでは蝶が一番たくさん見られるというお勧めの谷に行ってみることにする。一昨日、この谷で撮影されたという案内所のVTRでは、青い空をバックにして無数の蝶が飛んでいた。
 雨はやんだけど、空はどんよりと曇っている。
 谷では2〜3頭のマダラ蝶が挨拶程度に姿を現した。これがムラサキマダラかと思うとやはり嬉しい。嬉しいけど、こんな遠くまで来たからには、あのVTRにあったような蝶の集団を見たい。
 集団でやってくるのをしばらく待っていたけど、天気のせいか蝶の数は一向に増える気配がないので、賞蝶ルートになっている林道に移動することにする。
 時折、雲間から、薄光がもれるほど天気が回復してきた。単純なもんで、光につられて気分が次第に高揚してくる。
ホリシャムラサキマダラ
翅を頑なに閉じて吸蜜する小型の
ホリシャムラサキマダラ
 駐車場に車をおいて林道を歩く。あたりの様子は、一昨日、歩いた石垣島の林道とそれほど変わらない。
 歩き始めたとたん、少数民族の衣装をまとった女性ガイドに案内されたおじさんたちがどかどかとやってきた。うわっ、なんでここまで来てこんな目に会わなくてはいけないんだ。
 幸い、蝶にはまるで関心のない一行はすぐにバスに引き返しくれたので、林道には静寂が戻ってきた。
 5分も歩くと、目の前に突然、大量のムラサキマダラが姿を現した。道ばたのセンダンクサやアゲラタムのような紫色の小さな花に蝶たちが群がっている。目が慣れるとあそこにもここにも、ようやくさし始めた薄日にひかれるようにして次々と姿を現す。
 山側の斜面には特に蝶の数が多い。案内所のパネルによるとムラサキマダラは四種類いるという。ツマムラサキマダラ、ルリマダラ、ホリシャムラサキマダラ、マルバネマダラ、よく見ると小型のホリシャムラサキマダラが圧倒的に多い。少し大型のルリマダラとツマムラサキが混じっているが、マルバネの姿はない。
 ムラサキマダラは、地色は黒に近い茶褐色だから、メキシコの集団越冬で有名なカバマダラのように派手な蝶ではない。その地味な色合いの蝶は吸蜜中は頑なに翅を閉じてしまう。
 気持ちいい日差しを浴びても、花を揺すってみても翅を広げようとしない。翅を広げて縄張りを主張したり、光を吸収して翅を温める必要はないのだろう。
 だからほとんど翅の裏側しか見ることができない。表面よりは少し色の薄い茶褐色に白い斑点がきれいに並んでいる。それはそれで美しい。
 しかし、時折チラッと見せる表面の翅の美しさといったら、前翅の縁が紫色に輝く。光の具合でそれは青、群青色、紫色と微妙に色合いを変えるのだが、とりわけ深い海を思わせる群青色は美しい。デルフィニュームの濃青の花びらに似ている。幼い日、お絵かきに使っていた群青色のクレパス、その語感が珍しかったのか、意味も分からずぐんじょういろ、ぐんじょういろと言っていたけど、これこそが群青色なのかと今、納得した。
 褐色の地色、小さな白班、先端部の群青色、そのコントラストのシックなこと。金属光沢をもつ青緑のゼフィルスや派手な南国の大型蝶も美しいけど、シロチョウでもクロチョウでもない、ムラサキマダラの繊細な色合いはとてもすてきだと思う。これぞシックというものだろう。シックということでいえば、やはり黒字に藍色や青紫の斑点が散るスミナガシという地味なタテハと双璧をなすと思われる。
 光の強さに比例して蝶の数はどんどん増えて、案内所のVTRで見たような光景が目の前にある。好物なのか枯れかけたセンダングサの花にさえ蝶がたくさん群がって吸蜜している。
 同じ種類のたくさんの蝶に囲まれて、少し息苦しくなったので、道から外れて山の中に入ってみた。そこには竹林があった。竹林でもムラサキマダラが三々五々翅を休めていた。
 「竹林に蝶」東洋ならではの墨絵のような光景だった。
 今は気温がそこそこ高いし、花も咲いているから彼女たちが越冬に入るのはもう少し先のことだろう。北の方から集まってきた蝶が、越冬までの時を静かに過ごしている時期なのかもしれない。本格的な冬がやってくる頃には、この竹林でも、たくさんのマダラ蝶が枝からぶら下がるのだろうか?
 2年ほど前に石垣島のタケタ林道を車で走っていると目の前に白い紙吹雪のようなものがハラハラと舞っていた。
 何だろうと思って車を停めて外にでると、紙吹雪と見えたのはアサギマダラだったのである。林道が静かになると彼女たちは林に消えて行った。
 彼女たちには申し訳ないけど、その場所を車で行ったり来たりすると、そのたびに車の音に驚いた蝶が紙吹雪のように舞った。越冬のために集まってきたアサギマダラの群れだったのだろう。
 今、見ているムラサキマダラに比べればほんの僅かなものだが、まったく思いもよらない場所で思いがけずであった蝶の群れにいたく感動したことがあった。
アゲハ
カラフルな紅紋粉蝶は沖縄でも見かけない
 もちろんこれだけたくさんのムラサキマダラに出会えて嬉しかった。ひと種類の蝶が大量にいる風景は確かに迫力があるし、集団ならではの醍醐味がある。その感動はただ林道を歩いているだけでは決して味わえない。それはそうなのだが、賞蝶という観点からすると数で勝負する蝶の集団には風情というものが決定的に欠けている気がした。
 思いがけずないところで思いがけない蝶に出会う。
 彼らを追いかけ、彼らに翻弄されながら、光の中を歩く。そういう賞蝶が好きだ。蝶が風景を変える。どんなつまらない蝶でも蝶にはそういう力がある。
 ムラサキマダラに混じって、アサギマダラやミスジチョウ、日本では見たことのない派手な色合いのシロチョウ、紅紋粉蝶たちが姿を現すと、何だかホッとした気分になった。
 2時間ほど歩いただろうか、延々と続く林道をショートカットして車まで戻った。もうこれくらいで十分。目的を果たして何だかグッタリしてしまった。
 少数民族のルカイ族が多く暮らす多納という集落で遅い昼食をとることにした。以前来たときにはここは温泉地として賑わっていたのだが、2,3年前の台風で温泉が壊滅状態になったという。名物の吊り橋も落ちて、今は通行禁止になっていた。
 集落の入り口にある食堂に入るとルカイ族のおばさん2名が火の前に陣取っていた。
 食べ物を前にするととたんに元気がわいてくる。壁のメニューを見ながら、スープや野菜の炒め物を注文する。
・ゴーヤーとパナップルのチキンスープ
・紅鳳菜の炒め物
・石焼き豚肉
・青梗菜の炒め物
・レモン風味愛玉
鳳梨苦瓜鶏湯
これがちょっと問題の鳳梨苦瓜鶏湯
 おばさんが白いゴーヤーをまな板に乗せると大まかにカットして鍋に放り込む。手元を凝視していたら、あっちで座って待ってろと追い払われてしまった。ちょうど移動販売のトラックがやってきて食堂の前で店を広げたので見て回る。トマトやミカンを購入、野菜や缶詰、日用品と平凡なラインナップだった。
 一番最初に運ばれてきたのはスープ。大きな鍋に溢れんばかりの大量のスープが張ってある。その鍋を電熱器にのせて温めながら食べるのである。これまた大量のゴーヤーと鶏肉、ゴーヤーの上にはオレンジ色のパイナップル、出汁をとるのに使ったとおぼしき煮干しまでのっかっている。
 ボールに取り分けた白湯スープを一口すすると、思いのほかパイナップルの風味が効いている。ゴーヤーの苦さをパインの甘さでカバーしようという意図なのだろうか?それともたまたま手近にあった食材を放り込んだら好評だったのでメニューに載せたのだろう?鶏と煮干しの出汁も効いているし、それなりに美味しいけど食材の取り合わせがばらばらで何だか釈然としないスープだった。何回おかわりしてもスープは一向に減らない。これで小サイズだから、大サイズなら1週間分はあるだろう。
炒紅鳳菜
これがとっても美味しい炒紅鳳菜
 沖縄ではハンダマ、熊本では水前寺菜(今年、熊本で本物の水前寺菜を初めて食べた)金沢では金時草と呼ばれる野菜が台湾では「紅鳳菜」と呼び名を変える。葉の裏側が鮮やかなムラサキ色をしているからだろうが、それにしても紅鳳菜はちょっと大げさ過ぎる。
 我が家では生葉を刻んでサラダにするか、スープに入れるか、さっと茹でてナムル風にするか、夏の間、ほぼこの三種類の調理法で通してきたのだが、ニンニクを効かせて炒めた紅鳳菜は少しぬめりが出て、歯ごたえもよくとても美味しかった。注文した料理の中ではこれが文句なく一番美味しかった。ハンダマレシピがひとつ増えた。
 おなかいっぱい、残ったスープや炒め物はすべてテイクアウトにしてガイドに渡す。
 ガイドは気のいいおじさんで、気をつかっていろいろな場所を案内してくれるのだが、蝶に出会えただけでもう十分、だいぶ日も陰ってきたので美濃を経由して高雄まで帰ることにする。
 先を急いだのは、その道筋においしいお饅頭屋さんがあるからだ。前回泊まった美濃の民宿のおばさんが連れて行ってくれたその店のお饅頭は、本当に美味しかった。地元でも評判らしくて、お昼時だったこともあってお客さんがひっきりなしに来ては、大量に購入していた。
 棚には発酵途中の生地が入った赤い洗面器が、いくつも積まれた。店の奥では一家総出で生地を丸くのばして餡を包んでいる。店先に並んだせいろは盛大に湯気をあげている。こういう店なら美味しいに決まっている。
 豚肉餡、椎茸入り、タケノコ入り、キャベツと春雨、サツマイモなどいろんな種類の餡がある。もちろん甘いあんこやごま餡を包んだ饅頭もある。
 蒸したてをいくつか買って、おばさんと車の中で食べたそのお饅頭の美味しかったこと。胡椒餅もそうだけど餡にはミンチに挽いた肉ではなくて、刻んで叩いた肉を使う、これが日本のそこらにある肉まんと一番違うところだろう。八角やピーナツを使った味付けにも年季が入っているし、冷めても皮は水っぽくならずにいつまでもふんわりとしている。あの発酵に使われていつ赤い洗面器に秘密があるに違いない。
 だからガイドが盛んに勧める竜頭山も平たい石を重ねて建てた独特な家が並ぶ多納の集落もパスして、あの美味なるお饅頭を求めて美濃に向かった。うつらうつらしていると車が止まった。
 赤い洗面器はなかったけど、あの饅頭屋に間違いない。
 車から降りて迷いながら5個も買って、店の人にも笑われてしまった。じゃあ、これとそれを1個ずつ、でもこれも美味しそう、こっちもいいな。
 ガイドは野菜まんを買って店先でかぶりついていた。親指をたててGoodのサイン。何となく誇らしい気分になった。
 私もかぶりつきたいとこだが、さっき食べたゴーヤーとパインの不思議スープで満腹状態、ホテルで夕食代わりに食べることにしよう。
 ガイドお勧めの氷菓の店でアイスクリーム(薬草を練り込んだという何とも台湾チックな風味)をおごってもらい、高雄の町に入る頃にはあたりは薄暗くなっていた。朝の7時から12時間、ほんとうに充実した時間だった。満足満足。夜市にも案内すると言ってくれたけどもうたくさん。
 近くの店でスープと青菜炒め(すごく気になっているのだが、こちらの野菜炒めはひと種類の野菜しか使わない。風味付けに生姜やニンニクを使うけど基本はひと種類、青梗菜なら青梗菜、ほうれん草ならほうれん草なのである。日本では野菜炒めといえば数種類の野菜に肉や卵などを加えて炒めることが多いけど、そういうのはまた別のジャンルの料理なのだろうか?)をテイクアウトしてお饅頭と一緒に食べてから、夜市にも出かけず早々にベッドに潜り込んだ。
十八卯茶屋
台南にある老舗の「十八卯茶屋」
工夫茶は茶葉を購入して勝手に楽しむ
 その後、高雄から列車で30分くらいの台南に2泊してから台北を経由して北海道に戻った。
 たくさんの蝶を見た後は、おまけのように古都台南の町を歩いて回り、名物の担々麺を食べたり、市場に寄ったり、茶芸館でお茶を飲んだりしてゆったりと過ごした。茶藝館では自分で好きな茶葉を購入し、マイペースでお茶が飲めるのがいい。カップで提供されるお茶もメニューにはあるけど、断然セルフサービスの工夫茶の方がいい。お茶を飲みながら落ち着いて本を読んだり音楽を聞いたりすることができる。茂林のルリマダラの光景がよみがえる。
 台南はブラブラ歩くにはちょうどいい規模の町で、オランダ統治を経験した安平には煉瓦の建物や壁なども残っていて異国情緒が味わえる。何より食べ物が美味しいのが嬉しかった。
 100年変わらぬ製法で作っているという具だくさんの巨大粽、街角の焼き栗、朝食の温かな豆乳とネギ餅、海に面しているから名物のカキを使ったカキオムレツも夜市のそれとはひと味ちがう。何よりハマグリのスープは食堂に入るたびに注文したけどどこも間違いなく美味しくて、子供のころ大好きだったうしお汁、桃の節句にはつきものだったうしお汁が懐かしく思い出された。これは以前、韓国の海辺の町で食べたアサリのカルクッスと双璧をなすうまさ、豪華レストランの手間暇かけたフカヒレスープよりもこちらを選びたい。
 ネットで検索した老舗のお茶屋さんにも立ち寄って高山烏龍茶、文山包種茶などを購入、近くのプーアール専門店で板状のプーアール茶、珍しく紅茶があったのでこれも購入。紅茶はラプサンスーチョン、プーアールもラプサンスーチョンも全発酵のお茶だから中国茶と紅茶の間に垣根はないのだろう。
 台北でも問屋街で乾物の買い出し、夕方から合流した友人の高城さんと一緒にいつものお茶問屋に立ち寄って阿里山烏龍茶や東方美人茶、中国緑茶を仕入れたり、日本でいえばドンキホーテのような何でも屋を冷やかして回ったりして楽しい一夜を過ごした。
 石垣島の中心地に立つ看板によると「石垣→台湾277km、石垣島→稚内2820km」の距離があるそうだ。それを目にするたびに何だか悔しい思いをしてきた。ここからだと台湾に比べて北海道は10倍も遠いのである。最近ではそのサインを見ると心躍るようになった。台湾はそんなに近いのか。
 沖縄経由台湾行きはしばらく続きそうだ。



食卓日記マーク
#27 (2014.7.27)
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<朝 蝶とお散歩>
オドリコソウ
オドリコソウ/これは残念ながら刷毛模様なし
だけど野草じゃなければ栽培したい植物のひとつ。
 今年もゼフィルス(緑シジミ蝶)の季節がやって来た。5月なのに30℃を超す猛暑に見舞われ、6月には2週間以上も長雨が続いて散々な目にあった。農家の人たちはさぞ苦労したことだろう。
 林道の初夏を彩る白花3点セット、葉を乾燥させるとバニラの香りがするクルマバソウもユリ科の清楚なマイヅルソウも場所によっては花がまったく咲かなかった。一方、白花の中心的な存在である大好きなオドリコソウは十分成長しきらないうちに貧弱な花をつけた。
 オドリコソウは、シソ科の野草で茎を囲むようにして花をつける。花色は白なのだが、花弁の裏側には刷毛でスッとなでたようなピンクや紫色の模様がある。その模様も一様ではなく、花によって微妙に異なるから見ていて飽きない。オドリコソウという名は、多分、茎を囲んで咲く花が輪になって踊るバレリーナの集団のように見えることからついた名称だろう。十分に納得できるネーミングではある。
 この花にはマルハナバチがよく吸蜜に訪れる。彼女たちの大好物なのである。マルハナバチはオドリコソウの花に頭を突っ込んでは蜜を吸い、隣の花に移る。茎の周りをクルクル回りながら軽やかに飛ぶその様子は、まるでダンスを楽しんでいるかのように見える。
 花もダンサーなら花を巡るマルハナバチもダンサー。というわけで毎年オドリコソウが咲くのを楽しみにしてきた。
 ところが今年は花数が少なくて花蜜も僅かだったのだろう、マルハナバチの訪花はほとんど見られなかった。マルハナバチにとっても、花粉を運んでもらえなかったオドリコソウにとっても受難の春だった。
 気候のせいかどうか、カシワマイマイやマイマイガの幼虫が大発生して、林の木も庭の木もほとんど無差別に葉を食べられて無惨な姿を曝している。あんなに大量の幼虫が羽化したら一体どんなことになるのだろうか。空が蛾に覆われて光りが届かない、まるで怪獣映画のワンシーンを思い浮かべてしまうほどの量なのである。
 それとは別に、今年は、キアシドクガというミズキの葉を食草とする蛾も大発生した。ミズキは完膚なきまでに丸坊主、数年に一度の割でこういう事態が発生する。ミズキも慣れたものですぐさま葉の製造を開始し、1ヶ月も経たないうちにみごとに立ち直ったのであった。
ゼフィルス
今年のジョウザンミドリシジミ。
毎年同じ、来年も同じだろう。
 ミズキの葉を食べて成長し、6月のはじめ頃に羽化した白いキアシドクガが、紙吹雪のごとくミズキ周辺を飛び回った。その密度の濃いこと、まるで1日中、紙吹雪噴射機を作動させたかのような光景だった。
 キアシドクガの大発生は、1 週間とは続かないから、放っておけばいいのだが、そのミズキの隣にあるミズナラの木こそ、愛してやまないゼフィルス発生ポイントその1なのである。
 ミズキにこれほどの大きな異変が起きているのだから、すぐ隣にあるナラの葉を食草とするゼフィルスにも影響があるだろう。と思っていたら案の定、ゼフがいるにはいるが例年の半分にも満たない。ここは家から最も近いお手軽ポイントだったのに。
 ポイント2は林道入り口から200メートルほど上ったところにそびえるシナノキの大木ととその50メートル先に位置するドロノキの間。行ってみるとポイント1のゼフが全員移動して来たかのような盛況ぶりだった。大量のジョウザンミドリシジミが空気を裂いて飛び回り、空中で卍の舞を披露して健在ぶりを見せてくれたので一安心。ジョウザンミドリの他にもアカシジミやオナガシジミがウロウロしている。
シナの花
シナの花/ミツバチの大好物。
シナの木がたくさんある林道では開花時には
甘い香りが漂う。ミツバチの羽音がうれしい。
 ポイント3,4は去年ほどではないが、それでもチラホラ飛んでいる。もう少し時間がたてば、あるいは光が強くなれば頭数も増えるだろう。
 満開のシナの花が甘い香りを放っている。養蜂家が言っていたように今年はシナが豊作らしい。
 最後のゼフポイント5まで足を伸ばす。ここではすごい数のゼフィルスが乱舞していた。大柄なギンボシヒョウモンが小さなゼフに追われて右往左往している。あちこちでめまぐるしく展開される卍の舞いを眺めているだけで目が回りそう。
 このポイント5は、私とヒグマの間で結ばれた平和共存ライン上に位置している。もちろんこのラインは、私が一方的に設定したものだが、「このラインから上はクマさんの領土ネ、でも下は私の散歩道だからネ、お互いに干渉しないようにしましょうね」という暗黙の了解が双方の間に成り立っていると思われる大切なラインなのである。
 どこかの国と違い、今のところヒグマもちゃんと協定を守っている。
 今年はヒグマが多いらしく、村の有線放送でも目撃情報が時々流れてくる。
 私が散歩から戻るたびに「へーあんなところにひとりでよく行くね」とか「鈴を鳴らした方いいんじゃないか」と忠告される。
 「散歩中の老女、クマに襲われる」というような新聞記事が脳裏をよぎる。猟友会がここぞとばかりに出動する。そんなことになったらヒグマに対して申し訳ないから、今年は平和共存ラインを曲がり角ひとつ手前に変更することにした。
菜園に虹
菜園に虹がかかった!日照り続きだったので
芝生用の強力スプリンクラーで水やりしたら、
水滴が陽光を反射して虹のよう。
 旧境界線上にあったゼフポイント5は、残念ながらクマさんの領土内に入ってしまった。新しい境界線に立ち、毎日、双眼鏡でゼフ天国を偵察している。そこでは桃源郷もかくやと思われる光景が展開されている。我慢しきれずにたまにラインを超えて見に行くけどクマさん許してね。

<昼 菜園の仕事>
 沖縄では、名前を聞いたこともないような新しい作物が突然、市場に出現することがある。亜熱帯地方だから外国から未知の植物を持ってくれば、比較的かんたんに栽培できてしまうのだろう。種苗店、特に果物の苗を扱うところでは、地場の苗に混じってこれはブラジル、台湾というように海外ものの苗が並んでいる。
 去年あたりから「雲南百薬」という野菜が市場に登場した。何ともからだに良さそうな名前ではないか。ハート型をした艶のある葉っぱはツルムラサキの親戚のようだが、ツルムラよりも厚みがなくて柔らかでかわいらしい。早速、市場で買って宿でおひたしにしてみたが、癖もなく粘りのある食感はツルムラサキとほとんど同じだった。
雲南百薬
雲南百薬/こんな感じで葉が密生するので
ひと株あれば十分。ナムルがおすすめ。
 よし、今年は「雲南百薬を栽培してみよう」と決めて苗を購入して植えてみた。(沖縄では苗はみかけなかったが、ネットで調べると本州の種苗店で「オカワカメ」という不思議な名称で販売されていた。)
 こうして琉球エリアにまたひとつ野菜が加わった。ハンダマ、アバシゴーヤー、ツルムラサキ、シマオクラ、月桃(まだ種まきしていないけど)に雲南百薬。つる性の野菜だが、ゴーヤーのようにネットを這うというより、棒などに巻き付くタイプらしい。石垣島でも竹の枠に絡ませながら栽培していた。
 5株の苗を植えて2メートルの直竹を10本立てたら、すごい勢いで竹に絡みついた。竹はすぐさまツルで覆われ、行き場を失ったツルは、温室の枠や隣のゴーヤーのネットにも進出。それでも巻き付けなかったツルは宙をさまよい、ついには遠くのトマトの支柱やトマトの茎にまで絡みついた。
 最初は新生児の掌大だった葉もみるみるうちに園芸用手袋LLサイズ大に生長して、涼しげな緑のカーテンならぬ、暑苦しい緑の緞帳のようになってしまった。
 どこかの時点でツルをばっさり整理するなり何なり対策を講じればよかったのだろう。気がつけば琉球エリアはすっかり雲南百薬の天下と化していた。
島オクラ
島オクラ/ジャングル化してきた琉球エリアの
紅一点。実はかなり成長しても柔らかくて美味。
 そんな雲南百薬であるが、収穫も楽だし、葉も柔らかいので今のところ本家筋のツルムラサキより気に入っている。もっぱら葉を蒸して(数年前に、購入した水なしで食材を手軽に蒸せるという蓋つきザルつきのボールのような調理器具が大活躍。トウモロコシ、枝豆、アスパラ、アサリ、シソの葉に包んだ白身魚、鶏肉と何でも蒸してしまう。たいそうな実力の持ち主ではあるが、とても人前には出せない代物なので、昼間は夕食に備えて食洗機の中で待機している。せめてオレンジ色じゃなかったらいいのに)出汁汁に浸しておひたしにしたり、ごま油やヤンニョムを加えてナムル風にして食べている。ハンダマやオクラと合わせたナムルが一番かな。
 今年はとうとうズッキーニと決別した。本当に長い間つきあってきたズッキーニではあるが、近年食べる量より捨てる量の方が多くなってしまったし、ズッキーニがなくたって、まるで困らないというのは明白な事実であった。春になると長年の習慣でついつい種を蒔いていたのである。そして気がつけば、日々成長を続ける巨大ズッキーニの群れに脅かされてきたのである。
 今年こそ、ズッキーニは不要という真実に正面から向き合おうと決意して種蒔きを中止した。何十年ぶりのことだろう。
 ズッキーニはたとえ地球最後の日がやって来て、ほとんどの植物が消滅したとしても生き残れるほどの頑強さを備えている。菜園にかけた保険、それこそズッキーニの役割であると考えていた。
 しかし、今年ズッキーニ断ちをしてみて気づいたのだが、ズッキーニは菜園緑化にも大いに貢献していたのである。ズッキーニは菜園の中でかなり広い面積を占拠し、とりあえず菜園を緑にして、菜園を菜園らしくみせてくれていたのである。
アゲハ
左/フェンネルの葉を食べて成長したキアゲハの
幼虫最終齢
右/幼虫はナスの枝に移動して蛹になった。
 トマト16株、ナス3株、バジル100株、キャベツ15個・・・(温室でもこれ以上栽培している)と少人数家族にしては多めに苗を植え付けたつもりだが、菜園はなかなか埋まらない。
 マリーゴールド、ナスタチューム、ジニア、ポピーと菜園の縁を色とりどりの花で囲ってみたがそれも焼け石に水。加えて今年は、菜園でかなりの面積を専有していたアップルミントの撲滅を決意して、ユンボですべてのアップルミントを掘り起こしてしまったので、ただの地面の面積がいつもよりずっと広い。スカンとした菜園を見回るたびにここにズッキーニの苗があればなーと後悔した。
 去年も一昨年も温室で育苗中のフェンネルにキアゲハが卵を産み付け、幼虫たちがフェンネルの柔らかな葉をムシャムシャ食べてしまった。今年もダメだろうと思いながら種を蒔き、奇跡的に無事だった15株の苗を菜園のあちこちに定植した。
 もはやフェンネルは食用ハーブというよりキアゲハの子育て用。キアゲハの幼虫はセリ科の植物を食べて育つ。しかし同じセリ科でもニンジンやパセリ、コリアンダーなどは見向きもせず、ひたすらフェンネルを産卵場所に選ぶのである。
アゲハ
キアゲハの成虫。蛹は10日位で成虫になる。
 フェンネルの小苗を菜園に定植して1週間後、フェンネルには第2齢位のキアゲハの幼虫が這い回っていた。1週間ほど前にうちの飼育箱で羽化したキアゲハが産んだのかもしれない。3株並んだフェンネルの苗のうち、朝はAに2匹Cに1匹だったのに、午後にはABCに1匹ずつ分散していた。1株1匹、まだ小さな苗だから1株で2匹は無理ということを察して移動したのだろうか。幼虫なのに大したもんだ。
 幼虫は順調に成長し1 匹、2 匹と姿を消した。彼らは蛹に変身する場所を求めて移動したのである。どこに行ったのだろう。何でも20メートルくらいは歩き回って適当な枝を探すらしい。まあどこであれ蛹になって羽化してくれればそれでいい。
 すると偶然、ナスの枝でじっとしている幼虫を発見、そうか彼女を蛹化に適当な場所を捜し回ってナスの枝を選んだのか。2日後、幼虫は無事に蛹に変身していた。
 キャベツも穴だらけ、これはシロチョウの仕業。ナガメやハムシはダメでアゲハやシロチョウは可、線引きが難しい。

<夜 中国茶に癒やされる>
看板
長男の有巣が不動産の副業を始めたわけではない。
台北でバスを降りたら目の前にこの看板を
発見してビックリ!
 近年、夕食後の楽しみといえば中国茶。時々台湾で購入する中国茶と日本の専門店で見かけてつい購入してしまう中国茶(不当に高い)を10種類くらい常備して、昨日は凍頂ウーロンだったから今日は文山包種茶、明日は東方美人茶にしようかなーという具合に日替わりで楽しんでいる。種類は無限、質もピンからキリまである中国茶を極めるつもりなど毛頭なく、中国茶の香りが好きだから毎晩、小さな茶器でそこそこのお茶をままごとのように楽しんでいるのである。
 なぜ日本のお茶ではなくて中国茶なのか?
 中国茶の魅力はなんと言っても種類の豊富さにある。茶葉の産地や収穫した季節、お茶の製法によって味も香りも違うのである。
 周知の通りお茶は、収穫した葉っぱを蒸したり焼いたりして発酵をとめた不発酵茶と完全に発酵させた発酵茶を両極として、その間にさまざまな発酵段階のお茶がある。日本の緑茶は不発酵茶だし、紅茶やプーアール茶は、最も発酵が進んだお茶である。中国茶というと、半発酵のウーロン茶が真っ先に頭に浮かぶけど中国で最も消費されているのは不発酵茶らしい。
 ここで疑問が湧く。米、豆、野菜はおろか魚まで発酵させてしまう発酵天国、日本で何故、発酵茶が発達しなかったのだろう。碁石茶などマイナーな発酵茶もあるにはあるが、日本でお茶といえば葉を蒸して発酵を止めた不発酵茶を指す。抹茶も不発酵茶を粉に挽いたものだから、普段、私たちが飲んでいる緑茶と同じ物なのである。
 と中国茶を飲みながら考えてみたのだが、最近読んだ本に「千利休は本来は安らぎのために飲むお茶を、安らぎとは対極にある茶道として完成させてしまった」という文章にぶつかった。
 茶道?日本のお茶が不発酵茶一筋なのは、日本独特の文化である茶道というものが関係しているのかもしれない。そう睨んで、茶道の入門書を読んでみた。
 茶道は総合芸術である。ただお茶を供するだけではなく、お茶を介してお茶に付随した茶室、庭、茶器、、着物、懐石料理、掛け軸、和菓子などすべてを形式化して極めようとする道らしいのである。目指すは精神の高みである。悟りのようなものなのか、禅と連動した宗教的な側面が強い。
 茶会など参加したこともないが、狭い茶室で師が立てたお茶をみんなで回し飲みするなんて変な仕掛けだなー、と以前から漠然と思っていた。
 茶道に関する新書2冊を読んだ限りでは、日本を代表する文化「茶道」においてはお茶をただの食品と考えないらしい。食後に「美味しいお茶飲みたいねー」とか、「遠いところお疲れでしょ、お茶でも一杯」というような我々が日常接しているお茶とは趣を異なるにするものなのである。
 茶道では、一服のお茶は、美味しいとかまずいとかの評価を超えて、きわめるべき道の中心に存在するある種、象徴的な存在だったのである。
 茶道というのは、美味しいお茶を探し求めてその味を極めるということではなく、お茶を介して総合文化にアプローチし、ついには精神の高みに上り詰めようとする求道的な修行のようなものなのである。
 そんなこととはつゆ知らず、私はお茶を食品としてとらえていたから、茶道に違和感を感じていたのだろう。
 文化は、ピラミッドの頂点にたつ権力者が先導し、それが次第に降りてくるという構造をもつ。彼らが極めようとしたのは、食品としてのお茶ではなく、お茶を介してついには悟りのようなものに到達しようとする茶道というものだったのである。「結構なお点前」とはいうけど「美味しいお茶ですね」は褒め言葉ではない。
 華道が茶道のような地位を獲得できないのは、素材となる花がきわめて具象的な存在だからだろう。花は主張し、美を競い合う。しかしお茶は静かで、存在感が希薄である。茶道では、いろんな種類のお茶は不要、むしろ邪魔になるのだろう。様々な発酵茶を粉末にして点てたらどんなものになるか想像がつかないけど、茶道の達人たちは誰ひとりそんなことは試みなかった。「今日のお点前は凍頂烏龍茶で」とか。おもしろそうなのにね。
 完璧を求めない「侘び」の精神からすれば、美味しいお茶を求めて山奥の寒村に家臣を放つような中国の権力者の行動はまことに無粋なものに映るのだろう。美味しいに超したことはないけど、お茶の味の追求に溺れると道を踏み外すことになるのだろう。
 文化創造の頂点にたつ権力者とその周辺が、お茶は抹茶だけで十分と考えれば、いろんな種類のお茶は生まれない。抹茶を製造するのにふさわしい茶の木の品種改良や栽培法くらいは深く追求したかもしれないが、そこには発酵茶が入り込む隙はなかった。
 和菓子、特に上生菓子も変だと思っていた。菓子の味より形やデザイン、ネーミングの追求に重きが置かれるお菓子なんて他には類を見ない。
 上生菓子は茶道に組み込まれた瞬間、食品ではなく道を究めるための小道具という役割が与えられたのだろう。上生菓子は食品であって食品ではない。こう考えると納得がいく。
 茶懐石だってあくまでお茶を正しく飲むために通過するべき節のようなものであり、最後には主役たるお茶が控えているのである。料理に満足しておなかいっぱいになったら、注意が散漫になり、お茶に集中できない。だから懐石料理ではひと皿の料理に分量が少ないのである。おなかも精神も満たしてはいけない料理なのである。そんな料理ほかにありますか?
 少量多品種のフランス料理をフレンチ懐石などといって提供している勘違いレストランを見かけるが、茶懐石のように最後に控える主役がない以上、あれは「うちの料理を食べてもおなかも心も満足できませんよ」と公言しているようなものではないか。気取ったフレンチ懐石を食べた後でラーメン屋に飛び込んだというような話をよく耳にするが、それはそれでは真っ当な態度というべきかもしれない。
 とこんなことをいうと新書2冊で何を偉そうにと怒られそうだけど、何故、発酵王国たる日本で発酵茶が生まれなかったのか?何故、不発酵茶一筋なのか?という素朴な疑問は、私の中では一応の解決をみたのである。
 中国の権力者には、山超え海超え美味しいお茶を追い求めようとする態度はあっても、お茶を茶道という道に高めようとした気配はいない。中国茶の作法のようなものは近年、生まれたものだと聞く。
 英国は自国ではお茶の栽培ができないし、お茶の歴史も浅いから、植民地で茶を栽培して極上の紅茶を追い求めたところでお茶の本場である中国を越えられないだろう。文化人たちはミステリアスな日本の茶道に対して劣等感を抱いていたようだが、紅茶道のようなものは生まれなかった。宗教観の違いかもしれない。
 多分、日本は島国で、近隣諸国に権力の強大さを見せつける必要があまりなかったから、茶道のようなわかりにくい文化が成立したのだろう。欧米諸国で茶道がもてはやされるのはわかりにくさ故ではないかと思う。私たち日本人にさえ茶道はミステリアスなのだから彼の地の人たちにとっては想像の及ばない世界なのだろう。
 内部抗争に明け暮れ、蛮族の侵略を絶えず警戒せざるをえない大陸諸国では、4畳半の茶室で主人の点てたお茶を回しのみするような文化は成立しようがない。
 壮大で頑強な石の建築物(茶室)、自然に抗い、力づくで屈服させたような装飾的かつ人工的な庭(茶室に導く簡素なアプローチ)豪華絢爛、目も眩むようなを衣装や宝飾物(黒一色の茶椀、凝ってはいるがそうとは分からない地味な着物)、何日も続く晩餐会(一汁三菜の懐石料理、豆と米からできた和菓子)壁一面を飾る巨大で重厚な絵画(炭一色で描かれた床の間の掛け軸)食卓に飾られた華麗なバラの花(侘び助一輪)
 侵略や攻撃から自分を守るには、まずは誰の目から見ても「これは凄い!」と分かるようなものを誇示することで、権力の強大さを見せつけておくことが必要だったのだろう。
 私が中国茶に惹かれたのは、初めてに台湾に行った時に、農家の庭先で中国茶を勧めてくれたおじさんの所作がすてきだったことによる。新営という田舎町の郊外で蓮根農家を営むおじさんは大の蝶好き、副業で民宿もやっていて、季節外れの冬にその民宿(春に開催される蓮根祭りに訪れる観光客用らしい)にたったひとりの客として一晩お世話になった。
 朝起きると、庭先では傷物のくず蓮根を粉末にする作業が行われていた。おじさんは作業を監督しながらお茶を淹れてくれたのだが、それは台北の小洒落た茶館で体験した通りの方法だった。「茶美味」とメモ用紙に書くとおじさんは「阿里山烏龍茶」と返した。標高の高い阿里山は台湾でも有名な烏龍茶の産地だったのである。
 お茶の香り、味もさることながら作業着姿の農家のおじさんが、何の気負いもなく作法通りにお茶を淹れてくれたことが嬉しかった。客人をもてなすという意図が大きかったのだろうが、彼自身にもたまにはこういうお茶の時間もあるのだろう。
 台北に戻り、知り合いにお茶問屋を紹介してもらった。そこは普段用のお茶から極上品のお茶まで幅広く扱う本格的なお茶問屋で、「初心者向け、そこそこの品質」という私のリクエストに応えて、日本語堪能なおじさんが、数種類のお茶を選んで少量ずつ袋詰めしてくれた。店はヘルメット姿のおじさんや普段着のおばさんたちが次々に訪れ繁盛していた。諸外国からの注文も多いらしい。
 台湾の蝶好きおじさん(正確にいうと畑の中に建てたハンドメイドのビニールハウスで蝶の食草を育てて幼虫を採取、羽化させるのが彼の趣味。お茶のあとで彼は彼の城であるビニールハウスに案内してくれた。そして私が持参した台湾蝶図鑑のページをめくりながら食草についてあれこれ教えてくれた。図鑑を仲立ちにして大いに盛り上がり、列車を何本も逃してしまった。)に出会わなければ多分、一生中国茶に興味をもつことはなかっただろう。
 旅はこれだからおもしろい。そろそろ中国茶も品薄になってきたのでまた買い出しに行こうかなーと香茶を飲みながら考えている。



食卓日記マーク
#26 (2013.8.7)
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目は怠惰なのか?
ゼフィルス
庭を囲んでいるカツラの生け垣に進出した
ゼフィルスが日向ぼっこ。
ゼフには非日常的蝶であって欲しい。
 今年もまたゼフィルスの季節がやってきた。毎年毎年ゼフ、ゼフと騒いでいるが、今年のゼフィルスはすごい。何がすごいかというとその数。
 林道の散歩道にはゼフ発生ポイントが5カ所くらいある。
 年によって発生する頭数は異なる。ほとんど見かけない年もあれば、去年のように本来いるはずもない菜園にまで進出したりすることもある。もっとも農場には彼らの食草であるミズナラはどこにでも生えているから、どこで見かけてもおかしくはないのだが、やはり菜園やブルーベリー園ではなく本来いるべき所、ちゃんと林道にいて欲しいと思う。
 この時期になると毎朝、林道に入ってポイント1〜5までを歩きゼフの発生を確認し、冷水峠に向かって約1kmの道をゆっくりと登っていく。晴れた朝だと各ポイントでは20〜30頭のゼフが群れ、2〜3頭が組になって空気を裂くような激しいダンスを踊ったり、イタドリの葉に止まってその金属光沢の羽を惜しげなく広げたりしながら♀を探している。ポイントとポイントの間でもゼフが飛んでいるから林道にはほとんどまんべんなくゼフがいるのである。ゼフに出会って以来、こんなに大発生したことはなかった。今や大発生中のキバネセセリと数を競っている。
エルタテハ
散歩の途中で出会ったエルタテハの写真を
撮っていたら手に止まった。
塩分を吸収しているのだろうか?
今年はエルタテハが多い。
 ここで疑問が湧く。私はこの林道を20年近く毎朝、散歩しているが、ゼフィルスを発 見したのはここ数年に過ぎない。ゼフは最近になって突如発生したのだろうか?それと もきらびやかなゼフの群れと彼らの非常に目立つ卍の舞いを見逃していたのだろうか?
 この林道には「美しいものほどはかない」という基本原則がある。ずっとそこにいて欲しいと思う花や木や昆虫や野鳥に限って年を追うごとに減り、ついには姿を消してしまう傾向にある。可憐なヤマシャクヤクなんて一度しか見かけなかったし、サイハイランもノビネチドリもネジバナもいつのまにか姿を消した。そういう愛しいものたちは減りこそすれ増えることはまずない。だから愛しいゼフィルスは昔の方が今よりもっともっと多勢いたに違いない。
 それなのに何故、ゼフィルスの存在に気づかなかったのだろう。
 それは林道の散歩をスタートさせて最初の10年間は蝶にまったく関心がなかったからだ。蝶なんて眼中になかったから、ゼフィルスを見過ごしてきたのだろう。目に映った像をゼフィルスとして認識するのは脳なのだが、関心がなければいくら目が捕らえていてもそれがゼフであると認識することはできない。
ヤマシャクヤク
白花をつけるヤマシャクヤクは盗掘により
姿を消したが、今年は赤い花が咲く
ベニバナヤマシャクヤクが登場。
開花するまでに何年かかったのだろうか?
 そもそも脳の命令を受けていない目にはゼフの姿を捕らえることができないのかもしれない。蝶に対する無関心が華麗なゼフを私の視界から消し去っていたのである。
 蝶に関心を持ち始めたとたん、私の目はゼフィルスを捕らえることができるようになった。視力とは何の関係もない。
 しかし、遅すぎたにしても蝶に関心が向いてよかった。ほんとうによかった。ゼフに限らず夏の林は蝶の宝庫、ゴージャスなミヤマカラスアゲハ、ヒョウ柄のヒョウモンチョウ、すごいスピードで飛ぶエルタテハやクジャクチョウ、今年は食草であるドロノキのそばにオオイチモンジさえ姿を見せた。春や秋に比べるといささか凡庸で退屈な夏の林を蝶は特別なものに変えて散歩の楽しみを倍加させてくれるのである。
 10年前は小さなゼフィルスも大きなミヤマカラスアゲハも蝶はすべて蝶だったように、今でも単子葉植物はすべてイネ科の植物として片づけているし、蛾はどれでもほとんど蛾だし、毛虫は毛虫、甲虫は甲虫、苔は苔、羊歯は羊歯、藪に潜むムシクイのような野鳥はすべてヤブドリだし、未知の領分が尽きることはない。怠惰な私の目は林に潜むたくさんの魅力的なものを見逃しているのだ。これはある意味では楽しみなことでもある。
 ゼフィルスに対して感じているのと同じような興奮と歓びを味わうチャンスが林道にはたくさん転がっているということだ。
 「ミクロの森」という本を読んでいる。テネシー州にある原生林の中の直径1メートルの土地に1年間通って、そこに住む生物を観察し続けた記録だが、非常におもしろい。著者は学者だから専門的な知識に裏付けられた観察日記はなるほどそうだったのか的な説得力に富む。その場所を曼陀羅と名付けた著者はまた詩人でもあるから学術書を読むような味気なさはない。学者か詩人がどちらかにしてよと思わせる箇所もあるけど、こういうタイプの本は日本では見当たらない。どんな小さなものでも、どんなつまらないものでも見逃さず観察と思索の対象としようとする彼の貪欲な姿勢をお手本にしたいと思う。
 毎朝歩く1kmの散歩道は何の変哲もない林道だけどそこには宝の山が潜んでいる。

