アリス・ファーム へようこそ! 北海道 赤井川村 から ブルーベリー ジャム と 北の暮らし をお届けします。


グランパ樹木記マーク
#02 (2024.2)
(2)ドイツトウヒ ・・・「防風林」の話
 丘の上に住宅用地ができて、 次に取りかかったのが防風林、屋敷林を作る作業だ。
 防風林を作る、と言葉では簡単にそう言うのだが、実際は木の苗木を植えて、後はひたすらその成長を待つ、気が遠くなるような遠回りの試みだ。植えてから形が見えるのに少なくとも10年、林らしくなるのにおよそ20年はかかろうという、地味で迂遠な作戦である。
 時間がかかるのはやむをえない、この丘に骨を埋めるつもりで取り組めばいい話ではないか。そう豪語してみるのだが、さて具体的に考え始めるとこの防風林作りのノウハウというものがまるで見当たらない。わが村のどこにも人家をとりまく屋敷林のようなものはなく、わずかに畑の境界に並ぶ木の列があるばかりだ。それらも十勝平野にあるような、大規模で見事なカラマツの列ではなく、どちらかというと敷地境界を示す役割ぐらいに見える。実際、入手したばかりのわが農地と隣の農家との境界にはヤチダモの木が一列に植えられていて、それが多少は風を防ぐ役割もしているようである。
 東北地方に行くと、一面に大きく水田地帯が広がっていて、そこかしこに屋敷林に囲まれた農家が点在している。広い農業地帯に点々と住宅が分散しているのを「散村」といい、住宅が集まるのを「集村」と呼ぶのだそうで、屋敷林はこの散村型の地域に見られるようだ。車で走りながら眺めると、杉とおぼしき太い木が整然と並んでいて、その大木が地方の歴史の厚さを表しているようだ。杉の大木、というだけでもう北海道から来た身には別世界だが、その内にある屋敷の見事さにもまた感銘する。そもそも屋根が瓦葺きというだけで異国に思えるのであって、北海道ではどんなに立派な家でも屋根は決まってトタン葺きなのである。
 用事があって宮城の農村地帯を何度かドライブしたが、その時見た屋敷林が当面唯一の手がかりである。もっとも、東北の水田地帯で見る屋敷林はいずれも建物にかなり近接していて、いささか窮屈な印象がある。農家にとっては住まいなどよりも農地をできるだけ広くとるのが当然なのだろう。いずれにしても北海道には杉はないし、林の内側に広い庭があってその一部に建物を作るつもりだから、東北の屋敷林とは少しイメージが違う。
 というようなわずかな見聞を多少の参考にしつつ、さてどう取り組むか、思案どころであった。まずは杉ではないどんな樹種を選ぶのか、というのが問題だ。当然ながら、屋敷林には通年にわたって防風の役割をしてもらわなくてはならない。だから、冬に葉を落とす広葉樹は候補から除くことになる。では針葉樹の中からどれを選ぶか、ということだが、実は北海道ではそれほど選択の余地はない。針葉樹といえばまずエゾマツかトドマツか、普通この2種になる。落葉するカラマツはだめだし、イチイは成長が遅くて選択範囲には入らない。
 エゾかトドか、と思いあぐねていたら、木に詳しいある人から鉄道の防風林にトウヒが使われる、という話を聞いた。密な樹冠を作るし、成長も早いという。おまけに見本がすぐ近くにあるというではないか。話を聞いてすぐに行ったのが隣の余市町から仁木町を通過する函館本線である。線路わきだからそれほど大きな林ではないが、よく見ればそれぞれ端正な姿の針葉樹である。すべての木がそろって同じ大きさで、まるで儀仗兵が整列しているかのようだ。近づくと葉は意外に柔らかく、深い緑色をしている。この鉄道林を見て、ぜひこれと同じトウヒを植えたい、そう思った。
 調べてみると、北海道で植林されるのはドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)という種類らしく、しかしそもそも北海道のエゾマツやアカエゾマツはマツ科のトウヒ属に分類されていて、兄弟のような関係らしい。ちなみにトドマツは同じマツ科でもモミ属に入るという。トウヒの英語名はスプルスで、この名は本業の木工の仕事で用材として馴染みがある。家具作りに使うスプルスは、北米産のトウヒでシトカスプルスと呼ばれるらしい。
