(12)北米のカエデ メープルシロップとふたつの並木
ブルーベリー園を縦断して並木を作った。
田舎暮しを始めてからの主たる生業は木製の家具類を作ることだったが、その初期の頃に旅したアメリカで、ひとつのイスに出会うことになった。1970年代の終わり頃、場所はフィラデルフィアの博物館だ。そのイスは19世紀中頃に作られたもので、「シェーカー教団による」とだけ表示があった。一見古びた平凡なイスにも見えたが、立ち止まって相対するとその率直で直線的なデザインの斬新さが浮かんできてじんわりと感動した。偶然の出会いがもたらす新たな道、という分かりやすい人生訓的な事実はやはり存在するようで、以後ぼくの家具製作はこのシェーカー教団が残した遺産の継承がテーマになっていく。シェーカー教団は18世紀末にイギリスから移住したキリスト教団で、アメリカ東部を中心に多くの共同体を建設した。教団の足跡を訪ねて旅をくり返したのだが、その記録は後に『シェーカーへの旅』(平凡社)などにまとめた。
シェーカーについて、特に時代への批評として語るべきことは沢山あるような気がするが、ここではテーマに沿って思い切り限定的に、そのイスと素材についてだけ注目しよう。西欧の家具史を見渡すと、様式というのはとりわけイスに強く表れるように思うが、シェーカーの場合もまさにそうだ。教義に沿って不要物をそぎ落とすデザインは、イスを極限的に細身に完成させるのだが、このストイックな構造を支えるのが、北米東部を原産とする強靱な素材、シュガーメープル材だ。
シュガーメープル材は日本ではそのまま訳して「サトウカエデ」と呼ばれ、ラテン名もやはり「アケル・サッカラム」だ。サッカラムは砂糖、しょ糖の意味で、昔よく「サッカリン」という甘味料の名前を耳にしたからなじみがある。北米東部にはカエデ類が多くあり、サトウカエデ以外にもかなりの種類が自生している。用材になるとこれらをハードメープルとソフトメープルに二分するようで、ハードの代表がシュガーメープルだ。ロックメープルとも呼ばれるように、重くて堅い材だが、材質はどちらかというと均質で加工はしやすい。なので用途は広いが、現代で最も使われるのは床材だろう。耐久性があり、摩耗に強いので床材には適しており、ボーリング場の床もメープルの小割集成材が多い。
シェーカー教徒が自らの信条を表現するイスにこの材を使ったのは、いわば必然であったろうし、逆にこの材があってこそ完成した様式だったとも言える。また、背板を別にするとほとんどの部材が挽物による丸材で構成されているが、これには材質に加えて旋盤の技術の完成が必要だったはずだ。また、イスの長い後脚は曲げ木をすることもあるが、加温加湿による曲げ木が可能なこともシュガーメープル材の特質だ。灰白色あるいは黄褐色とでもいう明るい木肌の木材表面は、時間とともにアメ色に変化して、独特な風格をもたらす。また、時として木肌に固有の模様(杢)が出現し、たとえばカーリィー、タイガー、バーズアイなどと呼ばれて珍重される。
シェーカーチェアの復元にあたって、ぼくの工房では長年北米から輸入されたメープル材を使ってきたが、まれに貴重な杢が出ることがあり、バーズアイなどはまるで宝物のように扱ったものだ。日本のカエデ材と比較すると、心材と辺材の区別が不明瞭で、だからより広く材を利用できる。また、「カスリ」と呼ばれる黒い筋状のスポットが、イタヤカエデに較べて少ないのも特徴だろう。サトウカエデとイタヤカエデ、兄弟のような樹種だが、木工材料としてはサトウカエデが一段上のような気がする。
もうひとつ、イタヤカエデが敗北しそうなのが、その樹液、つまりメープルシロップの一件だ。なにしろ木の名前そのものがサトウカエデでありシュガーメープルなのだから、樹液についても最初から敗色濃いのである。実際、両者の樹液の糖度は著しく違っていて、正確な糖度の比較レポートは発見できていないが、自ら採取した経験から、イタヤの樹液とそれを濃縮したシロップは決して上等とは言えないのである。甘みを強くするためにはどうしても加温を長くすることになるが、すると独特の「えぐみ」のようなものが生ずる。もしかすると樹液原液を煮つめる段階でなにか特別な技術があるのかも知れないが、これはよく分からない。
かつて息子たちがまだ小さい頃に、春先になると雪の裏山に登ってイタヤカエデを探した。3月頃の天気のいい日に、イタヤの幹にドリルで穴を開け、そこに「タップ」と呼ぶ金属の受け口を打ち込む。ここに小型のバケツを下げておくと、翌日には樹液でいっぱいになっている。指を入れてなめてみると甘い。ほのかに甘い、というべきか。これを集めて家まで持ち帰り、屋外に作った炉に鍋を置いて煮つめるのである。水分を飛ばすのが目的だから、室内だと蒸気がこもって大変なのだ。シュガーメープルの場合は30分の1ぐらいだそうだが、イタヤの場合は更に煮つめて、およそ40分の1ぐらいまでにすると、ようやく「メープルシロップ」状のものができあがる。家族内の春の行事として、パンケーキなども焼いて楽しむには十分の自然の恵みである。