オオバナノエンレイソウ
オオバナノエンレイソウ。
これも林道では絶滅危惧種。
以前には庭にも咲いていた大好きな花。
<相変わらず菜園>
 今年も出遅れてしまい、気がつけばもう6月も半ば。慌ててホームセンターに出かけたが購入意欲をそそるような元気な苗はほんとんど残っていなかった。徒長して萎れたようなトマトや丸ナスだの水ナスだの使い勝手のよくないナスの苗ばかり。その中から比較的ましな苗を選んで購入した。
 やっぱり遅すぎたんだなーと毎年のことながら後悔しきり。ところが翌日、別の用事でホームセンターを覗いたら、何と何と、瑞々しい苗がズラリと並んでいるではないか。よりどりみどりで昨日とは大違い、もちろんまた買ってしまった。考えてみると昨日は月曜日、つまり休日の後だから売れ残った苗ばかりだったのだろう。今日、火曜日に新しい苗をがどっと入荷したらしい。
教訓1/月曜日には苗を買うな

 今年の菜園の方針は本当に必要な野菜を必要な量だけ栽培しようというもの。バジルは全種類合わせても100株以下にとどめる。、胡瓜もトマトも食べられる分だけ、ズッキーニは・・・と各作物の株数の適正化をはかる。そして頻繁に購入するキャベツや白菜、玉蜀黍なども加えて、遅ればせながら自給体制を強化する。
 6月とはいえ外は寒いから、まず温室から手をつけることにする。トマトやナスやフルーツパプリカの苗を植える。適正量を心がけているから全体の1/3位しか埋まらない。反対側の端に高さ180センチ×幅270センチのネットを張ってゴーヤーを植える。島オクラや島唐辛子、ハンダマ、ジーマミ豆腐用の落花生も植える。この一画は琉球エリアとなった。向かいの華麗なイギリス系バラ群に対してこちらは力強い琉球野菜群、何ともシュールな光景。夢のコーンという話題になっているコーンの苗はナスの後方に、ネットカボチャ(もちろんインターネットのネットではなく網のネット。当たり前だけどそのネーミングの妙に惹かれて思わず購入してしまった。菜園では横に広がって場所をとるカボチャをネットに這わせることで縦方向に向かって成長させようという意図のもとに登場したカボチャなのだろう)はゴーヤーの隣に同居させる。コーンもカボチャも温室栽培なんて初めて。まあ何とかなるだろう。
オオイチモンジ
温室のホースの上でくつろぐオオイチモンジ。
朝顔につるべとられて状態で水やりができない。
オオイチにホースとられてナス怒る」
 温室では光は十分に当たるし、夜も温かだから水さえやっておけば苗はどんどん成長する。特に、玉蜀黍とかぼちゃの生育ぶりには目を見張るものがあり、最初の内は喜んでいたのだが、やがて玉蜀黍はナスの上に大きな影を作り、カボチャは家主であるゴーヤーを押しのけて成長し続け、とうとうドアの隙間からはい出して戸外にまで進出し始めた。こんなに急速に大きくなるとは思わなかった。まさしく予想外の展開だった。
 苗は小さい、苗はか弱い。それでつい油断してしまうのだ。まさかこれほどまで大きくなるなんて。逆もあってまさかこれしか成長しないなんて。予想はほとんどの場合、裏切られる。それは予想ではなく願望だからなのだろう。
 私が思い描いた夏の温室では玉蜀黍は適度な日陰を作ってナスを守り、カボチャもゴーヤーに遠慮しながら大人しく葉を広げるというような平和で調和のとれた光景だった。とんでもない、このまま放っておいたら玉蜀黍もネットカボチャもますます凶暴化してナスやゴーヤーだけではなく被害は温室全体に広がるかもしれない。限度をわきまえない彼らに対して怒りがムラムラと湧いてきて、思わず玉蜀黍とネットカボチャを掘り上げて菜園に移植してしまった。彼らには何の罪もないのに突如、楽園から追放されて地上へ追いやられてしまったのだ。自分の想像力の欠如を恥じ、彼らを哀れに思い、多めに水をやったりHB101を与えたりして世話をした。すると10株の玉蜀黍は1株もかけることなく見事に復活した。今ではたくさん実をつけている。ネットカボチャも息も絶え絶え絶体絶命の危機を乗り越えて、ネットではなく地面を縦横無尽に這い始め、のびのびと大きな花を咲かせている。

教訓2/大きくなってほしくない作物は、予想以上に大きく成長する。
八月初旬の菜園
八月初旬の菜園の様子。
ミントとコリアンダーに囲まれて
キャベツと白菜は元気に育っている。
 今年は久しぶりにキャベツと白菜が復活した。去年までは菜園の葉ものといえばサラダミックス、いろんなサラダ野菜が混ざっているので軟弱だがとても美しい。ギザギザの水菜や大きく切れ込みのはいったルッコラ、肉厚な黄緑色のコスレタス、赤いフリルのルルロッソなどが群れになって菜園を彩る。しかし大量のサラダ用野菜などとても消費できるはずもなく結局、食べ頃を逃してしまったり、花が咲いたりしてしまう。ほとんどオーナメントだから菜園の土地利用という観点からすると非常に勿体ない。そこで今年はサラダミックスに代わってキャベツを植えてみた。巨大なキャベツはもてあますから生育が早くて小玉の種類を選んで苗を作った。キャベツの大敵は何といっても青虫、蝶が生み付けたものだから何とか守ってやりたいと思うのは山々だけど放っておくと1匹の青虫は葉脈だけを残して葉はあますところなく食い尽くして成長する。しかも蝶といってもほとんどはオオモンシロチョウという外来種だからそれほど思い入れはない。だから毎朝の青虫退治は欠かせない。
 戸外の菜園に定植しても蝶はキャベツを狙うにちがいない。そこで今年はミントに囲まれたエリアにキャベツを定植した。ミントの強い香りは、蝶を追い払ってくれるかもしれない。それが功を奏したのだろうか、青虫の被害はほとんどなくキャベツの玉は日ごとに大きく、たくましく育っている。2玉目を収穫したところだ。瑞々しくて柔らかくてとても美味しいのでバリバリと青虫のごとく囓っているが、この味なら青虫も好むはずだ。白菜につくナガメというカメムシも隣に植えた強烈なカメムシ臭を放つコリアンダーのおかげかほとんど見かけない。コリアンダーの勝ち!

教訓3/ハーブは菜園の飾りではなく害虫を寄せ付けないという大切な働きもしてくれる。
 ちなみにブヨはミントオイルが苦手らしくて、顔を中心に全身にスプレーしておくとブヨが近づかない。涙も出るけど。しかし蚊にはミントオイルは効かないことが分かった。

教訓4/オクラの花を見たかったら昼間も菜園を見回らなくてはいけない。
オクラの花
オクラの花。あんまりきれいなので。
島オクラは15センチくらいに成長しても
種も実も柔らかくてとにかく美味しい。
 いつも早朝と夕方しか菜園には行かない。ふとオクラを見ると小指ほどの実が突きだしていた。先端には枯れた花弁と思しきものが付着している。変だな花なんて見てないのに、あんな大きくて派手は花を見落とすワケはない。そう思って調べたら、オクラは日中しか開花しないそうだ。疑問解決、ネット上ではオクラは夜から早朝にかけて開花するという誤情報も堂々と載っていた。夜に見回りに行かなくてよかった!

<自給的食生活の実態>
昨日の夕食
●丼サラダ
 キャベツ、オクラ、ハンダマ、小さいズッキーニ、青じそを塩もみ。10分ほどおいて水洗い。
 茹でてみじん切りにしたツルムラサキ、ルッコラ、コスレタス、トマト、コリアンダー、チャービル、小さい四葉キュウリを加えてカシス酢と出汁で和える。丼に入れてピクルス(カリフラワー、島らっきょう、花豆)とごまを散らす。丼が重たい。
●野菜チゲ
 大根、玉葱、キャベツ、エリンギを千切りにして水をひたひたに加えて煮る。野菜が柔らかくなったらコチジャンとテンジャンを加え、みじん切りのモロヘイヤとエノキタケ、ワカメを加えてフタをして蒸らす。韓国のごま油をたらりと垂らす。
●お馴染みのゴーヤーチャンプルー
 余市の福原豆腐店の豆腐は水分が少なめで島豆腐にやや似ているので重宝している。時々、隠し味にオイスターソースを加えている。(オイスターソースの大瓶をいただいてしまったから)これもまたおいしいけど、やはりシンプルな塩味の方が好きだ。ゴーヤーは苦みが物足りないので厚切りにすることにした。昔は薄切りにして熱湯をかけたり塩もみして苦みを抜いていたのに。この分だと近いうちにゴーヤーのワタも一緒に食べることになるだろう。
さくらんぼマフィン
今年の新作「さくらんぼマフィン」。
1個に100g近くのさくらんぼを使用。
暑いなかさくらんぼの種とりに追われた日々。
ジャム工房のみなさまご苦労さまでした。
●焼きナスの煮浸し(常備菜)
 おととい菜園で収穫した10個のナスをオーブンで焼いて焼きナスにした。消費が追いつかない。かなり飽きたけどナスは情け容赦なく実をつける。
●デザート
 サマープディング、昨日の夕方収穫したベリー5種類(ブルーベリー、カシス、ハスカップ、ラズベリー、赤房すぐり)で昨晩作ったプディング。ほどよく固まっている。1年に一度きりのの今しかないデザート。
 石垣島直送のパイナップルと田中農園でもらったさくらんぼ。熱いハーブティーも。レモンバームとミント、オレガノのミックス。ハーブティーは生葉に限る。

 今、菜園にはリニューアルの波が押し寄せている。大計画なのでそのうち発表します。
 何を勿体ぶってんのと思うかもしれないけどほんとに大計画なんだから。



食卓日記マーク
#25 (2013.4.23)
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4月なのに春は遠い
エルタテハ
ガレージで冬を越したエルタテハ。
光を求めて窓にしがみつく(北海道)
 北海道は寒い。4月も後半に入ったというのにとうてい園芸の気分にはなれない。
 雪の山を照らす日差しや林の木々や路傍の雑草にほんのわずかでも春の兆しが感じられれば、周辺が春に向かって動き出しているという気配を感じることができれば、「さあ始めよう」という気分になれる。しかし今年はそういう気配がまるで感じられない。
 いつも出遅れてしまうので今年こそはとホームセンターに出かけたけど野菜苗も花苗も何もなかった。無理もない。苗は屋外の仮設店舗みたいなところで販売されるから、この寒さでは衰弱して商品価値がなくなってしまうだろう。
 以前は4月の初めの日曜日が園芸新年と決まっていた。この日に温室(当時はビニールハウスだけど)で野菜やハーブの種まきをした。外にはまだ雪がたっぷり残っている。でも温室の中はポカポカ、背中に当たる日差しが心地よい。
 長い冬を乗り越えたという実感がひしひしと湧いてくる。園芸新年は北国でしか味わえない至福のときだった。
 夕方、昼間の余韻が残る温室にズラリと並んだ育苗トレーやポットは本当の春がやって来たことを力強く告げていた。大雪が降ろうと気温が零度を下回ろうと誰が何と言おうともう春なのだ。
 それなのに・・・・。先日、温室で雪見BBQ大会はやったけど。
 種には発芽するのに適当な温度というものがあるから種まきが早かろうが遅かろうが、最終的には帳尻が合うことになってはいる。というのは経験上分かっているのだが、少しでも早くスタートしたいという思いは初心者の頃と少しも変わらない。経験から学ぶなんて嘘だ。
入野さん
蝶館かびらの入野さん。
石垣島で蝶の資料館を経営するかたわら
ガイドもしてくれる。
 気候がおかしい、と思う。しかしおかしくなかった年なんてこれまでなかったようにも思う。今年は順調だねとか、天が味方してくれたよ、というような前向きな会話はついぞ耳にしたことがなかったような気がする。
 農家にとっては基本的に天候は敵なんだと思う。自然に抗いつつ生産する。それが農業なのだろう。
 北海道に戻る前にしばらく石垣島に行って来た。2週間くらいいたけど、晴れた日は1日もなし、光を浴びたのは1時間もなかっただろう。島の人もこんなことは珍しいと我がことのように気の毒がってくれた。これでは蝶なんて姿を現すはずもない。
 蝶は光と気温に敏感だ。石垣では気温が21度以上にならないと乱舞というわけにはいかないらしい。そして光。蝶はほんのわずかな光にも敏感に反応する。
 林道を行く。リュウキュウアサギマダラやスジグロカバマダラ、シロオビアゲハ、カラスアゲハなど普通種の蝶ばかりだが、光の中を気持ちよさそうに飛んでいる。光が翳る。彼女たちは木立の中にスッと消える。静かになった林道を歩く。
 枝の隙間からわずかに光が差し込む。どこからともなく、再び蝶が姿をあらわす。蝶の出現は林道の空気を変える。
 網を振って、珍しい蝶をたくさん捕まえて、標本にする。そういう楽しみ方もあるしそれが一般的だと思う。でも光を求めて蝶と一緒に散歩する楽しみ方というのもある。
 光とともにあらわれる蝶には林道を特別なものに変える力がある。季節を限って咲く花や野鳥や小動物にもそういう力があるけれど今の私には蝶がいい。蝶は光さえあれば気前よく姿を見せるから、目をこらして探す必要がない。見られる種類なんて限られているから図鑑を調べる必要もない。
 曇り時々雨の天気でも林道を歩いてみる。乱舞など望むべくもないがそれでも雲がきれて、つかのま薄日が差すと普通種の蝶たちが律儀にパラパラと姿を現す。
月桃の花
林道では月桃の花が満開だった。
芳香のある葉っぱはお茶にしたり
餅(ムーチー)を包む。
 珍しい蝶としてはボロボロのコノハを1頭、アオスジアゲハに混じって飛んでいたミカドアゲハ数頭、ウラギンシジミ、テングチョウ、タイワンキミスジ、ツマベニチョウ、オオゴマダラなどを見かけた。
 今年は、冬の石垣島は気温が高めだったからコノハチョウやミカドアゲハの発生がいつもより早く、2月中にはほとんど終わってしまったらしい。頭数は多かったらしい。
 そういう気候的な問題もあるが、数年前に初めて訪れた時よりも確実に蝶が減っている。こんなに走り回り、あちこちを歩いてコノハチョウ1頭なんて。
 いつもお世話になっている蝶館カビラの入野さんも蝶が激減していると嘆いていた。
 石垣新空港の開港やリゾート開発が進む一方で、林道の整備に回す予算が削減されたのか、林道は荒れてしまい蝶の食草が減っていると言う。
 確かに以前は林道に沿ってセンダングサやハイビスカスがたくさん咲いていたのに、今はススキのような繁殖力の強い雑草がはびこっている。蝶が生育できる環境は確実に狭まっている。リゾート開発や公園の整備より、野生生物が棲息できるような自然環境を保護した方が観光事業にとってもずっと将来性はあると思うのだが。
 石垣新空港開港で観光客がふえたのかいつものリゾートホテルが満員だったので今回はキッチンつきの宿に滞在することにした。
 海を見下ろすホテルも快適ではあるが、市場やスーパーで魅力的な食材をみつけてもホテルではどうすることもできない。それでもついついできたての島豆腐や熱帯魚のような見慣れない魚を買ってもてあましてしまう。これを購入したらどうなるか、想像力を働かせるなんて所詮は無理な話。彼らの強力な吸引力にはとうてい抗えない。
 これはブランド物の服や鞄を大量に購入する人たちと同じ心理であることに最近気づいた。私の場合、現場がブランドショップではなく市場、道路際の野菜直売所、魚屋、パン屋であるというところが違うだけだ。
 ヒラメ1尾は多いなーと思い、保存法を聞いたばかりなのに(昆布じめにしてそのまま冷凍するのがいい)目の前にあったソイにもつい手を伸ばして、お店の人から今日はソイはやめてヒラメだけにしといた方がいいと諫められたりする。気に入った服を買ったばかりなのに同じような服をもう1着買ってしまう人もきっと同じ心境なのだろう。苦い経験から学ぶなんてことはない。
 でも今回はキッチンつきだから何を購入しても大丈夫。
 石垣島にはJA直轄の直売所がある。町の中心にある立派な市場は「ゆらてぃく市場」という「ゆらてぃく」とは「よってこい」。という意味らしい。言われなくたって寄りますよ。だって野菜や果物の大規模直売所なんですから。
 あるある、トマトやレタスなどお馴染みの野菜はもちろん、ハンダマ、雲南百薬、フーチバ、長命草、オオタニワタリ、アロエベラ、野菜パパイヤなどの沖縄野菜、ウイキョウ、バジル、香菜など各種ハーブ、種類は少ないがパインやパパイヤ、グァバなどのトロピカルフルーツ、となんでも揃っている。
 組合員が製造した味噌や薫製食品、パンやハーブティーなどの加工品もあるし、農協なのに魚だって売っている。
 しかもどれだけ買っても誰も諫めたりはしない。
 ユラティク市場の向かいに住んでいる友人の田代さんの弟さんは漁師で奥さんが旦那が釣ってきた魚を販売している。
 田代さんに「魚も欲しい」と言うとその刺身店に電話をしてくれた。今日は旦那がまだ漁から戻らないから魚はないという返事、そういう連係プレーの小売り業が健在なのは嬉しい。
 町にはそこここに刺身店がある。刺身店といっても普通の魚屋で刺身だけでなく近海物の魚を売っている。町はずれにあったコンビニ、COCOストアに入ると金城刺身店の人が棚に刺身を並べていたのでつい買ってしまった。二人分はゆうにあるカジキと肉厚のイカのコンビで350円だった。コンビニで刺身や天ぷら(衣に味がついている白身魚や野菜の揚げ物。スナック感覚で食べることも多いが、もちろんおかずにもなるしすごく安い)が販売されているところがうれしい。石垣には近く大手コンビニも進出するらしい。この伝統は守ってほしいものだ。
 途中で寄ったイオン系のスーパーでまだ温かい島豆腐とゆし豆腐、調味料などを購入して海岸沿いの道を走って宿に戻る。頭は今夜の献立のことでいっぱい、観光気分なんてまるでなし。
その日の献立が決まった。
●ゴーヤーチャンプルー
●ハンダマ、長命草、雲南百薬、ゆし豆腐のサラダ、シークワーサードレッシング
●金城刺身店のお刺身とアロエベラのお刺身
●白身魚のマース煮
●アーサーたっぷりの野菜スープ
●デザートにボゴールパイン
 わぁ面倒くさいと思うかもしれないが、ほとんど野菜を刻むだけだから大変ではない。

<ゴーヤーチャンプルー>
 豆腐、ゴーヤー、缶詰のポークか豚肉を油で炒めて少量のだし汁を加えてサッと蒸らしてから卵でとじるというのが一般的。北海道では去年ゴーヤーが豊作だったのでよくチャンプルーを作った。美味しいけど要するにゴーヤーと豆腐を使った普通の野菜炒め。市場ではゴーヤーは3本100円だし、まだ温かい島豆腐も手に入ったので石垣のキッチンで早速挑戦してみた。
 ポークも卵もなし、味付けは塩のみなのに北海道のチャンプルーよりずっと美味しい!重しをして水分を抜いた普通の木綿豆腐と島豆腐では決定的に味がちがう。味の濃さはもちろんだが、豆腐としての存在感がまるで違う。
 チャンプルーにはゴーヤーの他にも玉菜(キャベツ)マーミナ(もやし)なども使うけどどんな野菜を使おうとも島豆腐がなければチャンプルーにはならない。パパイヤや人参、お麩やソーメンなどのチャンプルーには豆腐は使わないのでチャンプルーと区別してイリチと呼ぶ厳格な人もいるそうだ。
 逆に島豆腐さえあればどんな野菜を使っても美味しいチャンプルーができる。チャンプルーの主役は野菜でもポークでもなく島豆腐なのである。
 生の大豆から豆乳を搾る島豆腐と大豆を煮てから豆乳を搾る木綿豆腐では基本的に作りかたが違うのだが、何より島豆腐はご近所のお豆腐屋さんで作られているから水にさらしたりパック詰めにすることなくできたてを購入できる。この辺が大きな違いではないかと思う。まだ温かな豆腐がかんたんに手にはいるのが嬉しい。

<島野菜とゆし豆腐のサラダ>
 豆腐の水分を抜くことなくにがりで固めた豆腐をそのままビニール袋に詰めたのがゆし豆腐。おぼろ豆腐のようなものだ。口当たりは滑らかで柔らかいが豆腐の味はしっかりしているのでこれも文句なく美味しい。でも煮てよし炒めてよし揚げてよしの万能選手「島豆腐」ほどの力はない。ゆし豆腐は薬味も醤油もなしでそのまま食べるのが美味しいと思う。
 ハンダマ、長命草などは刻んで軽く塩もみした後、水気を搾ってサラダにした。ドレッシングはシークワーサーとだし汁と塩。去年はみかけなかった雲南百薬という野菜が、今年は流行っているらしくて市場でもスーパーでも売っていた。ツルムラサキと同じ仲間なので粘り気がある。揉むと全体に粘りが行き渡って滋養豊かなサラダができた。

<お刺身>
 「老人と海」の一方の主人公でもあるカジキはマグロの仲間かと思っていたら鯖に近いのだそうだ。お刺身でも食べるけど火を通した方が美味しいと思う。ハーブグリルとか、ソテーにバジルのペストソースを添えるとか。身の厚いセイイカもやはり火を入れた方が美味しいかもしれない。
 近海でとれるマグロ(日本で生のまぐろは珍しい)やスーパーでもよく見かけるグルクン、タマン(フエフキダイ)ミーバイ(ハタ)イラブチャー(ブダイ)のような白身魚の方がお刺身には向いているのだろう。魚も野菜のように直売所があればいいのにと思う。
 アロエベラは沖縄の食堂ではお刺身メニューとして登録されている。サボテンもどきの肉厚なアロエベラが50円だったのでつい買ってしまった。50センチは超えている。レジの人にどうやって食べるのか聞いたら、皮をむけばいいと不思議そうな顔をされたのでそれ以上聞けなかった。
 緑の外皮に包丁を入れて葉の形に沿って動かすとゼリー状の透明な身があらわれた。薄皮や種などは一切なく緑の表皮一枚下はあの透明な身だったのだ。ちょっとびっくり。皮はスルスルはがれる。透明な身を味見をしたら苦みがあったので水に晒した。しばらくおくと苦みも消えて無味無臭のツルンとしたアロエになった。そぎ切りにして盛りつける。シークワーサーと八重山味噌で作った即席酢みそをつけるとのどごしがいいからいくらでも食べられる。結局20センチ分くらい食べてしまった。
 翌日田代さんにアロエの話をするとアロエは胃の膜を溶かすから1日10センチ以上食べてはいけないと教えられた。聞いてよかった。危ない危ない、毎日食べ続けたら胃の粘膜がきれいにはがれるところだった。

<ミーバイのマース煮>
海水から作った塩
名蔵湾の海水から作った塩。100ccでこれだけ。
 マースというのは塩のこと。真潮と書く。フリーペーパーを眺めていたら塩作り体験という広告が載っていたので出かけてみた。どうせ雨だし。
 体験といっても向かいの名蔵湾で汲んだ海水を漉して炭火で煮詰めるだけのシンプルなもの。コツとか秘訣があるのかなと期待したけど何もなく、塩水をみたした石焼きビビンパ用の鍋をひたすら見つめるだけ。炭火がいいのかと問うとガスでも構わないというし、鍋も石鍋がいいのかと問えば鉄やアルミ以外なら台所の鍋で十分という答え。
 海水は約3%の塩水だから1カップの海水を煮詰めると計算上では3グラムの塩がとれる。塩の消費量はひとり年間2〜3kg、バケツ40杯くらいの海水を海岸でたき火をしながら煮詰ると1年分のマースができる。ウーン。40杯か。何時間かかるのだろう。
 食堂では魚のマース煮というメニューが必ずある。釣った魚を漁師が海水で煮て食べたのが始まりだろう。魚の塩茹でに近い。スーパーで売っていた天然ミーバイという派手な白身魚をひたひたの塩水で煮てみた。醤油、酒、みりんなど一切なし。どうなんだろうと疑っていたが、ハタ科に属するミーバイはクセがないのに旨みがあって塩煮でも十分に美味しかった。醤油やみりんを加えたら魚自体の旨みが消えてしまうから却って超シンプルなマース煮の方がいいのかもしれない。

<アーサー入りスープ>
福寿草
もうじき5月だというのに福寿草はまだつぼみ。
いつもなら春の妖精たちが林道を
飾っているのに。(北海道)
 野菜を大量に消費するにはスープが一番。石垣産の玉葱や島人参、サラダにも使ったハンダマや雲南百薬草を刻んで少なめの水で煮る。野菜の旨みが煮汁に溶け出すから塩か少量の味噌を加えるだけで美味しいスープができる。
 これにアーサという青のり状の海草を投入したら一層おいしくなった。島豆腐も加えた。島ではアーサ汁といえば鰹だしを効かせてアーサと豆腐を具にしたものが一般的。アーサはヒトエグサという海草、2〜3月が旬でどこの海にも普通にあるらしい。この時期に拾いにいけばいいのだな。冷凍するか乾燥させて保存するのだろう。天ぷらにしても美味しい。
 マースと島豆腐は沖縄では最も重要な調味料と食材である。沖縄では醤油より味噌、醤油より塩で味付けることが多い。醤油は仕上げにタラリ、かつては醤油が高価な調味料だったころの名残りかもしれない。
 何しろ塩は海水を煮詰めるだけでできるが、家庭で醤油を作るとなると手がかかる。韓国のカンジャンのようにたまり系の醤油なら味噌(テンジャン)の副産物として手軽にできるが、普通の濃い口醤油を作るとなると麹菌を植え付けた小麦を蒸した大豆と混ぜて発酵させて、塩と水を加えて1日一度はかき混ぜて・・・・。一度で止めてしまった。やけに塩辛かったし。
 醤油造りはいちはやく家庭を離れて工業製品として流通したにちがいない。煮詰めるだけの塩や家庭でも手軽にできる味噌に比べて購入しなくてはならない醤油は高級品である。
 旨みはだしで塩味は塩でそれが沖縄料理の基本だろう。醤油でこってりと煮込むラフテーのような煮込み料理は中国伝来の例外だろう。
 大豆から醤油作るより、豆腐を作った方が栄養的にみてもずっといい。何といっても大豆とにがりがあれば豆腐は家庭でもできる。ゆし豆腐でできたてを食べてもいいし、島豆腐として料理に使ってもいい。大豆の絞りかすはおからとして利用できるから捨てるところはない。醤油より豆腐、実に合理的な選択ではないか?
 島豆腐にたっぷりの野菜を加え、塩で味付けしたチャンプルーはそういう意味でも沖縄を代表する料理なのだろう。



食卓日記マーク
#24 (2013.1.5)
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韓国の食
 2011年の夏に初めて韓国に行った。きっかけを作ってくれたのはアリスファームに取材に来たパクさんだった「韓国はキムチ。と焼き肉だからあんまり興味がない」と言うと(本当に興味がなかったのだ)パクさんはそんなことはないからぜひ一度韓国にいらっしゃいと誘ってくれたのだ。
 あまり気乗りはしなかったがともかく行ってみた。7月のソウル、パクさんは歓待してくれた。
 パクさんはフードライターで料理本を何冊も出版している。今はソウルから1時間ほど離れた田園で暮らしている。八ヶ岳とかそんな感じ。この地域にはライター、アーティスト、工芸家など、自由業界の人たちがソウル市内から移住してきているらしい。
 建築家のご主人が設計したパクさんの家はまるで建築雑誌から抜け出したようなモダンな家。裏には菜園が広がっている。ハーブやイタリア野菜、唐辛子などを美しく栽培している。
カンジャンケジャンの定食
カンジャンケジャンの定食
 ほとんど菜食、韓流にイタリアン、和食、中華などをミックスした健康志向の食生活。キムチも漬けるしピクルスも作る。コチジャンやテンジャンも作るけどバジルペストも作る。極上のごま油とトスカーナで購入したオリーブ油が並んでいる。日本の調理学校に通っていたから和食にも精通していて今回のお土産リクエストは削り節だった。
 そんな彼女だから案内してくれるレストランは一般的な韓国の飲食店のイメージとかけ離れたところばかりだった。モダン韓国料理というジャンルなのか、韓国料理を和食やイタリアンと融合させた創作料理店。一般的な焼き肉、流行のサムギョプサル、ブルコギ、冷麺などは一切なし。
 考えてみれば食に関心のある韓国の人が日本に来たら、天ぷら、寿司、ウナギの店なんかには案内しないだろう。韓国風味の和食とか最先端の創作料理とかちょっと捻った飲食店に案内するだろう。
 初めての韓国はスタンダードを飛び越えていきなり先端を行く韓国料理を味わうこととなった。
 一番印象的だったのは韓国の肉食文化の奥深さだった。肉をよく食べるとかというレベルではなく牧畜民、遊牧民のような本格的な肉食民の肉の食べ方が深く根づいているような気がした。
 日本でも機会があれば韓国料理を食べるようになった。友人が紹介してくれた歌舞伎町の韓国宮廷料理の店に通って、韓国では食べ逃した参鶏湯、冷麺、牛骨スープ、スンドゥブチゲ、ビビンバなどポピュラーな韓国料理を一応食べてみた。大阪に行く機会があったからディープコリアンタウンの鶴橋にも足を伸ばした。
 ここで話に聞いていたカンジャンケジャンと出会った。味噌たっぷりの生のかに(ワタリガニ)を一尾丸ごとカンジャン(韓国の醤油)に漬けてしまうのである。刺身、茹でる、焼く、蒸すという馴染みの法理法とは違うかにの醤油漬け。唐辛子とにんにくの効いたヤンニョムに漬けたキムチに近いヤンニョムケジャンもあった。身を食べた後は甲羅にご飯を入れて味噌とぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。食べ残しは鍋に入れてると美味しいらしい。初めて口にしたケジャンは新鮮な味だった。カニといえばみんな黙々と集中して食べるものと相場は決まっている。しかし同じカニでもカンジャンケジャンとなるとおかずや酒の肴だから賑やかなままでいられる。生のカニを丸ごと醤油漬けにするなんて本当にユニークだなー。
醤油味のトッポギとジョン
醤油味のトッポギとジョン(天ぷらのようなもの)
韓国に来た!
 冬はちょうどかにの季節だからケジャンも店頭に並ぶだろう。去年逃したキムチを漬けるキムジャンにも参加してみたかったので韓国に行った。
 久々に再会したパクさんは相変わらずパワフルだった。荷物を置くとすぐに近くにある通仁市場に連れて行ってくれた。今回の宿泊先は景福宮という史跡のそばにある韓式ゲストハウス、オンドルと庶民の韓国料理という私のリクエストに答えてパクさんが選んでくれた宿。近所には大統領官邸があり、選挙が近いこともあって厳戒態勢が敷かれていた。辺りは警官と軍人だらけで道を聞くには便利だったけど頻繁に呼び止められるので、非常に気分が悪かった。
 通仁市場は地元民のための小さな市場だが、乾物類、キムチなどのおかず類、餅菓子、青果、魚、肉など必要な食料は一式揃っている。食堂もある。しかしスーパーなどの進出で客足が遠のきつつあることに危惧を抱いた市場の人たちが若者を市場へ呼ぼうという計画を立ててクーポン食堂を開設した。この辺りの事情は日本と同じ。食堂で400円位支払うとコイン10枚と仕切のあるプラスチック容器を渡してくれる。
好みのおかず
少し前にはおかずでいっぱいだったのに。
5000ウォン。
 この計画に賛同している店に行って好みのおかずを容器にいれてもらってコインを渡す。いろんな種類のキムチ、牛肉や卵の煮物、、各種ナムル、揚げもの、チヂミなどのおかず類が美味しそうに並んだ店をはしごして、コインがなくなると山盛りのおかずを持って食堂に帰る。ご飯とチゲを買い、テーブルについて食事が始まる。
 この食事システムは面白かった。自分の目で確かめたおかずが少量ずつ選べるし、何店舗も回るわけだからホテルのバイキングと違って客の選択権が広い。焼き立てのジョンなどの温かい料理もある。パクさんはこの店のキムチはなかなかいいとかここのチャプチェはダメとか厳しい目でチェックしている。一種の競合システム。お店としては美味しかったら買って帰ってねという狙いもあるのだろう。
 食堂は若者たちでにぎわっていた。フレンチが似合いそうなお洒落カップルも金髪に染めたお兄さんたちも近くにアート系の大学があるせいかパンク風グループも旺盛な食欲で賑やかに楽しんでいた。
干物
イシモチの干物は高級品。
ジャコ類も豊富
 パクさんと私は二人で一人分、すでにおやつにトッポギやジョンをつまんでいたのでちょうどいい量だった。
 翌日はキムジャン本番。キムジャンで漬けたキムチは1週間してから食べ始めるというから、味わうことはできなかった。ヤンニョムがはみ出したり、全体を外葉でくるんで形を整えたはずなのにだらしない姿になってしまったりと初心者が作るとこうなるという見本のようなキムチが全体の20%位できてしまった。でも丸ごと食卓に乗せるワケじゃないから非難されることはないだろう。
 作業終了後の宴ではいろいろな種類のキムチが食卓に並んだ。ぷっくりとした大粒の牡蠣が入ったキムチ、どちらかというとキムチにまみれた牡蠣と言った方がいいかもしれない。チョンガキムチ、日本で独身男性を指すチョンガというのは韓国語だったのか。
 チョンガキムチは韓国大根を切らずに1本のまま漬ける。パクさんはチョンガには不精者というイメージがあるから手抜きキムチという意味を込めてそう呼ぶのではないかと言っていた。シンプルでストレートに大根の味がして美味しい。
 お馴染みのカクトゥギ、酸味のある汁に浮かんだ水キムチ(トンチミ)、青菜のキムチ、タコやイカを使ったキムチとまさしくキムチのオンパレード、大いに食べ、おしゃべりしてとても楽しかった。
 しかしその日を境にして私はキムチ拒否症に陥ってしまったのである。日本ではキムチは滅多に食べないのに、1時間で10年分くらいのキムチを摂取したものだから体が驚いてギブアップしてしまったのだろう。何だこれは、いい加減になさい(怒)
 目の前に美味しそうなキムチがあってもまるで食欲が湧かない。キムチだけならまだしも刺激の強そうな料理には全く食欲が湧いてこない。というか食べることに興味をなくしてしまった。こんなことは初めて、これは大変。こまった、こまった。
救いの朝食1
救いの朝食1 五味五色五法の見本。
無駄なものはなく、過剰なものはない。
「美は有用性にやどる」というシェーカー教徒の
言葉が浮かんでくる。
 旅先ではいつも現地食、和食なんてとんでもない、市場の食堂やそこら辺の屋台で食べるのが面白い。今回はパクさんが台湾に行ってしまったので、一人で足のおもむくままに日本でちょこちょこ食べ歩いた韓国料理を本場で楽しみたかたのに。あーあ困ったなー。韓国、特にソウルでは食物にしか関心ないし。困ったなー。
 そんな窮状を救ってくれたのがゲストハウスの朝食だった。キムチ拒否症を発症した翌日の食卓にはまるで私の体調に配慮したかのような料理が並んだ。
 大きな餃子のようなマントウの入った薄味のスープ、マンドウクッ、スケソウだらとズッキーニのジョン、酢漬けの大根と胡瓜、白菜キムチ、海苔とご飯。翌朝はおぼろ豆腐のスープ(豆腐というより大豆のみじん切りのような食感)クラゲとエビと胡瓜の和え物、薄味の蓮根ナムル、韓国海苔とご飯。他の宿泊客も同じメニューだったから特別食ではない。刺激的な夕食とやさしい朝食、韓国ではこういう風にメリハリをつけるのだろうか。
 料理もさることながらそのお膳の美しさには本当に目を見張るものがあった。ゲストハウスでは料理自慢のおかみさんが早起きして朝食を調える。マンドウも湯葉で干し大根の煮物を巻いた手の込んだ焼き物もできたてが用意される。温かい料理とナムルのような冷たい料理を組み合わたものがお膳に並ぶわけだが、まるでテーブルコーディネーターがセットしたような具合に並んでいる。それも美しく見せようという作為など少しもなく、ごくごく自然にいつもの朝食として。これほどスッキリとして美しい朝食には初めて出会った。
 韓国では道教の陰陽五行の思想にのっとり五味、五色、五法の料理をバランスよくテーブルにのせることが重要視される。五味は甘辛酸苦塩、五色は赤緑黄白黒、五法は焼煮蒸炒生。ゲストハウスの朝食はまさしく五つの味、五つの色、五の調理法がきちんと守られていた。
韓国伝統茶
韓国伝統茶。色んな薬草(多分五種類)を
煮出したとろんとした濃厚なお茶。効きそう。
 見て美しく、食べてやさしい朝食は刺激物拒否の胃にもどうにかこうにか納った。
 しかしいくら何でも朝食だけでは物足りないから町に出て胃にやさしそうな料理を探した。温かくてあっさりとしたスープ、柔らかいお粥や麺類、野菜中心の具材、しかも和食ではなく韓国料理となるとかなりの難題。やはり焼き肉やこってりとしたチゲをメニューに並べた食堂が圧倒的に多い。何だか寂しいなー。何だか侘びしいなー。せっかく韓国に来たのになー。しかも曇天、風がびゅーびゅー吹く寒いソウルで。キムジャンを主目的と来たのだが、本場の味も同じくらい楽しみにしてきたのになー。

●キムチ拒否症初日
 観光名所仁寺洞の裏通りを歩いているとプゴクという日本語の看板が目に入った。プゴクといえば一時期日本でも話題になったコラーゲンたっぷりの干し鱈のスープ。これなら大丈夫だろうと恐る恐る店に入る。お昼をだいぶ過ぎているのに家族連れの地元のお客さんでにぎわっていた。牛骨と干し鱈のスープに大根や豆腐、溶き卵が浮かんでいる。塩味の澄んだスープ。韓国では二日酔いの朝に飲むスープと言われている。
救いの朝食2
救いの朝食2 大豆を粗く挽いた呉汁のようなスープ。朝から大変。
 定食で400円くらい。おまけのパンジャンが豊富で各種キムチやナムルに混ざって楽しみしていたカンジャンケジャンがあった。誘惑に負けてカンジャンケジャンも少しだけ食べてみたが、そういう気分なので少しも美味しくなかった。ふんわりとしたやさしい風味のプゴクは予想通りしょんぼりした胃をやさしくいたわってくれた。元気だったらカンジャンケジャンも美味しく食べられたのに。