 北海道は木の国だからいわゆる造林の事業も活発で、植林用苗木の生産も大きい規模で行われている。富良野方面の苗木生産会社に電話で問い合わせてみると、ドイツトウヒも扱ってますよ、とのことだった。ついでに値段を聞くと安いのに驚いたが、後で届いた苗木を見てなるほど値段相応かなと思った。

トウヒ植林当日の写真がみつかった。
春の風がとても強い日のことだっ た。
 80年代が後半に入る頃、この頃はわがファームのメンバーが一番多かった頃で、その全員を動員して一大植林イベントをやることになった。人数は集まったが、ぼくを含めて全員が植林初体験だ。素人集団の指導者が大学演習林に勤務するNさんで、彼の指導のもとに作業の開始である。まずは届いた苗木だが、これは束ごと前日からバケツの水に浸けてある。それをばらすと、一本ずつは鉛筆ほどの細さでおよそ頼りない。背丈50センチほどの弱々しい苗だ。これを地面に植えるのだが、指導者は「植林クワ」という特殊なクワを使う。畑で使うクワよりも幅が狭く肉厚のもので、これを地面にえいえいと数回打ちこみ、その土を上に掘りあげて止め、できたすき間に苗の根を入れこむのだ。土の間に斜めに苗を差し込む、という要領である。苗を入れたらクワを抜き、苗を上に引きながら両足で根元を固めるのである。えいえいから始まっておよそ30秒ほどだろうか、あっという間の作業である。このプロのエイエイ植樹は思い切りの力仕事だが、ベテランになると一日五百本も千本も植えるらしい。
 ところが我々はまったくの素人であり、そもそも植林クワも持っていない。見本は示されたが結局普通のスコップで地面に穴を掘り、そこにひとつずつ苗を植えていくしかない。固い地面での穴掘りは重労働で、半日もやるともうへとへとで、大勢いても半分は座りこんでいる有様だ。人海戦術をもって一日で1500本全部を植えるつもりだったが、結局当日と翌日午前までの一日半の作業だった。参加した長男・有巣君、次男・仁木君ともに、寒くて大変だったこの日のことをよく記憶しているという。
 敷地およそ3千坪の南側と西側の二方向に、それぞれ三列の線状に苗を植えた。苗と苗の間隔は両手を広げた距離である。もちろんこれは将来の間伐を前提にしたもので、最終的には三本のうち一本が残るぐらいの数になるはずだ。
 ・・・・・・それからもう40年に近くなる。植えた苗木はすくすく育ち、今では立派なトウヒの防風林が完成している。樹高は20メートルに達し、太いものでは幹の直径が50センチ近い。まずは大木といっていい大きさである。期待どおりトウヒは生育が早く、枝も大きく広がってくれた。防風の効果は抜群で、強風の日でも建物敷地に入れば、ほわりと無風の空気に包まれるのである。
 成長したトウヒはやがて実をつけるようになった。いわゆる「松ぼっくり」、球果だが、日本のマツの実とは違ってかなり縦長の姿をしている。トウヒの「松ぼっくり」は、鳩時計に下がる重しそのままの形だ。というのは当然で、鳩時計(本名はカッコー時計)のもともとの産地はドイツの「黒い森」地方であり、そこはまさにドイツトウヒの森の一帯なのである。
 トウヒの”松ぼっくり”はもちろん子孫を残す種のためのもので、折り重なった襞の間に羽根のついた実が隠されている。そのままにしておけば、やがて風が種を飛ばすことになるが、その前にやって来るのがまずエゾリスだ。夏を過ぎると散歩の度にリスたちが樹上でキキキと鳴き、犬たちが木を見上げて吠える。もう一種、ちょっと嬉しいのが野鳥のイスカだ。オスたちの赤い姿が魅力的だが、なにより、クチバシが松の実をこじあけるように進化していて、上下がたがいちがいになっている、その特殊さが興味深い。
 という風に見事に育ったトウヒの防風林なのだが、いくつか悩みもある。ひとつは、かなり試みたはずの間伐なのだが、どうも不十分だったようで、木と木の間隔が狭く感ずるのである。いまからでも間引きをしようと思うのだが、大木になると倒す時のあたりへの影響も大きくてずっとためらっている。

現在の様子。一番奥がトウヒの防風林、その手前が北米のカエデ林、
建物の手前がカツラの生け垣。