アイヌの人たちはイタヤ樹液を「トペニ」と呼び、時にはイタドリの枯れ穂に入れて凍らせ、キャンディのようにして食べたという。乳児に与えることもあったようで、トペニは「乳」のような意味らしい。樹液を煮つめるようなことはしなかったようだ。
新大陸のシロップもきっと原住民が入植者に教えたのだろうが、特産品として進化して、いまや一大産業になっている。製品には厳密な等級があって、簡単に言うとシロップの色が透明に近いほど上等とされるようだ。ライト・ミディアム・ダークのように区分され、濃い色のものは加工用とされるらしい。わが裏山産のシロップはさしずめダーク分類で、とても商品にはならないだろう。
北米のメープルシロップの現場に出会ったのは、ずっと以前、バーモント州のことだった。季節が秋だったのでシロップ採集は見ることができなかったが、森の中にシロップ専門店があって、そこにはガイドブックや採集道具なども並んでいた。わが家で使うタップはその時そこで購入したものだ。
もっとも現代では、木に開けた穴に直接チューブをさし込み、これを次々と連結して容器に導くらしい。商業的には一本ずつ木に下げたバケツの樹液を集めるようなことはもうしていないようだ。その店で見たビデオによると、タコ足状に連結されたチューブの出口からは、まるで水道の栓をひねったように樹液が流れ出ていた。樹液を煮つめるシュガー・シャック(砂糖小屋)も、いまやステンレスの容器類が並ぶ、ちょっとした工場のようで、まったく牧歌的ではなかった。
とはいうものの、この時の北米東海岸の旅は、強く印象に残るものだった。シェーカーを訪ねる旅のひとつとして、ニューヨークを起点に北上し、マサチューセッツ、バーモント、メインと時間をかけて一般国道をたどった。紅葉シーズンのまっただ中にあって、風景はもうめくるめく色彩の劇場であった。カエデは樹種ごとに独自に紅葉をするが、やはりサトウカエデの赤がひときわ見事に思える。道路沿いだというのに、木々がどれも思い切り太くて大きい。時々車を停めてカエデの大木を見上げたりした。
メイン州の北部のシェーカー共同体跡を最後の訪問地にしたが、カナダの五大湖から東に走る国道も同じ終点ケベックに向かっている。この東西の道は、日本の旅行社によって「メープル街道」と名前をつけられ、秋になると観光客がたくさん来るらしい。北米東部一帯はまぎれもなくメープルの大森林地帯なのである。
というわけで、シュガーメープルはカナダ国旗のあのいい形の葉をきれいな赤に染め、葉の色勝負でもどうやらイタヤは劣勢の様相だ。材質で負け、樹液で負け、紅葉で負けて、いいところないじゃない、という話をある木工家にすると、彼は憤然とイタヤ擁護を始め、遠くの国にいる金髪美女に憧れてないで地元に目を向けよ、「だってイタヤはここにあるんだぞ」というちょっと無理な主張を展開しておもしろかった。ただ、彼の「イタヤに出てくる杢は独特に繊細で日本的だ」という主張はそれなりに正当な気もする。劣勢ではあるが、イタヤにもそれなりにいいところがある、ということだろうか。
前にも述べたが、わが庭には地元のカエデが3種、北米のカエデが3種植えられている。北米のカエデとは、英語名だとシュガーメープル、レッドメープル、シルバーメープルの3種だ。和名で言うと、サトウカエデ、アカカエデ、ギンカエデ、ということになる。カタカナが並ぶけど、更にラテン名で言うと、アケル・サッカラム、アケル・ルブラム、アケル・サッカリナム、である。アケルがカエデのラテン名で、日本のカエデも大体アケル属になる。
建物を左右から包むギンカエデ。
右の紅葉はシェーカー村のサトウカエデ。
北米3種を最初に植えたのはもう40年近く前のことで、庭作りのごく初期のことだ。札幌の植木屋Nさんに勧められて5メートルほどの若木をそれぞれ3本ずつ植えてみた。気候が北米東部と似ているからだろう、植えた木はみな順調に育って大きくなった。サトウカエデはとりわけ成長が早くて、あっという間に見上げるような大木になった。ギンカエデも割合早く成長したが、アカカエデは日本のイタヤカエデと同じぐらいのスローペースだった。この時の9本の北米カエデはいま、7本が庭に残っている。残念なのがサトウカエデで、本来ならエースのはずが、一気に成長した後に、急に勢いを失って枯れ始めてしまった。やむをえず2本は伐採、残る1本も今や息たえだえの様子だ。建物のすぐ近くにあるので、その姿が悲しい。