スジェビ(スイトン)
スジェビ専門店のスジェビ(スイトン)。
店内の熱気に圧倒される。
●拒否症2日目
 まだ元気だったころパクさんに教えてもらった近所の食堂でスジェビを食べた。スジェビはスイトン。この食堂はスジェビ一筋で財をなし、店は拡張に次ぐ拡張、今や行列が絶えないスジェビの名店として広く知れ渡っているらしい。お昼時をはずしていったのに繁盛店だけあって店内は満員。注文すると人数分のスビジェが入った大きな鉢が運ばれて来る(一人の私にも)客は湯気の上が。った鉢から各自の丼にスジェビをよそう。そしてテーブルの上の壺からキムチを取り出し、ハサミで切って好みの量を丼に入れて好みの味に仕立てる。盛大にすすり上げる。スジェビ専門店だから当然にも客は全員、スジェビをすすっている。かなり壮観な光景に圧倒される。
 すいとんと言ってもこの店のは、きしめんのような幅広麺。スープはアサリ、昆布、炒り粉などでとった魚介のスープと牛骨スープを合わせたものだろう。味付けは塩味。メインの具はアサリ、大根やネギが入っていた。
 普段だったら物足りないと思うに違いないが、こんなコンディション下では嬉しいやさしさだった。
 少し回復の兆しは見えたがまだまだ油断はできない。朝食の美しいキムチにさえまだ箸が伸びない。ゲストハウスの主人が気をつかって胃薬や自家製梅シロップをくれたり、夕食には特別にお粥を煮てくれたりした。
 キムジャンでキムチを食べたあとに冷麺を食べたのがいけなかったのだと主人は確信をもって指摘した。辛いものや脂っこいものを食べた後は暖かいものを食べないと。なるほど、ごもっとも本当に軽率でした。

救いの朝食3
救いの朝食3 メインは干し大根の煮物を湯葉で
巻いて焼いた焼き物。
完全な菜食、究極のダイエット食。
●拒否症3日目
 北海道に戻る日も近づいたのでお気に入りの中部市場で買い物をした。ここはこじんまりとした市場だが、地元の買い物客が多く、乾燥豆、雑穀類、ジャコ、イシモチの干物など魚介の乾物、珍しいキムチなど魅力的な日常食が並んでいる。干鱈、松の実、アミの塩辛、唐辛子、コチジャン、チャンジャなどを購入、重い重い。
 買い物がひと段落したので今日こそは参鶏湯かスンドブチゲでも食べようと市場周辺を探索してみた。すると市場のすぐわきの小さな食堂の壁にあさりのカルグクスの写真が張り出してあった。それに惹かれてつい入店、メニューに豊富そうなのに労働者風のお客さんたちは全員カルグクスを食べていた。
 もちろん私も彼らにならってアサリのカルグクスを注文。丼から溢れんばかりのスープと大量のアサリ、やや柔らかめの手打ちうどん。大美味、大満足。カウンターに陣取った隣のおじさんはこれでもかというほど大量のキムチとご飯をスープに投入して凄い勢いでうどんをすすっていた。食堂のおばさんはキムチを食べない私に気を遣ってか大量のたくあんを皿に盛って出してくれた。おばさんありがとう。
アサリのカルグクス
どこで食べてもハズレなし。アサリのカルグクス。
韓国料理はとにかくスープがすごい
 ソウル最後の夜はあさりのカルグクスで終わった。
 町中の普通の食堂で食事をして「韓国料理はおじさんの料理」なのだということに思い当たった。中年のおじさんたちが大挙して繰り出して酒を飲みながら大声で怒鳴り合いながら食べるのにもっともふさわしいのが韓国料理なのだろう。本音の料理であり、他国の料理とは融合しにくい孤高の料理。テンジャンチゲと野菜炒めは絶対に同居しない。
 アジアの国に出かけると、そこの料理が中国料理の影響をどれほど受けているかを物差しにしてその国の料理のオリジナル度を測ってみることがある。ささやかな経験だが、ベトナムやマレーシア、インドネシアは中国色が濃い。郷土色を残しつつも麺類もおかずも中華料理とすんなり融合している。中国の地方料理といってもいいと思う。そこへいくとタイはハーブとスパイスを武器に中国に立ち向かっている。もちろん融合している料理も多々あるがギリギリで侵入を防いでいるといった感じ。
 インドはほとんど影響を受けていない。地理的、歴史的関係もあるけどインドではインド料理はあくまでインド料理、中国料理は中国料理、両者が融合するなんてまずあり得ない。もちろん中国の侵略度が低い料理、オリジナル度の高い料理の方が興味深い。
 意外だったのが韓国。歴史的、地理的にみても中国や日本と近く、絶えずいろんな民族に侵略されてきたにも拘わらず、独自の食文化を守り抜いているように見える。(融合の果てに到達したのかもしれないが)これだけは譲れないとばかりに国民が一致団結して唐辛子や大蒜を過剰に摂取しているように見える。かなり頑固である。
中部市場
中部市場。雑穀や豆類も豊富。庶民の台所的存在。
 韓国は日本の隣国なのに私の尺度からすると異国度はかなり高い。キムチは肉食民の漬け物であり、ナムルは肉食民のお浸し。一方、柚子の香がほんのり漂う白菜漬けは菜食民の漬け物であり、ほとんど茹でただけといってもいい薄味のほうれん草は菜食民のお浸し。姿形は似ていても菜食と肉食、日本と韓国では根こっとのところの発想が違うように思える。
 刺激の強い韓国の料理に拮抗できる野菜料理、それがナムルでありキムチなのだろう。
 韓国は2度目なのにまだメジャーな韓国料理はほとんど食べていない。カルビも、流行のサムギョプサルもカンジャンケジャンもビビンパも。でも食材が積まれた市場を覗いたり、キムチを漬けてみて韓国料理の根っこがが少し理解できたような気がした。



食卓日記マーク
#23 (2012.12.28)
※写真をクリックで拡大できます。
温室
4月の温室 外は寒いけど中はヌクヌク
総括・2012年 今年の園芸
●温室の威力に圧倒される
 今年、ベリー類の苗作りも一段落したので温室を2分割して一列をバラ専用、向かいの一列を野菜専用にした。
 温暖な地に暮らしている人にとっては温室は冬でも暖かくて風や雨をしのぐ施設にすぎないかもしれないが、寒冷地では温室は一般的常識をはるかに越えたありがたい施設なのである。
 4月、温室の野菜エリアにトマトやナス、パプリカ、沖縄で入手したハンダマの苗を植えた。そして育苗箱には胡瓜、ズッキーニ、島オクラ、トウマミ、各種バジル、レタスなどの種を大量に蒔いた。外にはまだ雪が残っているし、霜がおりることだってある。風が吹けば震えるほど寒い。それなのに温室はポカポカ、春爛漫なのである。アブラムシ問題なども発生したが、苗はおおむね順調に育ち、育苗箱の種は発芽して葉をのばした。通常の露地栽培より進展が1ヶ月は早い。このあたりは想定内、「温室ってすごいね」の範囲だった。
 中には温室でさえ生育がよくなかった作物もあったけど、トマトなんか赤、黄色、オレンジ、小さいのや大きい、まん丸なのや楕円形といろんなトマトがどんどん収穫できた。これも想定内。温室だもんね。

暴れトマト
10月の温室 暴れとまと。
どうにも手がつけられない
 温室が真にその力を発揮し始めたのは秋風が吹き始めてからだった。
 菜園の作物が元気をなくしていく中、夏の終わりに剪定したナスはグングン背丈を伸ばし以前にも増して大量の実をつけた。まるで伸び盛りの中学生男子の勢い。
 茎が伸びすぎて手が届かないので手入れを怠っていたトマトは遂にジャングル化して温室の屋根を覆うまでになった。列の両側(つまりバラエリア)にもトマトを植えていたらどんなにかすばらしいトマトのアーチが出現したにちがいない。
 春に見学に行ったトマト農家の片岡さんは「収穫量を増やしたいからトマトの茎を斜めに誘引しながら収穫する」と言っていたが、その時は茎を斜めに誘引という状況など想像もできなかった。それより我が家の苗の2倍の太さはあろうかと思われる片岡さんの立派なトマトに目を奪われていた。
 そして秋、ジャングル化したトマトを前にして彼が言っていたことがようやく理解できた。そうか、トマトというのは環境さえ整えば、こんなにも成長して実をたくさんつけるものなのか、トマトを20年以上も栽培しているが、長期間にわたってこれほど大量の実を収穫できたのは初めてだった。
 これは想定外、まさか温室がこれほどまでに強力な施設だとは思わなかった。(写真は温室で荒れ狂う10月のトマト)。
 温室はまたBBQ会場として具合が大変よいことも新発見だった。雪の残る4月に初めて行ったBBQ大会は成功裏に終了しその後のBBQブームのきっかけとなった。といっても数回だけどね。12月の仁菜ちゃん1歳記念温室BBQ大会もちょっと寒くてかなり煙たかったけどまずまずの成功!主役の彼女はラム肉やハンバーガーなどを彼女なりのやり方でほおばっていた。

暴れトマト
8月の直売所 来期は販売台で野菜で埋め尽くそう
●販売先があるのは心強い
 今年の春、ブルーベリー園の向かいにカフェがオープンした。焼き立てのマフィンを食べてもらいたいというのが開業のきっかけだが、ついでにみんなの大好きな野菜の直売所も併設することになった。
 直売所があればカフェにも立ち寄りやす。幸い赤井川村の農家がトマトを供給してくれることになった。片岡さんのトマトはウットリするくらいきれいなミニ「麗果」。プラスチックのカップに山盛りにして販売台に並べた。しかしかなり大きな台をトマトだけで埋めるのは難しい。そこで、慢性的生産過剰気味なズッキーニ(そろそろ反省してたくさん植えなきゃいいのに)や温室トマト(朝昼晩と食べても追いつかない。おやつももちろんトマト)、色とりどりのレタス(1株消費するのに結構時間がかかる。水菜、ハンダマ、ツルムラサキなど競合野菜が目白押し)バジル(これだけあれば数年分のバジルペストができる)など過剰になった野菜を試しに置いてみた。
 需要については未知数だけどともかく販売台はとてもカラフルで賑やかになった。
 担当の若佐さんの努力のかいもあって片岡トマトのついでにという感じで菜園の野菜もポツポツ売れるようになった。
 初めての農業収入、おばあさんのお小遣い稼ぎ。1日の売上げはスタバのコーヒー1杯分だけど人知れず林の奥にズッキーニを投げ捨てずにすんだのが何よりも嬉しかった。
 よく考えてみると年間消費量のが多いのは玉葱とキャベツと大根なのに、それらベスト3の野菜は菜園では栽培していない。玉葱は植え付けや収穫の時期が他の野菜と合わないから面倒、キャベツは存在感があるから1個収穫するたびに菜園が寂しくなる、大根はお洒落じゃない、みたいな訳の分からない理由で足踏みしてしまう。
 ほとんど食べない胡瓜を「ここに丈の高い支柱があればアクセントになるな」という理由だけで10株も植えてしまう。、「菜園の周りはこんもりした小さい作物を植えたいな」という理由で小葉バジルを50株も植えてしまう。
 だから勢い、菜園には周辺野菜が多くなってしまうのである。
 自給するには十分な広さの菜園があるのに勿体ないことだ。
 よーし、来年は販売も視野にいれた作付け計画をたてよう。なーんて言ってもいざとなれば過剰ズッキーニやバジルに悩むに決まってるけどネ。


ホトトギスの花
庭でホトトギスの花を初めてみた。
●今年の成果
・ジャガイモ(キタアカリ)/2家族分はゆうに収穫できた。せっせと消費。
・ゴーヤー/夏も半ばを過ぎようとする頃、最盛期を迎えた。手を変え品をゴーヤー料理に励んだが、とても追いつかない。あんなチビだったゴーヤーが普通のゴーヤーサイズに成長するなんて思いもよらなかった。そんな愛しいゴーヤーを無駄にするわけにはいかない。
 2リットル瓶3本分のピクルスを作って救済することに。色とりどりのフルーツパプリカも加えたから見た目も美しい。苦みはほとんどなくてサラダに混ぜると歯ごたえがしっかりして存在感あり予想以上に美味。かなりのスピードで消費している。ゴーヤーの苦みが薄いのは北国育ちだからだろうか?
・ハンダマ/サラダやスープに大活躍。生で食べればシャキシャキ、加熱するとネットリ、ほとんど毎日食卓を飾っていた。秋に元気な枝を挿し木をしてみたがしっかり根づいた様子。室内で10株の苗が静かに春を待っている。うまく行けば来年は自前の苗で栽培できるかもしれない。
葉もの野菜
・インゲン/豆花はきれいに咲いたのに実つきはよくなかった。
・トマト/頑張って食べたし販売もしたし、一部は水煮やピュレにも加工したけどまさかの大収穫に消費、販売とも追いつかずかなり無駄にしてしまった。残念!
・バジル、ツルムラサキ、紫蘇、エゴマ、各種レタスはすごい勢いで繁殖。せっっせと食べたけど大半は見て見ぬふり。特にツルムラサキとエゴマの繁殖ぶりは凄まじかった。葉ものは保存が難しい。(写真はこの秋最後の収穫、ツルムラサキがすごい)
・ブロッコリー/次々に小さな蕾がつくセルタスを栽培。冷凍保存。
・ラズベリー、ハスカップ、カシス/せっせと摘んではおやつや朝食に利用。ほとんどワインビネガーや蜂蜜に漬ける。ジャムも少し。大半は冷凍してヨーグルトのトッピングに。
・ルバーブ/せっせとジャムに煮る。冷凍も
・ズッキーニ/料理に利用するほかは直売所で販売にしたのでほとんど無駄なし。今年のズッキーニは幸せ者。


キムジャン前日
キムジャン前日 白菜を塩漬けする
韓国でキムジャン
 2011年の11月、キムジャン(一族郎党が集まって大量のキムチを漬ける行事で家族の絆を大切にする韓国では大切な催しらしい)に誘われて旅支度を調えて出発の日を楽しみにしていたのだが、予定よりも早く孫が生まれそうとの連絡がはいったのでやむなくキャンセル。仕事先の鹿児島から急遽、北海道に戻って6時間後、孫が誕生した。
 よかった!その場にいても役には立たないけど、のちのち「私が生まれたときおばあちゃんはキムチ漬けに韓国に行ってたんだって」と言われるよりいいかなと思った。
 そんなわけで今年こそはと11月の終わりに福岡からソウルに飛んだ。しかし誘ってくれた友達のパクさんは台湾に行ってしまったので、パクさんの知り合い夫婦のキムジャンに招待されることになった。
 小規模とはいえ本格なキムジャンで50株の白菜を漬けた。
キムジャン当日
キムジャン当日 
塩漬けした白菜に水をかけて塩出しする
 ソウルに到着して久々に会うパクさんと市場で食事したり、三清洞でお茶して戻ってみるともう作業は始まっていた。
 流行の韓式ゲストハウスも兼ねたこの家のおかみさんと近くに住むお姉さん、手伝いの女性の3人が寒空の下、山積みの白菜と格闘している。
 白菜の茎のつけ根に包丁で切り目を入れて手で半割りにする。これをたらいに張った濃いめの塩水にゆっくりとくぐらせる。塩水に漬けた白菜は切り口を下にしてプラスチックの漬け物容器に積み重ねていく。容器がいっぱいになったら塩と塩水を振りかける。
 重しなしで一晩置く。
 冬のソウルは寒い。気温が低いのに雪が降らないから剥きだしの寒さといった感じで余計、寒さがしみる。
 ただでさえ寒いのに水を使う仕事だから寒さはひとしお。鉛色の空の下、3人のおばさんたちは楽しそうにおしゃべりしながら白菜を積み上げていく。白菜の山の裾野には副材料となるセリ、ネギ、小ネギ、葉の裏が赤いカラシナのような葉もの、などの野菜類も用意されている。白菜の塩漬けが終わってもネギの薄皮をはがしたり、セリを刻んだり明日の準備は日が暮れるまで続いた。
 今晩はここに宿泊、。オンドルは想像したよりずっと強力な床暖房でぬくぬく、ポカポカ、汗をかくほど暖かかった。ホンワリした温かさではなく、何だか電熱器の上にのせた板に布団を敷いて寝ているような気分。床下に熱線を這わせているのだろう。
 翌日は10時頃から作業開始。昨日塩漬けした白菜は真水でさっと洗って水を切る。ここらで雨が降ってきたので室内にビーニールを敷いて、材料を運び込む。
キムジャン当日
上/出番を待つ白菜の山
下/韓国の大根。太く短くたくましく
 作業再開。
 ご承知の通りキムチは1枚1枚の葉っぱの間にキムチヤンニョム(薬念)と呼ばれる唐辛子まみれの具を挟む。白菜を運び終えるといよいよキムチヤンニョム作りに取りかかる。
 まずスライサーで大量の大根を太めの千切りにする。韓国大根は日本の大根の半分くらいの大きさしかない。水分も少ない。そうかまず大根が違うのだなー。
 千切り大根をボールに入れる。ここに大量の唐辛子粉を加える。驚くほど大量の唐辛子がこれでもかとばかりに投入される。味の決め手となる唐辛子に対するこだわりはすごい。去年もらったパクさんの唐辛子は2〜3種類の唐辛子をミックスして粗挽きにしたもので辛いのは辛いけどうま味と甘みが共存しておりなかなか味わい深かった。麺類はもちろん、みそ汁や鍋物の隠し味に使うと味が引き締まって美味しくなった。
 市場に行くといろんな種類の唐辛子が山と積まれている。
 千切り大根と唐辛子粉を混ぜる、大根は瞬く間に真っ赤に染まる。混ぜる。白くて清楚な大根がたちまち凶暴な様相に変わる。ここに2種類の魚醤と冷凍されたアミの塩辛を投入。
 混ぜる、混ぜる。ひたすら混ぜる。魚醤はアンチョビソースとナンプラーのようなものだった。2種類というところが秘伝その1といった感じ。
 冷凍でない生のアミの塩辛も投入。同じアミの塩辛でも冷凍品と生を使い分けるのは秘伝その2なのかもしれない。
 混ぜる。混ぜる。味を見て唐辛子や魚醤を投入。うんよし、試食させてもらったけど飛び上がるほど辛かった。
 次にトロトロのお粥を加える。お粥とは! 予想外の食材が登場したので驚く。キムチの発酵を促進させるためなのか、ヤンニョムに粘度をつけて葉の間にしっかりしがみつかせるためか、多分両方なのだろう。
 質問したいことがたくさんあるのに言葉が通じないから想像するしかない。顔つきは兄弟のように似ているというのに。
ヤンニョムを作る
ヤンニョムを作る。唐辛子を投入しながら混ぜる
 次にすり下ろしたにんにくと生姜を投入。これは冷凍品だったが、日本によくある薬品くさいおろしにんにくやおろし生姜とちがって限りなく生のものに近い風味を保っていた。さすが鍛え抜かれた本場物という感じがする。
 混ぜる、混ぜる。投入する材料については計量などしない。手でつかんでぱっぱっと自信をもって投入、味見、再度投入、味見を繰り返す。
 ミキサーですり下ろした玉葱も加える。これはうま味と甘みを出すためだなと納得がいく。混ぜる、混ぜる。唐辛子粉や魚醤、生姜を足していく。ここでざく切りにしたカラシ菜、粗く刻んだ普通の長ネギと細い小ネギ、セリなどの野菜類をすべて投入。
 混ぜる、混ぜる。味見。魚醤を加える。ヤンニョムの堅さを加減しているのだろうか。すべての素材がボールに投入されてキムチヤンニョムが完成したらしい。この場を取り仕切っているらしい年長の女性が白菜の葉を1枚ちぎり、できあがったヤンニョムをくるんでホイと渡してくれた。
 おいしい!1回目に味見したときにはただ辛いだけだったのに、完成したヤンニョムの風味は限りなく複雑になり、辛みのあとを甘みやうま味がじんわりと追ってくる。
 この時、ヤンニョムを包んだ白菜の味がすごく濃いことに気づいた。この白菜にはヤンニョムの強烈な辛さや匂いを包み込むような甘さと旨みがある。たった一晩とはいえ大量の塩で塩漬けしたのに葉はシャキシャキしている。
 韓国の白菜は日本のものよりかなり小振りで、葉の巻き具合も緩やかに見える。明らかに私たちが普段食べている白菜とは違う。
 日本の大きな白菜を頭に描いていたからギッシリ巻いた大量の葉、その1枚1枚に具を挟むのは大変な作業だろうな想像していたが、目の前にある白菜は葉も少ないし巻きも緩やか。ひと株の白菜に10枚程度の葉しかついていない。
 ヤンニョム作りは見よう見まねで繰り返して行く内に本場に近い味に到達できそうな気がする。しかしそのヤンニョムを受け止める主役たる白菜が違うとなると、日本で漬けても本場のそれとはかなり違うものになってしまうだろうな。
白菜にヤンニョムをはさむ
白菜にヤンニョムをはさむ。キムチ作りのハイライト
 ヤンニョムが完成すると休む間もなく白菜の葉にヤンニャムを挟む作業に取りかかる。観光用のキムチ作りはたいていこの段階から始まる。
 半割りの白菜を手で更に半分に裂く。中心の葉っぱから始めて葉っぱの裏にヤンニョムを塗りつけて次の葉を被せる。被せた葉の裏に同じようにヤンニョムを塗って次の葉を被せる。この作業を葉の数だけ繰り返して1株完成。最後の大きな葉で全体を包んで、形を丸く整えて、コンテナーのような容器に並べる。ヤンニョムはたっぷり、まんべんなく乗せてねと教えられた。
 半分くらい終わったところでパクさん姉妹が登場して輪に加わる。北の方はあっさり目、韓国でも南の方は牡蠣やエビなどの魚介類を多用し、なしやりんごなどの果物も加え、しかも唐辛子が多目だから味が濃いという。家によって味はちがうけど今、漬けているのはパクさんち同様あっさり目。ソウルは韓国では北の方に位置している。
 続いてこの家のご主人とその中国語の先生もやってきて輪が大きくなる。ご主人は韓国語、日本語、中国語をかなり完璧に話す語学の達人だが、日本語は40年以上前、学生の時に学んだせいかかなり古風な言い回しが多かった。キムチの説明なのに襟を正したくなるような日本語だった。
 みんな手際がいいから50株の塩漬け白菜は、見る見る内に200個のキムチへと変貌を遂げた。隙間なくキムチを詰め込んた5個のコンテナが庭先に運びだされる。雨は上がっていたが相変わらず不機嫌そうな鉛色のソウルの空だった。
 キムチは1週間くらい熟成させてから食べ始める。当座、必要な分を取り分けて、残りは5℃にセットされた専用冷蔵庫で保管して春先までゆっくり食べるらしい。
 小規模とはいえキムジャンはお祭りだから必ず祝宴を伴う。
 さっきまでキムチ作りに励んでいたその場所に今度はオンドルがたかれテーブルが運び込まれ宴会場となった。
キムジャンの宴
キムジャンの宴。食堂よりずっと繊細な家庭の味
 この日のためにに用意してくださったご馳走が次々、運び込まれる。キムジャンには欠かせないという蒸してスライスした豚バラ肉とアミの塩辛、カンジャン(醤油)ごま油などを混ぜたソース。豚は最高級とされる済州島のものらしい。豆腐やジャガイモ、瓜などの具がたっぷり入ったテンジャンチゲ(みそスープ)。牡蠣のキムチなどキムチが数種類、ご飯。そしてマッコリ。特別なマッコリらしくパクさん姉妹はご主人の説明に頷きながら美味しそうに飲んでいる。キムジャンの昼食にはご主人、パクさんと私の共通の知人である北海道新聞ソウル支局の高野さんも仕事を抜け出して加わった。
 同じような顔つきだからそうは見えないけど、韓国語と日本語と中国語が飛び交うインターナショナルな食卓。白菜の葉にご飯と牡蠣のキムチを乗せて口に運ぶ。柔らかな白菜の葉でエゴマの醤油漬けとご飯と蒸し豚を巻いて食べる。チゲを食べる。チョンガーキムチをつまむ。辛い、酸っぱい、辛い、甘い、辛い、旨い、メリハリがきいていてしみじみと旨い。他ではなかなか味わえない、家庭の伝統料理。韓国に来たらこれを食べてねという主婦の思いが伝わってくる。
 楽しい宴だった。
 キムジャンに参加させてもらえて中味の濃い2日間だった。
 キムチは韓国の漬け物と思っていたが、日本の漬け物とは役割がかなり違うようだ。キムチは漬け物の域を超えて広く調理食材として扱われている。野菜や肉と炒めたり、チゲに加えたり、魚の煮込みに加えたり実に出番が多い。
 漬け物は日本でも韓国でも野菜が不足する冬に備えて野菜を保存するという目的で作られてきたのだろう。ドイツのザワークラウトやピクルスなど洋風漬け物も同じ。
 日本には気候風土に合わせた漬け物が各地方にたくさんある。北海道の代表選手といえばニシンと白菜を漬けたニシン漬け。ぬか、麹、みそ、酒粕、醤油などの「漬け床」とつけ込む素材をいろいろに組み合わせれば、漬け物の種類はたちまち何百種類にも達するだろう。
 しかし日本では漬け物はあくまで漬け物、大量のご飯を飽きずに食べるための食欲促進剤のような役割を担っていたのだと思う。漬け物王国の東北地方には想像もできないような漬け物の利用法があるに違いない。干した大根をいろりの煙で薫製にした「いぶりがっこ」という非常にユニークな保存法を開発した秋田県などは宝庫だろう。しかしキムチのように積極的に活用することはしない。
 ヨーロッパも冬になれば野菜は不足するだろう。しかしヨーロッパでは肉とミルクの保存に全勢力を傾けてきたから、野菜の保存にはそれほど熱心ではなかったようだ。野菜の酢漬け(ピクルス)や塩漬け(ザワークラウト・オリーブ)油漬け(ピメント)はあくまでも肉やその加工品、ミルクの加工品などを美味しく食べるためのアクセント。単調な風味のご飯と違って肉やミルクはそのままで十分に美味しいから漬け物なんてなくても飽きずに美味しく食べられる。チーズの風味をより引き立てるためにオリーブをつまむとかたまにはソーセージとザワークラウトを煮込んでみるかといった感じなのだろうか。
 肉にもミルクにも縁がなく穀類と野菜と魚に頼ってきた日本ではとりわけ野菜や豆類の保存に力が注がれたのだろう。
 漬け物や味噌さえあればご飯はいくらでも食べられるが、美味しいピクルスが何種類あってもパンはいくらも食べられない。米食と漬け物は分かちがたく結びついている。
 キムチはどうだろう。日本の漬け物とは比較にならないくらい、大量に消費され国民食として君臨しているのは何故なのだろう。
 韓国は日本に比べて肉食が独自の文化として根づいていると思う。韓国は仏教より儒教の影響が強く、かつ遊牧民の侵略を受けたきたから韓国は日本に比べると肉食のタブーから解放されるのが早かった。市場に行くと内臓、豚の顔皮、豚足などが大量に積まれて、豚の血が入ったたらいがデンと置かれている。つまり1頭丸ごと食べるという食べ方が人々の間に深く浸透しているということだ。
 スンデは豚の腸に糯米や豚の血を詰めて蒸したものだが、若者相手にキンパや饅頭などを売っているファストフード店の店先でも普通に並んでいる。酒の肴としておかずとしてお洒落なデパ地下でもちゃんと売っている。腸に何かを詰めるなんて発想はほとんど菜食だった日本では絶対に生まれない。
 じゃあ、韓国で肉の保存法が発達したかというとそうでもない。肉の消費量は経済発展と比例する。国土が狭く、絶えず外国の侵略を受けて経済的な発展が阻害され続けた韓国では肉食に対するタブーはなくても肉自体が高価なご馳走であるから保存するほど大量には消費されなかったのだと思う。煮込んだ豚足の隣にいろんな種類のハムやソーセージが並んでいてもおかしくないのにめぼしい加工品としてはスンデでくらいしか見当たらない。
 そこでキムチ。日本の漬け物が「穀類菜食民の漬け物」であるのに対してキムチは「肉食民の漬け物」だと思う。日本の漬け物はおとなしい。それに対してキムチはエネルギッシュで力強い。
 肉食の歴史の長い韓国ではにんにく、生姜、唐辛子などの香辛料が多用されてきたからごく自然に漬け物にもそれらの食材を大量に投入するようにのなったのだろう。生の魚介類や牛肉や鶏肉も使う。イカやアミの塩辛、魚醤など蛋白系の素材を加えれば確実にうま味はアップする。キムチさえあればご飯はいくらでも食べられる。同時に穀物食では不足しがちなビタミン類やタンパク質を補うこともできる。
 そういう意味ではキムチは大変に優れた食品であると思う。パーワーが違う。香辛料や魚介のおかげて味が複雑だから立派なおかずとして通用する。
 他の食材と合わせてもその存在をきっちりと主張する。
 だからキムチは漬け物の域にとどまらず、重要な食材としての地位を獲得し、保持し続けているのだろう。
 今、キムチを漬けている。さっきキムチの素を作った。参考書通りに煮干しと昆布でとった濃いだし汁600ccに米粉、みりんなどを加え、パクさん手製の粗挽き唐辛子と粉唐辛子を250gも加えた。それを火にかけて練るもんだから、くしゃみや咳が止まらない。泪も止まらない。それでも唐辛子ミックスは容赦なく攻撃してくる。ほとんど凶器と化している。
 ようやく練りの工程が終了。少しさましてからすり下ろしたにんにくを大量に加えた。たちまちキッチンは隅から隅までキムチに占領されてしまった。
 白菜と大根(カクテキ)の塩漬け工程が終了したら、このキムチの素を使ってヤンニョムを作りに取りかかる予定。アミの塩辛も魚醤もパクさんお墨付きのものだからきっと美味しくできるだろう。別にキムチが大好きというわけでもないが、実際に漬けてみればまた新しい発見があるかもしれない。



食卓日記マーク
#22 (2012.8.18)
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直売1
菜園と温室で収穫したトマトは
カフェ付属直売所で販売。
黄色いアイコ、赤いアイコ、オレンジパルなど
種類もサイズも様々。
園芸速報
●ナス
 温室でナスと闘っている。正確にいえば闘っている相手はナスにとりついたアブラムシとコナジラミでまあそのしぶといこと。敵は葉のエキスを吸うのかナスの葉はカサカサになり元気をなくしていく。しかし彼らも心得たものでナスが完全に枯れるととも倒れになってしまうから決定的なダメージは与えない。いっそ枯れてしまえばあきらめて引き抜いてしまうのだが、「まだ大丈夫、虫なんていつかいなくなるから」という淡い期待を抱かせる程度のダメージを与えるのである。
 ホースで勢いよく水をかけたり、手元にあった各種無農薬殺虫剤や木酢液など手当たり次第スプレーしてみたがもちろん効果はない。アブラムシと共生していると思われるアリの姿が一時的に消えるくらい。殺虫剤ではなく忌避剤なのだろう。師と仰ぐUさんに聞いたら「ホーマックの入り口のところで殺虫剤売ってるから買ってきて撒けばいいっしょ」と言われた。まあそれはそうだが、そこまでしてナスが食べたいかというと否なのである。
 仕方がないから毎朝、手で潰した。続けていると虫は全滅したように見えた。輝かしい勝利かと思いきや彼らは一時的に撤退しただけで1週間もたつと何事もなかったかのように元の状態に戻った。
 その頃、A新聞の名物コラムで羽のないテントウムシに触れていた。アブラムシ退治に天敵のテントウムシを導入してもテントウムシはすぐに飛んでいってしまう。そこで人為的に羽を退化させたテントウムシが開発されたらしい。
コラムの筆者はこのような自然の摂理に反した行為が許されるものなのかというように結んでいた。高見の見物である。そういうテントウムシが手に入ったらどんなに嬉しいか、日々闘っている私はそう思う。自然に増える心配がないF1だったらいいではないかと思う一方で遺伝子組み換え作物のような未知の領域に属するものについては最大限の注意を払って慎重に対処しなくてはいけないとも思う。羽のないテントウムシだって遺伝子組み換え作物のように裏で暗躍する企業の陰謀かもしれないのである。
直売2
ズッキーニも直売所で販売。もし
すべて自家用に消費することになっていたら・・・。
よかった!赤いミニトマト千果はプロ農家、
片岡さんのトマト。
やはりプロが栽培したものから売れていく。
消費者は分かるのだろう。
 初めから本気で是非を考える気もなく、無難にまとめようとする筆者の態度はは腹立たしい。闘っている最中だったので余計腹立たしかった。
 完敗だけどそれでも不自由しない程度のナスは収穫できた。初めて温室で栽培するナスだからと意気込んで本州から苗を取り寄せたのがよくなかったのか、向かいのバラに残存していたアブラムシがやってきたのか定かではないが、温室という限られた狭い空間で栽培しているからこんなにしぶとく繁殖するのだろう。
 菜園で栽培しているナスは生育はよくないけどアブラムシはついていない。
 コナジラミはトマトとフルーツパプリカを飛び越えてオクラの葉にとりついた。白い点々が葉の上に浮かんでいる様子は視覚的には気味が悪いけどどんな被害を及ぼすのよく分からない。
 ナスは美味しい。ナスは味覚の成熟度のバロメーターだと思う。ナスが大好きという子供はあまりいないし、そもそも子供はナスに関心を抱かない。ナスが美味しいと分かるのはある年齢を超えてからだと思う。
 ナスは同じナス科の作物でもトマトやジャガイモほどの影響力はもっていない。諸外国を見渡してもイタリアやギリシャやトルコなど地中海沿岸諸国では食材としてよく利用されているけどその他のヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国ではこれといったナス料理は見当たらない。西アジアではピューレ状のディップにして、またインド方面ではカレー東南アジアの国々、中国でもそれほどの関心は払われていないように思う。その他大勢的扱いではないか?
 そこへ行くと日本はナスに対するする関心が高い。丸ナス、長なす、中ナス、小ナス、水ナスなど多種多様なナスが栽培され、それぞれを用途によって使い分ける。、調理法だって漬ける、焼く、炒める、揚げる、煮る、煮浸すと様々。焼くにしても焼きナスのように直火で焼いたり、油を敷いて焼いたり、とよく工夫されている。
 どうして日本ではナスが重要視されるのか?多分ナスは漬け物として保存が効く→大量に栽培する→いろんな調理法が研究されるというような経緯を経て今日の日本に於けるナスの繁栄があるような気がする。塩分を付与して水分を流出させて乳酸発酵させる漬け物という保存技術が発達していない諸外国ではナスはそれほど重要な食材とは見なされないのだろう。
トマトのマフィン
トマトを使ったマフィン。秋から売り出します。
 確かにアクは強いし加熱調理が必要だし孤高のイメージが強いナスはあまり調理しやすい野菜とはいえない。それにも関わらずナス料理が豊富な日本、日本の夏を代表するのはトマトでも胡瓜でもなくナスではないかと思う。
 最近は自分用のナス料理としてはある程度の量をまとめてもぎ、もいだナスに金串でポツポツ穴を空けてオーブンに放り込む焼きナスが主流になった。。焦げた皮をむいたナスは保存容器にいれておく。おろし生姜を添えてそのまま食べてもいいし、出汁に漬けて煮浸し風にしたり、ドレッシングで和えてサラダにしたり、汁物の具、煮魚の付け合わせにしても美味しい。しみじみ美味しい。
 家族が集まるときにはナスを縦に8等分にして素揚げする。少し焦げ目が付いた頃に引き上げて油を切り、大根おろしとおろし生姜をたっぷりのせて生醤油をかけて食卓にのせる。これはいくら作っても奪い合いになる。息子たちもようやくナスの旨さがわかる年齢に到達したのだろう。ナスは味覚の成熟度を測るバロメーター云々といったのも息子のひとり。
 東京の母が初めて北海道を訪れた時、山海の美味を用意して精一杯もてなした。(つもり)後日、何が一番美味しかった?と聞くと「あなたが畑でもいできたナスの天ぷら」という答えが返ってきた。ウニやヒラメやアワビではちょっと物足りなくて、ナスをもいで紫蘇の葉をちぎって揚げた添え物の天ぷら。期待とは違う答えにちょっと複雑な気分ではあったが、都会に暮らす人間には絶対に口にできない料理という意味では正直な感想だったのだろう。

●ゴーヤー
 8月15日はゴーヤー記念日といったら不謹慎に聞こえるかもしれないが、この日、初めてゴーヤーを収穫した。沖縄で買った種を蒔いて苗を育て、菜園に定植したゴーヤー。菜園では同じ瓜科の胡瓜、ズッキーニも栽培しているが、ゴーヤーは別格。何故か?ゴーヤーは花を咲かせて実をつけるがその実が著しく小さいのである。2センチにも満たないくせにちゃんとゴーヤーの形をしている。ミニチュアゴーヤーは愛らしい。
 愛らしいけど愛らしいままでまるで成長しない。なかなか5センチまで到達しない。やっぱり寒すぎるのかなと落胆する。トマトは色づき始め、ズッキーニなんて1日、目を離すと信じられないくらい成長しているのにゴーヤーはいつまでたっても指の長さにも満たない。
 温室に植えてやればよかったかなと後悔する。最近は低温で雨が多いから南国でのんびりと育つゴーヤーには辛いのかなーと心配する。葉っぱばかりが元気に育ち、小さな実は葉の陰に完全に隠れてしまった。涼しいから緑のカーテンなんてまるで必要ないのに立派なカーテンが北国の風に揺れている。何だか寂しい。何だか虚しい。
ベリーの収穫
夕暮れに摘んだベリー。ラズベリー、ブルーベリー、
カシスとハスカップ少し
 半月ほどして茂りすぎた葉っぱと延びすぎたツルを整理した。よく見るとここにもあそこにも10センチを越えたゴーヤーがぶら下がっているではないか!葉の陰で人知れず成長していたのである。
 それ以降、ゴーヤーはこれまで少しずつ溜め込んだ光を一気に実に注いだという感じで大きくなった。小学生の頃は小さかったのに大人になって出会うと見違えるほど立派な体格に育っていた同級生といったイメージ。
 そして普通サイズに成長したゴーヤーを初めて収穫したのである。だから8月15日はゴーヤー記念日。
 ゴーヤーはたいていチャンプルーにして食べる。といってもいい加減なもんでゴーヤーと塩をまぶして水切りした豆腐(島豆腐のつもり)をさっと炒めて少量の出汁を注いでフタをして火を止め、余熱で蒸し煮にする。ゴーヤーは歯ごたえを残し、豆腐の塩分がちょうどいい具合に効いている。豚肉やランチョンミートやツナのような動物質食材を加えるのが常道だけどゴーヤーと豆腐だけでも十分美味しい。削り節をかけると蛋白系の味が濃くなってこれはこれで美味しい。
 沖縄では最近のゴーヤーは苦くない、昔のゴーヤーはすごく苦かったという声を耳にする。確かに塩で揉んだり熱湯をかけたりしなくてもゴーヤーはほどよい苦さで夏にはぴったりの食材だと思う。


ベリーのプディング1
そのベリーを使ってサマープディングを作る。
煮詰めすぎたのかジュースが足りなかった。
キッチン速報
●サマープディング
 ベリーの収穫期を迎え、夕方になるとベリーを摘んでは冷凍したり、お酢に漬けたり、蜂蜜につけたりしている。 夕方のベリー摘みが好きだ。1日の終わりに、昼間のあれこれを遠くに吹き飛ばしてくれる風に吹かれ、地面にカエデの影を大きく写す夕暮れの斜光を受けて熟れたラズベリーを摘む。遠くでイカルが鳴いている。
 ラズベリーとブルーベリーと名残のハスカップとカシスを摘んだ。これでいつものサマープディングを作る。サマープディングはプディングでも何でもない。多分、イギリスの伝統菓子であるクリスマスプディングに形が似ているところからつけられた名前だろう。何ヶ月も前から果物をお酒に漬けて準備するような手の込んだ(しかしまずい)クリスマスプディングとは対極にあるような素朴なお菓子。でも夏にしかできない、いろんな種類のベリーが身近にある場所でしかできない、地域限定、季節限定のお菓子なのである。
ベリーのプディング2
切り口、ベリーがぎっしり。
これを作らないと夏は終わらない
 ボールに薄切りの食パンを敷き詰め砂糖を加えてジャム状に煮たベリー(できれば3種類以上の)を注いでパンでフタをする。重しをして一晩冷蔵庫で寝かせて落ち着かせればできあがり。皿に返して切り分け、生クリームなどを添えて食卓にのせる。
 パイの代表選手はアップルパイだけどりんごがなければブルーベリーでもプルーンでも手近にある果物で代用すればいい。果物を使った菓子はたいてい代用がきく。しかしこのサマープディングに限ってはベリーがなければ成り立たない。他の果物を使ったらまったく別のお菓子になってしまう。いちごとルバーブを使えば似たようなものになるかもしれないけどそれはもはやサマープディングではない。
 というわけでベリー園の夏はサマープディングなのである。