 もうひとつは、庭を囲むトウヒを眺めわたすと、上部で二股になっている木が多い。針葉樹は基本的にまっすぐに主幹が直立するものであって、二股はかなり異常な状態である。ひとまず防風の役には立っているし、木の健康に問題があるとも思えないのだが、やはり気になる。本当かどうかは分からないが、針葉樹が二股になるのはカラスが原因だという。カラスが木の先端に止まると、その体重でそこがポキリと折れる。すると、その下にある二つの枝が左右に伸びてやがて二股の木になるのだそうだ。そういえばカラスはよく木の先端に止まるし、時としてより歓迎すべきタカの類が頂上からあたりを睥睨していることもある。
 というわけで、ちょっとした悩みもあるものの、わが家とわが庭はこのトウヒの防風林、屋敷林に守られて日々の平和を維持しているのである。


グランパ樹木記マーク
#01 (2024.1.12)
 アリス・ファームのホームページをちょっと間借りして、新しい連載を始めさせてもらいます。
 タイトルは上記のように「グランパ樹木記」で、内容もタイトルどおり「グランパが語る樹木の話」ということになります。ぼくがこの40年に植えてきた樹木について、孫たちに語り伝える、ひとまずそういう主旨あるいは建前なわけです。
 いうまでもなく樹木というのはものすごく長いライフサイクルを持つわけで、ぼくがいま植える若木は、孫かその次の代ぐらいになってようやく成木の姿を見ることになります。ぼくは現在の住まいや庭がそのまま200年ぐらいは維持されると期待をしているわけですが、もし希望どおりになったとしたら、そこには巨木、老大木が大きく枝を張っているはずです。でもその頃にはもうそれらがいつ、どんな風に植えられたかを知る人はいないかもしれません。
 フォスターの『ハワーズ・エンド』にはあるニレの木の話が出てきます。州で一番の立派な木で、幹にブタの歯がさし込んであり、その樹皮が歯痛に効くというような話です。今の自分の住まいがハワーズ・エンドのように時を重ねた時に、ブタの歯や歯痛はともかく、そこにある樹木にもそんな小さなストーリーがあったら楽しいだろうな、と思ったりします。
 ストーリーとまでいかないまでも、その木を植えた時のいきさつなどをメモし、ついでにその樹種について知ることをまとめておこうと考えるわけです。最近は調べ物をしてもすぐに忘れてしまうので、忘備録のような役割かもしれません。
 というわけで、相当に私的な樹木記ですし、どこまで「ネタ」が続くか、あるいはぼくの集中力が続くか分かりませんが、ともかくスタートしようと思います。

(1)プロローグ 宅地と庭が決まるまで
 ぼくが住んでいる赤井川村は、北海道の中央部、石狩湾沿いの小樽や余市に隣接する小さな村だ。人口千人の村は、いわゆる「カルデラ地形」の内輪山の中にあり、わが農場はその西端のゆるやかな丘の上にある。
 今から40年ほど前に、人が住まなくなったひとつの農家を譲り受けたのだが、それから隣接農家が離農するたびに徐々に敷地が広がっていった。一帯の農家は「3町3反」という面積が基準らしく、それは多分、国が農民に農地を払い下げた時の規格なのではないかと思う。北海道のスケールからするとやや小さい農地だが、大概は裏にある山林も所有するから実際の面積はその何倍かになる。そういう農家を4件分引き受けたので、わが農場はおよそ30町歩(30h)ぐらいの面積になった。というとずいぶん広いようだが、十勝や道東の広大な農場に比べればささやかなものかもしれない。面積として言えばそういう比較になるのだが、農地の広さは実はその土地の生産性と対比するものなので、ただ数字を比べてもあまり意味がない。
 というわけで広いと言えば広い、そこそこと言えばまあそういうような面積の農場をやっているわけである。農場の仕事についてはひとまずおくとして、話はわが家とわが庭である。
 この農地を手に入れた時は、道路沿いに建つ古い三角屋根の住宅がとても気に入ったのだが、これを残して他の木造倉庫類は全部壊してしまった。廃墟じみた古い倉庫などを取り除いてみると、ここは中々雰囲気のある地形をしていて好感が持てた。その昔リンゴ園だったというゆるやかな南斜面は見晴らしがよくて、村を一望できるし、その向こうには内輪山越しに羊蹄山がどっしりとした姿を見せている。斜面にそって上に登ると、そこはゆったりとした丘のようになっていて、小さな池があり、ずっと昔に入植した人の住まいの痕跡もあった。あちこちにリンゴやナシ、サクランボなどの朽ちかけた古木が立っていて、わずかに果樹園の名残もとどめている。