サトウカエデについて言うと、シェーカーを訪ねる旅の中で、あちこちにある大木から種を拾って歩いた。その中で帰国後うまく育ってくれたのが、ニューハンプシャー州のカンタベリー共同体のものだ。冷蔵庫保管で低温を体験させ、春に苗床に植えると発芽する。10本ほどが種から苗になり、それを庭のあちこちに植えてみた。シェーカーの故郷からのカエデは貴重品だが、サトウカエデはやはりむずかしくて、ひとまず育ってはいるが、いい形の成木になりそうなのはそのうちの1本だけだ。池のほとりで、他のカエデに混じって、秋になると見事な紅葉を見せてくれる。
アカカエデは最初の3本の後、かなりたくさんを植えた。札幌のNさんルートで格安の苗が手に入ったので、古い池端の斜面におよそ20本、公道からつづく私道に片側並木として20本ほどを定植した。これらも大分時間が経ったので、大きくなっている。
アカカエデは春先の花が赤くてきれいで、日本ではハナノキという種のカエデの親戚らしい。なので、アメリカハナノキとも呼ばれるらしいが、北海道にはこのハナノキそのものが自生していない。名称ついて言うと、レッドメープルことアカカエデの別名は、ベニカエデ、ルブラムカエデ、ウォーターメープルなど、たくさんある。水辺を好むのでウォーターという名があるそうだ。もっとも、その名の割には紅葉の赤は地味で、中には真っ赤になる木もあるが、全体としてはあまりパッとしない。名前のアカやベニ、ルブラムはやはり春の花にちなんでつけられたのだろう。
ギンカエデは最初の3本がずいぶん大きくなった。母親の家のそばに植えたのだが、距離が近すぎたので、中央の一本を建物の反対側に移植した。今では屋根の高さを越え、家を両側から包むように枝を伸ばしている。ギンカエデは葉の裏側が銀色に見えることからつけられた名前だ。英語ではシルバーメープルだが、ちょっと分からないのはラテン名のアケル・サッカリナムだ。サトウカエデのサッカラムとよく似ていて、これはやはり砂糖を表すはずだ。ところがギンカエデの糖分はかなり少ないというから、ちょっとミステリーだ。いずれ樹液を試してみよう。
ぼくはこのギンカエデをことのほか気に入っている。まず葉の形がいい。他のカエデと同様手のひら状に5裂があるが、それがとてもシャープな切り込みになっている。葉をたくさんつけた枝先は風にたなびき、すると葉裏の銀色が姿を見せて素敵だ。あるいは、アカカエデほどではないが、春先に大量に咲く花も赤くてきれいだ。秋になると受粉した花はすべて実になり、枝先にはびっしりと大きなプロペラ状の種が重なる。イタヤなど日本のカエデと較べて、プロペラの角度は思い切り広くて、ほとんど直線状だ。紅葉は黄色系でイタヤに近いが、葉の量が多いのでそれなりに見事だ。
ギンカエデの特徴のひとつは、前述のように成長が早いことだ。もしかしたらわが家の土壌とか気候とかの環境が合っているのかも知れないが、連続して植えたギンカエデはいずれものびのびと気持ちよく育っている。どこで育苗しているのか不明だが、札幌の苗木屋さんから来た若木はいずれも元気がいい。高さが3メートルほどの若木は、根鉢もまだ小さくて、ひとりで持ち上げられるサイズだ。一輪車に乗せて運び、割合気軽に植えることができる。
というわけでギンカエデがすっかり好きになったのだが、ある時、ギンカエデの並木を作ることを決めた。庭のある丘の上から、農場を縦断して公道まで、新しい道と並木を作る作戦だ。近くでトンネル工事をやっていて、その関連で道路脇の畑土がもらえるという情報だ。農地の起伏をこの土で修正して、およそ100メートルほどの新しい道が完成した。もともとそのために作ったので、両側には直ちにギンカエデをずらりと植えたのだが、以前のアカカエデ並木では木の間隔が狭すぎたので、今度は6メートルごとにして、枝が交錯しないようにした。古い日記を調べると、これが2007年5月のことになっている。つい最近のことのように思っていたが、もうすぐ20年になる。
新しく作った道は、路面に砂利も敷かず舗装もせず、きれいに耕して芝生の種を播いた。翌年になると道の芝は緑になり、両側のギンカエデはすべて活着して葉を茂らせ、見事な並木道が完成したのである。「なるほどとても素敵な並木道だけど、しかし一体なんのための道なの?」と当然尋ねられる。ただ並木道をつくりたかっただけなので、問われても答えに窮するのだが、「いずれ息子たちが結婚相手を連れてやってくるはずだ。馬車に乗ってやってくる花嫁を迎える並木道なのだ」、そう宣言して追求を回避するのであった。
息子たちは並木道を使わずいつの間にか結婚してしまったので、道は依然として目的用途を探索中である。しかし、立派に成長したギンカエデは新緑から紅葉までたおやかな木陰を作っており、ぼくはジョンディア芝刈機に乗って、ひたすら並木道の芝生を刈り続けるのである。人生至福の時である。