BBQ
 今年はBBQの夏だった。次男の仁木の結婚披露パーティーのメイン料理を考えていた時に突如BBQという選択肢が頭に浮かんだ。結局は札幌豊平館(東京でいえば明治記念館か椿山荘)の杉山さんにお世話になったのだが、一時は本気でBBQをやろうと考えていた。
 私がBBQというコトバを発するや否やすぐにBBQコンロがやってきた。フジカド君は以前からBBQに惹かれていたらしく、as soon asのスピードでコストコからコンロが到着したのである。熱源はガス、アメリカの各家庭に1台は備えてありそうな割合本格的なものだった。
 材料ももちろんコストコに買いに出かけた。アリスファーム流BBQの確立を目指すというのが課題だから買い物だって通販や余市の肉屋ですますわけには行かない。ステーキ用牛肉、ラムチョップ、ポークリブ、パテ用挽肉、鶏肉、ソーセージ、食材を物色していた二人組のおじさんにつられてエビとホタテ、一度は使ってみたかった有名なヨシダのBBQソースと手当たり次第に購入してその日に臨んだ。
 少し寒かったから場所は温室。参加者は家族。手始めに脂を落とし厚さを均一にしてクレージーソルトを振りかけたラムチョップを焼いてみた。美味しい、本当に美味しかった。ここで醤油とわさびが登場。BBQソースより醤油の方が肉の邪魔をしない。
 脂の落ち具合もミディアムレアの焼き加減も最高。コストコの肉だから決して上等とは言えないはずなのにフレンチレストランで食べるそれよりずっと美味しく感じた。
 初めてでこれだけ上手に焼けるなんて何て高性能のコンロなんだろう。(+焼き人の腕も少し)炭火にはまた違ったよさがあるのだろうが、とてもこんな風に上手に手軽には焼けそうもない。
 牛ステーキはそれほどでもなかった。これはひたすら肉質のせいだろう。
 ラムと同じくらい美味しかったのが次に登場したハンバーガーだった。私はうかつにもハンバーグをパンに挟んだ物がハンバーガーであると思いこんでいた。それは誤りだった。ハンバーガーのパテとハンバーグは別物、クックパッドのパテの作り方を参考にして初めてのパテ作りに挑む。といっても挽肉に炒めた玉葱を混ぜてつなぎに卵を加えて混ぜて軽く練るだけ。ごちゃごちゃと副材料を加えない挽肉のステーキ状のものがパテなのだ。肉汁たっぷりとか柔らかいとかハンバーグに寄せられる賛辞はパテには当てはまらない。
 パテを焼く。隣で二つに割ったバンズを焼く。各自、焼けたパンズにレタスやアボカドをのせてパテを挟む。かぶりつく。一人前200g、半パウンドパテなのである。
でも全員がちゃんと平らげた。塩胡椒で味付けをしただけのパテだが、ソースもケチャップもマスタードも不要でヨシダさんの出る幕はなかった。
 マックには謝らなければいけない。この旨さを安価で手軽に提供するそれがマックだったのだ。お手本となったハンバーガーを知らずに、何であんなもんを売るんだろうかと多少軽蔑していたのだが、原点はこのバーガーだったのですね。町場の寿司屋と回転寿司、映画「フライドグリーントマト」に登場したようなBBQ食堂とマックという関係だったのですね。
 危ない危ないまともなハンバーバーガーを知らず、マックの意図を理解せずに一生を終えるところだった。現時点では多少の改良を加え、よりシンプルに挽肉+最小限の卵でパテを作っている。こうなると肉質が問題になるからコストコではなく上等な牛肉が望ましい。
 ここまで辿り着いたところでもう食物が入る余地はどこにも残されていなかった。BBQの余韻が残る温室はあくまで心地よく立ち去り難かった。
学んだこと
・BBQコンロはガスがいい
・スターターとしてはラムチョップが最適。
・ハンバーガーは必要不可欠だが、途中で食べると満腹になって他のものが食べられなくなる。
・牛ステーキはよほどいい肉が入手できた時以外はなくてもいい
・味付けはクレージーソルトと醤油があれば足りる
・サヤつきのまま焼いた空豆は地味だが凄く美味、椎茸や夏ならコーンもいいだろう。
2回目に学んだこと
・肉には適量がある。ラムチョップは一人1本で十分。
・BBQのメインはやはりハンバーガーである。一人分200g、半パウンドは決して多くない。
・パテはシンプルに。レタスと晒した玉葱、胡瓜のピクルスは別添え。汁気の多いトマトなどは食べにくいのでやめる。
・野菜や魚介類、ソーセージやチキン(タンドリーチキンがいい)は全体の流れにメリハリをつける食材とみなす。
・デザートは冷えたメロンがいい。アイスクリームも魅力的だが溶けるからやっかい。
 BBQは食材や道具もさることながら成功するか否かは天候と参加者という要素が大きい。
 風や日差しを味方につけなければ始まらない。気持ちのいい風と木漏れ日は不可欠。参加者は2家族以上、5〜10名が適正。よい子なら子供がいた方がいい。
 来週は3度目のBBQを予定している。BBQが一族の伝統になっていくといいのだが。


ヒョウモンチョウ
今年はヒョウモンチョウが豊作。
オオハナウドに群れて花蜜を吸っていた。
散歩速報
●秋
 8月に入るや否や風が秋になった。もう隠しようもなく秋、夏と秋をつなぐ大型雑草が今を盛りと咲いている。間近にみればイタドリだってクサレダマだって可憐な花だ。
 雑草でなければ栽培したい花というジャンルの雑草がある。トップはツユクサ、菜園にしつこくはびこる雑草。。目を射る青は空ではなく曇りのない海の青だ。瞬時に消えてしまう類の青だ。黄色とのコントラストも好ましい。イヌタデもいい。デルフィニュームを筆頭にジギタリス、アニスヒソップ、ベロニカ、ヒソップと私は長い花穂に弱い。
 今年はイヌエンジュの花が一斉に咲いた。あそこでもここでも林にあるすべてのイヌエンジュが花をつけその存在を示した。去年はアズキナシとミズキとホオが盛大に花をつけたが今年は不作、去年は思わぬところに何株ものアズキナシを見つけて嬉しかった。
 イヌエンジュは豆科だから同じ豆科のフジの花の花房を短く切って垂直に立てたような花をつける。トチの花にも似ているがもっとずっと柔い。地味な木に似合わず派手な花を咲かせる。
 豆科だからインゲンのようなサヤを盛大につけるのだろうか?あの花の量からするとものすごい量のサヤがぶら下がるにちがいない。見てみたいものだ。
 イヌというコトバが頭につく木はに重要でないどうでもいい木というイメージがある。イヌエンジュも林縁によく見かけるがどうでもいい木のひとつ。
ツタ
ツタの花が満開!ということをマルハナバチの
羽音で知る。晴れた日には一日中、家は羽音に
包まれる。
風が吹くと落ちたツタの花が葉っぱに当たって
カサカサと乾いた音を立てる。ブーン、カサカ
サ、ああ見えてツタは騒々しい。
 でもそのイヌエンジュが一瞬の輝きを放つ時がある。それは開葉の時。ほどけた葉芽から姿を現すのは銀色に輝く繊細な松葉のような幼葉。その時期はほんの僅かですぐにごく普通の豆科の丸い葉っぱになってしまう。、6月の半ば、芽吹きの1,2週間こそイヌエンジュが最も輝く時なのである。
 凡庸に見える樹木にも必ず輝やかしい一瞬があるものだ。ドロの木の雪空をつく豪快な冬芽、ミズキの赤い冬芽もいい。
 シナもたくさん花をつけた。林に1本だけ狂ったように花を咲かせたシナの木があった。ちょうどゼフィルスが群れる場所、丈の高い木だったので双眼鏡で観察していたら実にいろんな昆虫がやってきて楽しかった。ハナバチやアブ、各種甲虫に混じってヒョウモン蝶もたくさんやってきて吸蜜しているようだったが、ゼフィルスの姿は一度も見なかった。
 そのゼフィルスも姿を消して今は名残りのヒョウモン蝶が菜園のミントやアニスヒソップに集まるくらいになってしまった。オオヒカゲがひらひらと菜園を横断していく。いつもならアニスヒソップに群がるミヤマカラスアゲハはこの夏はほとんど姿を見せなかった。たくさんのゼフとオオイチモンジに出会って幸せな気分にさせてもらったのだから文句はいえないけどミヤマカラスが飛ばない夏は寂しかった。
 いつの間にかカッコーもツツドリもホトトギスも姿を消した。無防備に枝や電線に留まり無邪気に地面を歩いてかあさんから叱られていたコガラ、ゴジュウカラ、アオジ、ホオジロ、ホウアカ、コサメビタキ、エゾエナガ(茶髪が可愛かった)の幼鳥たちも親鳥と同じくらいに成長した。
 巣に侵入したアオダイショウに6羽のひなを食べられたシジュウカラは立ち直っただろうか?
 この季節、動物も植物も来るべき冬に備え、春を見据えて着々とエネルギーを蓄えている。春と違って動植物のエネルギーが内に向かっているから静かに見える林だが、そこには春以上に濃密な仕上げの時間が流れている。



食卓日記マーク
#21 (2012.7.22)
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菜園
菜園。バジルが元気。今年はスィートバジル、
グリークバージル、紫バジル、レモンバジル、
シナモンバジル、小葉バジルを栽培している。
エゴマとサンチェも初めて栽培してみた。
次々に葉が出てくるから消費が追いつかない。
園芸速報
 ジャガイモの花が咲き始めた。倶知安では花盛りという話を聞いてから1週間、意外と早く咲いてくれた。近年、4、5月に北海道を留守にすることが多かったので気がつけばジャガイモの植え付け時期をとうに過ぎていて、種苗屋さんやホームセンターに出向いても何を今頃という対応だった。近所の農家に尋ねても「全部投げた」とつれない。種芋がなければジャガイモの栽培はできない。仕方なく最近は直売所やスーパーで購入してしのいでいた。
 しかし今年はホームセンターに早めに連絡しておいたので3kgの種芋を手に入れることができた。ジャガイモ栽培を再開しようと勢い込んだのにはワケがある。どうしても新ジャガが食べたくなったからだ。新ジャガというのは堀り立てのジャガイモという意味ではない。まだ若い内に早どりしたジャガイモ。でんぷん質が少ないのでホクホクとかネットリというよりサクッとした味も食感であっさりとしている。
 北海道ではそういう類の新ジャガが売られているのを見たことがない。
 かつて東京で暮らしていた頃は確か6月ころになると皮が薄くてまん丸で小振りな新ジャガが八百屋さんの店先には必ず登場した。
 新ジャガと一緒に店先にはかき混ぜ棒つきの大きな木の樽も登場した。水を張った樽に新ジャガを入れる。羽のついた棒を回すと新ジャガの薄い皮がはがれつるんとした肌が剥きだしになる。確か里芋の皮むきにもこの樽は利用されていたように思う。
 鶏の挽肉と丸ごとの新ジャガを砂糖と醤油を加えた甘めの出汁で煮込む。これに色鮮やかな出盛りのサヤエンドウをを散らす。これが肉じゃが。
 お袋の味ナンバー1とおだてられ、国民食にまでのし上がった肉とジャガイモのゴッタ煮を肉ジャガと呼んでいるようだが、幼い頃にそれを食べた記憶はあまりない。(あの料理は1970年代初めに家庭料理として定着したらしい)
 ジャガイモのゴッタ煮は味付けを変えればカレーにも豚汁にもシチューにもなる。肉と玉葱とにんじんとジャガイモを炒めて水を加え、柔らかく煮込み、気分次第で砂糖や醤油を加えて煮詰めれば和風の煮もの、カレールーを加えればカレー。水を多くして味噌を溶かせば豚汁、コンソメスープの素と缶詰のトマトでも放り込めばミネストローネ風スープに変身する。
 私は単身者の料理の基本はこのプレゴッタ煮であると思う。これをマスターすれば料理の幅が広がる。息子たちが独立する際にもそのように教えた。
 ジャガイモと肉のゴッタ煮は確かに美味しいひと皿ではあるが、肉じゃがとは言い難い。私にとって肉じゃがとは新ジャガを使った初夏の季節料理なのである。一緒にグリーンピースご飯が並べばいうことはない。肉じゃがはあくまでも季節料理、年中食べられる料理ではないのである。
 煩いことを言えば筑前煮のような煮物に使うのはジャガイモではなく里芋だったような気がする。
 里芋が廃れてジャガイモがイモの代表選手になったのはいつの頃からなのか?
 確かにジャガイモは保存性に優れているし他の素材との相性は抜群、相手を選ばず、とはいえ主張せず、とはいえズッキーニのごとく無能ではなくきわめて優秀な食材であるから当然と言えば当然の成り行きだろう。
 ともかく若い未熟ジャガイモを食べるには自分で栽培して早めに少しずつ収穫するのが一番、8月には懐かしの肉ジャガが食べられるかもしれない。
 7月後半になっても菜園で収穫できるのは僅かなトマト、ナス、空豆。オークリーフレタスやコスレタス、バジルや紫蘇、エゴマなどは必要に応じて葉っぱを引きちぎって利用しているが周辺野菜ばかりで何となく寂しい。
 最も期待を寄せているゴーヤも花つきが悪く、実の生長も遅い。7月下旬だというのに羽織るものが必要なほど寒いからゴーヤも辛いだろう。温室のハンダマは元気だからゴーヤも温室に植えてやればよかったと後悔している。

カゴ盛り野菜のキャプション
ある日の菜園直送野菜。直売所に並ぶ。
ズッキーニは1本50円。
オークリーフレタス特大1個100円。
いろんなバジル1束100円。
おばあさんのお小遣い稼ぎの気分。
 そんな中にあって相変わらずひとり気を吐いているのがズッキーニ、涼しい顔でスクスクと成長を続けている。今年は20株以上植えてしまった。菜園の野菜用地が広がったので苗が不足したからだ。20株といえば膨大な量のズッキーニが収穫できる。
 しかし今年はいくら膨大でも頭を抱える必要はない。人目を忍んで遠くの林に投げることもしない。
 カフェ付属野菜の直売所がオープンしたからだ。
 そこで販売すればいいのだ。直売所に並んだ菜園のズッキーニは札幌や小樽の家庭に引き取られ、他の野菜に混じって一人前に食卓を飾ることになるのだ。ラタトイユや天ぷら、サラダやグラタン。もう誰からも悪口を言われることはない。後ろ指を指されることも無視されることもない。今年のズッキーニは本当に幸せ者だ。
 今朝は緑3本、黄色2本合計5本のズッキーニを収穫して直売所に並べた。明日は10本は収穫できる。
 それでも見向きもされなかったら・・まあ夏は長いからどうにかなるだろう。

 先日、プロの農家の温室でトマトを見せてもらった。大ショックだった。茎の太さがうちのトマトの3倍はある。こちらが灌木ならあちらは大木、生産性は3倍どころではないだろう。しかも苗は村民なら誰でも購入できる普通の苗だという。
 家庭菜園とプロの農家のとの違いを目の当たりにしてただただうなだれるしかなかった。


オオウバユリ
オオウバユリ。潜望鏡のような花は絶えず辺り
をうかがっている。
散歩速報
 可憐な花々たちの季節はほぼ終了してこれから憎たらしい大型雑草の季節になる。イタドリ、ギシギシ、オオハンゴウソウ、ハンゴンソウ、ヨブスマソウ、セイタカアワダチソウ、アレチマツヨイグサと名前からして悪役のような印象を受ける。春の花には一人静、舞鶴草、踊子草というような好意的な名前がつけられていた。
 大型雑草は他を押しのけて成長し、光を独り占めして他を圧することのみを考えている。その図太さには一人静や舞鶴草では太刀打ちできない。
 可憐と大型雑草を橋渡しするのがのオオウバユリだと思う。そのオオウバユリは7月中旬に花の盛りを迎えた。一応はユリの花だ。
 確かめたわけではないがオオウバユリは1日かけて360度回転しているに違いない。目に見えないほどゆっくりとした速度で回りながら潜望鏡のような花で周囲を伺っている。何でそのようなスパイ行動をとるのか不明だが、そうとしか思えない。意味不明な回転行動と一緒で目に見えないほど僅かずつ勢力を伸ばしている。
 そのオオウバユリも終わるといよいよ蝶の季節に突入する。

 今年は凄い。すごいとしか言いようがないほどたくさんのゼフィルス、ジョウザンミドリシジミが発生している。雄の羽は青い金属光沢を放つ。彼らは2頭、3頭と組になり、卍巴飛行と呼ばれる独特な動きで空中戦を繰り返し、なわばりを奪い合う。
 小さなからだのどこにあれほどのエネルギーが潜んでいるのか心配になるほど激しく華麗に舞う。光の加減で羽の色は緑から青に変わり、点滅する光のようにチラチラと眼を射る。
ゼフィルス
葉っぱの上で羽を広げたジョウザンミドリシジミ♂。
すぐに他の♂がやってきて縄張り争い、
卍巴飛行が始まる。
 ゼフィルスの食草はナラ、林道には至る所にナラがある。これまでも毎年、林道のナラの木の周辺ででゼフィルスの姿は見かけたが、ひとつのポイントでせいぜい10頭ずつくらいだった。しかし今年はポイントではなく殆ど線状に連なって姿を見せるのである。30頭を越す群れが舞いながら私の行く手を遮るのである。
 林道ばかりではない。アカショウビンが来ないかなーと期待して掘った人造池のほとりや自家用のベリー園、何と菜園にまで姿を現すようになった。ジャガイモやズッキーニの葉に止まって惜しげもなく羽を広げる。凡庸なズッキーニの葉っぱの上に金属光沢を放つ高貴なゼフィルスとは、これほど不似合いな組み合わせもない。ホースを持つ手が止まり、ゼフに水をかけないよう、日光浴の邪魔をしないよう静かに退散するしかない。
 7月の初め、奇跡に近い出来事が起こった。オオイチモンジが事務室の網戸越しにこちらを覗いていたのである。オオイチモンジといえばもう大変な蝶でこれを目指して全国からマニアが北海道を訪れるほどの蝶なのである。絶滅危惧II種にも指定されている。そんなことよりもとにかく大型の蝶で上品で美しく見応えがある。蝶に関心のある人ならみんな知っているし、関心のない人にいくら説明してもその美しさを伝えることはできない。

 網戸事件の2.3日前、PCのキーボートを叩く手を休めて窓の外に眼をやると大型の蝶が通過するのが眼に入った。
 あのサイズはオオイチに違いない。慌てて外に飛び出し、窓枠に止まっていたオオイチをフジカド君がネットイン、完品だった。確認してから逃がした。
 むろん、標本にしてコレクションに加えることもできたのだが、せっかくうちに遊びにきた蝶をそんな風に扱うのは忍びなくて、また遊びに来てねという気持ちを込めて空に放したのである。
 すると彼は本当にやってきた。ずいぶん長い間、私のデスクの前にある窓に止まっていた。もううっとり見つめるばかり。
 これがどれほどすごいことかというと、いささか唐突ではあるが、窓外に眼をやると微笑みを浮かべたジョニー・デップが網戸越しにこちらを覗いていたというのと同じ位すごいことなのである。
 ゼフィルスの大量発生といいオオイチモンジの来訪といいこの夏は「奇跡の夏」と言っても過言ではない。


保存
ハスカップのお酢と蜂蜜漬け・
カリフラワーのカレーピクルス・
トマトのコンポート。夏のキッチンは大忙し
キッチン速報
1)7月半ばの日曜日に菜園のハスカップを収穫した。生で食べるなら熟した方が美味しいけど加工用なら少し早いほうがいい。自家用ベリー園なので全部で3kg位しかとれなかった。半端な量なので実を瓶に詰めてお酢とはちみつを注いでしばらく置くことにした。
2)同じ頃、農場と余市の町を結ぶ道路際にある田中さんの直売所の前を通るとサクランボが並んでいた。今年は去年と違ってサクランボが大豊作のようだ。毎年、この直売所で加工用のサクランボを買っている。加工用といっても半分くらいは生食用として通用するくらい質がいい。全部で2kg位を買い占めた。
 種類は佐藤錦と水門。奥さんが景気よくおまけしてくれたので全部で5kg近くになった。これはコンポートに近いジャムに煮る。洗って柄をむしって、種をとる。最近はホッチキスのような簡易種取り、多分オリーブの種取りとして市販されていると思うが を使っている。いろいろ試したけど私にはこれが一番使いやすいし効率よく種がとれる。
 重量の20%の砂糖をまぶして一晩おく。ジュースがあがってくるので鍋を火にかけて煮る。バニラ1本、クローブ10粒、を放り込んで香りをつけた。仕上げに去年の残りのラズベリーのお酢とチェリーブランデーをドボドボ加える。実の形がそのまま残ったきれいなジャムが12瓶くらいできた。
 美味しいパンとカマンベールチーズとサクランボジャム、最強のランチが楽しめる。
3)赤井川村の直売所で見事なカリフラワーを見つけてついつい買ってしまった。2株。私も栽培しているがこんな完璧なカリフラワーなんてできた試しがない。カリフラワーというのはかなり気むずかしい野菜だと思う。新参のブロッコリーはサラダや炒め物の素材として和洋中、どんな料理にも使いやすい。形は特異だし蕾を食べるのだからかなり特殊な野菜ではあるのにその割に協調性があって使いやすい。カリフラワーも同じように使えばいいのだろうが白と緑が並んでいたらどうしても緑を手にとってしまう。何故だろうという考察はゆっくりやるとしてその立派な形にそそのかされて買ってしまったカリフラワー。
 カリフラワーを使った料理の中で一番気に入っているのがジャガイモと合わせたインド風の炒め物、ザブジで柔らかめに茹でたカリフラワーとジャガイモを炒めていい加減にスパイスを放り込む簡単な料理(本当は最初にスパイスを炒めて香りを出しスパイスを引き上げてからその油で野菜を炒めるのだろうか)だけどカレー料理のお供にはいい。
 サブジがNo.1ならNo.2はピクルスだろう。それもカレー風味のピクルス。小房に分けて生のまま瓶に詰め込んで熱いピクルス液を注ぐ。鍋に白ワイン酢、普通の穀物酢、米酢など手元にある酢を入れる。水を酢の1/4量くらい加えて蜂蜜か砂糖でちょっと甘みをつけ、塩も加えて煮立てる。今回は種をとった韓国の唐辛子、クローブ、黒胡椒、マスタードシードも加えた。カレー粉も入れて沸騰したら火を止めればピクリング液のできあがり。これを瓶に注ぎ込む。
 ここで一番重要なのが液の量。液を作る前に瓶にカリフラワーを詰め込んで水を瓶の口までいっぱいにいれて水量を計ってから液を作れば途中で液が足りなくなって慌てたり、大量に余って悔しい思いをすることもない。
 2株とはいえ大きかったらかなりの量のピクルスができた。温室で栽培している小さなフルーツパプリカを彩りにいれておいた。1週間もすれば美味しくなるだろう。ぽりぽりとした歯触りがたのしい。
4)秋から売り出す製品の試作用にトマトを大量に買い込んだ。 ミニトマトのコンポートとトマトジャムに加工してみたが、あんまり美味しいとは思えない。わざわざジャムにする意味がわからない。
 トマトはかなりうま味が強い野菜だからソースやケチャップにすれば実力を発揮するけど甘みを加えてジャムにするとうま味が邪魔をしてどうもまとまりのない味になってしまう。レモンやオレンジの果汁を加えたけどあまり改善されない。トマトはジャムの材料には向いていないように思うけど製品の試作だから放り出すことはできない。どうしたらいいのだろうか、頭を抱えている。
 この2ヶ月間は秋から売り出す新作マフィンの試作の日々。今年は野菜の収穫をイメージしたお惣菜系マフィンをに力を入れています。
5)ラズベリーとカシスが熟してきた。収穫しなくては。ブルーベリーもチラホラ。果実をお酢に漬けてラズベリー酢にカシス酢に、蜂蜜も加えて飲むお酢にと毎日加工に追われている。今日は午後からラズベリーを摘みます。



食卓日記マーク
#20 (2012.6.30)
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園芸速報
 春になれば温室で種を蒔いて苗を育て、菜園の準備ができれば苗を移植するということをもう何年続けているのか。
 バジル20種類の年やトマト10種類の年、やたら豆ばかりの年やアジア系ハーブだらけの年、唐辛子三昧の年と、菜園の様子は毎年少しずつちがう。

 秋にベトナムやタイを旅してハーブの種を購入したとか、偶然、ネットで見つけたイタリアの種苗屋でいろんな種類のバジルの種を売っていたとか、韓国料理にはまったとか理由は単純で、それが菜園に素直に反映されているに過ぎない。
 販売目的ではないし、本当は3株で十分なトマトを20株以上栽培するし、まったくの趣味の菜園、ペチュニアやキンギョソウのような一年草の花々を栽培するような感覚で野菜を栽培している。
 1kgの種芋から500gのジャガイモしか収穫できなくても、花も楽しんだからと笑っていられる。
 いつも春先が来ると殊勝にも今年こそはと思うのだが、夏前にはまあいいかと雑草だらけの菜園で夕涼みがてら怠惰に水を撒く。

ハンダマ
農連市場から持ち帰ったハンダマ。
次々に葉が出てくるから消費が追いつかない。
 今年のハイライトはハンダマ。といってもあまり馴染みのない野菜だと思う。 金沢辺りでは金時草、熊本では水前寺菜、これが鹿児島や沖縄に来るとハンダマと名前を変えるらしい。初めて出会ったのが沖縄だからハンダマがいい。 細長い葉の表面は艶やかな濃緑、裏は鮮やかな紫色、沖縄では汁物の実や和え物などに利用されている。ちょっと肉厚なので一般的葉ものより存在感がある。

 みそ汁に入れるとツルムラサキのような粘りが出る。生葉をサラダに散らせばシャキシャキとした食感が楽しめるし何より色合いが美しい。
 とても気に入ったので北海道でも栽培しようと思い、種はない?と地元の人に聞いて回った。「ハンダマなんて庭に自然に生えるものだから種なんかない」と同じ答えが返ってくる。スーパーの種売り場を覗いてもハンダマの種は見当たらない。
 仕方なく、これまでは沖縄を離れる朝に買いだめして北海道に持ち帰って食べていた。

 今年の冬、サカタ種苗のカタログに金時草の苗を見つけた。3株で1500円、迷わず購入した。
 これでハンダマが栽培できる!
 苗が届く前に沖縄に出かけた。石垣島で相変わらずハンダマハンダマと叫んだけど誰も取り合ってくれない。まだ少し早いのか直売所にもハンダマの姿はなかった。

 那覇を離れる日、ハンダマを買いに農連市場に寄った。ハンダマ、島らっきょう、島にんじん、太いゴーヤー、ナーベラー、あるあるここには島野菜なら何でもある。しかも驚くほど安い。ゴーヤーもにんじんもナーベラーも元気なのが5本くらい入って100円、ハンダマの束の大きなこと、スーパーで売っているへなへなほうれん草の5束分くらいある。

 黙って見過ごすわけにはいかない。夕方には北海道だからと自分を納得させて次から次へと買ってしまう。
 大きな荷物を抱えなおも未練がましく市場の奥の方まで行くと種苗屋さんがあった。店の正面からちょっと入った壁際の棚にハンダマの苗を発見!

 店番をしていたおじさんに話しかける。「北海道まで今日帰るんだけどこのハンダマ持って帰れるかなー?」「苗は大丈夫だけど北海道じゃ育たないよ」「温室だし冬越しは考えていないから、今年だけ葉がとれればいいから」「北海道はむりむり」隣近所からおじさんたちが集まってきて店先に無理無理コールが鳴り響く。
 でも「ハンダマが大好きだからやってみる」どうしても買わせたくないらしいおじさんたちを説得して3株売ってもらうことができた。なるべくコンパクトにしてという要望におじさんはポットから苗を取り出して3株まとめて新聞紙でくるみ、スーパーサンエイのレジ袋に入れてくれた。
 3株で240円、1株80円。サカタは1株500円だったのに。

トウマミ
トウマミ。島空豆。
空豆は空を目指して上を向いていたサヤが成長
するに従い地面と水平になりついには地面を差
して下向きなったら収穫する。トウマミもそう
なのだろうか?
空豆を皮ごとBBQコンロで焼いたら
美味しかった。
 大量の島野菜と宝物の苗を抱えて北海道に戻った。早速、ハンダマの苗をポットに移して温室に入れた。農連市場からやってきたハンダマは長距離移動などものともせず、おじさんたちの心配をよそにグングン成長していった。

 野菜として購入したハンダマも汁ものやサラダにして楽しんだ。がっしりとした茎はいかにも生命力が強そうだからもしかすると水に浸けておけば発根するかもしれない。淡い期待を抱いて僅かに残ったハンダマの茎を水を入れた瓶に挿した。

 わぁ! 2週間もすると予想通り白い根が出てきた。やっぱり。早くやってみるべきだったと若干後悔しつつポットに移した。もちろんスクスクと成長した。同じ頃、サカタから高価な金時草の苗が届いた。
 これも500円でもまあいいかと思わせるほど頑丈でしかも大苗、早速温室のナスの隣に植えた。

 全部で10株のハンダマは毎食、姿をかえて食卓に登場する。満足満足。

 今年は島野菜イヤー。お馴染みのナスやトマト、ズッキーニやバジルに混じってアバシゴーヤー、トウマミ(島空豆)ツルムラサキ、、島オクラ(これはだらしない)、温室ではハンダマがスクスク育っている。ナーベラーはヘチマだからさすがにやめた。今のところオクラを除く全員がまあまあ順調に育っている。

 そして今年は菜園の一画に「ANNガーデン」が登場した。あつみ&にな&にきガーデン、分家した彼ら用の菜園であつみさんと一緒にトマトやナスやバジルや唐辛子を植えた。堆肥もたっぷりすき込んだし、水も他の区域よりひいきめにやっているから今のところ菜園ではトップの成績。早く収穫できないかなー。
 昼間は晴れて、夜に雨がシトシト降らないかなー。1週間とはいわないけど2,3日でもそういう日が続いてくれたらなー。

温室の菜園
温室の菜園。
菜園へ定植する予定の苗が今か今かと出番を
待っている。どこに押し込もうか、頭が痛い。
 6月末の日曜日、菜園を囲むカエデのてっぺんで「アオー・アオー」と悲しげになくアオバトに遭遇した。声はすれどめったに姿は見られないアオバト。これまで1回しか見たことがなかった。胸の青緑色が異様に美しい。図鑑で見るそれの10倍以上美しい。
 2羽確認、数分間、梢に滞在してくれたおかげでじっくり眺めることができた。
 2羽が同時に飛び立った。すると後を追うように別のカップルが2組、菜園にやってきて、合計6羽のアオバトは林に向かって飛んでいった。
 きっと3組のカップルは休日を利用して小樽の張碓海岸(アオバトの生息地として有名)から田舎の空気を吸いに赤井川村にやってきたに違いない。

 菜園仕事にはこういう楽しみもある。



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#19 白い花の季節
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延齢草
<延齢草>風情がある。
福寿草
<福寿草>春一番。光を吸い込んで咲く。
 野の花は福寿草から始まる。牧草地を囲む林でもひときわ背の高い、多分20メートルは越すだろう、ハルニレの足許、そこに福寿草の群落がある。地面に張り付くようにして咲く黄色い花だ。先駆けとしてはパッと明るくて景気がいい。これが春も盛りに咲く花ならフーン福寿草ね、造花みたいねといった扱いだろう。しかし春一番は貴重だ。長年のつき合いだけど雪を踏みしめて1日何度もその花に会いにでかける。

 少し遅れてキクザキイチゲ(アズマイチゲ疑惑も浮上)、エゾエンゴサク、カタクリと春の妖精たちがぽつりぽつりと咲き始める。花の色は白、ブルー、ピンク。パステルカラーの色合いは淡く、軽やかで早い春にふさわしい。

大花延齢草
<大花延齢草>華がある。
 今年の春は家の周辺をよく歩き回ったせいかカタクリの群落をたくさん見つけた。
 何年も時間をかけてゆっくり開花するカタクリはその恥じらうようなうつむき加減の姿に似ず、着々と勢力を拡大しているようだ。おしんのような花なのだろうか。気候の変動にも環境の変化にもよく耐えてちゃんと生き残っている。これで一安心。

 せっかちな春の妖精たちの開花が一段落すると林は白い花の季節に突入する。妖精たちは今年、話題になったニリンソウ、ヒトリシズカ、オオバナノエンレイソウにバトンを渡し、白い花の季節は幕をあける。今年はエンレイソウの当たり年だった。エンレイソウといえば北大のシンボル、シンボルは散歩道の両側に眠たげに大きな葉をひろげる。エンレイソウの地味なえび茶色の花を見ると反射的に北大恵迪寮というコトバが浮かんでくる。学生寮を覗いたことはないけどそのコトバが浮かんでくる。恵迪寮に対してオオバナノエンレイソウは聖心女子学園。清楚な白い花をつける。花のように見えるのは実際は萼片なのだろうが、林縁で光に向かって咲く姿は野に置いておくのが勿体ないほど堂々としている。ただのエンレイソウとオオバナノエンレイソウではとても同じエンレイソウとは思えない。

一人静
<一人静>なかなか
 この3点に少し遅れて、クルマバソウ、マイヅルソウ、オドリコソウが咲き始める。この辺りが白い花のハイライト。
 クルマバソウは乳歯のように無垢な白、マイヅルソウは葉の緑を圧倒するような凛とした白、オドリコソウは紫色の一捌けが施された絹の白。一口に白といってもそれぞれに色合いが違う。光の具合によっても白は変化する。白は実に奥深い色だと思う。

 中でもオドリコソウが好きだ。着物の裏地に使われる慎ましい絹地でできたような花が茎をぐるりと取り囲む。
 そこにマルハナバチがやってくる。下向きに咲いた小さな花に丸い体を無理矢理押し込んで蜜を吸う。吸い終わると素早く隣の花に移動する。また隣、そのまた隣とマルハナバチは次から次へと花を渡って行く。ゆったりとした時が流れる林で、オドリコソウの周りだけはせわしなく活気づいている。

踊子草
<踊子草>なるほど
 白い花のフィナーレを飾るのはユリ科の花たち。オオアマドコロ(ホウチャクソウかもしれない)ユキザサ、チゴユリ。いずれも庭に移植したいほど趣がある。でも野にあってこその彼女たち、こちらから会いにでかければいい。

 セリ科のオオハナウド、直径20センチはあろうかと思われる集合花には虫たちがたくさん集まる。花アブ、甲虫類、次々と花を訪れる昆虫たちを見るのは楽しい。オオカメノキ、ツクバネソウ、コマユミ、白い花は咲く。

 最後を締めるのがオオウバユリ、つまりおばあさんユリ、見れば分かる、そうとしかいいようのない姿形をしている。葉がなくなってから花が咲く? 葉なし→歯なし→おばあさんというのが名前の由来らしい。横向きに咲く花は海から突き出た潜望鏡のよう、緑濃い林で地面から湧き出たようにつっ立っている。今はまだ蕾、澱粉を多く含む鱗茎はアイヌの人たちの大切な食料だったらしい。

 野の花に少し遅れて木の花が咲き始める。ホオの花は今年は不作でいつの間にか終わっていた。去年は目の高さにある細い枝にまで花をつけたので蕾が開く様子を毎日観察することができた。大きな葉に大ぶりな花、慌ただしい浮き世とは無関係に林の中で悠然と佇む。
 逆に去年はまったく不作だったシナは今年は蕾がたくさんついている。早く咲かないかなー、シナ。この林にはシナの木が多いから花が咲くと林道に甘い香りが漂う。そして訪花するマルハナバチたちの羽音が1日中響く。香りと羽音、それは豊穣の証、感傷が過ぎるかもしれないけどそう思う。



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#18 和菓子に夢中
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初めての和菓子1
初めての和菓子1。
ねりきり「金柑日和、南国を想ふ」ハッハッハ!
 TVのスィッチを入れたらを「和菓子の材料ってほとんど植物性なんですよね」という声が飛び込んできた。外国人が日本の伝統文化を学び、各人の考えをコメントする番組らしい。
 なるほど、そういえば餡も小豆やインゲン豆、餡を包む皮も米粉、餡を固める寒天も海藻。そんな風に考えたことはなかったけど確かに伝統的な和菓子の多くは豆や米でできている。
 かたや隆盛を極める洋菓子は生クリームやミルク、チーズや卵をたっぷり使う。土台となる部分も小麦にバターや卵を加えて作る。和菓子が米と豆なら洋菓子は小麦と乳製品でできている。
 お菓子も地域の農業とともに生まれ発展してきた。

 和菓子というものを知りたくて本を読んでみた。
 しかし和菓子の概略や歴史を文字で表した本は辛気くさくてつまらなかった。
 斜め読み知識だが、かつて貴重な砂糖は薬として扱われていたこと、菓子は朝廷や茶道とともに進化してきたこと、南蛮菓子の渡来が和菓子に多大な影響を与えたこと、和菓子が発展した背景には伝統をつなぎ守り抜いた菓子職人の多大な苦労があったことなどなど。
 文字のみの本は2冊しか読んでいないけどいずれも個人の思い出や和菓子に対する思い入れ、京の行事や文化のあれこれが錯綜していて和菓子の全貌が掴みにくい。
 たぶん、和菓子の世界に精通した著者は初心者の初歩的な疑問が分からないのだろう。そんなことも知らないの?
 餡にはどんな種類があるの?生地に使う米粉はどう使い分けるの?上生菓子を頂点とする和菓子のヒエラルキーはどのように形成されたの?底辺や中盤を形成する和菓子はどんな進化を遂げたの?
 などなど初歩的な疑問はネットの和菓子サイトをサーフィンした方がずっとわかりやすかった。
 それに対してビジュアル系の和菓子の本はおもしろい。
 春夏秋冬、四季折々の和菓子を紹介した本や上生菓子、干菓子、お饅頭など種類別に紹介した本、著者の思いのままに北欧のガラス器などに並んだ和菓子、初心者には新鮮な驚きがあった。
 特にお茶席や手みやげなどに利用される上生菓子は美しい。その佇まいにはまるで美術工芸品のような凛とした美しさがある。
 しかもそれぞれに風雅な名前がつけられている。菓銘というらしい。「松の緑」や「初雪」のようなストレートな名前から有名な和歌から拝借したような、それなりの教養がないと分からない名前までさまざま。
 マドレーヌを「失われし時」と命名するような感じ。
 命名のしかたについては何かねー、やっぱり京都はねーとちょっとイラつくけど、それでも和菓子の特に上生菓子は名前負けせず季節の風物を見事に表現している。
 薄い求肥の皮から緑と茶色の餡が透けて見える「雪」ピンクがかった紅に白を重ねて中央に黄色いきんとんを乗せた「椿」じょうよ饅頭に織部焼きの緑を模して彩色された「織部」。どれをみても単純化されデフォルメされた形といい色合いといい職人の技と美意識の結晶がそこにある。
 何の飾りもなく菓子皿の上にぽつんと置かれた上生菓子。小さくて淡い色合いにも拘わらずずっしりとした存在感がある。
 派手に飾りたて、美しいソースをまとったケーキに一歩もひけをとらない存在感。歴史と寄り添い激動をくぐり抜けてきた重みなのか、それとも小さい割に重たいという物理的な重みなのかとにかく小さくても存在感がある。
 上生菓子は芯となる餡を練りきりやこなしなどでくるむというのが基本型。餡は小豆餡と白インゲン豆を使った白あん、それを包む皮として使われる「こなし」「練りきり」「ういろう」は微妙な違いはあるものの基本は餡に手を加えたもの。目立った違いはない。

初めての和菓子2
初めての和菓子2。
ねりきり「すこやかな秋」ウフッ!
 和菓子はどうなるのだろう。
 厚めにカットした艶やかな虎屋の羊羹「面影」とクリームを敷いた上に季節の果物を溢れんばかりに乗せたタルトのどちらかを選択することになったら100人中90人はタルトを選ぶだろう。若者なら100%タルトだろう。
 洋菓子は変化がつけやすい。洋菓子はヨーロッパで堅い雑穀パンを食べていた人々が柔らかいものに憧れ、その憧れとともに発展してきたのだと思う。ハレの日くらいはフワフワしたものが食べたい!
 卵を泡立てる、生クリームを泡立てる、生地を泡立てる。洋菓子は柔らかく、フワッとして、とろける、つまり堅いパンの対極を目指して進化してきたのだろう。(膨らませるという方向を選択した洋菓子に対して和菓子は圧縮とはいかないまでも丸めるという方向が基本となる。)
 洋菓子の目指すところは現代の日本人の指向にぴったり合致する。
 柔らかい、とろける、甘い(けどあんまり甘くない)これが人々がお菓子に期待する3大要素。
 洋菓子はその要求を見事に充たしている。
 クリームの種類を変えたり、季節の果物を使ったり、生地を変えたり、スパイスやリキュールをふんだんに使う洋菓子は目先も風味も変化がつけやすい。誰にも分かりやすい。
 ブルーベリーパイとアップルパイはブルーベリーとりんごという素材を変えただけで同じパイではあるが、風味もみかけもまったく違う。