 離農跡地というのはどこでもかなり乱雑になっているもので、しかしそれは農家が悪戦苦闘した歴史といえる。なので、古ビニールや農薬の容器だのは、ゴミとはいえ必ずしも不快なだけではなくて、むしろ先人の苦労に頭を下げたくもなる。最初の数年は農地の片づけと整理に注力して、しかしこの作業期間はゆっくりと将来の計画を考える時間でもあった。
 丘の上一帯は、直前まではカボチャ畑だった場所だが、高いだけあって一番見晴らしが良かった。雑木林の裏山までも少し距離があって北側からの圧迫感もないし、南には内輪山越しに羊蹄山がよく見える。素晴らしい場所に出会った、と思った。大げさに言うと、一種啓示のようにして、丘はぼくに未来の住まいやそこでの暮らしを約束してくれたのである。
 住宅や庭の場所をできるだけ大きく描いてイメージし、あちこちに目印の杭など打ち、小さな起伏はブルドーザーでならしていった。いわゆる造成工事である。まずは中心部分をおよそ1ヘクタール3000坪ほどと決め、中央部を平坦にした。表土を移動したのでやや赤茶けて情けない光景ではあったが、ひとまず広い宅地ができ上がったのである。
 しかし問題がいくつかあった。そのひとつは公道から遠い、ということだ。北海道の家はどこも道路に密接して建てられるが、それは冬の除雪があるからだ。道路と建物の間に「引き」がないことに内地の人は驚くが、それには理由があるのだ。ところがここは公道から敷地まで100メートルにもなる距離である。冬期間の除雪をどうするのか、という大問題だが、しかしこれは結局、道路を舗装したり重機類を導入する、というような荒技で対応することにした。後になって色々苦労をすることにもなるが、その度に機械が大型になっていった。
 もうひとつの大問題は、見晴らしがいい分むやみと風が強いことだ。南側からカルデラ盆地を渡ってきた風が、もろに吹きつけてくる。穏やかな日もあるが、強風の日などは歩くのもままならないような吹きさらしの丘なのである。冬になるとまるでシベリアの荒野である。
 風対策には機械導入のような速効策は見当たらない。盆地の底から吹き上げてくる風を防ぐには、そこに林を作って木々に風よけをしてもらう、という正攻法しかなさそうだ。造成した敷地をぐるっととり囲むように木を植えて、内部の平穏を作る作戦だろうか。
 そう思ったが、これにもまたいくつか問題がある。ひとつは当然ながら木を植えても、それが育って風よけになるまでにはすごく時間がかかる、ということだ。大きな木を植えればいいのだろうが、まわり一周となるとかなりの数になるはずだし、費用もすごいことになるだろう。山に植林するように、苗木をたくさん植えて成長を待つしかないだろう。
 もうひとつの問題は敷地を林で囲む、ということはこれも当然ながら、眺望をさえぎる、ということだ。せっかく景色のいい丘の上を選んだのに、林で囲ったら風景はなにも見えない。景観か防風か、という選択になってしまうのであった。

丘の上の造成工事から数年後の住宅用地。木はひとつもない。
 そんな問題に直面して、結局やはり防風林を作ることに決めた。当時まだ40歳前後で、時間はいっぱいある気がしたし、家や庭はゆっくりと少しずつ作るものだから、木もそのうち大きくなるだろう、そう楽観的に思うことにした。木も庭も家も、いずれも10年単位で考えればいいのだ。
 敷地からの眺望については、木が育って家や庭から直接見えなくなっても、外に広がる農地側に出ればそれでいいように思える。庭に続く農地のどこかに展望デッキでも作って、天気のいい日にはそこからのんびり羊蹄山を眺めることにしよう。結局防風優先の路線を選んだのだが、今になってみるとこの方針でよかったように思う。
 そんなわけで現在の住まいと庭の用地が定まったのであった。1980年代中頃の話である。
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