 対する上生菓子。ピンクの花びらが清楚な「桜」淡い緑が愛らしい「鶯」、両者の見かけはまるで違うけど素材はほとんど変わらない。「桜」には白餡に塩漬けの桜葉が刻んで混ぜ込んであるけど「鶯」の方は目の部分に羊羹が貼り付けてあるといった違い。
 「つくし」と「つばめ」に至ってはじょうよ饅頭の皮に描かれた絵柄の違いだけ。
 和菓子は素材が限られているせいか味の変化がつけにくい。
 うーむ、これでは和菓子の吸引力は低い。文化が若者に牽引されがちな日本では和菓子は分が悪い。分が悪い和菓子だが、和菓子は独自の文化を形成している。なんだかよくわからないままに世の中に流布している食文化とは無縁な和菓子文化、とりわけ上生菓子は頑なまでにその独自性を守り続ける孤高の菓子ともいえる。
 上生菓子は形を最優先させる。障子を開ければ松の木にうっすら雪が積もっている光景が見られるのに、部屋の卓にはその情景を模した上生菓子が置かれている。
 障子を隔てた庭では桜が咲き誇っているのに卓には桜を模した美しい「宵桜」がのっている。
 多分、上生菓子は掛け軸や生け花と同じような役割を負っているのだろう。
 こんなお菓子がほかにあるだろうか?
 もちろん風味や食感の追求もされてはいるのだろうが、際だつのはやはり姿形なのである。
 食物としての価値よりも美術工芸品としての価値が優先されている。
 この頑なさ。あれこれいわずに上生菓子はその美しさを愛で、微妙な味わいの変化に注意しながらお茶とともにただ味わうしかないのだろう。
 和菓子は小さい。どれも小さい。椿の花、ウグイス、天と地、林を駆け抜ける風、紅葉の山、冬の静寂、春の喜び、具象も抽象もほぼ同じサイズの小さな和菓子によって表現される。「天と地」が「椿」と同じ土俵で表現されるところがすごい。
 多分、そのあたりは茶道の宇宙観に通じるのだろう。
 和菓子には凝縮、洋菓子には拡散のイメージがある。丸めた餡を包んで凝縮させる和菓子、生地を泡立てて膨らませる洋菓子。
 上生菓子はもう完成型だから、今後も進化、発展する可能性はないと思う。発展する必要もない。その枠の中で技巧を磨き、今は盛りではあるがやがては散ってゆく宿命までをも感じさせる花々、ウグイスの内面?も映し出すような造形、小豆と米で広大広大な宇宙を表現することに力を注ぐべきだろう。

 和菓子の頂点に君臨するのは確かに上生菓子だが、いわゆる朝生菓子といわれるふだん着の菓子がある。
 作ったらその日のうちに食べるのが朝生菓子。桜餅や大福のような餅菓子、醤油味の甘辛ダレやこし餡をのせたお団子、餡を皮でくるんで蒸したり焼いたりしたお饅頭。上生菓子がおおげさな飴細工やウェディングケーキどとすれば、朝生菓子はケーキやタルト、パイなどあたるのだろう。
 上生菓子は自然を形として取り入れているが、朝生菓子では形ではなく素材として取り入れる。
 野山で摘んだヨモギはヨモギ団子や草餅に、桜花の色に染められた皮で餡をくるみ、塩漬けの桜の葉を巻けば桜餅になる。桜の葉がなければ桜餅はただのピンクのあんころ餅になってしまう。桜の葉をこんな風に使うなんて大したもんだ。
 柏の葉でくるみその香りをほのかに移した柏餅、柚子やゴマ、サツマイモやカボチャ、栗や柿など何気ない野菜や果物を控えめに使った普段使いの朝生菓子は洋菓子に劣らない様々な変化が楽しめる。
 日持ちのする和菓子には落雁のような干菓子、餡を固めた羊羹、煎餅やアラレなどがある。
 羊羹はさしずめコンフィチュール、小豆を甘く煮て寒天で固めれば羊羹、果物を砂糖で煮て、果物に含まれるペクチンの力を借りて固めたのがコンフィチュール。餡は小豆のジャムといえないだろうか?
 かつてシベリアというお菓子があった。スライスした羊羹をカステラでサンドイッチしたお菓子だけど今でもあるのだろうか。
 考えてみればこれは和製ジャムサンドではないか?羊羹をこんなふうに使うなんて、その独創性は素晴らしい。和菓子と洋菓子の融合のお手本ともいえるだろう。
 煎餅やアラレはオーブンで焼き上げたクッキーやビスケットに当たるのだろうか。
 和菓子の世界は広くて深い。何気なく食べていた桜餅も最近は、ていねいにお茶を淹れてゆっくりと味わいながら食べるようになった。
 デパ地下でも洋菓子売場を素通りして和菓子売場をのぞくようになった。そこには本で見た憧れの上生菓子が本当に並んでいる。華やかで吸引力の強い洋菓子に比べれば確かに劣勢ではあるが逆境の中、がんばっている。
 偶然耳にした「和菓子の材料は植物性」という一言で足を踏み入れた和菓子という未知の世界。
 食の分野に限ってもまだまだ魅力的な鉱脈がたくさん埋まっている。和菓子はそのことを教えてくれた。



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#17 フレンチレストランにて
 札幌にフランス食堂Kというレストランがある。シェフと奥さんが二人ですべてをまかなっているこじんまりしたレストランには客足が絶えない。
 シェフは東京の名店で修行をつんだ確かな技術の持ち主だが、わざわざ食堂と名乗るあたりが奥ゆかしくてよい。
 たぶんパリの街角のビストロ、近所に住む常連客が毎日、訪れるような店をイメージしたのだろう。
 料理の内容も量も価格もそんな感じで設定されている。素っ気ないくらいシンプルで実質的なフレンチを提供してくれる。

 たまにフレンチレストランで食事をすることがあるが、はずれが多い中、この食堂は安定的な満足を与えてくれる。
 家庭で料理するとなるとどんな料理でも素材選びから調味料探しなど手がかかるのは間違いない。
 しかし面倒の双璧をなすのは和食とフレンチだと思う。何気ないひと皿にも気の遠くなるような時間と手間をかける。
 だから外食するのはたいていフレンチか和食ということになる。
 フレンチは一皿ごとの内容、メニューの構成からサービスの方法まで他のジャンルの料理に比べてシェフの個性が強く反映する。
 シェフはこのひと皿の料理で客に何を伝えたいのだろうか?
 旬の野菜の美味しさか、取れたての魚の滋味を引き立てるソース作りの技か、それとも直球勝負の肉の旨さか、シェフの意図が伝わってくると安心して料理を堪能することができる。
 それぞれに頑張っているのは認めるけれどがっかりさせられることが多いのはなぜなのだろう。
 野菜の産地から生産者の名前まで明記しておきながら味わうにはその量が少なすぎる。一切れのレタス、半分に割られたサヤインゲンではどうやって野菜の美味さを味わったらいいのだろうか?
 ソースや付け合わせ野菜で皿を絵画的に飾るよりもっとメインとなる素材にこだわった方がいいのではないか?
 デザートのルバーブもルバーブの○○と名乗らなければ、これは何?のソルベやタルト。はやりの野菜や果物を取り入れるのならその特質をよく理解してからにしてほしい。ルバーブと30年来の付き合いがある私は、その本質とは無関係に記号化されてしまったルバーブに同情する。
 だいたいルバーブなんて家庭のお菓子向きの素材でしょ?
 イチゴが足りないから畑から引っこ抜いてきたルバーブで増量してタルトでも焼こうか、といって程度の素材だと思う。1本づつラップにくるまれて棚に並べられたようなルバーブではその特色を伝えるのは難しい。
 年を重ねるごとに何だか気むずかしくなってきた。
 日本の特に地方都市のフレンチレストランには本来ならそば屋や定食屋がふさわしいのにいきなり料亭を始めてしまったという感じの店が多いように思う。
 日本でもトップ100位のフレンチレストランはそういうことはないのだろうが、札幌を初めとする地方都市のフレンチレストランには地に足のつかない、居心地の悪さがある。
 和食の世界は料亭を頂点とするきちんとしたピラミッド構造ができあがっているのだろう。というよりも寿司屋、てんぷら屋、蕎麦屋、鰻屋というような専門料理のエキスの総和として料亭が成り立っているのかもしれない。
 いずれにしても底辺を支えるのは町のどこにも見かけるそば屋、寿司屋、定食屋、日本に帰化した洋食屋、居酒屋などなど。
 しかしフレンチの場合はそういう足場的な店が少ないからふつうの料理人がいきなり本格フレンチを目指してしまうのではないだろうか。

 フランスの料理界では、高級レストランは街角のビストロや定食屋、カフェなどに支えられているのだろう。
 そういう店が評判をよび,次第に本格レストランに上り詰めるというようなピラミッド構造が成り立っているように思う。
 歴史の中で淘汰され生き残ってきた高級レストランのシェフはほんの一握りのエリート料理人なのかもしれない。
 和食の料理人がこぞって料亭の料理人を目指すようなことはない。事情は同じでフランスの料理人が誰も彼も本格的なフレンチレストランのシェフを目指すとは考えにくい。ほとんどは庶民の日常を支える食堂の料理人として腕を奮うのだろう。
 近年は変わってきたが、素材よりも技を重視する和食やフレンチの世界は特に料理人の存在が大きいように思う。バカ高い価格には料理人の技はもとより料理人の知性や感性に対する支払いも加算されている。技と鋭い感性と教養を兼ね備えたシェフこそがスターシェフとして一流フレンチレストランに君臨できるのである。
 本来なら町の洋食屋でご近所相手に商売するのに間違って・・・という勘違いシェフが日本には多いからなかなか納得のいくフレンチには出会わない。
 そういうフレンチ業界にあってフランス食堂を名乗る「K」は貴重な存在なのである。創作料理という逃げの手を使わず正当的なフレンチを気取らずに提供してくれる。
 ゴテゴテと飾らない。量もたっぷり。価格も適正。
 シェフは主張しない。職人として丁寧に料理を作る。たぶん腕に自信があるのだろう。Kは気軽に利用できる間違いのない真っ当なフランス食堂なのである。
 日本の高級フレンチレストランのシェフは皿を自己表現の場というような大それたことは考えずにまずは「K」のような方向でまっとうな料理を提供すればいいのにと思う。
 だいたい彼らに表現するほどの自己が確立しているのだろうか?受け取る側の客のことも考えてほしい。
 「K」の料理がどうのこうのという前にお客さん第一のその姿勢が好ましいと思う。
 高級フレンチもこういう店が増えれば支えが強化されるからより進化するのではないか?
 ハレの食事ばかりではつまらない。ハレはケに支えられて初めてハレとなる。
 料理の量に対してどうみても大きすぎる器、量を増やすか皿を小さくした方がいいのではないか?と言いたくもなる。
 繊細と貧弱をはき違えたひと皿
 名前ばかり大げさな割には印象の薄い凡庸な料理の群
 もうたくさん。ガラパゴス的な方向にはまりこんでしまった日本のフレンチ、辺境の赤井川村で嘆いても仕方ないか。
 日本では東京はもちろんのこと地方都市でも世界各国のレストランが軒を並べている。



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#16 韓国の食
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●韓国はヘビーな肉食の国
 韓国は近い。韓国は隣の国だから食も日本のそれに近いのだろうと思っていた。
 しかし実際に行ってみると食に関しては日本と韓国の間には地球の表と裏ほどの距離があることに気づいた。
 地球の裏側にある国の食生活が異なるのは当然としても、隣同士なのにこれほど違うのは心構えができていなかっただけに衝撃的だった。
 韓国は正統的な肉食の国だったのである。
 韓国といえば焼き肉やホルモン。だから肉食が盛んな国という程度の認識はあったけど、東アジアのはずれにある両国の食生活にそれほどの違いはないと思っていた。
 日本が魚を比較的たくさん食べるのに対して、韓国は肉をたくさん食べるといった程度の違いではないか。
 しかし、かの地の肉食はそんな生やさしいものではなく騎馬民族や牧畜民のような正統的かつ本格的な肉食だったのである。
 食べる肉の量は日本と韓国ではそれほど変わらないかもしれないが、その内容には雲泥の差がある。

スンデ市場の豚顔面
スンデ市場で。いきなり大量の豚顔面、
那覇の牧志市場がままごとのよう。壮観!
 ソウル郊外にある数件の市場を訪ねる機会があった。
 乾物がぎっしりの市場、肉専門の市場、ジャンや塩辛、おかず類の市場、唐辛子がこれでもかとばかりに並んだ市場というように扱うものがある程度決まっている市場と食品から服、雑貨まで何でも扱う総合市場がある。
 観光客のよく行く市場はたいてい後者でここにいけばほとんどものが揃う。
 今回は食のプロが案内してくれたから専門的な市場に行くことが多かった。
 そのひとつ、温泉の帰りに寄ったスンデ市場は活気みなぎる肉専門市場だった。
 スンデというのは腸詰めの一種。豚の大腸にもち米と野菜、豚の血、春雨を詰めて蒸したソーセージのようなものだ。
 韓国版ブータンノワールといったところ、酒の肴やおかずとして食べる。
 たとえ詰めるのが肉ではなくもち米であっても腸に詰めるという発想は日本にはまずない。
 豚の血も加わるとなるとスンデは日本人にはかなり異国度の高い食物だろう。
 スンデは美味というより、なるほどといった味。パクさんの両親は春雨を入れる入れないで論争していた。緑豆から作る春雨は高価なもち米の増量材として使われていたという。
 スンデ市場といってもスンデ専門というわけではなく、様々な肉塊と一緒にスンデの材料となる腸、豚や牛の血が店先に並んでいた。
 腸は大きなタライの水に浮かんでいる。腸だけではなく詰め物容器となる透明な内臓が浮かんでいる。肉食の達人たちはい長いの、短いの、太いの、細いの、丸いのとそれぞれに使い分けるのだろう。
 豚や牛の血はポリバケツの中、ひしゃげた杓子が無造作に放り込んであった。
 隣のたらいの中には豚の顔皮が何枚も積まれている。
 スンデそのものよりスンデの材料を扱つ市場。家内工業的加工業者が買っていくのだろうか。
 スンデは近代的なデパ地下でも売っていたし、スーパーでは売場で蒸しあげた出来立てあつあつのスンデが飛ぶように売れていた。
 山と積まれた豚足の煮物をおばさんたちが大量に買っていく。
 おかずにするのだろうか、1本2本ではなく山盛りを1皿2皿の単位なのである。
 韓国の豚足は日本のようにつま先だけではなくすねの方までつながっているのでボリューム満点、1本で十分満足できる量の肉がついている。

 豚足を食べる。スンデを肴にマッコリを飲む。〆にはワカメスープ。これも牛肉と煮干しで出汁をとる。
 毎日、こんな風に肉ばかり食べているわけではないだろうが、でも食の中心は肉なのである。
 日本と韓国は隣同士だし日本に徹底的に侵略されてきたのに何故、韓国は日本とちがって本格的な肉食の国になったのだろう。
 砂漠の方から?家畜というものが入ってくると、それはまず、農村でハレの日のご馳走として1頭2頭の単位で自家用に飼育される。
 昔は流通が未発達だし、冷蔵や冷凍など保存の技術がないから畜肉は商品として流通しにくい。
 商品として流通が難しければ、家畜は自家用の域にとどまざるをえない。自家用となれば頭から骨、内臓から皮まで余すところなく利用するだろう。肉だけ食べてその他の部分は捨てるというような勿体ないことはしない。
 料理したり保存したり、ともかくすべてを食べ尽くす。時間を経ると1頭丸ごと食べ尽くすという技術が発達し伝承されていく。
 時代が進むと畜肉は自家消費という枠を超えて製品として流通するようになる。家畜の飼育は農家の副業から次第に独立し生業としての飼育が行われようになる。
 経済的な発展と畜肉の消費量は多分比例するのだろう。豊かになれば肉の消費量が増える。
 かつては豚やウシを飼育して解体し自家用、あるいはご隣近所で消費していた農民も製品としての肉を買うようになる。
 しかし、自家用飼育の長い時代を経験している農民は1頭丸ごとの食べ方をしっかり受け継いでいる。
 市場に内臓や頭が並んでいれば、肉塊と一緒に自然にそれを購入する。肉同様、内臓の美味さを知っている。
 一方、沖縄ののぞく日本では明治時代に食肉が解禁されたものの自家用に家畜を飼うということはあまりなかったのではないか?
 人口の大多数を占める一般の農民は丸ごと1頭を食べきるという経験をする機会ははあまりなかったし、少なくとも丸ごと食べる技術が伝承されることはなかったのではないか?
 射止めた猪や鹿や熊を食べることはあってもそれはごく限られた体験だったと思う。
とはいえ日本でも肉食のタブーも薄れ、経済発展とともに肉食が盛んになる。盛んになれば職業としての家畜を飼育する農家も増えてくる。
 つまり沖縄を除く日本では肉は自家消費の時代を経ずしていきなり製品として普及したのではないか?内臓や頭は製品化しづらいし、消費する側だって内臓の食べ方なんて分からないから、肉以外の部分はほうるもん、ホルモンとして処理されてしまったのではないか?
 日本人にとって肉というのは、初めから解体され部位に分けられ、スライスされて店先に並ぶものだったのではないか?
 沖縄では豚や山羊を自家消費用に飼育している期間が長かった。それは肉食タブーから比較的早くに解放されたということもあるし、経済的な発展が遅れて肉が製品化されて流通するのが遅れたという両面がある。
 だから沖縄には1頭丸ごとの習慣が根づいているのだと思う。
 多分自家消費用に飼育する期間が長かった韓国や沖縄では1頭丸ごとの肉食文化が育ち、肉食タブーが強く、経済発展が早かった日本では1頭丸ごとの肉食文化が育たなかったのではないかと思う。

●キムチは健在
 そしてもうひとつ国を代表するのがキムチ。
 夏だったからパクさん宅の庭先にたくさん置かれたカメの中はほとんど空だった。
 暖かくなるとキムチはキムチ専用冷蔵庫に保管しておくという。
 夏には冬に漬けて酸っぱくなったキムチは料理に使い、キュウリや大根の浅漬けのようなキムチを食べるらしい。
 このキムチはチゲ用、これはおかずというように同じように見えるキムチでも使い分けていた。
 日本の白菜漬けのようにキムチを漬けるのも初冬、白菜や大根が大量に出回る季節。
 この季節は材料が豊富なこともあるがゆっくりとした発酵にちょうどいい気候なのだろう。
 白菜の葉っぱの間に塩辛や果物、唐辛子やニンニクを丁寧にはさみ込んだおなじみのキムチ、季節の初めに食べるキムチは生のエビやイカ、小魚をはさみ込むらしい。生素材の生臭さを消すために大量の唐辛子とニンニクを使う。これは季節限定の馳走キムチ。
 中身を挟まないで塩と唐辛子、ニンニクで白菜をつけたシンプルなキムチ、大根のカクテキ、カクテキというというのは大根の切り方をいうらしい。
 家庭でもいろいろな種類のキムチを漬けるし、市場に行けばたくさんの種類のキムチが並んでいる。食堂でも小皿に乗せたキムチがこれでもかとばかりにズラリと並ぶ。
 キムチは日本の漬け物という域を遙かに越えた韓国料理には不可欠な保存食なのである。
 おかずとしてご飯に添えるほか、鍋料理や炒めもの、チゲやスープにも欠かせない。
 日本では漬け物を漬ける家庭が激減しているが、韓国では今でも一般家庭でふつうにキムチを漬ける。
 初冬の休日、家族の絆が強い韓国では一族郎党が集まって祭りのようにしてキムチを漬ける。
 ソウルで働いている娘も大学に通う息子も田舎の実家に戻ってくる。キムチ作りは初冬の大切な行事らしい。
 パクさんの両親の庭先にはキムチ作りの時に食べる牛骨スープを煮る専用のカマドと大きな鍋がしつらえてあった。
 この日は子供や孫はもちろん韓国各地から親類が集い、酒を酌み交わす一大イベントなのだという。
 韓国ではキムチはそういう存在なのである。一言でキムチといってもその種類、利用方法は国民食にふさわしい多様性と広がりをもっている。

テンジャンの入ったカメ
テンジャンの入ったカメがずらーり。壮観!
●韓国でもほぼ菜食だった
 もうひとつ韓国料理には大豆を発酵させたコチジャン、カンジャン、テンジャンの欠かせない。
 おなじみのコチジャンは唐辛子を大量に使う。市場には粗挽き、細挽きといろんな挽き方の唐辛子粉が並んでいる。コチジャン用には細かく挽いた唐辛子粉を使う。
 テンジャンは日本の味噌、チゲには欠かせない。カンジャンは醤油。
 これらを専門に製造している製造所にも連れていってもらったが、大量のカメが整然と並ぶさまは圧巻だった。
 韓国のテンジャンやカンジャンは米麹や麦麹を使う日本のめんどくさい味噌、醤油と違い、自然界に浮遊するカビを利用して作る。
 味噌玉を軒先にぶら下げて自然に麹菌が付着するのを待つ。温度や湿度を気にしながら麹を出す必要がないから日本の味噌醤油ほど手がかからない。
 日本の醤油や味噌は面倒だから早くに一般家庭を離れて専門職として独立したのだろう。
 テンジャンは味噌玉で作るし、カンジャンはその副産物のようなものだから、韓国では今でも手作りする家庭が多いらしい。
 カンジャンは日に当てる必要があるからカメの蓋をあけたり閉めたりがするのが主婦の大切な仕事、最近、透明で通気性のよい専用の蓋が開発されて大助かりとういう。そこまで伝統的なカンジャン作りは家庭に浸透しているらしい。
 肉や野菜を焼くにしても煮るにしての決め手はヤンニョム。ネギやニンニク、コチジャンを肉にギシギシともみこんだり、タレに加えたり、添え物というより味の要といった感じで使われる。
 ヤンニョムを肉にまぶすのではなくゴシゴシともみこむ。ビビンバもそうだが韓国では徹底に混ぜ、徹底的にもみこむ。食堂でも丼の具をご飯にこれでもかとばかりに徹底して混ぜている人が多い。
 なるほど上品にちょっと混ぜるのではなく親の仇のごとく混ぜると丼には新しい世界が出現する。見かけはよくないけどおいしい。
 ヤンニョムは多分、韓国の肉食文化とともに発展してきたのだろう。
 韓国料理の風味を特徴づけるニンニクも唐辛子も肉食ならではの素材。世界中の肉食地域ではニンニクや唐辛子、香辛料が大量に使われている。味に変化をつけるのはもちろん、肉の匂いを消したり、肉の保存にも役立つ。
 日本では唐辛子やニンニクをあまり使わないのは菜食と魚食が中心だったからだろう。
 韓国では出汁も牛肉と煮干し、ニンニク、ショウガ、ネギを加えてグツグツ煮出す。この万能だしはスープの元になるほかでチヂミの粉に加えて味に深みをを出すのにも使われる。
 興味深かったのが大根、韓国では出汁をとるのに大根がよく使う。ちょうど日本の干し椎茸の感じ。
 韓国では大根を実によく食べる。
 干鱈を煮込んだスープにも大根、太刀魚のチゲにも大振りな大根、韓国独特の太くて短い大根は市場の店先に山と積まれていてまさに野菜の主役として君臨していた。
 そういう肉食の国、韓国ではあるが今回、肉はほとんど食べなかった。カルビもホルモンもプルコギも豚足の煮物も白濁したコムタンスープも一切食べなかった。

 案内してくれたパクさんがほとんどベジタリアンだったからだ。ソウル郊外にある(札幌と赤井川村位の距離)彼女のすばらしくモダンな家のキッチンで連日韓国料理の個人講習を受けた。
 彼女の妹さんも加わって、講師2人に生徒一人の贅沢な講習会。
 おなじみのナムルやチヂミ、ワカメのスープ、テンジャンチゲなど伝統的な韓国の家庭料理。ヤムニョムの使い方、キムチの使い分けなどなど。
 菜食中心でも韓国料理が十分に堪能できた。
 ご飯にナムル、コチジャンを添えてサンチェで巻いて食べるとしみじみと美味しい。
 ごはんにナムルを乗せて教えられた通りによくよくかき混ぜてコチジャンと生卵も一緒にかき混ぜるとビビンバもナムルとご飯とはまったく別物に生まれ変わっていた。
 巻く、混ぜるという行為がこんなにも食事を楽しく美味しくしてくれるものなのか。
 混ぜる、徹底的に混ぜる、これも韓国の食を特徴づける重要な要素ではないか?
 日本の丼物もおかずとご飯を一体化させて新しい味を生み出した傑作だと思う。
 天ぷらに天つゆをつけてご飯と一緒に食べるのと.ご飯の上に天ぷらを乗せてタレをかけて食べるのとでは内容は同じでも別物のように感じる。
 親子丼やカツ丼はもう一工夫あって卵でとじた具材を乗せる。もうこれはまるで別物、さっと煮た鶏肉と卵とタマネギをおかずにご飯を食べてもあまり魅力的ではない。
 韓国の食卓に日本の丼が登場したとしよう。韓国の人は必ず上に乗った具とご飯を徹底的にかき混ぜるだろう。
 天ぷらだってウナギだって鶏肉だって刺身だってご飯と一緒にかき混ぜるに違いない。すでに鰻丼はそんな風にして食べるのが一般的らしい。
 それは私たちがいつも食べる丼とはまた違った丼ものに変身するのだろう。
 かき混ぜる。なぜかき混ぜるか?
 日本ではご飯の上に具を乗せて一体化をはかる位がせいぜい、ご飯にしみた具やタレのうまさを味わう位っが限界だろう。
 混ぜご飯でも具と米を一緒に炊くか、炊いたご飯と煮た具を混ぜるか、鯛飯でも米と一緒に炊いた鯛は身をほぐしてあらかじめご飯に混ぜる。食卓にのぼるのはあくまでも完成型で食卓上で混ぜたりはしない。
 美学の違いなのか? 食事に対する基本的な考え方の違いなのか?

テンジャンの入ったカメ
韓国の食堂。一皿ずつは大したことはないものの
これだけ並ぶと壮観!
●初めての韓国は密度が濃かった
 顔の広いパクさんのおかげで大手出版社の社長や人間国宝級の料理家、食文化を研究する大学教授など多彩な人たちと食事をする機会があった。
 なんでももうじき韓国版ミシュランガイドが発行されるらしい。その折りには三ツ星間違いなしと評判の高い韓国料理店にもつれていってもらった。
 まずかろうはずはない。しかし超モダンな空間でコース形式で運ばれてくるフージョン料理、韓国とイタリアンを融和させた料理は静かすぎてあまりエネルギーが感じられなかった。
 おかずの小皿がテーブルからあふれ出す韓国料理屋、みんなでサバの塩焼きをつつき、辛い辛い唐辛子のナムルをご飯に乗せてエゴマの葉で巻いてほうばる、比較はできないけどそういうおなじみの定食屋さんの方が楽しかった。
 韓国の食はエネルギッシュ、熱気ににあふれている。人々が内に秘めた大陸的なエネルギーと歴史的な抑圧の中で蓄えたエネルギー、その総和こそ韓国の食なのである。
 韓国の人は食べるのが早い。食事中は大いに盛り上がってその喧噪ときたらすさまじいけど食事が終わると後を引かずにサッと席を立つ。
 韓国の人は料理を残すのを何とも思わない。
 それが韓国で感じた彼らの食事の流儀。
 印象に残っているのが、田舎町の食堂で食べたアサリのカルクッス。カルクッスというのは韓国版うどん、これでもかというほどたくさんのアサリを使ったそのスープは絶品、こんなに夢中でカルクッスを食べる人は初めて見たと笑われてしまった。本当に町の食堂的な庶民的な店は海鮮のチヂミもマントウもおおらかで美味しかった。
 そして驚くほと安かった。
 民族博物館の館長に案内してもらった食堂だが近隣では有名なところらしい。
 食堂もそうだが、この博物館は実におもしろかった。
 児童書専門の出版社が経営しているそうだが、全体が公園のようになっている。建物も立派ですてきなカフェも併設されている。
 韓国各地の衣食住、行事、歴史にまつわるあれこれを分かりやすく分類して展示しているのだが、これだけなら通常の民族博物館と変わりはない。
 特筆すべきはその展示方法にある。実に美しい。ライトの当て方、壁の色や素材、庶民の日常の品々が美術作品の如く展示してある。
 キュレーターの意識の高さなのだろう。本当にすばらしかった。
 しかしこんな田舎で大雨、平日と条件は良くなかったけれども観客はゼロ、これで私設博物館は経営していけるのだろうか?
 特別に伝来の家具も見せてもらった。ゴテゴテと飾りはついているけど本体のザインはとてもシンプルで線が細い。シェーカーの家具を彷彿とさせた。
 運転があるのに昼間からマッコリを飲んでいたパクさん姉妹も上機嫌だった。
 11月の終わりにキムチを漬けるからその時にはぜひいらっしゃいとパクさんの両親が誘ってくれた。それはおもしろそうだ。
 韓国から持ち帰った調味料を使って、時々ナムルやわかめスープ、鱈のスープ、テンジャンチゲなどが食卓に上る。
 日本の食卓にすんなりとなじむ料理、わずかに異国の香りがする韓国料理の数々、韓国に行く前は全く関心がなかったけど韓国の料理に接して世界が広がったような気がした。

追:パクさんが「11月にキムチを漬けるからいらっしゃい」と誘ってくれた。スケジュールを合わせてチケットを手配して、キムチの本などを読みながらその日を楽しみにしていた。しかし滞在していた鹿児島に仁木の子供が早く生まれそうだとの情報が入ったのが11月中頃、本当は12月の初旬に生まれるはずだったのに。迷った挙げ句すべてキャンセル、鹿児島→ソウル→札幌の格安チケットは紙くずと化してしまった。
 仕事が終わった翌日の11/28日、朝一番で北海道に戻る。すると何とその3時間後に赤ちゃんが誕生した。よかった! 将来、孫の仁菜に「私が生まれたとき、おばあちゃんはキムチ漬けに韓国に行ってたんだって。あれま」と言われたに違いない。来年の冬こそ絶対にキムチを漬けに行こう。



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#15 がんばれナーベラー
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 夏が来るとアリスファームとドロームを結ぶ出勤路の両側には野菜の直売所が並ぶ。それぞれに個性があり野菜の種類も違うからつい車を止めてしまう。
 ツルムラサキなら野田さん、バジルの苗は梅津さん、ゴーヤは白戸さん、パプリカなら原さんとお気に入りの直売所が決まっている。なかなかドロームにたどり着けない。

 石垣島に行ってもつい野菜の直売所巡りをしてしまう。北海道とは並んでいる野菜も違うし、風景が違う。そこに漂う季節感も違うから楽しい。近所の農家が持ち寄った野菜や加工品を並べた市場のような規模の直売所から壊れかけた小屋に野菜をパラパラと並べた投げやりな感じの直売所までさまざま。
 その佇まいは様々だが、どこの直売所でも青菜類の束がやけに大きい。水菜でもハンダマでも本州のそれに比べるとゆうに三倍はある。
 生産者が気前いいのか、大家族が多いからなのか。それとも加熱して食べると量が減るからなのか。
 たいして日持ちしない青菜を大量に摂取する術があるのだろう。
 トマトだってタンカンだって、豌豆だってインゲンだってビニール袋にギュウギュウに詰まっている。
 この地で生活しているわけではないけどその量の多さがうれしい。
 沖縄の人が本州で暮らしたらさぞ困るだろうなと心配してしまう。
 旅先で野菜を購入してもどうしようもないのは分かっている。とはいえなにも買わずに済ますわけにはいかないからまず保存のできそうなものを選ぶ。
 味噌とかゴーヤピクルスの瓶詰めとか、乾燥ウコンとかグァバ茶とか。しかしその内に抑制が効かなくなってくる。
 生野菜でもがんばれば持って帰れるかもしれない、という希望が頭をもたげる。
 こうなったらもうダメ、勧められるままに買ってしまう。この地を離れたら当分はハンダマは食べられないからなー、つい手にとってしまう。運ばれる途中でシナシナになってしまった大量のハンダマを手にして後悔する。それでも毎回同じことを繰り返してしまう。
 春は島らっきょうが出回る。友人の田代さんは方々の直売所を巡り、知人に声をかけて質のよい島らっきょうを探す。そのお裾分けが先日届いた。
島らっきょう
私の食卓には、肉はないけど島ラッキョウが必ずある
 島らっきょうはエシャロットみたいなものだ。エシャロットの代用に料理にも使うけど量が量だからとても使いきれない。保存する。基本はピクルス、らっきょう漬けにする。
 茎をナイフで切り落とす。ついでに薄皮をむく。根を切り落とす。1個につきこれだけ手間がかかる。
 ナイフを握る手の感覚が次第になくなってくる。手を休めてどれだけできたかな、処理済みと未処理の島らっきょうを見比べる。気が遠くなる。
 こういう地道な作業で大切なのは比較をしないということだ。前だけを見つめる。成果だけを気にかける。気がつくと終わっていたというのがいいのである。

 今年も大きなボールに3個分ほどあった。真っ白なボールに山盛りの処理済み島らっきょう、達成感で満たされる。
 これを1晩塩漬けする。翌日、瓶にらっきょうをギュウギュウに詰る。沸騰させたつけ汁を注ぐ。
 基本は酢と砂糖、塩、スパイス。酢をワインビネガーやリンゴ酢にしたり、砂糖を蜂蜜に変えたりして変化をつける。そしてスパイスを加える。1)島唐辛子+潰した黒胡椒 2)島唐辛子+黒胡椒+ピクリングスパイス(ベイリーフ、粒マスタード、クローブ) 3)島唐辛子+シークワーサーの葉っぱ+ビパチ(石垣特産の胡椒) 4)手元にあるスパイスいろいろ(カレー粉のよう) 5)島唐辛子+カシスの黒酢。思いつくままに変えてみる。
 結局はどれがどれか分からなくなるのだけれど黄金比率みたいな組み合わせがその内、見つかるかもしれない。2週間ぐらいして食べ始める。
 ホテルドロームでも鹿肉のパテなどに添える。味もさることながら格好の話題づくりとなる。
島野菜 ナーベラー
島らっきょうと一緒に飛行機に乗って
北海道に辿り着いたナーベラー。お疲れさまでした。
 今回は島らっきょうと一緒にナーベラーも入っていた。ナーベラーというのはへちまのこと。へちまといえばかつてどこの家庭の風呂場にも常備してあったカサカサのあの物体。あれは大きく育てたへちまを腐敗、乾燥させて繊維だけを残したものなのだろう。母の鏡台にもへちま水が常備されていたなー。
 東京でも日除けを兼ねて軒先に支柱を組んでへちまを這わせている家もあった。
 私たちにとってへちまとはそういうもの。少なくとも食物ではなかった。

 しかし沖縄ではナーベラーと呼んで若いへちまを食べる。
 へちまというのは「とううり」が縮まって「とうり」となりいろはでは「と」はいろは順では「へ」と「ち」の間にあるからへちまと呼ばれるようになったそうだ(ウィキペディアの受け売り)何ともふざけたネーミングではないか?これを江戸の粋というべきか。
 沖縄でいうナーベラーは「鍋洗い」が転じたものだという。まあどっちもどっち、あまり尊敬されている野菜とは言いがたい。
ミニゴーヤ
去年飛びついて買った期待の星、ミニゴーヤ。
いくらミニでも・・・。これは詐欺だ。
 沖縄といえばゴーヤー。同じ瓜でもゴーヤには強烈な存在感がある。は虫類の背中を思わせるイボイボがすごい。直売所でもスーパーの野菜売場でもキッチンでもどこに並んでいても目につく。皮の色も元気な濃い緑から白まで様々なグラデーションで楽しませてくれる。
 そしてあの苦み、ほろ苦いとかえぐいというのではストレートに苦い。野草を煎じたような苦み。
 コーヒーも苦みがある。しかしコーヒーの苦みは香りや味と一体化した調和のとれた苦さだろう。高度で複雑な苦み。しかしゴーヤーはただ苦い。瓜科の野菜であるゴーヤには香りや風味というようなものがあまりないから苦みが際だつのだらろう。
 ズッキーニにしてもキュウリにしても瓜科の野菜は味が薄い。水っぽくて存在感がない。そんな瓜科の野菜にあってひとりゴーヤは異彩を放っている。
 ナーベラーもゴーヤと同じ瓜科の野菜。まずゴーヤの表面からイボイボを取り除いてつるんとさせる。次にゴーヤから苦みをのぞく。
 するとゴーヤはナーベラーになる。
 つまりゴーヤを無個性にするとナーベラーになる。
 これまでズッキーニこそが最強の無個性野菜であると信じていた。しかしここにナーベラーという強敵が現れた。
 このナーベラーはどうやって食べるのだろうか?どう調理すれば美味しく食べられるのだろうか?
 沖縄では味噌いため煮で食べることが多い。味噌味のチャンプルー。皮をむいて大きめに切ったナーベラーを鍋にいれる。油で炒めてもいい。ふたをして中火で煮る。するとナーベラーから水分がしみ出てくる。水分が十分に出たら、塩、味噌、などで味をつける。角切りの島豆腐を加えて煮込む。
 これが一番一般的な「ンブスーナーベラー」。ナーベラーの水分だけで調理するのが基本。ナーベラーが少ないときには呼び水程度に酒を振る。ナーベラーから出る液は甘みがあって美味しいという。
 ご飯にかけて食べることもあったとタクシーの運転手さんが教えてくれた。へちま水をご飯にかけるようなもの?
 味付けには宮古味噌を使うことが多いが各地の味噌をブレンドするとその家庭その店特有の味を出すことができる。
 石垣市内の料理屋さんで「ンプスー・ナーベラー」を食べさせてもらった。つるんとした優しい食感がいいのだろうか。滋味といえば言えないこともないが、味はほとんどなく味噌の味しかしない。同じく味噌炒めでよく食べるなすのような気迫がえられない。なすは味噌炒めなら任しといてといった自信にあふれている。決して裏切らない美味。
 ここが瓜科の野菜となす科の野菜の実力の違いかもしれない。
 ナーベラーは頼りない。限りなく頼りない。沖縄料理の味付けの基本は出汁と塩、しかし影の薄いナーベラーを美味しく食べるには味噌の力も必要なのだろう。
 京都あたりでやりそうなことだが、出汁で煮含めてアンをかけるみたいな料理、えびしんじょのようなものをはさんで揚げるとか工夫しだいでは価値を高めることができるかもしれない。
 でもナーベラーはそんな手をかけずに素朴なままの方がいい。なにしろヘチマ、塩だけじゃもの足りないから味噌も足すかという程度の扱いがちょうどいい。
 3年に1度くらい食べたくなるおかず位が適当な位置かもしれない。
 日除け、ヘチマ水、アカスリそしてンプスーナーベラー。一人三役、四役というのもスゴい。
 しかも活躍する場所が軒先、風呂場、鏡台、台所とそれぞれに違うところもスゴい。
 ズッキーニにはとてもこんな真似はできない。

 瓜科の野菜の一番の強みは栽培が容易で多産なところにあるのだろう。よほどのことがない限りいくらでも実る。決して期待を裏切らない。
 ほかの野菜が全滅しても瓜科野菜はがんばるのである。
 なす科の野菜は料理に対する貢献度がきわめて高い。なすを初めとしてトマトやジャガイモもなす科の野菜、トマトがなければイタリア料理は成り立たないし、ジャガイモがなかったら超高級レストランから一般家庭に至るまで世界中が困る。
 確かになす科の野菜に対する依存度は高い。野菜の中では一番だろう。
 しかしなすもトマトもジャガイモも栽培が難しい。けっこう気むずかしいのである。連作はできないし、気候に敏感に反応する。
 人間が有用であると認める→世界中に栽培が広がる→気候に併せて無理して栽培するので病気や害虫に弱くなる→栽培が難しい。
 毎年毎年新しい種類のトマトが開発されて栽培されている。少し前は桃太郎やキャロル7が全盛だったのに、今はアイコが人気。糖度は上がり続け、フルーツのようなトマトがもてはやされる。
 そこへ行くと新種のへちまなんて聞いたことない。
 隼人ウリとか冬瓜などのウリ類は東日本から北の地域ではもはや絶滅危惧種となっているのではないか。
 元気なウリ科野菜といえばカボチャくらいなものだろう。
 ゴーヤはその押しの強さで全国区の地位を不動のものにしたがナーベラーにはそういうパワーはない。全国区どころかそのうちヤンバルクイナや西表ヤマネコ並の存在になってしまうかもしれない。
 ヘチマ水が化粧台から姿を消したように、お風呂場ではへちまが化学繊維のごわごわタオルにとって代わられたように、軒先の日除けがエアコンの普及で見向きもされなくなったように、そのうちナーベラーも食物界から姿を消してしまうのだろうか?
 それとも青椒牛肉絲の一般家庭への浸透により子供の敵だったピーマンが復活したように、スパゲッティーボンゴレの登場でアサリが味噌汁の実から脱却したようにナーベラーも突然脚光を浴びる日が来るのだろうか?



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#14 野菜の花
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 菜園に咲く野菜の花は侮れない。
 菜園でひときわ目立つのはオクラ。オクラはハイビスカスの仲間、花弁は薄紙のように柔らかで淡いクリーム色をしている。ひらひらと風を受ける花の花芯はエビ茶色。そのコントラストが異国的な感じを醸す。
 サヤが女性の指サイズであることからかオクラはレディスフィンガーと呼ばれている。その細っそりとした慎ましい実とは不釣り合いな大振りな花だ。しかし実も放っておけば大きな花に見合ったたくましいアームに成長するのだろうが。
 菜園のそこだけ南国の風が吹いている。花が赤なら蝶がたくさん集まってくるのにと時々残念に思う。
 じゃがいもの花もいい。淡いピンクの男爵、白地にヘリオトロープ色の絞りを散らしたメイクィーンの花は特に美しい。
 「馬鈴薯のうす紫の花に降る雨を思えり都会の雨に」
 通学途中、一面に開花したジャガイモの畑を見て中学生の仁木がつぶやいた。都会で北海道を懐かしむ啄木の歌だ。
 30年近く前のことだ。北海道移転を決めて候補地巡りをしていた時に偶然通りかかったマッカリヌプリの麓に広がる畑は馬鈴薯の花盛りだった。
 車を止めて畑の中に入った。目にはいるものといえばジャガイモの花、花、花。畑に初夏の風が吹く。花は一斉に波打ち、目の前には見事な大海原が広がった。
 花のほかには青空と子供が描いたように聳えるマッカリヌプリだけ。
 それは狭苦しい本州の山間の村に暮らしていた私たちには衝撃的な光景だった。広大で単純でおおらかなその風景が手招きして私たちを北海道へと誘った。

ヒョウモンチョウ
菜園のミントの花で吸蜜するヒョウモンチョウ。
昆虫は集合花がお気に入り。
 なすの花は深い紫が美しい。花からも枝からも実からも紫の色素が滲み出す。成長が始まると堰を切ったように紫が溢れでる。同じ紫の花でも庭に咲く鑑賞用の花にはない作物としての生命を感じさせる花だ。
 タイ料理によく使われる白いなすの花は白。やっぱり紫のなすの方が力強くていい。
 ズッキーニやカボチャは黄金色の大振りな花を咲かせる。ラッパ型の花は、時にはリコッタチーズなどを詰め込まれてフリットとして供されることもある。
 花を眺めているとこの花にしてあの実といった深い結びつきが感じられる。土着的というか天衣無縫というか、何だかかなわないなーという気がしてくる。
 総じて豆科の花は可憐で美しい。豌豆の花はスィートピー。蝶型の花弁はその可憐さに少しも気づかないアジアの田舎娘の如き純朴さがいい。
 支柱にツルを絡ませてぐんぐん伸びる花豆は実よりも、密度濃く茂る葉を目的に栽培している。円錐形の緑の壁、見え隠れする赤や白の花、変化に乏しい菜園ではひときわ異彩を放っている。
 菜園には日陰を作る樹木を植えるのは難しから花豆の壁は樹木の代役にちょうどいい。
 咲かせてしまったチコリの青い花、ブロッコリーの黄色い花、キャベツは結球した葉を打ち破って黄色い花を咲かせる。そういう怠惰の証はす早く隠滅したいけどいつも咲くままにしてる。蝶も来るしね。
 個性豊かな菜園の花々の中でも私が特に好きなのは空豆とルッコラとシナモンバジルの花だ。
 空豆は天に向かって莢をつけるから空豆というらしい。どうして重力に逆らうような真似をするのだろう。実は充実すると莢は天を目指す。
 かつては初夏のわずかな期間しか空豆を味わうことはできなかった。
 その時期がくると夕餉の食卓には毎晩のように茹でた空豆を入れた鉢が乗った。今しかない、1年分の空豆を集中して食べようとする意気込みのようなものがそこにはあった。
 空豆の莢をむくのは子供の仕事、夕方になると言いつけられて莢をむいた。莢の内側は真っ白くて綿のようにフカフカで豆の形に凹んでいる。豆はおくるみにくるまれた赤ん坊のように大切に守られている。
 春先に出廻る豌豆をむくのも子供の仕事、インゲンの筋をとるのも、枝豆を茎からはずすのもこどもの仕事だった。
 空豆は美味しい。最近では村でも空豆を栽培する農家が増えてきた。空豆は鮮度が大切、新鮮な豆はエメラルドの色も鮮やかで柔らかくて素直な味がする。少し若採りの新鮮な空豆がいい。
 収穫してから時間がたった豆は、堅いし色もくすんでいるし、瑞々しさがない。
 近所の農家から出荷できない空豆を時々分けてもらう。といっても段ボールにいっぱい分はあるから食べきれない分は茹でて冷凍していた。しかし生豆のまま冷凍した方が美味しいよと生産者に教えてもらった。なるほど冷凍生豆の方が風味がずっといい。

 茹でて皮をとってピュレにする。生クリームと塩、白胡椒を加えた濃厚なピュレは冷たくして前菜にいい。
 ミントの香りを足すと美味しいと思うけど試したことはない。
 空豆のピュレは、アスパラ、グリーンピースのピュレと並んでベスト3に入る。
 薄皮つきをフリットにしてもいい。ピュレをグリルした白身魚や鶏肉のソースにしても美味しい。
 莢付きのままオーブンで焼くのもいい。
 でもやはりとりたて茹でたての空豆にはかなわない気がする。
 そういえば、油で揚げた茶色の皮付き空豆がビールのお供として活躍していた時代もあったが、今でも健在なのだろうか。形は空豆でもやたらと固くて空豆の味はしなかった。
 同じ系統のマメに真っ白な塩マメというのもあった。あれは豌豆なのか大豆なのか、やはり固くて不思議な食物だった。
 きっと昔はああいう固いものを食べていたから顎も歯も鍛えられたのだろう。ホワホワとかとろけるがキーワードになるような昨今、若年層にはとても受け入れられそうにない。
 北海道では空豆はあまり一般的ではない。少し前までは本州から運ばれてきた空豆しか手に入らなかった。空豆好きの私はちょっとくたびれた豆でも買ってしまうのだが、がっかりさせられることが多かった。

 あるとき、大きく膨らんだ花豆の緑の莢を摘んでみた。いつもは枯れるままにして豆を乾燥させて保存していた。
 まだ、若い豆を取り出して茹でると、空豆に近い食感と風味、偶然とはいえうれしい発見だった。十分に熟す前に収穫すれば、花豆も空豆のように食べられるのか。
 しかし若い豆には野鳥や虫を寄せ付けないように青酸のような毒をもつものもあると聞く。
 野菜の本を開いても、料理の本をあけても若い花豆が食べられるという記述は見あたらない。
 こんなに美味しいのに。
 そんなことは常識だから誰も言わないし誰も食べないのかもしれない。
 こわごわ、少量ずつ食べていたが結局何ともなかったところを見ると食べても害はないらしい。
 インゲンはサヤ、若いマメ、サヤが枯れて、十分に成熟したものを乾燥させたマメと成長過程のいろいろなステージを楽しめるのがいい。

 空豆の花は蝶の羽を思わせる軽い純白の花弁に濃いえんじ色の線が浮かんでいる。その線はえんじ色の花芯部からじわっと染み出たように滲んでいる。
 上等な和紙にエンジ色の炭でスッと線をひいたような感じ。かつては色合いのせいか不吉な花、死者の花とされていたようだ。
 でもこの花の白と黒のコントラストはほかの花には見られない。清潔で簡素で潔くて何ともいえなくいい。
 ルッコラの花はアブラナ科特有の十文字の花弁をもつ。はかなげな白い花弁、赤紫色の細い線が中心部に向かって延びる地味な花だが、都会的な雰囲気をもつ洗練された花だと思う。花が咲くまで放っておくと葉は苦くて食べられないからルッコラを栽培していても花は知らないという勤勉な人がいるかもしれない。しかし葉は犠牲にしてもルッコラの花は鑑賞する価値があると思う。
 ルッコラの花を見るといつもポストモダンという語句が浮かんでくる。
 シナモンバジルはピンクの小花をたくさんつける。艶やかな緑の葉に紫色の葉脈が鮮やかな葉も美しいけど可憐な紫蘇科の花は小さいながらその存在をくっきりと主張している。シナモンバジルは切り花として栽培してもいいくらいに美しい。
 ハーブの花には切り花にしてもいいような美しい花が多いけど、どうも花の美しさと実用性は反比例するようだ。ベルガモットの花は華やかできれいだけど葉はあまり使い道がない。可憐なボリッジもそうだ。
 その点、葉も使えるし、花もきれいなシナモンバジルは好感がもてる。
 ミツバチやマルハナバチや蝶はタイムやアニスヒソップなど地味な集合花を好む。集合花の方が大輪の花より効率よく蜜を集めることができるのだろう。
 地を這うようなタイムの花に大きなマルハナバチがぶら下がっている光景を眺めていると心が和む。
 私は菜園も庭の一部とみなしているから花の具合も考えて野菜やハーブを栽培する。だから葉菜も果菜も根菜も栽培する。単一の作物だったらどんなに味気ないことか。
 以前は菜園でデルフィニュームやベロニカも栽培していたが、宿根草は厄介なのでやめにした。
 その後は一年草の花をいろいろ植えてみたが、ある時、菜園には菜園にふさわしい花があることに気がついた。
 ナスタチューム、マリーゴールド、カレンジュラ、ジニアあたりがふさわしい。どれも洗練とはほど遠い野暮ったい花だ。菜園には気取った花、都会的な花よりもこういう庶民的な花がよく似合う。
 赤やオレンジ、黄色の花は菜園に降る陽光を受け止めて輝き、屈託なく輝いて菜園を活気づける。何より頑強なのがいい。
 いろんな野菜とラスティックな花花、菜園の美は有用がもたらす健全な美しさにあると思う。



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#13 種子を注文する
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トマト・アイコ
去年はトマト・アイコが豊作だった。
朝食は菜園でトマトをもいで食べることが多かった。
デザートはブルーベリー。
 冬、菜園は雪に埋もれる。雪の下で植物は寒さをこらえてやがて来る春に備えている。植物にとっては裸のまま寒風にさらされるより雪に埋もれている方がましというもの。冷たい雪は植物を布団みたいにくるんでくれる。
 いくら園芸好きでも季節には勝てない。喜びや驚き、怒りや落胆の源であった菜園ともしばしのお別れ。冬は落ち着いて庭の鑑賞ができる唯一の季節であるとチャペックは悔し紛れにいう。
 確かに葉を落とした木々と冬でも青々とした針葉樹、足下では草花の葉が地面にへばりつきどん欲に光を吸収しようとがんばる。そんな冬の顔をした庭も静かな趣があるにちがいない。
 とはいえ最盛期のそれとは比ぶべくもない。
 北海道では菜園も庭も一面の雪野原、その境はおろか周辺を取り囲む林との境界さえ定かではない。道路の除雪で飛ばされた雪が3メートルはつもっているから近づくことさえ難しい。
 冬の園芸好きは想像の世界に遊ぶしかない。春になったら・・・・・。思いはふくらむ。
 その思いを見透かしたかのように種苗会社は一斉に種子のカタログを送ってくる。きれいな写真満載のカタログは新色のジギタリスがおすすめとか2色の花がきれいな蔓ありインゲンは菜園の装飾に最適とか、去年は品不足だったアイスプラントも今なら早いもの勝ちと緑に飢えた園芸好きの購買意欲を盛んに煽る。
 アイスプラントなんてもうたくさんと思っていたのに、早いもの勝ちという文句に慌てる。次第に理性が崩壊していく。
 しかし昔はあんなに大量に届いていたカタログも、近年は請求しない限り送られてこない。
 種子もネットで販売が主流となってきたからである。国内はもちろん外国の種苗会社にアクセスすることも可能だから日本はもとより世界各国の種子をいながらにして手に入れることができる。本当に便利な世の中になった。
 30年前には・・・と苦労話は尽きない。

 外国の園芸雑誌を取り寄せる→気になる種苗会社に手紙を書く→運良くカタログが送らてきたら種子を選ぶ。読みづらい手書き文字と不鮮明な写真、下手なイラストを頼りに種子を選んで注文書を送る→運がよければ送金の依頼が来る→郵便局に行って外国送金用の定額郵便為替を作る。場合によっては郵便局の窓口で局員に作成法を指導する→郵便為替を送る→郵便受けをのぞく日々が続く→待てど暮らせど種は届かない。雪は溶け始めたというのに→種苗屋に催促の手紙を書く→夏の盛りに春まきレタスの種がようやく届く。という具合。
 これを繰り返して信頼できる種苗屋を探す。
 返送用の封筒を入れてカタログを請求しても返事はなかなか来ない。注文書を送っても送金でつまずく。種子を手にするまでの道のりは本当に長かった。
 それだけに種子を手にできた時の喜びには格別なものがあった。例え、そこらの種苗屋さんでも入手できそうな種子でもともかくうれしかった。

 うって変わって今はパソコンの前に座る→検索する→ほしい種を買い物かごに入れる→指示に従って登録したりカード番号を打ち込んで支払いをする(ここまで30分とかからない→確認メールが来る→種子が届く。
 昔の煩雑さを経験しているものにとっては驚きのスピードと正確さ。北海道の僻地に暮らしていても世界中の種子が簡単に手にはいる。
 最新の風味抜群料理用トマトだって、ほのかにミントの香りがするオリジナル何とかバジルだって種さえ入手できれば現地とリアルタイムで栽培することができるのである。その種子をまけばイタリアの最先端レストランと同じトマトソースができるかもしれない。

 しかし・・・・・。しばらくネット販売に頼っていたのだが、最近になって私はアナログカタログの良さを再認識している。単なるノスタルジアではない。
 お手軽ネット販売では熟考、逡巡は許されない。さあどれにする、買うの買わないの、迷いは禁物、時間の無駄、さっさと買いなさいとピカピカの画面はカスタマーをせき立てるのである。
 雪解けの菜園に思いを馳せて、ここには蔓ありインゲンを植えよう、いや待てよ、そうすると周辺が日陰になるから丈の低いエンドウ豆にしようか。いっそトマトとバジルのエリアにするというのもあるなー。久しぶりに黄色や橙色のカレンジュラも植えてみようかなといった想像の世界に遊ばせてはくれない。
 カタログだとページを行きつ戻りつしながらほしい種に○をつけ、そのページに付箋を貼り、注文書を書く。書きながらまた迷い、付箋のページに戻りという具合に○をつけたり消したりしているうちに頭の中に菜園ができあがっていく。
 しかしネットでの購入にはそういう楽しみがない。行きつ戻りつという余裕がないのである。
 買い物かごで数量を変更したり取り消したり、お買い物候補に入れておくこともできる。でもそういった操作上の問題ではなく、気持ちがどうしても先走ってしまうのである。
 カタログ販売が魚屋、八百屋のような昔ながらの対面販売だとするとネットはスパーマーケット、かごに放り込んでレジで支払いする。
 スーパーマーケットでの買い物は魚屋のおじさんや八百屋のおかみさんと話をしながら献立を決めて行くような楽しみは得られない。
 「今日はいい太刀魚が入ったよ」とおじさんにと言われて、予定したハンバーグが太刀魚の塩焼きに変更ということはない。ハンバーグといったん決めたらハンバーグなのである。
 母は毎日買い物かごをぶら下げて商店街に出かけ、なじみの魚屋さんや肉屋さんのお勧めを聞きながら献立を考えていたようだ。
 素直に従うものだからいつも山のような荷物を抱えて帰ってきた。

インゲン豆の緑の壁がスカスカ
去年はインゲン豆の緑の壁がスカスカだった。
これは異常気象のせいにはできないと反省。
 ネットでの種子購入に何となく違和感を感じていたのだが、その理由は園芸という作業の質とPCの機能性がしっくり馴染まないところにあるのではないか、という結論に達した。
 それで久々にカタログを請求することにした。大手の種苗屋は請求すれば一応カタログ送付もしてくれる。
 カタログが届いた。しかしどのカタログもいやに薄い。昔はあんなに厚かったのにのかつての半分もない。
 それにネットカタログにのっていた魅力的な種子がアナログカタログには見当たらない。
 アナログカタログにはお座なりな感じが漂っている。
 「できればネットで注文してくださいね」という種苗屋さんの気持ちが透けてみえる。
 簡単に種子が入手できるネット販売を利用するか、じっくりと選べる冊子カタログ販売を利用するか。アナログ時代の苦労を味わっている私ら旧世代はネットの便利さに過剰に反応してしまう。便利な道具を手に入れて平静になれずネットに頼ってしまうのだろう。
 新世代なら両方を使い分ければいいじゃんと真っ当なことをサラリと言うに違いない。
 貧弱になったカタログでもいい。すっかりご無沙汰していたカタログ集めを再開した。
 私が海外の種子集めに熱中していたころ、最も対応がしっかりしていたのはイタリアはミラノの種苗屋さんだった。イタリアだからなー、たぶんいい加減なんだろうなと期待はしていなかったのだが、私の手紙に丁寧に返事をくれたし、注文した種も間違いなく送ってくれた。
 それにこの種苗屋さんでは1袋に入っている種の量がものすごく多かった。
 一般の種苗店なら数粒なんてこともあるのにここは新種の種だって袋にパンパンに詰まっている。
 袋のデザインはどれも同じ、クラフト紙の袋に店のロゴと種捲く人のイラストが印刷してある。美しいカラー写真や栽培のアドバイスなどはいっさいなし。
 野菜の種類を示すゴム印と有効年月日が押してある。
 種の量が多いせいか有効年月日も長い。ふつうは1年なのに3年位は保証つきなのである。
 その無愛想な種袋は油紙に包まれて届く。10袋くらいずつ丁寧に油紙に包まれている。
 当時だって死滅しかけている懐かしの油紙。ビニール袋にとって代わられたのはずいぶん昔のことだ。
 油紙には種袋と同じロゴが印刷されていた。
 種袋といい油紙といいそのレトロ感が何とも好ましかった。きっと店の主人は昔気質の頑固ものなのだろう。
 しかしネット販売を利用するようになってからはその種苗屋さんから種を買うこともなくなった。
 その種苗屋さんはミラノにあった。ミラノに行く機会があったので住所を頼りに探してみることにした。

 静かな住宅街、確かにこのあたりなのに店は見つからない。
 諦めかけた時、古びた煉瓦作りの門に気づいた。冬の日、枯れたツタが絡みついたアーチ型の門。ここしかないと思い、思い切って門をくぐった。
 門をはいると意外と広い中庭のようなスペースがありそれを囲むように住宅が並んでいた。
 中庭をぐるりと回ってみた。その中の一軒、閉じられた木製のドアに張り紙をみつけた。
 おなじみのロゴの入ったレターペーパーには「移転しました」と書かれていた。
 その下に移転先とおぼしき住所も記されていた。
 ここからあの種はやってきたのか。はるばる日本の北のはずれまで。たぶんミラノ近郊の畑で採取した種を袋詰めしていたのだろう。
 「日本から注文がきたぞ。日本てどこだ?面倒だな、小口だし」
 「兄弟よ、そんなことを言ってはいけないよ。いくら面倒でも客は客、大切にしなくては。日本と我が祖国イタリアは昔は同盟国だったしな・・・・」
 というような会話が交わされたのかどうか、その種苗屋さんの屋号は何とか兄弟社だった。
 冬の日、覚えるくらいにカタログを眺め、菜園に思いを馳せ、私を種の世界に遊ばせてくれたあの種苗屋さんは確かに存在したのである。
 イタリアにある種屋さんという抽象的な存在が急に確とした存在となった。なんだか夢のような体験だった。
 ミラノの町は、陽が傾きかけていた。閉じられた扉に向かって「グラツェ」と感謝の言葉をつぶやいていた。

 またあの種苗屋さんにカタログを請求してみよう。移転してしまったから手紙が届くかどうかわからないけどとにかく手紙を出てみよう。律儀な兄弟だから何とかしてくれるかもしれない。
 情報の入手が難しかったあの頃だからこそこのイタリアの種苗屋さんに出会えたのだろう。
 情報がリアルタイムで世界中を駆け巡る昨今、こういう秘密めいた喜びは許されないんだろうな。



食卓日記マーク
#12 あのサラダ
菜園小屋
雪の中から姿を現した菜園のシェッド。
旧友と再会したよう
 多くの母親は子供にいかにたくさんの野菜を食べさせるかという難問を抱えている。今、思えば私の母親も様々な工夫を凝らしてこの難題に立ち向かっていたように思う。
ハンバーグの生地を半割りにしたピーマンに詰める。軸を除いた椎茸の裏側に張り付ける。キャベツで巻く。わずか半分のピーマンを食べさせるために、キャベツの葉1枚のために、1個の椎茸のために手間暇惜しまず調理していたのである。

 母親になった私も気がつけば同じことをしていた。子供に野菜を食べさせる、それはもう世の中の母親には強迫観念に近いものがある。
 チャーハンにはここぞとばかりに大量のタマネギや人参、ほうれん草やピーマンを細かく刻んで混ぜ込む。大量の野菜も炒めれば量は減る。子供たちが世の中を知らない間はチャーハンというのは野菜に同量のご飯が混ざったカラフルな炒め物であると思って喜んで食べてくれた。

 焼きそばだってまずは大量の野菜を炒める。野菜を取り出してから麺を炒めて野菜と混ぜ合わせる。
 山盛りの野菜を食べ尽くさないことには麺には行き当たらない。世の中を知らない間、子供たちはそば入り野菜のソース炒めこそが焼きそばであると信じていた。

 生野菜のサラダは加熱した野菜料理に比べて野菜の消費墓が少ない。その上レタスやキュウリのように色の薄い水分の多い野菜が中心だから何だか損したような気分になる。
 レタスよりキャベツ、キュウリより人参と工夫すれども子供たちはなかなか食べてはくれない。

ルバーブの苗
温室の中で冬越ししたルバーブの苗。
今年こそは定植してあげよう
 そんな野菜消費事情にあって「あのサラダ」だけは喜んで食べてくれた。薄切りにしたトマトを皿に丸く並べてドレッシングをかけただけのシンプルなサラダ。トマトの季節には食卓の常連としてほぼ毎晩登場した。今でも家族がそろえば必ず顔を出す。

 トマトを薄く切る。円を描くような感じで丸く並べる。さらしたみじん切りのタマネギを散らす。ドレッシングをかける。同量のオリーブ油とワインビネガーに塩胡椒を加えたシンプルなドレッシング。
 これを冷蔵庫にいれて1時間以上置く。食べる直前にバジルの葉をちぎってのせる。
 たったこれだけ。櫛形に切ったトマトには見向きもしない彼らも不思議とこのサラダだけは争って食べた。
 こつといえばたぶん1時間くらいマリネするところにあるのだろう。ドレッシングが程良くしみたトマトには生であって生ではない独特の食感と風味が加わる。
 翌日食べても美味しい。

 「あのサラダ、どうやって作るの?」2人のこどもから別々に聞かれた。彼らはそれぞれが独立したキッチンを持ち自分のために料理をする。
 あまりにも簡単だから箔をつけるために少し勿体ぶって教える。
 「まずトマトをよく切れる包丁でスライスするんだけど厚さが大切、薄いとドレッシングが染み込みすぎるし食べごたえがないからね。」
 「でも一番大切なのは厚さより厚みを均等にそろえることね」
 本当は簡易包丁研ぎ器で包丁をさっさと研いでから、トマトが豊富なときは厚めに、冬場などトマトが乏しい場合には薄くスライスしているに過ぎない。
 「シンプルなサラダだからドレッシングが命。オリーブ油と白ワインビネガーが2対1位かな。」そういう私はいつも目分量、オリーブ油が切れていればサラダ油やグレープシード油の時もある。
 白ワイン酢と指定するのは私のキッチンに常備されているのが白ワインビネガーだからに過ぎない。

 「アクセントには紫タマネギかエシャロットがお勧めだけど手に入らなかったらふつうのタマネギでもOK。」とはいうものの面倒な時にはタマネギさえ省いている。
 「バジルは欲しいけど乾燥バジルを使うくらいだったらない方がまし」
 とバジル栽培をそれとなくそそのかす。
 「バジルは鉢でも栽培できるからあると便利」

 「一番大切なのは冷蔵庫で寝かせること。だから初めにサラダを作って冷蔵庫に入れてからパスタなりおかずなりを作るといい。」
 これは本当。作りたてを食べてもふつうのトマトサラダで、彼らのいう「あのサラダ」にはならない。

 各人がそれぞれのキッチンであのトマトサラダを調理しているのかと思うとうれしい。
 私のアドバイスをどれくらい忠実に守っているかは別として各人の食卓にそれぞれの「あのサラダ」がのっている光景を想像すると楽しい。「あのサラダ」は我が家の味として伝承されたようだ。

キタコブシの冬芽
あったかそうなキタコブシの冬芽。
4月とはいえくれぐれも油断しないように。
 10種類以上のスパイスを効かせた本格的なインドカレー、時間をかけて煮込んだとろけるようなタンシチュー、あんなに好きだったチリコンカン、これまで手の込んだ料理を時間をかけてたくさん作っきたのに誰もシチューのことは言わない。チリコンカンは忘れてしまったようだ。

 彼らには手の込んだ幾多の料理よりも「あのサラダ」の方がが印象深かったのだろう。あれなら簡単にできそうだという配慮も働いたのだろう。
 長年発っし続けてきた野菜を食べろコールが体に染みついているのかもしれない。

 ちょっと寂しいけど例え一品でも我が家の伝承料理が誕生したことはともかく喜ぶべきことなのだろう。



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#11 パン
 赤井川村には宝物がたくさんある。山に入れば山菜やキノコ、クルミ、ハシバミ、サルナシのような木の実、草の実が豊富にある。散歩道ではエゾ鹿やエゾライチョウに出会うこともある。ここでなら狩猟と採取で生き延びられそうな気がする。

 山に囲まれたカルデラ地帯は純農村地帯、プロの農家が丹精して育てた野菜や米は間違いなく美味しい。
 加えて、峠を越えれば日本海。海の幸にも恵まれている。北の海だから魚の種類は限られているが、前浜でとれた新鮮な魚介類が手に入るのは嬉しい。
 近年はヒラメが豊漁らしく、活きのいいヒラメが驚くほど安い。ザルいっぱいの甘エビや発泡スチロールの箱に詰め込まれた朝どりの新鮮なイカが店の外にまで山積みされている。価格は漁師に申し訳ないほどやすい。

 海の幸、山の幸に恵まれているという幸運と同じくらい私が感謝している幸運がある。それは買い出し圏内に美味しいパン屋さんがあることだ。
 ここ10年くらいの間に日本のパンは進化と深化を重ね多分、パンを主食とする国々のそれと比べても遜色ないパンが手に入るようになったと思う。

 しかしパンというのは日常食だから、いくら美味しいパンがあっても遠くまで出かけて入手するような食品ではない。まして鮮度を考えれば取り寄せるような食品でもない。
 だからそのパン屋さんが余市と小樽の境にある忍路(おしょろ)の海を見下ろす高台に開店するまではほとんど毎日、パン焼き器を駆使してパンを焼いていた。
 パン焼き器はほんとに優れものだと思う。調理機器の最高峰ではないかと思う。
 粉の種類を変えたり、ナッツやフルーツを加えたり、ハーブやスパイスを加えたり工夫次第で直球から変化球まで手軽に簡単にパンが焼ける。

 炊飯器も革命的だがその革命性は米を炊くということよりもいつでも熱々のご飯が食べられるというところにこそあると思う。主婦は冷やご飯の処理に頭を悩ませることもなくなったし冷や飯という言葉自体がほとんど死語と化したように思う。
 パン焼き器は粉を練り、2度も発酵させて焼くというはなはだ煩わしい作業をただ粉と副材料を計量して容器に放り込んでスイッチをいれれば焼き上がるというわずか2ステップの作業に簡略化した。タイマーを併用すれば焼き上がりの時間まで設定できるようになった。誠にもって革命的な調理器具だと思う。

 ものすごく美味しいパンができるわけでもないが、大手パンメーカーが大量に生産するそれよりはずっとまともなパンを普通に食べられるからパン焼き器には大いに感謝していたのだが、そのパン屋さんの出現が私のパン事情が大きく変えた。
 「街角の美味しいパン屋的幸運」が辺境の赤井川村に降って沸いてきたのである。

ソーセージマフィンの生地
新作アスパラソーセージマフィン。
これはエグビブじゃなくて
アリスファームの地下工房で製造中
 「エグビブ」のパンが好きだ。
 私がパンに求めることと、こういうパンを提供したいという店の思惑が近いからだろう。
 3人もはいれば満員になってしまう小さな店内はいつでも焼きたてのパンを買いに来る人々でにぎわっている。おにぎりが似合いそうな作業着姿のおじさんやいかにもといった老夫婦、噂を聞いて遠出してきたと思われるおばさまたちなど客層も様々、それぞれ大きな袋を手に嬉しそうに店を出て行く。

 私もつい買いすぎて大きな袋を抱えることになる。
 直径60センチはあろうかと思われる田舎パンやドライフルーツが詰まったずっしりと重たいパン、あのパンの群れを見ると抑制がきかなくなってしまう。
 私はパン屋と魚屋と道路脇の直売所にはめっぽう弱い。

 体はひとつなのに服を大量に購入する人たちの心理がずっと理解できなかったのだが、ある日、そうだそれは少人数なのに際限なく魚を購入してしまう私の心理と同じではないかということに気がついた。
 そんなにたくさん野菜を買い込んでどうするの?とよくあきれられる。私が魚屋や野菜の直売所に弱い様に服屋に弱い人がいたって不思議ではない。

 大好きパンの詰まった大きな袋を抱えて車に乗り込む。
 ドアを閉めると車の中は小麦の香りでいっぱいになる。パンの香りというより小麦の香り、私はこの瞬間が何より好きだ。
 麦の香りに包まれて車を走らせる。
 我慢できなくなって海辺に車を停める。
 鈍色の日本海を眺めながらさっきオーブンから出たきたばかりのパンに齧りつく。至福の一瞬。
 防波堤に腰をおろす。砂地を這う野生のハマナスが血痕のような花を点々と咲かせている。ウミネコが舞う。潮のにおいが漂う。
 天気が悪ければ、車の中でお気に入りの音楽を聴きながら食べるのもいい。
 美味しいコーヒーがあれば、そしてチーズの一片でもあれば完璧なのだが、パンだけでも十分満足できる。気取ったランチよりずっといい。

マフィンの入ったオーブン
焼き上がり。塩味のお惣菜マフィン。
くせになる美味しさです。
 「エグビブ」の出現により、私の昼食はいつしかパンとチーズと火をいれた果物、そしてコーヒーに固定された。
 自分でパンを焼いていた頃は加熱すると溶けるラクレットやエメンタールのようなチーズをパンに乗せてトーストすることが多かったけれども、エグビブのパンはそのまま食べるのが美味しい。焼くよりも麦の香りと風味がより楽しめるような気がする。

 エグビブのパンには白カビや青カビ系、癖のあるウォッシュタイプや山羊のチーズを合わせることが多い。
 ソフトなチーズには果物が良く合う。
 サクランボのコンポート、ルバーブ、シナ蜂蜜につけたユズ、洋なしやプルーン。最小限火を入れた果物が醸す自然な甘さとチーズの滋養に充ちたタンパク系の味と塩気が合体してパンを一層美味しくしてくれる。

 生活圏内に美味しいパン屋さんがあるのは本当にラッキーなことだ。
 パンが好きだからパン屋さんを見かけると車を停める。そこから漂ってくる香りでだいたい店の様子が判断できる。
 バターや砂糖の甘い香りが漂う店、無愛想な小麦の香りが漂う店、それぞれだが、私の好みは無骨な小麦の方だ。
 世の中の評価は知らないけど、生活圏内にあるこのエグビブという小さなパン屋さんが私のベストのパン屋さん。
 この幸運に感謝したい。



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#10 沖縄の食
シークァーサーの花
シークワーサーが夥しい数の花をつけていた。
林でも庭先でもどこでも見かける。
 このところ沖縄に何度も足を運んでいる。日本語で過ごせるアジアというのが心地よい。
 冬を除けばいつでも蝶に出会える。
 沖縄には北海道や本州では見られない南方系の蝶がたくさんいるし、蝶の密度がとても濃い。
 本島の本部半島やうやんばる、石垣島を含む八重山諸島には蝶たちが乱舞するポイントがいくつもある。

 林道を歩いていると光に誘われて蝶が姿を現す。静かな林道が活気づく。林道の空気を裂くように飛ぶセセリ蝶、風に乗ってゆったりと舞う蝶アサギマダラ、気が向けば網を振るけど蝶と一緒に林道を歩くだけで幸せな気分が味わえる。
 蝶の出現で林道の風景は特別なものになる。蝶の舞う風景は記憶に強く焼き付けられる。

 親しい友人もできた。

 それに沖縄の食は興味深い。日本本土とは違う独特のアジアを感じることができる。
 もちろん沖縄の歴史を考えれば沖縄はアジアの楽園ね、と気楽に言えないことは承知している。
 日本の75%以上の米軍関連施設を沖縄は抱えている。沖縄は日本の国土のわずか1、8%の面積しかないから本島の20%近くの土地が米軍関連施設として利用されている。
 学校や住宅地の近くで実弾演習が実施され、空軍機は騒音をまき散らす。過去には石川市で小学校に空軍機が墜落して生徒を含む多数の死傷者を出した大事故もあった。
 米軍関係者が起こした刑事事件の報道を耳にすると、米国人の根底にある差別意識を感じる。かつて米国は沖縄を占領していた。
 日本の現状では米軍は必要ないから、日本から即時、撤退すべきだと思っている。
 北朝鮮や中国の脅威をマスコミは執拗に騒ぎ立てる。世論も踊らされる。
 しかし成熟に向かっている世界で国家間の武力紛争の可能性は低い。
 偶発的な攻撃に対しては米軍の抑止力は効果がない。
 第一そんなことになったら米軍は自国の利益を優先させるだろう。日本を守るなど幻想にすぎない。
 米軍の全面撤退が無理なら、基地の負担を日本全体が負うべきだろう。北海道も本州も九州も東京も等しく負うべきだろう。
 僻地は原発の危険を負わされているから、できれば基地の負担は大都市中心にやってほしい。
 民主党政権にそのことを期待したのに沖縄の現状は変わらない。
 それなら別の政権に変えればいいかというともっと悪くなるだろうから民主党には、腰を据えて米軍の撤退を実現してほしい。
 基地がない島が実現した時、沖縄は長い間の差別から解放されるのだと思う。真の明日に向かって第2の復興が果たせると思う。差別してきたのは本土に暮らす日本人、それは私。

 沖縄に行くと広大な基地の存在をイヤでも意識せざるをえない。
 延々と続くフェンスに囲まれた基地は人々の暮らしとは明らかに異質な空間だ。ヘリの轟音、くたびれた米兵たち、さびれた基地の町。
 沖縄の基地の町については思い出したように報道される。画面は連綿と続く沖縄の日常を恣意的に切り取ったものにすぎない。
 しかし本土の人々が、沖縄を実際に体験すれば、ほとんどの人は沖縄の現状を何とかしたほうがいいと思うに違いない。
 こうして沖縄の基地について世論が形成される。
 真っ当にいえば世論は政治を動かすことができる。
 沖縄の人たちの主体的な基地廃絶の運動を後押しするような世論を形成するのが、長い間見て見ぬフリをし続けきた私たちのやるべきことなのだろう。

 では具体的にはどうしたらいいのだろう。
 いつも楽しませてもらっている沖縄に、沖縄の人々にいつか恩返しをしたいと思っている。


島らっきょう
石垣島から島らっきょうが大量に届く。
これはほんの一部、処理に3晩はかかった。
まだ先は長い。
 さて沖縄では町の食堂を利用することが多い。ご馳走の類はないが、ふつうの家庭でふだん食べているような家庭料理はどれも温かくて旅人をなごませてくれる。
 チャンプルーや煮物、島豆腐やゆし豆腐、海藻類、本州ではあまり見かけない野菜や野草、ハーブを使った料理。ヨモギやフェンネルのようなハーブがふつうに使われているのが興味深い。

 2010年6月のやんばるは連日の雨、蝶の姿はほとんどなかった。それでも車であちこち走り回った。途中でみつけた大宜味村「笑味の店」には何度か通った。
 海の家を思わせる外観ではあるが、沖縄の食材を使った沖縄長寿食を提供する店として有名な食堂らしい。
 店主のえみさんが村を丹念に調査し、村人と手を携えて再現させた長寿料理の数々を食べさせてくれる。
 長寿料理か、それはいい。
 沖縄料理にしては珍しく手の込んだ料理が少量ずつお膳に並ぶ。庶民のハレの料理といった趣。

 沖縄の食というとまず豚肉が頭に浮かぶ。沖縄は日本では珍しく豚食が根づいた地域とされている。
 確かにそうなのだが、以前から沖縄=豚文化という安易な図式には、何となく違和感があった。沖縄料理には豚以外にも本土とは違う独自の世界が豊かに広がっている。
 この長寿膳にしても豚肉料理はラフテーのみ。豚顔面に含まれるゼラチン質を利用した寄せ物料理もあるがその場合、豚はあくまで裏方として使われている。
 庶民の食卓では豚肉料理がずらりと並ぶことはなかったと思われる。

 沖縄ではチャンプルーなど脂で炒める料理が多い。
 現在はサラダ油やバターなどいろんな脂が利用されているのだろうが、たぶんかつては豚の脂、ラードが主流だったのではないか。
 今はどうなのか少し前までは家庭でも豚の脂を煮てラードとして保存していたという。

 肉の保存法には、乾燥、塩漬け、薫煙など様々な方法があるが、東南アジアの端に位置する沖縄は、どの方法をとるにしても長期の保存は難しい。高温多湿は保存の敵、細菌の天国でもある。
 ラードのように水分をとことん抜いて脂として保存する方法は南国に最も適した保存法ではないか?。
 インドのギーは牛乳から作ったバターを更に煮詰めてその上澄みを集めた脂である。
 沖縄の脂、アンダーとインドのギーは、暑い地方に共通する先人たちの知恵の結晶だと思う。
 脂はエネルギー源としては非常に効率がいい。また脂を使えば風味も増すから美味しく食べられる。
 脂は炒め物にはもちろん、ジューシーと呼ばれる炊き込みご飯、沖縄式ドーナツ、サータアンダギーもラードを混ぜた生地をラードで揚げる。
 ティアンダーという言葉ある。手の脂ということだが、心を込めて料理を作るという意味に使われる。
 その言葉は脂に対する信頼の表れのように思う。
 豚肉というより豚の脂こそ沖縄の食を特徴づける大切な要素ではないか?

 雨続きだったから宿のおかみさんとよく話をした。私と同年代の彼女が正月に食べる豚がいかに美味しかったか、その日をどんなに待ちわびていたかを繰り返し話してくれた。
 やはり脂身は煮詰めてラードにして保存し、カリカリの油粕は兄弟争って食べたそうだ。
 豚を食べきると次は山羊を食べる。かわいがって育てた山羊を食べるのは辛かったけど1年に1度しか味わえないご馳走の魅力は抗しがたく、気がつくと夢中で箸を動かしていたそうだ。
 罪滅ぼしのつもりか庭先で山羊を飼っていた。これはペットと言って笑った。
 庶民にとって豚肉はハレのご馳走、豚文化というほど豚は身近な食材ではなかったようだ。

 ヨーロッパでは冬がくる前にと殺した豚を様々に加工して冬に備える。もちろんラードもあるだろう。乾燥肉、塩漬け肉、おなじみのベーコン、ハム、ソーセージ、内蔵も血液の一滴にいたるまで無駄にはしない。
 これは寒い冬を乗り切る糧となる。北海道で暮らしているとよくわかるのだが、雪に閉ざされた地域では冬場は保存食に頼らざるをえない。
 という切実な事情から保存に関する様々な知恵が生まれ、北国特有の文化として定着する。
 寒い地方における命をつなぐ糧としての保存食には抜き差しならない切実さが感じられる。
 豚文化というと、冬に備えて豚をと殺し、血の一滴も無駄にすることなく保存してきた北方地域の人々の豚との関わりがまず頭に浮かぶ。
 中国も豚肉を大量に消費するし、豚肉の多様な調理法が工夫されてきたが、そのことをもって豚文化が発達しているとはいいがたい。豚食が盛んな国という方が適切だろう。
 どうでもいいことだけど沖縄というと反射的に豚文化と結ぶ風潮は、安易すぎておもしろくない。
 沖縄って豚肉をたくさん食べるんだよとか沖縄にはおいしい豚肉料理がたくさんあるね、位が適当だと思う。

 しつこいようだが、少し前まで私たちは主として穀類、芋類、野菜に頼る生活を送っていた。
 沖縄とて例外ではない。
 米はご馳走、キビなどの雑穀とサツマイモ、豆類と小魚、野菜と野草の日常食。そういう質素な素材に脂を加えて食卓を豊かにしてきたのだろう。

 沖縄は食中毒やマラリアなどの風土病にさんざん苦しめられてきた。
 だから基本的には生ま物は食べない。刺身にも用心のためか酢を使う。
 炒める、揚げる、煮る、残り物も必ず火を通してから食べる。
 偏見かもしれないが沖縄では芯が残るくらいとか、さっと茹でるとか、歯ごたえを残すとというような微妙な火の通し方はしない。よく火を通す、これが基本であるように見える。脂を加えて火を通すことでうまみが増すのだろう。
 沖縄は東南アジアのはずれにある。そして暑い。台風によく見舞われる。雨が表土を押し流すのか一般に土が痩せている。
 蒸し暑いから食中毒や風土病に悩まされてきた。
 孤立した島では食の自給自足が前提となる。ひとたび凶作に見舞われれば島民全体が飢えに苦しむことになる。
 非常に厳しい環境なのである。
 1年を通して野山には野草が茂り、野生の果物が実る。島だから魚も豊富にとれる。恵まれている点といえばこの位しか思い浮かばない。
 そんな食糧事情にあって、豚肉はハレの食事、普段の穀類と芋、野菜中心の食生活でご馳走の名残として保存したラードの役割は大きかったに違いない
 沖縄料理といえばラフテーやソーキ、ティビチが代表選手とされる。もちろんそれらも美味しいけど私は野草やハーブを使い、ラードや豚皮のゼラチン質を利用したような料理に惹かれるのである。より沖縄の匂いがする。
 裏方としての豚の利用は沖縄食の違った側面を見せてくれる。

沖縄の夕景
石本部半島今帰仁村。久しぶりに夕日をじっくり眺めた。
レヴィ・ストロースが語る日没の風景
 もうひつ、食材として興味深いのが豆腐、しっかりと水切りした島豆腐はチャンプルーには欠かせない。汲み上げ豆腐のような出来立てのゆし豆腐も美味しい。
 島豆腐は本州のふつうの豆腐とは違った製法で作られる。水に浸した大豆は挽いて漉す。漉し取った豆乳を煮てにがりを加えて固める。重しを強めにして堅く仕上げる。
 本州では挽いた大豆を煮てから漉す。わずかな違い、漉してから煮るか、煮てから漉すかで豆腐の風味に違いが出るらしい。
 何より沖縄の豆腐は水に晒す必要がないから豆の味が濃く残る。晒す必要がないからスーパーでも出来立てのゆし豆腐や豆腐が温かいままビニール袋に入れて売られている。
 冷や奴のように豆腐を生で食べることはあまりないようだが、出汁で食べる温かなゆし豆腐はとりわけ美味しい。
 少し前までは豆腐は家庭で日常的に作られていたようだ。
 しかし沖縄では大豆栽培は盛んではない。豆はほとんど中国から輸入したものを使っている。
 沖縄の味付けが塩に頼っているのも味噌や醤油の原料となる大豆が栽培されていなかったからではないかと思う。
 それなのになぜこれほどまでに豆腐が普及したのだろうか?
 中国料理の影響もあるだろう。
 豆腐は貴重な蛋白源だし、料理の素材としては使いやすい。
 チャンプルー、煮物、揚げ物。主役級の力を発揮することもあれば、わき役として食感に変化をつけたい時にも重宝する。
 ゴーヤチャンプルーに豚肉やランチョンミート、卵がなくても構わないけど豆腐がなければ成り立たない。ゴーヤと豆腐とラードこれがゴーヤチャンプルーの基本素材。
 沖縄の料理では豆腐は非常に重要な食材であると思う。
 限られた食材で作られる料理に豆腐を足し、ラードを加えて変化をつけてきたのだろう。
 こういうところにこそ島民の知恵が光っている。

 時には沖縄宮廷料理というようなご馳走も食べてみる。確かに手は込んでいるがそれほど特殊な食材を使うわけではない。
 たとえば魚。生では食べないからたいてい蒲鉾の形で登場する。緑の野菜やウコンで美しく色づけされている。
 たとえば豚肉。じっくり煮込んで油を抜いたラフテーが多い。
 宮廷料理とはいえトリュフやフォアグラ、フカヒレのような高価な素材は登場しない。

 沖縄のご馳走はどこにもある平凡な素材にとことん手をかけていかに美味しく。美しく仕上げるというところに主眼がおかれているように見える。
 同じ魚が海水で煮ただけのようなマース煮として庶民の食卓にのぼる一方、丁寧にすりつぶされ美しく着色され、じっくり蒸された蒲鉾としてご馳走のお膳を飾る。
 これも食材が限られる南の孤島故だろうか?

 また沖縄に行きたくなった。(2011年3月に本島と八重山諸島に行った。島民も驚くほど気温が低くて天気が悪かった。当然にも蝶は凶作、ほとんど姿なし。しかし八重岳ベーカリーと伊豆見の町を結ぶ林道にはいつものようにコノハ蝶が2頭いた。やんばるの奥の東海岸近くでヤンバルクイナとアカヒゲを見た。ゴーヤは生を軽く塩もみしたおひたしが美味しい。生のアーサーともずくは潮の香りが美味。謎の食材ナーベラーの正体が少し分かった。もずくと野菜を固めたゼリーやイカスミジューシーの揚げ物など初めて口にする料理多々。シークワーサーの花が満開、今年は豊作とみんな喜んでいた)



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#9 きのこ
お菓子工房の赤いドア
赤いドアを開けるとお菓子の工房。
マフィンの焼き上がると
かぐわしい香りが。
 今年も足寄からマイタケが届いた。
 今年の夏は雨が多かった。夏の青空が戻ったかと思ったら、入れ替わりに猛暑がやってきた。
 毎年、競いあうようにして実をつけ、葉をのばし、さまざまな緑で菜園をおおう野菜やハーブもこの陽気に戸惑っているように見えた。雨と猛暑に菜園の調和がすっかり乱されてしまった。
 何しろナスタチュームが咲き始めたのが夏の終わり、トマトも秋になってようやく盛りを迎えた。大好きな花豆は葉が例年の半分もつかなかった。花豆はいつもは密度濃い緑の壁は作ってくれる。しかし今年は壁というよりレースのカーテンのようで少しの風にも心許なく揺れていた。
 そんな夏だからマイタケも大変だったろうに、それでもいつもと同じ立派なマイタケだった。
 毎年、足寄の新妻さんから天然物のマイタケが届くと「あー秋が来たなー」と思う。ひと抱えもある大きなマイタケ、林が育んだひと群、紫がかったグレーのかさが上品で美しい。
 特に白い柄の部分が味が濃くておいしい。炒めてもスープにしてもしっかりした風味と歯ごたえが楽しめる。炊き込みご飯もグリルもいいけど私はスープが好きだ。
 鍋に水を張ってたっぷりの掃除したマイタケを放り込む。鍋を火にかけて煮る。ほんのり塩味をつける。胡椒を少々。イタリアンパセリを散らす。よけいなものは加えない。直球勝負のマイタケはまさしく秋の味。海ならサンマ、山ではマイタケが秋の王様だと思う。
 人工栽培のマイタケもそれなりに美味しいけどなんだか心許ない。風味が劣るのは仕方ないにしてもサイズが小さすぎる。やはりマイタケは大ぶりな株をガバッと裂いて使うのがいい。

 かつてキノコといえば椎茸とマツタケくらいで今のようにいろいろなキノコは売られていなかった。
 多分、天然物に頼っていたから収穫量もしれていたのだろう。
 地元で消費されるか、珍しい食材として料亭などで使われてきたのだろう。
 いずれにしても町の八百屋ではみかけなかった。

 キノコの代表といえば秋に出回るマツタケ。半世紀前は秋になれば東京のどこの八百屋の店先でもかごに盛られたマツタケが並んでいた。
 我が家の食卓にも頻繁にマツタケの料理が並んでいたから値段だってそれほど高くはなかったはずだ。
 運動会や遠足のお弁当といえばず必ずマツタケご飯と焼きマツタケだった。
 秋がくれば一般家庭でも少しも慌てず騒がず、静かにマツタケを味わっていたのである。食卓では「もう秋だねー」という会話が交わされていたのだろう。
 今でこそいろんなキノコが1年中出回っているけど、以前は秋のひと月くらいしかキノコを味わうことはできなかったのである。

 キノコは何てユニークな食物なのだろう。キノコは植物でいえば花に当たるらしい。菌類が胞子を飛ばすために咲かせた?のがキノコ。それを人間がとって食べる。
 顕微鏡的サイズの菌類が繁殖のためにがんばって咲かせた結晶がキノコ、と知るとなんだか申し訳ないような気がしてくる。
 キノコの定義は曖昧で親となる菌をキノコということもあるらしい(ウィキペディアの受け売り)キノコは地面の下で植物から栄養をもらって生きている。そして地上にキノコの花を咲かせて胞子をまき散らしながら種の保持に努めている。
 キノコは栄養をもらう代わりに植物の成長に必要なタンパク質を分解して吸収しやすい形に変えるそうだ。キノコは自然界では分解という大切な役割を負っている。
 人間が踏みつける地面の下では、動植物や菌類が様々に活動している。巨大な植物だって地中の微細な菌類の力を借りている。マクロとミクロが複雑に絡み合う世界、そのダイナミズムは人間の力も想像力もはるかに越えている。
 獣や魚、鳥や昆虫、木の実、草の実、花や葉っぱ、人間は何でも食べる。そんな人間の食物事情の中にあってキノコのユニークさは群を抜いていると思う。それを生み出すのはほかでもない菌類なのである。菌類って何だ?

 動物は卵から植物は種からという関係は何となく納得がいく。身近だし目に見えるからだろう。
 しかし菌類は目に見えない。それに菌は悪者イメージがある。しかもキノコは人の目を避けるようにしてジメッとした林の奥の方で成長する。
 キノコの香りには一筋縄ではいかない複雑さがある。マツタケの香りを言い現すのは難しい。芳香というわけではなく何かに似ているわけでもない。
 マイナス×マイナス=プラスみたいな、微量の悪臭を加えることで思いがけない効果を生む香水の調合のような。キノコの香りにはそんな複雑さを感じる。太陽が育てたバジルの素直な香りとはずいぶん異なる。
 これも菌の宿命なのだろうか。人間としてつきあうならキノコよりバジルを選びたい。
 今では人工栽培が盛んでキノコはまるで工業製品のごとく生産されている。
 人工栽培のキノコと天然もののキノコを分けるのはジワッとした林の湿り気を感じられるかどうかというところにあると思う。
 天然物のそれには何となくじっとりとした陰びな感じがつきまとう。林の香りがする。その辺りが天然物たる所以なのかもしれない。
 キノコ好きとしては年中、人工栽培のエノキやマイタケ、シメジやエリンギのお世話になっている。
 でも1年に一度、本物の林が育んだ本物のマイタケが食べられるのはとてもうれしい。
 天然もののキノコで食べたことがあるのが、シメジ、マイタケ、マツタケ、ハナイグチ、キクラゲ。
 トリュフとはいわないが、林の匂いがするじっとりと湿ったエノキやナメコ、ワイルドマッシュルームをぜひ食べてみたいものだ。
 落ち着いたらきのこ狩りを趣味に加えよう。
 林に入ってキノコを探す。見つけても表情ひとつ変えない。少しも騒がない。その場所は誰にも教えない。やはりキノコ狩りには日陰の秘密のにおいがする。


2010年 心に残った言葉
藤門ローズガーデン
菜園の一画に誕生したバラ園。
ベンチに座って目に飛び込んでくるのは
無粋な花豆の壁
ベスト1
 ホテルドロームにもじわじわとフジカドバラ園化の波が押し寄せている。
 「何で今頃になってバラなんでしょうね?」と愚痴をこぼしているとそこに居合わせた写真家の嶋田忠さんが一言
 「キクヨリマシ」目が覚めた。そうだ谷津遊園の菊人形や大げさな懸崖仕立て方面に突入されるよりバラの方がずっといい。
 さすが写真界の巨匠かつ人生の達人のふかーいお言葉。あれ以来この嶋田式相対化理論は色々な局面で役立っている。

ワースト1
 日立製作所のCM「日立は、すべてを地球のために」環境、自然、エコという言葉が記号化して企業イメージの浄化に使われることを苦々しく思ってきた。
 最初は遠慮気味だったのに遂にここまで来てしまった。企業なんだからそんなわけないでしょう。どうせなら「すべてを人民のために」と言って欲しい。



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#8 秋
 出歩くことが多いから久々の北海道の秋のような気がする。

 紅葉にはまだ少し早い。紅葉初期の山はほんのりと黄色や赤に染まっている。初々しい紅葉。

 久しぶりにブルーベリー園に行ってみた。夏にはあんなに活気に満ちていた園も今は静かに冬を迎える準備、秋の日差しを浴びてつかの間の休息といったところ。

 ブルーベリーは半分ほど赤く紅葉している。あと1週間もすれば園全体が赤く染まるだろう。

 ブルーベリー園の斜面を上っていくと栗の林がある。林といっても20本ほどの栗の群、先人が防風と実の採取を兼ねて植えたのだろう。100年はたっていると思われる。

 家の前の草地にも3本の栗の寄り添うようにたっている。こちらは樹齢200年近い老木、それに比べるとまだまだ働き盛りといった趣がある。
 木の下には栗のイガと栗の実がたくさん落ちている。栗拾いにきたわけではないが目の前に落ちている栗を拾わないわけにはいかない。
 虫くいもあれば指先より小さな実も混ざっている。剪定もしないし肥料もやらないから全体に小粒だが実はしっかりとしている。たちまちポケットは実で膨らんだ。

 7本の3列、夏は木の下にベンチをおいてブルーベリー摘みに訪れるお客さまのための休憩場所として利用してる。大きく枝を広げた栗の木は気持ちのよい日陰を提供してくれる。

 栗の木はまたブルーベリー園を強風から守っくれるし、こうして実を拾う楽しみもくれる。

 栗の木は農場の大切な財産でもある。

 拾い残した実は動物たちがもっていくだろう。最近ではエゾリスの姿をよく見かける。カケスならくわえて飛べるかもしれない。
 ヒグマが大量に食べて冬に備えてくれると嬉しい。
 実は種だから動物たちによって運ばれた実の一部は発芽して種族の繁栄を担う。

 初夏には房状に花が咲く。独特の香りを放つ花には様々な甲虫やマルハナバチがやってくる。
 ゼフィルスの中には夕刻、この花に集まるものもいる。
 彼らは蜜をもらう代わりに花粉を運んで花の受粉を助けている。
 栗と昆虫の間には過不足のない関係が成り立っている。

 栗の木はただぼんやりとそこに立っているわけではない。彼らの営みは実に豊かで深い。

 人間が目にしているのはそのほんの一部。栗の木は毎年繰り返される営みを年輪として刻んでいる。

 自然との共生とか生物多様性という言葉が氾濫している。人々がそういう方向で自然に注目しているのはいいことだと思う。
 自然について学ぶ、観察する、そして想像する。しかし人間の視線がとらえることができるのは自然界のほんのわずかな営み。それも人間の視線でとらえたものに過ぎない。

 99%は想像で補うしかない。

 ジャノメチョウの目玉模様は敵を脅かす為にあるそうだ。人間の眼にはきれいな模様としか映らない小さな目玉。それに驚く敵などいるのだろうかと不思議に思っていたのだが、それはあくまでも人間の尺度。ジャノメチョウは人間の想像を越えた繊細な世界に生きているのである。ということに最近気づいた。

 大好きなゼフィルスの後羽についているしっぽのような突起はは触角に似せて頭部を攻撃から守るために進化したものだという。
 本当はしっぽなのにこっちが触角だよ、と敵を騙すそうだ。
 そんなことで果たして身を守れるのだろうかと思うけど彼らの世界では有効な手段なのだろう。

 たとえば昆虫にはこの栗の木がどんな風に映っているのだろう。マルハナバチの眼で見ると栗の木はどんな風に見えるのだろうか。
 そんなことを想像しながら栗の実を拾った。


 午後、小雨の中を再び栗拾いに出かけた。忽ち袋は栗の実でずっしりと重たくなった。
 底に小さな穴が規則正しく並んだフライパン、通称栗パンを火にかけて栗を焼く。
 鬼皮が焦げて割れる。小粒だから5分もそのままにしておいくとほかほかの焼き栗ができる。

 ヨーロッパのそしてアジアの街角では焼き栗を売っている。パリ、フィレンツェ、タイペイ、イスタンブール、焼き栗を見かけるとついつい買ってしまう。
 タイペイではポケットにあった小銭をおばさんに渡すと驚くほどたくさんの栗を紙袋に入れてくれた。
 ほくほくと美味しい。暖かくて美味しい。どこで食べても美味しい。

 ひと段落して栗の加工にとりかかる。まず皮をむく。鬼皮と渋皮、熱湯に浸すと鬼皮は比較的容易にむけるが、渋皮はナイフで削るようにしてむいたので手間がかかる。
 5分の1くらい終了したところでギブアップ。残りの皮むきは後回しにしてとりあえず甘露煮にする。
 色づけに入れるクチナシの実がなかったのでサフランを入れてみた。仕上げにブランデーを注ぐとサフラン風味の異国的な感じのする甘露煮ができあがった。

 まだまだたくさんの実が残っているが一粒づつ皮をむく気力がない。
 ならばオーブンで焼いたら皮がむきやすくなるのではと期待を込めて残りの実は300度にセットしたオーブンに放り込んだ。

 しばらくすると大きな爆発音がした。びっくりしてあたりを見回す。その音の発生源はオーブンらしい。少しうろたえる。次第に爆発音は激しくなる。
 慌ててオーブンのスイッチを切った。でも扉をあけるとオーブンで暴れている栗の攻撃を受けそうなので手の出しようがない。
 爆発音は続く。
 オーブンから煙があがる。部屋中煙が漂う。
 すごいことになってしまった。

 どうしよう。窓を開けたり、ファンを回したりできる限りのことはするが煙は漂ったまま。部屋に濃い霧が立ちこめているよう。
 15分ほどしてようやく音は収まった。

 恐る恐るオーブンの扉を開ける。すると黒こげの皮や実がオーブンの天板にへばりついていた。
 わずかだが栗の形を保っていた実を拾い出して皮をむいてみる。実はかちかちでとても食べられたものではない。

 結局全部捨てることになった。そしてオーブンの掃除に1時間以上を費やした。

 300度がいけなかった。栗の皮に切り目をつけておくべきだった。としきりに反省。
 いやそういう問題ではない。栗は1粒ずつ皮をむいてゆっくり食べるたぐいの実なのだろう。一気に皮をむこうなどという了見がそもそも間違いだったのだ。

 難を逃れてめでたく甘露煮となった栗を瓶に詰める。煮汁を煮詰めて注ぐ。あんなにたくさん拾ったのに5瓶しかできなかった。

 この秋の贈り物、サフランの色に染まり、クローブがほのかに香る異国風甘露煮はすばらしく美味しかった。



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#7 8月のブルーベリー
収穫したブルーベリーイメージ
今年のブルーベリーは酷暑にもめげずまあまあ。
夏に雨が多かったせいかちょっと大味な気もしたが
 夏の早朝、散歩の途中に畑に寄ってブルーベリーを摘む。
 今年は北海道にしては蒸し暑い日が続いている。とはいえ朝の空気はひんやりと冷い。
 空気の鮮度がいい。くたびれていない新鮮な空気に包まれる。

 朝露に濡れたブルーベリーは半ばまどろみの中。大きめの実を選んで口に入れる。

 甘さ、酸味、香り。どれもやさしい。限りなくやさしい。
ブルーベリーの風味は繊細なバランスの上に成り立っている。ブルーベリーのおいしさを一言で現すなら、それはバランス。

 粒ごとに異なるバランスの妙を楽しみながら、摘んでは口に入れる。

 陽が高くなってもおいしさに変わりはないのだが。私は朝露に冷やされた実が好きだ。

 ブルーベリーについてはこれが最高の味わい方だと思う。

 ブルーベリーの収穫期間は約1ヶ月。たくさん摘んだ実はジャムに煮る。

 私はベリーの王様はブルーベリーではなくてイチゴだと思っている。
 改良に改良を重ねて作られたイチゴは確かにおいしい。野生味に欠けるとか酸味が足りないとか一応文句はつけるが総合評価ではやはり一位。今やベリーというジャンルを超えて果物界のトップにまで上り詰めたらしい。

 しかしことジャムについてはブルーベリーはイチゴに負けない。負けないどころか酸味の分だけ勝っている。

 実をつぶさないようにブルーベリーを丁寧にかき混ぜる。ひと鍋ふた鍋、1年分のジャムを煮る。

 自家用だから砂糖の代わりにメープルシロップを使ったり、ハーブやスパイスを加えたり、カシスやラズベリーと合わせたり、気分次第で好き勝手にできるのが楽しい。

 ジャムはランチに食べるパンとヨーグルト用。1年分のジャムができあがったら次はブルーベリーマフィンを焼く。

 もう30年近くブルーベリーのマフィンを焼いている。
 スタッフみんなで食卓を囲んだ大所帯だった頃、子供たちが食べ盛りの頃、こじんまりとした生活に戻ったとき、その状況に応じて数は加減するものの毎年、欠かさずマフィンを焼いてきた。

 初めてブルーベリーマフィンを焼いた時に参考にしたレシピがひどく簡単なものだったおかげでブルーベリーマフィン作りが夏の行事として定着したのだろう。

 何しろ粉類のボールと液体類の入った大ボールを用意して液体に粉を入れてかき混ぜるだけ。材料の下拵えも泡立ても必要なし。
 生地を型に詰めてオーブンに放り込んで15分、こんがりと狐色に色づいたマフィンが焼きあがる。

 といたって素朴な焼き菓子なのだが、アリスファームのブルーベリーマフィンが評判が高いのは生地に混ぜたブルーベリーの量にある。
 粉と同量近くのベリーを混ぜ込むのである。

 母心の失敗というのがある。具の種類が多すぎて海苔が足りなくなった巻き寿司とか具の量が多すぎて皮がはじけてしまった春巻とか・・・・。
 目分量で生地に投げ入れたブルーベリーが多すぎて焼きあがったマフィンが崩壊するという失敗を毎年、必ず繰り返している。

 焼きたてを二つに割る。生地はほとんど紫色に染まっている。
 パンより軽くてケーキよりしっかりとした食感、おやつにもいいし、朝食やランチにもいい。

 たぶんこのマフィンは世界一ブルーベリーを詰め込んだマフィンだと思う。

 カフェなどでブルーベリーマフィンがメニューに載っていると必ず食べてみることにしている。
 少し前にインドのアーマダバードで食べたブルーベリーマフィンには2粒しかブルーベリーが見あたらなかった。これが最少、砂漠地帯だから仕方がない。
 ならばラクダのミルクのマフィンとか、香辛料たっぷりのマサラマフィンにすればいいのに。

 マフィンはいい。飾り気がないけど心からもてなしてくれるような味わいがある。

 だいぶ前にロバート・アルトマン監督の「ショートカッツ」という映画があった。レイモンド・カーバーの小説を下敷きにしたオムニバス映画。事故で子供をなくした夫婦が無神経な電話を受けて怒る。電話の主が息子の誕生ケーキを注文したべーカリーの店主であることに気づく。息子は誕生日を祝うことなく帰らぬ人となったのである。事情を知らない店主は期日が過ぎてもケーキを受け取りにこない夫妻に腹を立てて心ない電話をする。

 夫妻はベーカリーに怒鳴り込む。
 事情を知った店主は心から謝る。やり場のない悲しみに襲われてイスに座り込む夫妻に店主はこういう。「こういうときには温かいものを食べるのが一番」
 そして焼きあがったばかりのマフィンを手渡すのである。

 クロワッサンでも気取ったケーキでもなくここはマフィンでなくてはいけない。
 マフィンというのはそういう類の食物なのである。

 店主を演じているのが、ライル・ラヴェット。ほかにも芸達者な役者をアルトマン監督が上手に使っているので、長時間の映画にも拘わらず少しも飽きさせない。
 トム・ウェイツが役者として彼の曲中人物そのままの役をこなしているのがファンとしてはうれしい。

 ホテルドロームの朝食には必ずブルーベリーマフィンが登場する。
 「食事美味しかったです」と時折、お客さまからお褒めの言葉をいただく。「何が美味しかったですか?」と聞くと8割のお客様はブルーベリーマフィンと答える。

 何日も塩漬けしてじっくりと煮込んだ豚料理、細心の注意を払って焼いた鹿肉、菜園で摘んだ新鮮な野菜を取り合わせたサラダ、半生に仕上げたスモークサーモン、そういう料理よりも印象深いのはどうやらブルーベリーマフィンらしい。

 ちょっと寂しい気もするがそれはそれで嬉しい。

 朝露に濡れたひんやりとしたブルーベリー、粒をつぶさないように丁寧に煮たジャム、そしてブルーベリーを極限まで使ったマフィン。

 ブルーベリーのおいしい食べ方はこの3つに尽きると思う。

収穫したブルーベリーイメージ
ブルーベリー園の夏の名物は豪快な水やり。
ブルーベリーの大好物は水と陽光
 思えば平和なあの頃、平和なブルーベリーマフィン作りだった。
 それが私の不用意な一言がこんな事態を招くとは。

 「あのブルーベリーマフィンは販売しないんですか?」と時々聞かれる。「ええ、まあそのうち」と曖昧に答えてきたのだが、ある時。大手百貨店のバイヤーに「うちのブルーベリーマフィンすごく美味しいんですよ」と自慢した。

 話は思わぬ方向に発展し、幻のマフィンを製品化する話が進んだ。自家用と販売用では規模も生製品にたいする緊張感もまるで違う。

 元来、私は製造して販売するという仕事が好きだ。製造もいいけどやはり販売して喜んでもらうという手応えが欲しい。

 家庭料理もいいけどドローム厨房でお客様の様子を伺いながら忙しく料理を拵える方がおもしろい。現場に漂う緊張感が好きだ。

 去年は飲む生姜で大騒動を引き起こした。が思いの外評判がよかったから苦労は十分に報われた。

 じゃあ今年はブルーベリーマフィンを焼いてみようか、そう焼きましょうよと方々から背中を押されてすっかりその気になってしまった。それが今年の春のこと。

 以前から裏の畑で収穫したルバーブやベリー、菜園のハーブなどを小規模に加工する半ば趣味的な場所が欲しかった。キッチンと工場の中間的な規模の仕事場、老後の遊び場としては最適のように思えた。

 ならばそこでマフィンを焼こうと考えるのが当然の成り行きだろう。

 林道で蝶を追いかけているうちに夏がやって来た。時間は飛ぶように過ぎていく。
 こうしてはいられない。秋の発売に向けて、倉庫で眠っていた大型オーブンやあちこちに散らばっていた作業台などをかき集めて、煉瓦の建物の地下に運び込んでスタジオ開設とあいなった。

 こうして生姜騒動に続く第2弾、マフィン騒動が始まったのである。

 久しぶりの現場は楽しかった。娘の年頃のミカちゃんマキエちゃんと一緒に朝早くから粉まみれになってマフィンを焼いた。

 母心なんて暢気なことは言っていられない。3人で1日千個焼くという目標を設定。そのためにはどうすればいいかを考え、道具を調達し、使い方を工夫し、材料の配合を決め、失敗しては修正しというプロセスを繰り返した。

 特に気を使うのが年代物のオーブン。このオーブンはとにかく容量が大きいのが魅力。昨今、オーブンが小型化しているので一度に大量に焼けるのはありがたい。
 しかし機嫌がよくないと熱が均等に回らないとか、高温になりすぎるとかとにかくお守りが大変なのである。

 若いふたりは急速に成長した。仲間の動きに気を配る。今、自分が何をすればいいか考えながら動く。オーブンを空かさない。こういうもの作りの基本をすばやく飲み込んでくれた。

 1週間もすると3人で目標値をほぼ達成できるまでになった。

 使用する材料の選定、粉は北海道産のホクシンを挽いた小麦粉、砂糖は砂糖大根から作ったてんさい糖、ミルクや卵も地場産にこだわった。

 粉類を計量する。ひと単位は約100個分だから家庭のおよそ10倍。粉が5キロ、卵35個、ブルーベリー約5キロといった規模。粉類をふるうのも混ぜるのもすべて手作業、かなりの体力を必要とする。
 北海道とはいえ今年は暑かった。しかも1日中オーブンはつけっぱなしだからその暑さは相当なもの、流れる汗を拭いながら3人で工房の中をコマネズミのごとく動き回る。

 初めのうちは1日5回戦500個が精一杯、それが6回、7回と次第に増え、ブルーベリー摘みの白戸さんが加わると飛躍的に数量は伸びた。

 事務所でPCに向かう私に「今日は8回戦、軽くいきましたよ」とミカちゃんが報告する。
 朝早くから大変だろうに、嬉しそうな笑顔を浮かべている。
 働く人たちのこういう勤勉さ、誠実さ、向上心、責任感の強さが日本の発展を支えてきたのだなーとつくづく思う。

 昨今、物を右から左に動かす、否、実在する物ですらなく実体のないものを動かすことで、いわゆる虚の世界で富を得ることがもてはやされ、主流になりつつある。
 しかしPCを媒介にした虚の世界とは対極に位置するような汗を流す労働はもっともっと評価され見直されるべきだと思う。

 というようなことを考えつつマフィンを焼く。
 みんなで力を合わせ、知恵を出し合い、臨んだのだからその成果についてはそれほど気にしないことにしよう。
 もちろん評判がよいに越したことはないが、例え思ったほどの成果が得られなくても、ともに作業する中で学ぶことが多かったからそれでもよしとしようと思う。

 今年も慌ただしく夏が終わった。



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#6 2010年夏
ハスカップの実
ハスカップ。今年は大粒の実がなった。
完熟すれば十分甘い。
●ベリーの季節
 7月に入るとハスカップが色づき始めた。春からの天候不順、各種ベリーの状態を心配していたが、少し持ち直してハスカップはまあまあの出来。去年と比べると実の数は少なめだが実のサイズは大きい。

 土曜日の午後に裏の畑でハスカップを摘む。全部で20株。
 ハスカップというと酸味が強いというイメージだが樹上で完熟した実はそれなりに甘い。カシスに比べると全体に素直な風味が好ましいとも物足りないともいえる。

 ざっと摘んだら全部で6kgあった。掌がハスカップで真っ赤に染まった。
 午後の日差しが余りに強かったので途中でやめて、そのまま食品工房2に運び込む。新たに開設した2については後ほど。

 ここでジャムに煮る。30%程度の砂糖を振りかけて一晩おく。
 翌日、鍋をのぞくとかなり果汁がしみ出しているので火にかける。焦げつかないようにかき混ぜながら煮る。

グースベリーの実
グースベリー。初めは緑色のすぐりも
次第に赤みを増す。ピクルスに。
 いたってシンプルな作業ではあるが、「果物と砂糖を煮込んだもの」が「ジャム」に変わる瞬間がある。その瞬間を見届けるのがジャム作りの醍醐味といえる。
 少量だとその瞬間を確認できないまま煮詰まってしまう。
 大量だと不確かな感覚には頼れないから時間をはかり、糖度計が登場することになる。
 6kgくらいがちょうどいい。
 このくらいの量だとじんわりと煮詰っていくので果物と砂糖が一体化していくのが確認できる。
 有名パティシエなら「果物と砂糖がマリアージュしてコンフィチュールにメタモルフォゼする瞬間」とかなんとかと言うのだろう。ハ、ハ、ハ。

 ジャム化が確認できたらあとは適当な粘度になるまで煮詰める。火を止めて3年もののカシスリキュールを惜しげなく注いだ。カシスリキュールはウオッカに同量のカシスと少量の氷砂糖、数枚のカシスの葉を加えて寝かせたもの。酒飲みに言わせるとすごく美味しいらしいが、いくらでもできるから惜しげなく使ってしまう。

 かくして食品工房2の初仕事は裏の畑のハスカップジャム作りとなった。

●ルバーブ
 相変わらずルバーブ。今年はちょっと真面目に手入れしたら、ルバーブは即座に反応して予想以上の収穫があった。手入れといっても細い茎を間引いただけ。

 最近、ルバーブパイ、ルバーブタルトとお菓子の世界ではルバーブが脚光を浴びているようだが、ルバーブと名乗らなければそうと気づかないお菓子が多い。ルバーブという素材を理解せず、ルバーブという言葉を記号のように使っているだけなのだろう。こういう作り手はたいていルバーブ(食用大黄)のことをリュバーブと発音する。
 これまでで一番感心したのは札幌の「クネル」というレストランで食べたルバーブスフレ。スフレという繊細でとりとめないお菓子によくこれだけ野性味の強いルバーブの味を生かせたなと感心、料理人がルバーブという素材と真面目に向き合っているからだろう。

 間引きしたルバーブはデザートに。適当なサイズにカットしてメープルシロップを振りかけ、電子レンジに2〜3分かけただけの簡単なものだが、冷蔵庫で冷やして食べると美味しい。まとめて作ってもすぐなくなってします。これにアイスクリームや泡立てたクリームを添えるとお客さま用の立派なデザートになる。フレッシュチーズ、フロマージュフレでも美味しい。

 まず草刈り機で雑草を刈る。いっそのことルバーブも一緒に刈ってしまおうかと思ったが自制する。ドロームのミカちゃんと二人で収穫。全部で50kg近くあった。2週間ほど前にも間引き、収穫したから全部で100kg弱。工房2では手に負えないから食品工房1でジャムに煮た。去年はバルサミコ酢を加えたが今年はカシスの黒酢を加える。ルバーブの酸味を生かすには酸味を足すのがいいと思う。これは販売用 。

 雨が降りそうだったから収穫作業終了後にルバーブの苗を菜園に植えた。温室で冬を越し、今か今かと待っていたルバーブをようやく定植、30株。温室にはまだ50株近く残っている。

●菜園
 例年通り遅れに遅れた菜園仕事。今年こそはリニューアルと言い続けて早5年、通路と地面の区切りに置かれた枕木も傷みがひどい。が今年も見送り。スコップで起こす、小型トラクターで起こすとここまではやってもらって、その後の耕耘機からが私の仕事。5馬力だけどクボタの耕耘機は実によく働いてくれる。

 今年も夏野菜、サラダ野菜、1年草のハーブ、豆類が中心。梅津さんの直売所に寄った時に分けてもらったダリアも植えた。月の滴とか赤い涙?とか演歌の如き名前を記した札つき。一体どんな花が咲くのだろうかと想像しながら未知なる苗を植えるのは楽しい。

 苗を植えたり種を蒔いたりどうにか菜園らしくなったのが7月も半ば、しかしいつもにもまして生育が思わしくない。カメムシの一種であるナガメ(匂いはない)とその子分のようなカメムシ、ハムシも加わって発芽した水菜やルッコラなど柔らかな葉を片っ端から食べる。アカザのよう雑草も食べるから柔らかい葉なら何でもいいらしい。見つけ次第潰すが、とても間に合わず水菜は全滅、サラダミックスに混じっていた水菜も全滅。水菜より幾分しっかりしたコスレタスやバジル、ビーツの若葉などは被害なし。彼らも微妙に選択して食べている。

 それに発芽が遅い。種蒔きを忘れたのではないかと自らを疑うほど芽が出ない。
 いつもなら1週間もかからないバジルが2週間たっても2つしか発芽しない。100本は出てもいいはずなのに。

 どうも堆肥の上に直接、種を蒔いたことに原因の一端があるらしい。疾走する馬のイラストと「十勝名馬の堆肥」と大書きしてある肥料袋が積んであったので菜園に景気よくばらまいたのだが、堆肥は種には刺激が強すぎたのだろう。名馬ではなくて駄馬だったらよかったのかもしれない。
 それでまたやり直し、少なくとも2週間は無駄をしてしまった。

 トマト、細長い「あいこ」も青々としたまま、一向に色づく気配なし。ただただズッキーニだけは相変わらず元気に黄金色の実をたくさんつけて菜園を明るくしてくれる。彼らもドロームという大消費地を得て以前のように疎まれることもなくなった。

 ダリア、月の滴は黄色い花という予想を裏切って渋い赤の花をつけた。菜園の花には欠かせない暑苦しさを濃厚に漂わせているので違和感なく菜園で咲き誇っている。

シェードガーデン
ホスタとルリダマアザミの攻防が続く
●ガーデン
 最近気づいたのだが、芝生を囲む庭はいつの間にか日陰の庭、シェードガーデンと化していたのである。10数年前、ガーデンのスタート時にはデルフィニュームだってエリカだってエーデルワイスだって種を蒔いたり苗を植えればちゃんと成長して花を咲かせて楽しませてくれた。同時にサトウカエデや山モミジ、マユミやシナ、サクラやカツラの木も植えたけど、まだ若木だったから光はサンサンと庭に降り注いだ。
 しかし2、3年すると次第に宿根草の勢いが失せ、消滅する花々が続出、憎らしいほど元気だったエキナシアも庭の周囲を囲んでいたヒソップも姿を消し、いつの間にか擬宝珠「ホスタ」ばかりが目につくようになった。

 多分土のせいだろう、と考えて苗を植える時は黒土や堆肥を大量に投入して土壌改良に努めた。しかし期待したほどの効果は得られず、ホスタばかりが水を得た魚のごとき勢いで勢力を拡大していった。
 そして気がつけばホスタ、クリスマスローズ、ルリダマアザミ、ホタルブクロ、ホトトギスと何やらじみーな花ばかりが残ってしまった。日陰ものというイメージそのままの花を咲かせる。まあ赤やピンク、黄色やオレンジ色のの花が残るよりはましともいえるけど、少しは華やかさも欲しい。

 土の問題、宿根草の寿命の問題もあるが、成長した木々の葉が急速に密度を増して光りを遮るようになったのである。たいていの花は光を好むから木の生長とともに彼女たちは元気をなくし10数年を経て庭は典型的なシェードガーデンとなってしまったのである。
 大好きなデルフィだけは守ろうと光を追って移植を繰り返している。

 最近バラ熱にとりつかれたフジカド君はバラ園用地がわずか20坪しか確保できないと嘆くが、陽がサンサンと降り注ぐ20坪と光といえば木漏れ日しか届かない200坪という配分なのである。

 どちらを選ぶかはまあいいとして、私は菜園を日の当たる庭と考えて、光を好む花々ーつまり殆どの花ということーは菜園で栽培することにした。
 日の当たる菜園と木漏れ日しか当たらない広いシェードガーデン。光を存分に浴びている華麗なバラたち横目で眺めながら、当分はこの2路線でいこうと思っている。

●バラ熱 バラ園予定地にて
 植民地サファリスタイルのフジカド君が、炎天下、土壌改良に余念がない。「どうしても貴族っぽくなっちゃうなー」あまりの暑さにスコップを置き、保冷ポットの麦茶をグビグビ飲みながら言う。「貴族は麦茶なんか飲まない」と私。「じゃあこういうとき何を飲むんだ?」「ウーン、多分ベルガモットの香りのアールグレーの紅茶とか・・・・」

 しかし考るまでもなくスコップを振るうなどは園丁の仕事、貴族は園丁の仕事が終わった頃におもむろに登場して「ご苦労。あの辺りに黄色のをもう1株、植えてもらおうか?」とキューカンバーサンドイッチなどを不味そうにつまみながらのたまうのである。
 保冷ポットに詰めたハウス水出し麦茶はもちろん、ペットボトルのアールグレー紅茶も飲まないのである。

シジミチョウ
さあ撮ってとばかりに羽を広げた
ジョウザンミドリシジミ
●蝶
 実に数年ぶりに今年は蝶の当たり年。特に偏愛しているゼフィルスと呼ばれるミドリシジミの類が多数発生した。
 7月半ば、雨上がりの朝、いつもの林道散歩に出かけた。
 すると林道入り口でチラチラと舞うゼフに出会ったのである。ここにもあそこにも、ゼフが華麗に舞っていた。コマ落としのようなチラチラとした動き、光を浴びてブルーグリーンの羽がキラリと輝く。2頭は舞いながら、近づいたり離れたり、螺旋状の軌道を描きながら舞う。

 1頭が道に張り出したクマザサの葉にとまって羽を広げる。惜しげもなくその姿を披露する。光がスポットライトの如く羽を照らす。自然の色は言葉を超える。金属的な光沢、光の角度でブルー或いはグリーンに自在に変化する、といってみても空しい。

 そっと近寄ってのぞき込む。ゼフは少しずつ位置は変えるけど羽を広げたままの姿勢は変わらない。
 夢中でシャッターを切る。少し離れてシャッターを切る。

 急にゼフが葉から飛び立つ。さっきの舞いを始める。もう1頭加わって3頭のゼフが複雑な軌跡を描く。

 林道を峠に向かって上る。林道にはゼフの食草であるナラの木がたくさんある。そこここのナラの木のそばでゼフが舞っている。数カ所で確認。それぞれ10頭前後と数は少ないものの全体として頭数は多い。

 大発生した数年前は3箇所に密度濃く集中していた。見上げる私に向かってまるで降ってくるように舞い、蝶に親しむきっかけを作ってくれた。この上なく贅沢な体験だったが、その後はばったり姿を見せなくなった。

 そして今年、ゼフが戻ってきた。  毎日、ゼフのいる林道を散歩する。光とともにゼフが登場する。私にとってはそれは紛れもなく幸せの瞬間なのである。



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#5 グリーンサラダの醍醐味
 今年も野菜の自給に貢献すべく菜園で野菜やハーブの栽培に勤しんでいる。以前のように収穫本位の畑としての菜園ではなく、最近では菜園を1年草を中心とする庭と位置づけるようになった。
 野菜だってジャガイモ、トマト、ナス、胡瓜、豌豆、空豆とそれぞれにかわいらしい花を咲かせる。特に空豆のポストモダン的雰囲気漂う花は野菜の花として括るのは勿体ない。
 花を咲かせてはいけないレタスなどは葉を楽しむ観葉植物として扱う。

 そうした野菜と好みの1年草の花々をミックスして配置する。そんな実用とも装飾ともつかない半端な庭作りを楽しんでいる。

 その年の野菜の需要に合わせて花と野菜の栽培面比率が変わってくる。集団生活に区切りをつけた後、家族が散り散りに生活するようになった頃は空き地と1年草の花ばかりが目立った。
 近年ホテルドロームという一大消費地が登場して以来、野菜軍団の優位が続いている。

 野菜と取り合わせる1年草の花だが、独自の選定基準により選ばれた菜園にふさわしい花というのがある。ひまわり、ナスタチューム、一重のマリゴールド、カレンヂュラ、時にジニア。豪華絢爛とか爽やかとか涼しげと形容される花はダメ。田舎くさくてノスタルジックな雰囲気を醸す花が菜園にはふさわしい。

花豆の壁
花豆の壁を通して見た道具小屋、
花が散れば豆がたくさん実る
 レタスの間から黄色や橙色のカレンジュラの暑苦しい花がのぞく。色とりどりのナスタチュームに縁取られた区画では各種のバジルがナスタの侵略と戦っている。
 中でも欠かせないのが花豆の壁。2メートルの竹の支柱を4本組んでそこに花豆を這わせるのである。白い豆は白い花がピンク地に臙脂色スポット入りの赤豆には赤い花が咲く。夏になればジャックと豆の木並のスピードで成長してたちまちの内に支柱は緑の葉で覆われ、たっぷりした葉の間から赤と白の花がのぞく。これを4組も立てればかなり立派な緑の壁のできあがり。堂々とした花豆の生け垣は菜園の素敵なアクセントになる。
 豆も若い内に収穫すれば空豆みたいに若い豆の味がする。十分成長した豆は乾燥させて保存し、水で戻して使う。最近では茹でた豆をタイムの香りを移したオリーブオイルに漬けて料理の添え物として使っている。

 私が暮らす赤井川は純度100%に近い農村地帯、季節ともなれば道の両側に直売所が並ぶ。裏の畑で朝、とってきた野菜がズラリと並んでいる。お願いすれば摘みに行ってくれたりもする。ナス、トマト、胡瓜などオーソドックスな夏野菜はもちろん、ズッキーニ、パプリカなど一昔前には見たこともなかったような西洋野菜も普通に並んでいる。かつて東京は青山の紀伊国屋で1本3000円で売られていたズッキーニが今や北海道の赤井川村の直売所で3本100円、まさに隔世の感がある。
 トマトなら白戸さん、空豆とニンニクは能登さん、葉ものは梅津さん、ツルムラサキなら野田さんとそれぞれ贔屓の直売所が決まっている。
 こういう恵まれた状況では私の菜園など出る幕がない。

 だから簡単に手に入る野菜は少しにして主にドローム用にレタスとチコリいろいろ、大量のバジル、豆類を栽培している。今年は苗屋さんで思わず買ってしまった立派なセロリとカリフラワー、冬の日に種苗屋さんのカタログを眺めながら注文してしまったアーティチョークやイタリアの野生種ブロッコリー、真っ赤なビーツやタイで購入した白いなす、各種唐辛子と脈略なく栽培している。春の訪れを待ちわびる気持ちが冷静さを失わせるのだろう。

 そうした菜園事情だが毎年必ず栽培するのが「ムスクラン」といわれる数種類のサラダ用葉ものをミックスしたもの。
 この「ムスクラン」は私にグリーンサラダの美味しさを教えてくれた。

 それまで、グリーンサラダは味わうというよりも栄養バランスのために食べることが多かった。
 一生懸命育てたレタスを工夫を凝らしたドレッシングを振りかけてもそれほどの感動はない。グリーンサラダ単体ではなく、他の素材と組み合わせて利用するいわば下敷きのようなものとして扱ってきた。

 ある年、アメリカから届いたカタログに「ムスクラン」という種が今年のお勧めとして載っていた。
 説明によるとサラダに適した野菜の種を数種類ミックスしてあるらしい。フランス風、イタリア風、中国風など国別に分かれていた。

 これは放ってはおけない。
 しばらくして届いた種袋をあけるとレタス、チコリ、ハーブなど、パラフィン紙に包まれた少量の種が6種類入っていた。

ムスクラン
オークーリフレタスやコスレタスの
混ざったムスクラン、
何故か雑草もチラホラ
 ミックスして蒔くようにという指示に従って小さな容器に中身をあけて指先で混ぜながら蒔く。
 葉ものだから苦労いらず、種は異国の地で芽を出し、すくすくと葉をのばした。

 あまり時間がたつと堅くなりそうなので伸びた葉を少しずつ摘んではサラダにする。ひとつのサラダボールには数種類のレタスやチコリが混在することになる。

 葉に大きな切れ目が入った柔らかなオークリーフ、しゃきっとした食感と肉厚の葉が存在感を示すロメイン、ほろ苦い赤紫色のチコリ、ピリッとからいマスタードグリーン、そしてチャービルとチャイブ。それぞれ食感も風味も微妙に異なる葉っぱが、口の中ではじける。これまで口にしてきた単純でもっさりとした食感のグリーンサラダとはまるで違う味わいがそこにはあった。

 そうか!これがグリーンサラダというものだったのか。複数の葉っぱのそれぞれに異なる食感と風味こそがグリーンサラダ本来の醍醐味であったのか。
 こうして長年の疑問がムスクランのサラダによって氷解した。
 一種類ではなく数種のレタスとハーブがミックスされれば、微妙な違いを堪能することができるから他の素材や凝ったドレッシングの助けを借りずともグリーンサラダとして立派に自立できるのである。
 グリーンサラダの美味しさに目覚めて以来、毎年欠かさずムスクランの種を蒔いてきた。数年前から日本でもサラダミックスとして販売されている。
 ドレッシングは葉の繊細な風味を損なわないようにオリーブオイルと白ワイン酢のシンプルなものがいい。レモン汁のみでも十分においしい。加えるとすれば薄く削ったパルメザンチーズ、彩りを考えて薄切りにしたレモンの皮、紫タマネギ。

 しかしここで欠かせないのがチャービル。
 ムスクラン・フランス風にはチャービルの種子が混ざっていた。
 これまではチャービルなんてパセリの代用と考えて軽視してきた。
 しかしムスクランのおかげでその実力を思い知らされることになった。パセリと同じセリ科の植物とはいえ味わいの繊細さがまるで違う。レース模様の葉っぱが表すようにチャービルには羽のように軽ろやかな味わいがある。
 ほんのりとした甘みがチコリの苦みやマスタードグリーンの辛みを和らげて全体のバランスをとってくれる。たかがチャービルとはいえ侮れない実力の持ち主なのである。
 最近ではチャービルをムスクランから独立させて栽培するようになった。

 素材もさることながら美味しいグリーンサラダに重要なのが温度。ホテルでもグリーンサラダは菜園サラダとして定番化しているが、メインの料理と同じくらい気を使う。

 菜園で摘んだグリーンは洗って、サラダスピナーで水を切る。ビニール袋に入れる。ビニール袋を空気で膨らませて冷蔵庫へ。
 提供する少し前に冷蔵庫から取り出してドレッシングで優しく和えて盛りつける。
 これで完璧なグリーンサラダの出来上がり。

 今晩のディナーのメニューを頭に描きながらムスクランの葉を摘むのは楽しい。
 そうだ、ナスタチュームの花も摘んで散らしてみよう。鹿肉を使った田舎風パテの脇に添えれば、食事のスタートを華やかに飾ってくれるだろう。

 直売所に並ぶ野菜が実質だとすれば私の菜園は楽しみの庭、こういう村に暮らしているからこそ味わえる楽しみでもある。


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#4 番外編 タイ「食、時々蝶旅行」
タイ料理教室
 ほんとうはマレーシアのランカウイ島に蝶三昧の旅に出かけるはずだったのに、出発予定日が何と2年に1回、ランカウイ島で行われる国家規模の航空ショーの初日に当たってしまった。
 その日の前後はホテル満室、国内線満席、どうしようもなくて断念。いろいろアレンジしてくれた蝶の大先輩に迷惑をかけてしまった。ゴメンナサイ。 しかしこのままあきらめるのも悔しいので急遽、「蝶三昧」から「食時々蝶」に方針を変更してタイ、ベトナム方面に出かけることにした。

 タイ料理は大好きでよく食べる。辛くてスパイシーで酸っぱくてとても私の味覚に合う。しかしタイには35年くらい前に行ったきりで、タイ料理が日本でも認知されるようになってからは一度も行っていない。ならばこの際、彼の地でまずはタイ料理に入門してみようと決めた。
 ネットで調べていたらバンコクやチェンマイには観光客向けの料理学校が多数ある。、そこでは半日〜1週間ぐらいの日程でタイ料理を教えてくれるらしい。ちょっとマイナーな学校を選んで半日コース×2を予約した。

 いざタイへ、もちろん蝶採集用具一式も持参した。
 ホーチミンを経由してバンコクに到着。翌日ホテルに来た迎えの車に乗って学校へ、予想通り参加者はすべて英語圏の白色人種でしかも全員がカップル、5組10人に英語が不自由な黄色人種がひとり混じるという構成。タイ人の愛想のいいコックさんが講師、アシスタント兼通訳は完璧な英語を話すタイ女性。周到なテキストもあるし、料理なんてみてれば分かるが、いやはや疲れた、疲れた。
 先生が実演する。そしてみんなで「tasting time!」と陽気に叫んで味見をする。ついで生徒が同じように作るのだが、目の前には下拵えされた素材と計量済みの調味料がきちんと用意されているから難しいことは何もなし。ちょうどTVの料理番組のよう。
 その辺は楽勝なのだが、問題は10人の白色人種たちで、かれらは11人目の私に気を遣って絶えず話しかけたり、冗談を言ったり、ガス台を譲ってくれたり世話を焼きたがる。通訳や先生も痒いところに手が届きすぎるほど面倒をみてくれる。

 ほっといてくれれば一人で楽しめるのに少しもほっといてくれない。全員で楽しむと言うのが彼らの流儀だから、みんなでこの講習を盛り立てようとする。ほんとに困ったモンだ。絶えずニコニコして楽しんでるフリをしなくちゃならないし、しかも英語だから疲労度は3倍増。調理ならぬ社交に疲れてふと外を見るとツマベニ蝶がふわふわと舞いながら飛んでいるのが目に入った。同志に出会ったよう。私にはこの教室にいるすべての人間たちよりツマベニ蝶の方がずっと親しみがもてる。
 でも料理は興味深かった。タイ料理の全体像が朧気ながら掴めたような気がした。

 まず素材としてそこらにあるものを使う。インドでもそうだが南国は素材に対しておおらかだと思う。ビールを飲ませて牛を飼うようなことはしないし、なんとかさんが栽培したパクチー、ということもないだろう。かつてはその家秘伝のナンプラーなどというものもあったらしいけど、今ではそういうこだわりはあまり感じられない。
 タイはいまだ発展途上にあり、食の成熟を促す人々の経済力がまだ低いという事情があるのかもしれないが、それ以上に南国の豊穣さがおおらかさにつながっているのだと思う。
 種をまけばそんなに苦労しなくたってはえるんだもん、沖縄でもそういうおおらかさを感じた。沖縄でいつも美味しいと思うのは野菜料理というより野草料理である。

 北は雪も降るし、寒いから野菜を育てたり家畜を飼うのが大変、だから食料保存の技術や乏しい素材を美味しく食べようとする調理技術も発達するのだろうが、素材に対してはおおらかになれない。北国の人間が南国に惹かれるのは、いくら頑張っても絶対に手に入らないそういうおおらかさに対する憧れがあるのかもしれない。

 タイ料理は酸味、辛み、甘み、香りこの4つの要素のバランスで成り立っている。非常にわかりやすい。時々、かなり甘いヤム(サラダのような和え物)があるけどそういうのはきっと甘いのが好きな調理人の手によるもだろう。テーブルにある酢をかければいい。適当に好みの味に調節しながら自分の味覚にあう味を探し出せばいいということになる。

●酸味と甘み→ライムの汁、穀物酢、パーム糖と呼ばれるココヤシからとる茶色い砂糖。

●辛み→これはチリの役割。。種類がたくさんある。収穫時期、未熟か完熟かによっても辛みや香りが異なるらしい。チリは最も奥が深そう。マーケットでいろんな種類のチリの種を購入した。

●香り→ハーブとスパイス。スパイスといえばインドがまず思い浮かぶけど、どうしてタイにも独自のスパイス&ハーブワールドがある。スパイスとしてはコリアンダーとクミン、ターメリックが中心、ハーブはコリアンダー(パクチー)バジル(3種類ある→これも種子を購入)ミント、チャイニーズセロリ、ネギそしてカー(生姜の類)とコブミカンの葉、レモングラスの茎 だいたいこれが香りの元になる。

●調味料→うまみと塩気を補うおなじみのナンプラー(魚醤、濃いのから薄いのまでいろいろ)。やエビを発酵させた強烈な匂いを放つカピ。他は中国色の強い醤油やカキ油などいろいろ。
そして忘れてならないのがうまみとコクの素であるココナツミルク。

 例えばグリーンカレーなら、ニンニク、生姜、レモングラス、コリアンダー、クミン、チリを小さなすり鉢でする。これがカレーの素になる。ココナツクリームを鍋で煮立ててカレーの素を加えて煮る。鶏肉とナス、コブミカンの葉を加えて火を通す。器に盛ってバクチーとバジルを散らす。イエローカレーもレッドカレーも若干の差はあるものの基本は同じ。
 インドのカレーのように玉葱を時間をかけて炒めて甘みとうまみを引き出すとか、たくさんのスパイスを微妙に調合する(多分、タイでは薬草としての重要度がインドほど高くないのだろう)とかトマトを加えて酸味を足すというような面倒な作業はしない。
 酸味がたりなければライムの絞り汁を、甘みが足りなければ砂糖、塩気とうまみが足りなければナンプラーを加える。

 おなじみのヤムウンセン(春雨サラダ)なら玉葱、ニンニク、チリ、酢、砂糖、ナンプラーを混ぜる。春雨や炒めた挽肉、茹でたエビにこのドレッシングをかけて混ぜる。ヤムというのは和え物。材料は水に晒さず、温かいまま。水っぽくならないし、ドレッシングもよく馴染む。サラダといえども冷たく冷やすなんてことはなし。
 ヤムには未熟なパパイヤや野菜各種、肉類(「バーべーキューにして薄切り)イカなどの魚介類と材料は様々。エビ味噌(カピ)入りのやママーと呼ばれるインスタント麺入りのヤムなど変種も多い。

タイ料理教室2
 タイ料理の基本はヤム(和えもの)と汁物(スープとカレー類)。メインに当たる炒め物や煮物、揚げ物は中国色が濃厚。
と短時間だからこの程度の理解しかできなかったけど、入門編としては面白かった。
アジアでは国によって中国料理の浸透度が異なる。浸透度が低いほどその国本来の味が残っているから興味深い。
 一昨年行ったインドでは中国料理は中国料理として存在しインド料理にはまるで影響を与えていない。インドはインド、中国の入る余地はなし。
 わずかだけど立ち寄ったベトナムは中国料理の浸透度が高かった。スパイスではなく非力なハーブで太刀打ちしているといった感じ。(ベトナムの レストランでは、ロシア民謡の灯、アダモの雪が降る、アメリカ製ミュージカル「南太平洋」の主題歌バリハイの3曲がエンドレスで流れていた。ウーン、そういう歴史なのだなー。)
 タイは独自のスパイス&ハーブワールドを武器に中国料理としたたかに戦っているように見えた。しばらくは純正タイ料理は健在だろう。

おすすめ

 宿泊したホテルの朝食はバイキング形式。このスタイルにはあてがう、あてがわれるといった雰囲気がつきまとうからどうも馴染めない。だからアジアではホテル近辺に必ずある朝食屋台を探して食べるか、テイクアウトすることにしている。
 今回は中華屋台が多かったのでホカホカ肉まん、ニラまん、おかゆ、揚げパン、豆乳(ふやかしたバジルの種とタピオカ、煮た豆入り、砂糖なし)などを購入。できたての高度に美味しい朝食が100円未満で味わえる。

怒り

 プーポッパンカレー。日本のタイ料理のメニューにも時々見かけるが食べにくそうなのでパスしてきた。しかし本場ではぜひ食べてみようと思い、その発祥の店というのに行ってみた。しまった、案内されたフロアーでは日本人団体客が全員その名物料理と格闘しているではないか。その光景を前にして気持ちは萎えたけどせっかく来たのだからともちろん注文した。
 これはかにをカレーで煮込み卵でとじた料理。しかし・・・・・。日本人はかに、カレー、卵が好き、でもスパイスや辛み、酸味には弱いといった洞察(これは概ね当たっている)に基づき中国人によって日本人向けに開発されたひと皿に違いない。甘いばっかり、かにそのものは美味しくないし、辛くもなくスパイスもきいていないカレー、そして何でそこにいるのか理解できない異質な卵。加えてこの上なく食べづらい(あまりのことにハサミを要求したら厨房で食べやすくカットして持ってきた。すると周りの人たちがみんな同じ要求をし始めた。じゃ最初から食べやすくすればいいのに)。
 このワケの分からないひと皿はタイ料理に対する侮辱だと思った。
 ビールとこのひと皿を注文した向かいのインド人男性は非常に困惑し、明らかにもてあましていた。カレーの本場の人だからカレーのつもりで注文したのかもしれないけど、ご飯なしでラージサイズのプーポッパンは相当きついでしょうね。
 観光客に媚びたこういう類の料理をはびこらせてはならぬと思った。

余談

タイ料理教室3
 時々蝶の方だけど、藤門及び宮川先生から渡された資料には「バンコクで17番のバスに乗っていると窓外に空き地みえる。空き地はトタンで囲まれているが一方だけ空いているからそこから進入すると蝶のいいポイントがある。云々」とあった。しかしね、バンコクは都会、屋台のある名古屋といった規模の都市で空き地をさがせって言われてもそんなの無理。「ルンピニ公園も好ポイント。」しかしね、大勢の人が憩う名古屋中心部の公園で網を振れますか?しかも外人のおばさんが一人で。「日本人観光客が必ず訪れるワット何とかも穴場。寺を見物していると時間が勿体ないから即、網を振りなさい。」ワットといえばお寺、いくら何でも殺生は慎むべきではないか。というワケで郊外にあった蝶園でキシタアゲハやコモンタイマイの写真を撮り、ウィークエンドマーケットでトリバネアゲハの標本を購入するにとどめました。

 来年はチェンマイに「食並びに蝶」旅に出かける予定。タイ料理は面白い。



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#3 「生姜の日々」
 初夏、沖縄本島に蝶の採集に行った。やんばるの入り口にある八重岳では憧れのあの蝶を初めアゲハ、タテハ、セセリ類がたくさん採れた。同行した息子のアリスは運転手兼網振り人として大活躍、母親は辺りを見回して「ほらあそこ」とか「ほれあの高い木」とか指さすだけ、まるで英国貴族のような(よく知らないけど)採集行だった。

 那覇の公園では偶然知り合った島袋さんと一緒に網を振り回し、やんばるで取り損なったオオゴマダラやベニモンアゲハなどを採集。クチナシの実につく蛹(これが飛行機を乗り継いで辿り着いた北海道で羽化した。わさび色をした美珍蝶イワカワシジミ!)を探したり、沖縄蝶情報を提供してもらったり。島袋さんは初心者の私に親切にしてくれた。彼はこれまで私が出会った蝶好きの人たち(といっても2名半だけど)とは蝶に対するスタンスがまるで違う。そこが面白かった。実に楽しい沖縄蝶採集行だった。

☆生姜にはまる

 沖縄での最終日。島袋さんと別れ、興奮と熱気を冷まそうと涼を求めて那覇の桜坂のカフェに立ち寄って一休み。三角紙にくるまれた蝶を取り出したいところだが、グッとガマんしてメニューの中から大好きなジンジャーエールを選んで注文した。

 暑い沖縄、思いがけない蝶果、適度な疲労感、こういう場合、冷たい飲み物なら何でも美味しいに決まっている。
が、しかしこのジンジャーエールはものすごく美味しかった。時々飲むカナダドライのそれと同じものとは思えない。強烈な生姜と控えめなスパイスの風味が喉を心地よく刺激する。1杯目はほとんど一気に飲み干して、2杯目を注文。店の人から笑われてしまった。

 北海道に戻って蝶の展翅と同時にあのジンジャーエールの味を再現してみようと思い立った。ドロームの夏の食前酒がわりにもいい。
砂糖とはちみつで作ったシロップに生姜とハーブを加えて煮る。液を漉す。要するに生姜風味のシロップなのだが、生姜の分量やカットの仕方、はちみつの種類やスパイスの量などを変えるとかなり違った味になる。なかなか納得のいく味には到達しない。

 とまあほどほどで止めておけばよかったのだが、つい深入りしてしまった。炭酸で割ったり、ハーブティーに加えたりして周りの人に試飲してもらうとかなり評判もいい。いっそ製品化してみたらという案が持ち上がった。

生姜の写真
☆生産に乗り出す

 個人的に楽しむのと製品として販売することの間には高いハードルがある。
 味はもちろんのこと原料の入手、生産効率、賞味期限など乗り越えるべき課題がたくさんある。
 夏の暑いキッチンでほぼ毎日試作に取り組んだ。
 生姜をすり下ろす、生姜をミジンに切る、生姜をスライスする。切り方ひとつで苦みが出たり、辛みが出たり、香りが弱かったりとかなり風味が違う。はちみつも精製蜜を使うとすっきり仕上がるけど物足りない、北海道のシナ蜜だと味はしっかりしているが供給量に問題有り、と言った具合。
 瓶はどうする?殺菌の時間は?

 食品加工センターの中野さんから有益な助言をいただき、工房のみんなと大規模試作に励み、ようやく8月の半ばころ製品化にこぎ着けた。生姜なんてもう見るのもヤだ。
 本当に製品として売れるのだろうか?

☆めでたいのだが・・・

 秋から首都圏の百貨店を皮切りに販売が始まった。お客さまの生姜に対する関心は思いのほか高く、しかもインフルエンザという追い風?を受けて予想外の売れ行き。
 工房のみんなに伝えた予定数を遙かに上回る売れ行きだった。
 現場では生産に追われて休日も返上、急遽ドローム組も参加して、生姜生姜の大騒動がが展開されたらしい。
 工夫に工夫を重ねて作業効率は大幅にアップした(試作時の2倍のスピード)もののそれでも手作業の限界がある。作るの売るのもてんてこ舞いの秋だった。

 生姜シロップ、商品名「飲む生姜」はたまたま順調に滑り出したけど、その陰で葬り去られた食品は数知れず、倉庫ではそういう見たくないものたちの群れが、一体どうしてくれるんだと私を無言で脅迫する。
 通販会社にそそのかされて作った「愛犬用手作りおやつのキット」(昨今のペットブームに乗ずれば大ヒットしたと思うのだが・・・早すぎた)「パン焼き器用材料キット」(ハーブブレッドとか雑穀パンとか、手抜きして自家用レシピをそのまま流用したらヘルシー過ぎたのかあまり共感を呼ばなかったらしい。)「ハスカップのジュースにつけ込んだベルーベリーとカシスのコンポート」(商品説明不可能)だとかそういうものたちの群れだ。

 自分用に細々こしらえている季節の品々が製品として独り立ちしてお客さまの手に届く醍醐味を一度でも味わうと、いくら脅迫されても懲りることなく、さて次は・・・・と試作に励んでしまう。。
 そういう私の気まぐれに最後までつき合ってくれる食品工房のみんなには本当に頭が下がる。いつか見放される日が来るかもしれないけど。
 今更ながら、私は食品に関わる仕事が好きなのだと思う。

 「飲む生姜」は各地の百貨店で開催される北海道展のみで販売していますので、ぜひ会場で手にとってください。お湯で割って生姜湯、炭酸で割ればジンジャーエール、ジンジャーティーやジンジャーミルクもなかなか。とコマーシャル。でも購入できない方のために

<生姜のシロップ>
1 生姜は粗ミジンくらいに刻む
2 砂糖を加えて一晩置く
3 水とはちみつを加えて煮る。
 好みでハーブやスパイスも一緒に。
4 液が熱いうちに漉す。
5 瓶に詰めて殺菌する。
 分量は適当に。ちなみにわが生姜シロップは200ccのシロップをとるのに75g以上の生姜を使用しております。生姜は国産のもの、砂糖は三温糖でもグラニュー糖でもお好みで。

 次はルバーブに乗り出す予定です。乞うご期待。



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#2 夏はベリーだった 2
 昔、30年以上も前に初めて外国の料理本を買った。青山の嶋田洋書店、将来の夢だけを支えにして笑いながら極貧の生活を送っていた頃なのに何でそんな高価なものを買ったのか覚えていない。
 しかしその本の1ページを今でも鮮明に覚えている。グースベリーのピクルス。鯖の料理の付け合わせてとして紹介されていた。
 当時は今のようにベリーに興味があったわけでもないのだが、この地味なピクルスがイギリスを代表する伝統料理を差し置いて強烈にインプットされてしまったのだ。

 今年は畑の自家用グースベリーが豊作だった。これまでは実がなっても使い道もなさそうだから何となく無視してきた。しかし長さ2センチを超すぷっくりと膨れた楕円形の実があんまりおいしそうなので少し摘んでみた。地味な赤色に熟した実は意外や意外、地味な外見通りしみじみとおいしかった。枯淡の味わい。沈んでいく大英帝国の味わい。
 手前2株ほど摘むと掌3杯分くらいになった。
 さて、どうしよう。家に戻る道すがら突如としてあの料理本の、30年前に購入したイギリスの料理本の「グースベリーのピクルス」が頭をよぎった。

これしかない。早速、ピクルス作りに取りかかった。

<グースベリーのピクルスの作り方>
1 グースベリーを洗い、実の先端についている花の名残のようなものを取り除く。
2 水気をよく切って、布巾で拭いて保存瓶にぎっしり詰める。
3 ピクリング液を作る。手近にあるお酢、(私は白ワインビネガーを使用、赤ワインビネガーでもりんご酢でも果実系のお酢なら何でも)を鍋に入れてその半分くらいの水を注ぐ。塩と砂糖(私は三温糖を使用、はちみつでもグラニュー糖でも何でも)を適当に入れて火にかける。この時ピクリングスパイスを入れるとよい。(私は粒マスタードとクローブ、コリアンダー、いずれも粒状をガーゼにくるんで使用、他にローリエの葉と赤唐辛子も)砂糖と塩が溶けて沸騰したら火からおろす。
4 液がなるべく熱いうちにグースベリーを入れた瓶に液を注ぐ。実が完全に隠れるまで。スパイス類は取り除く。
5 瓶の蓋をして冷めたら冷蔵庫で保存。

 あの本のレシピとは違うかもしれないけどかけ離れてはいないはずだ。鮮明に覚えている写真と同じものが目の前にある。
 しかしすぐ食べるわけにはいかない。最低1週間は寝かせないと、その間ピクルスのことは忘れて過ごすことにしよう。

 1週間たった。もちろん美味しかった。それに美しかった。赤みがった実に緑の縦縞が浮き出している。一人で独占するのは勿体ないからドロームメニューにのせることにした。
 ちょうどそのころ真狩村にある有名な「マッカリーナ」(ここがうちから一番近いレストランなのだ。学ぶことが多くて有意義なランチであった)に行った帰りに立ち寄ったニセコの道の駅でいろいろな野菜を購入した。ここは野菜の種類が多いのでかなり楽しめる。
 紫色の巨大なカリフラワー(茹でてもちゃんと鮮やかな紫!)480円、高いと思うかもしれないが普通のカリフラワー3個分くらいは優にあるから安い。ルバーブ、残念なことに売り切れていて値札のみ。赤黒いトマト、などなど。
 その中にビーツがあった。ビーツのピクルスをこよなく愛する私はこれも購入。マッカリーナと同じくらい有意義な買い物であった。

 ビーツはね、葉の付け根とか先っぽを切ったらダメ、色素がどんどん抜けてしまうからネとかいいながら泥を落としたビーツを茹でる。英語ではBLOODと表現するらしい。出血か、なるほどね。

<ビーツのピクルス>
1 ビーツをさっと洗って柔らかくなるまで茹でる。決してビーツ本体に包丁をいれないこと。
2 ビーツを適当なサイズにカットしてピクリング液につける。グースベリーと同じ。私は手元にあった赤ワインビネガーとカシスの黒酢を使用。
3 以下はグースベリーと同じ。省略

 翌日ドロームに出勤してビーツの様子をみる。何と赤い皮が剥けて白い肌を晒しているではないか? こんなのアリ? 白いビーツなんてただの大きなカブじゃない(砂糖を作るビート大根は皮も全部白)すごく落胆。どおりで皮の色が薄いと思った。あんなに時間をかけたのにね。
 偽ビーツをカットすると白くてもビーツ特有の年輪模様はちゃんとある。偽とはいえせっかく時間をかけたのだからこのまま放棄するのは悔しいからピクリング液につけてピクルスを作った。すると偽ビーツは日に日にピンクに染まり1週間すると上品なピンクのピクルスが仕上がった。味はまさしくビーツ、偽なんていってゴメン、こういう種類のビーツなんですね。

 ちょうどそのころ6月の終わりに種をまいて苗を作り7月に定植したピクルス用胡瓜が実をつけ始めた。瓶詰めされた小さな胡瓜のピクルスはよく見かけるでしょ?あれは未熟な胡瓜を収穫して使うワケじゃなくて初めからピクルス専用の巨大化しない胡瓜を使っているのです。
 そのピクルス用胡瓜の種を見つけて栽培してみたら意外とすばやく実をつけ始めた(取り忘れたチビ胡瓜はどうなるかというと長さは8センチ位までしか成長しないがどんどん肥満化する)
 これを塩漬けしながら保存してピクルスに。

<胡瓜のピクルスの作り方>
省略

 これでグースベリー、変種ビーツ、チビ胡瓜のピクルスが揃った。まあきれいなこと。
 前菜の田舎風パテなどに添えると非常にいい感じ。特にグースベリーのピクルスはお客さまの目を惹くらしくて「これは何?」と必ず聞かれるらしい。

 グースベリーのピクルスが品薄になったので実を摘みに行く。この間は2株めまで終わったから次は3株めから。今度は4株め、5株めとたくさん摘もう。
 3株めはとりわけ大きな実がなっていた。実に手をかけた瞬間、目の前に鳥の巣を発見、雛と目が合ってしまった。雛はそれぞれに赤い口をあけて餌をせがんでいる。親鳥がいなくてよかった。人間の気配に気づいたら親鳥は巣を放棄するかもしれないから当分の間そっとしておこう。早々に立ち去る。
 残念だけど仕方がない。

 ちょうどその頃、温室では6月にプランターに種まきしたミニ玉葱が肥大化。直径1センチくらいの実が土の外に飛び出している。これは初めて栽培したのでよく分からないが、何となく「採って採って」と訴えている様子なので収穫する。プランターだから大した量はないけど直径1センチくらいの玉葱がゴロゴロとかわいらしい。

<玉葱のピクルスの作り方>
1 玉葱は葉と根を落とす。(普通の玉葱のような茶色い外皮はなし)塩と酢を加えた湯で茹でる。沸騰したら火を止めてフタをしてむらす。
2 手で触れる状態になったら外側の堅そうな皮をむく。つるりと剥ける。以下省略。

 もうじきミニにんじんも収穫できる。以下省略。
 オクラもいいなー。以下省略。
 ゴーヤもおもしろいなー。以下省略
 今年はピクルスの実力を再確認するとともに30年来とりついていたグースベリーのピクルスから解放された夏でもあった。



食卓日記マーク
#1 夏はベリーだった
 仕事が終わって夕暮れになると菜園に向かう。菜園はおおまかに分けると2箇所ある。1箇所はカツラとカシスのヘッジ(生け垣)に囲まれた1200平米ほどの菜園。ここでは主に野菜とハーブを栽培している。収穫物は自家用とホテルドローム用。

 もう1箇所は煉瓦の家の裏手に位置する畑で各種ベリー、アスパラガス、ルバーブを栽培している。

 広大なブルーベリー園が業務用ベリー栽培園ならこちらは自家用ベリー園。この土地にあったベリーを見極めるとう目的で藤門が趣味的に植えたものだ。
 ハスカップ、カシス、レッドカランツ、ブラックベリー、グースベリー、ラズベリー、アロニア、周囲をジューンベリーとナナカマド、さくらんぼの木が囲んでいる。
 各種それぞれ10株程度だが、それでも季節になると実がたくさん実る。
 一番早いのがハスカップで今年は比較的大粒の実がたくさんなった。次がスグリ類とラズベリー、最後はブラックベリー、アロニアの順番。8月の初めころには全部の実が採れる。

 放っておけば地面に落ちてしまうか、ヒヨドリが食べるか、どちらにしても勿体ないので実を摘む。ハスカップ掌いっぱい、カシス2杯(ほんとはもっとあるけど摘むのが面倒だから見逃す)同じくレッドカランツ2杯(カシスに同じ)ラズベリー2杯、スグリは3本目の株にアオジが巣をかけたからパス(近づくと雛が大きな口を開けてえさを要求する)アロニアとブラックベリーは時期早尚故バス。収穫物を入れたパックを手にキッチンへ。朝摘んだブルーベリーもかなりある。さてどうするか。

今年はこの半端なベリーでサマープディングをよく作った。私はこのイギリス発祥? のお菓子が大好きでベリーを使ったお菓子の中では傑作中の傑作だと思っている。
 エッそんなにすごいの? と知らない人は興味津々、知ってる人はフーンあんなもんがねとややバカにするに違いない。
 バカにされようとどんなに蔑まれようと私はサマープディングが好きだ。
 バカにされる原因は多分作り方が恐ろしく単純であるというところにあるのだろう。

<サマープディングの作り方>
1 3〜4種類のベリーを合わせて砂糖とワインなどをふりかけてしばらく置く。ラズベリーとカシスは必須。
2 食パンを用意する。全粒粉とかライ麦粉とかを使ったヘルシーなものではなくてスーパーで売っている白くてフカフカしているものがいい。1斤10枚切り程度が最適。ここは重要なポイント。食パンの耳を落としてを対角線で切り三角にする。
3 金属のボールを用意する。このボールに三角に切った食パンを貼り付ける。やってみるとどういう風にやればいいか自ずと分かるはず。隙間なく張る。ボールの底も工夫して貼り付ける。1/3位は残しておく。
4 ベリーを鍋にいれて煮る。沸騰したら火を弱めてアクなどを取りながら10分くらい煮る。これはジャムと同じだが、砂糖の量はジャムの1/3程度。このとき好みでクローブやシナモンスティックなどを一緒に入れて香りをつける。火を止めたら好みのリキュールを加える。
5 少し冷ましてから食パンを貼り付けたボールに流し込む。エッと初めは思うだろう。でも大丈夫。ジュースの一部は残しておく。(これが後で役に立つというのは林望の著書で知ったのだが彼にしては最高に有益な助言だと思う。)
6 残りのパンでフタをする。エッ、これがデザートになるなんて信じられないと初心者は思うに違いないが大丈夫。重し代わりに皿などのせて冷蔵庫で冷やす。1晩寝かせる。

 食パンとベリーはいかなる変貌をとげて素敵なデザートに生まれ変わるのでしょう?
 朝起きたら冷蔵庫からボールを取り出す。そして皿をはずして恐る恐るラップをとる。そこで目にするのはベリーで真っ赤に染まった食パンのはず。食パンとボールの間によくしなるナイフなどをいれて注意深く隙間を作る。
 そして・・・・・。ボールの口に大皿を当ててひっくり返すのです。するとベリーで赤く染まった半球が皿の上に出現するでしょう。(2〜3回失敗を重ねればね)

 つまりサマープディングはベリーがベリー自身のもつペクチンの力で固まるのを利用したお菓子。食パンはゼリー状になったベリーを包む皮の様なもの。
 食パンに白い部分があったら林先生の教えに従ってとっておいたシロップを刷毛で塗って赤く染める。
 8枚切りの食パンだと厚すぎて染まらない部分が多く出現する。しかし12枚切りだと薄すぎて破れてしまう可能性がある。だから10枚切り程度が適当。

 で、これを切り分けて泡立てた生クリームやアイスクリームを添えて食べる。本当においしい。何てことはない凡庸なレッドカランツも個性が強くて協調性のないカシスも酸味が強い頑固なハスカップも過去の遺物的香りを漂わせるグースベリーもバランス感覚抜群のラズベリーとブルーベリーの指揮の下にひとつにまとまる。
 不思議なことにベリーがハモるのである。それぞれがその役割を心得ているかのように演じるのである。単体では味わえない複雑な美味しさが生まれる。
 特に濃いベリーの色に染まったジクジクした食パン部分はウットリするほどおいしい!

 サマープディングを作っているとこれが作成されるシチュエーションがよく分かる。
 イギリスの農家の主婦が朝早く、菜園の見回りに出かける。するとヘッジの陰に熟れた食べ頃のベリーがポツポツ見える。鳥に食べられる前にと気まぐれに摘む。いつも持参しているカゴに入れる。ラズベリーやスグリ、カシスもある。
 家に帰って朝食を用意して子供たちを学校に送り出す。目の前にあるのは子供たちが食べ残した食パン、そして朝摘んだ各種のベリー。1週間前にジャムは一年分作ったし、パイを焼くのは面倒だし、そうだ! 食パンをパイ皮の代わりに使ったらどうだろう?
 こうして誕生したに違いない、カナ。

 何だ、サマープディングというのは甘みの薄い大量のジャムを食パンで包んだもの、要するにジャムパンじゃないかと思う方も多いだろう。それはそうなのだが・・・・、しかしトンカツとパンが合体してかつサンドになるとまるで違うものに生まれ変わるででしょう? カレーパンだって、焼きそばパンだって。
 そうだサマープディングはカレーパンに似ている。本来ご飯にかけるカレーをパンで包んで揚げる、本来パンに塗るジャムをパンで包んで冷やす。
 ただの食パンとベリーがサマープディングに変貌するダイナミズムはカレーがカレーパンに、トンカツがかつサンドに変貌するダイナミズムとよく似た感動を呼ぶのである。

 とつい力が入ってしまう。

 もちろんそんな大げさなもんではないが、サマープディングはもうじき歴史上のデザートになってしまうだろう。そういえばあったよね、お米を持っていくと作ってくれたポンせんべいとか大きなお玉みたいなので作ったカルメ焼きとか玄米パンのホカホカとか。そういった類の過去のお菓子になってしまうだろう。

 何しろ数種類のベリーが一度に揃う、しかもジャムに煮て保存するほどの量はないけどちょっとつまむという量でもない半端な量のベリーが必要うという特殊な条件が必須のお菓子だから生き残りは難しいだろう。
 今年は一度だけサマープディングがホテルドロームでデザートとして登場した。
 もう少し研鑽を積んで来年は登場回数を増やしたいと思っている。
 運がよければ? この絶滅危惧種のサマープディングに巡り会うかもしれないからよかったら来夏はホテルドロームに足を運んでください。とコマーシャル。


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